「英語は英語で教えるべきだ」とする高校の学習指導要領改訂案が発表されました。私の本業は英語研修屋。而して、その英語研修屋さんの1人として言わせていただければ、
①現在の生徒と教師の英語力
②英語力開発に関する高校生の一般的なモティベーションの現況
③次の世代を担う若い日本人の労働力商品としての価値(人的資源戦略において日本の国際競争力)を維持向上させる上での英語のプラクティカルな運用スキル向上のプライオリティー
これらを鑑みるとき、「英語は英語で教えるべきだ」という高校の学習指導要領の指針は到底実行不可能であるか、教育現場に無用の混乱を引き起こすもの、あるいは、その両方でしょう。畢竟、高校の英語教師の過半がTOEIC800点も取れない現状、他方、例えば、大学生の過半が関係代名詞のthatと同格の名詞節を導く接続詞のthatの区別がつかない現状を鑑みるときそう言わざるを得ません。
ゆとり教育路線が我が国に与えた実損を埋め合わせるべく今次の学習指導要領の改訂案が(例えば上に参考画像を掲げた如く、学習すべき英単語の数を若干増やしている等)英語に関しても基礎基本の充実と底上げをはかった大枠の狙いは正しいとしても、こと「英語は英語で教えるべきだ」という点に限れば今次の学習指導要領の指針は画餅に帰すことは必定であり、かつ、公教育における英語力開発を混乱させるものに他ならない。すなわち、それは、
(イ)英語嫌いの高校生を今以上に増やすだけでなく、
(ロ)日常会話の真似事程度のSpeaking-Listeningの経験を高校生に体験させるのと引き換えに、(英文法・語法、英単語・熟語に関する)英語の基礎基本の知識を空洞化させかねない愚策である。
蓋し、「英語は英語で教えるべきだ」などの学習指導要領改訂案は我が国の国際競争力の維持向上に不可欠な国民レヴェルの英語運用能力開発をかえって損なう(過失とすればあまりにも杜撰な、故意とすれば比喩ではなく犯罪的な)指針ではないか。そう私は強く危惧します。
以下、これからこの問題に取り組んでいく上での資料として関連報道を転記。尚、このイシューに関する私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。
・日本人に英語力は必要か
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/81e2aac99ea1950fe0a5ab153756789f
・忙しい社会人にとっての英語学習の意味
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/422267540ab2640746adfd7537b51876
・ALTは必要でしょうか?
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/62e431c273bc9da39589f1fd6f8b6ffa
・小学校からの英語は必要か
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/debc6530f403c26e0cff77344299da51
・国際化の時代だからこそ英語教育への過大な期待はやめませよう
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/16bcc9c39fc17536032b19fa63c03a04
・企業内英語研修の<窓>から覗く国際化の波高し
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/f5c335cad81a75b8a3d91a7ef3cc98f7
・イデオロギーとしての英語とイデオロギーを解体するものとしての英語
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/8a57981eaba6de2dcf586285ad23e146
●「高校英語、英語で教えるべし」学習指導要領の改訂案
文部科学省は22日、13年度の新入生から実施する高校の学習指導要領の改訂案を発表した。「英語の授業は英語で行うのが基本」と明記し、教える英単語数も4割増とする。理数でも前回抜いた項目を復活。卒業必要単位数を74のままとしつつ、全体で学力向上を目指す内容だ。義務教育の学習が不十分であれば、改めて高校で学び直すことも初めて盛り込んだ。
高校の指導要領改訂は03年度以来10年ぶり。理数は前倒しで12年度から実施する。
高校の改訂案では英語で教える標準的な単語数が1300語から1800語に増加。同様に増える中学とあわせて3千語となる。中高で2400語だった前回改訂の前をさらに上回り、「中国や韓国の教育基準並みになる」という。
改訂案は「授業は英語で」を初めてうたった。長年の批判を踏まえ「使える英語」の習得を目指すという。文科省は「難しい文法までは英語で教えなくてもよい」というが、生徒や教員が対応できるか、教員養成のあり方とともに議論を呼びそうだ。
数学と理科は「ゆとり路線」下の前回改訂で中学から高校に移した項目の多くを再び中学に戻す。空いた分、前回高校から削った項目を入れたり新しく加えたりする。(中略)
全日制では週の授業時数が標準の30単位を超えても良いことを明記。「○○は扱わない」といった歯止め規定も削除する。教科書の内容に上限を設けるのをやめるのと合わせ、指導要領が「最低基準」であることを強調する狙いがある。【朝日新聞:2008年12月22日】
●<高校新学習指導要領案>英語で授業…「自信ない」教諭も
「使えない英語」から「使える英語」へ。22日に公表された高校の新学習指導要領案は「英語の授業は英語で行うことを基本とする」と明記した。文法中心だった教育内容を見直し、英会話力などのアップを目指すのが狙い。文部科学省は「まず教員が自ら積極的に用いる態度を見せるべきだ」と説明する。だが教諭の英語力や生徒の理解度はばらつきが大きい上、大学入試は従来通りとみられ、現場からは効果を疑問視する声も出ている。
◇理解度に差、疑問の声
「文科省は現場を分かっていない」。千葉県の県立高の英語教諭は苦笑する。学校によっては、アルファベットのbとdが区別できない生徒もおり、「英語で授業なんて無理」。
大阪府の府立高の男性教諭も「苦手意識を持った生徒が、ますます英語から離れてしまう可能性がある」と危惧(きぐ)する。進学校でも「難関大学の長文問題は行間を読まないと分からない。結局、日本語で説明する必要があるので時間のロスになるかも」(福岡県の英語教諭)と困惑する。(中略)
◇解説 思考力も知識も…現場混乱?
文部科学省が22日公表した高校の新学習指導要領案は、思考力や表現力の養成を重視したことに加え、過去の改定で削られた要素が復活するなど、教える内容のレベルも上がった。すべて消化することは容易ではない。
今回の改定には、経済協力開発機構(OECD)が実施する国際学習到達度調査(PISA)の結果が大きく影響している。06年調査では数学的活用力が03年の6位から10位に後退。覚えた知識を取り出す力はあっても、セオリーに当てはまらないひねった問題は苦手という現実を突きつけられた。
だが、PISAを意識し、「思考力を育てる」と言っても、難易度は極めて高い。PISAで求められる学力観と、これまで取り組んできた学力観には大きな隔たりがある。大学受験という現実を前にして、現場からは「知識を根気よく積み重ねることもおろそかにはできない」という声も当然上がるだろう。(中略)
新要領を絵に描いた餅にしないためには、文科省が目指す学力の質をさらに明確化するなどし、現場の十分な理解を得て進めることが必要だ。【毎日新聞:12月22日】
世界金融危機の推移に係わらず、一層のグローバル化の昂進が不可避な今後の世界を思念するとき、実質的な世界共通語である英語を使える人口の比率はその国の国際競争力を左右する致命的に重要な変数でないはずがない。
而して、これからの世界で求められる英語力(英語で何かを実行できるコミュニケーションと情報処理の能力)は、おそらく、具体的で豊富で体系的な英文法や英単語・熟語の知識を<文字>でも<音声>でも操る高いレヴェルの実践的なスキルになるでしょう。他方、職業人としてのキャリアを英語力で切り開いて行こうとする者と(英語力は最低限度でよしとして)他の分野の能力で勝負する者が今以上に二極分化することは必定だと私は考えています。
蓋し、そのような時代の英語研修は、最早、(Ⅰ)「英会話 vs 英文法」「リスニング vs 長文読解」という二者択一的なものではなくなるだろうし、また、(Ⅱ)「すべての中学生や高校生に同じ程度の英語力習得」を目指すような牧歌的や総花的なものでもなくなる。而して、このような二極分化的の構図を前提にしつつ、しかし、全体の英語力は更に向上させなければ日本の生き残りも危うい。そんな世知辛い時代の入り口に我々は立っているのではないでしょうか。
けれども、中学生・高校生(大学生も!)を指導しておられる英語講師の多くは、または、新卒採用と研修に従事しておられる企業人事・研修担当の少なからずは英語力向上にそう高いプライオリティーを置いてはいない。少なくとも私にはそう思われます。
上で「英語を使える人口の比率はその国の国際競争力を左右する致命的に重要な変数」とまで書いておいて何を言いたいのか。それは、英語力は個人にとっても国家にとっても益々重要になってきていることは間違いないけれど、しかし、「英語力より国語力が、国語力より愛国心を含む礼儀作法が遥かに重要」であるということ。英語教育の最前線で戦っている者であればあるほどこのことを痛感せざるをえないのではないか。而して、それもゆとり教育路線と日教組・全教が破壊した日本の教育の現状なのだと思います。閑話休題。
畢竟、「英語は英語で教えるべきだ」などの主張はどのような意味でも言葉の正確な意味での「戯言」にすぎない。繰り返しになりますが、それは(甲)教える者と教えられる者の双方の英語力およびモティベーションを看過しているからであり、(乙)すべての教える者とすべての教えられる者を十羽一絡げにして同一の目標を設定しているからです。
すなわち、「英語は英語で教えるべきだ」という指針は、「どの子もすべての科目で100点を取れるポテンシャルがあるはずだ」などとのたまう大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義に親しい教育観にいまだにおもねる施策である。而して、それは加速度を増す国際競争に拮抗して日本がこれから生き残っていくために不可欠な「英語力水準の段階ごとに必要な人口比率」という定量的な視点、よって、戦略的な視座を欠く無責任な指針に他ならない。
蓋し、たかが英語でありされども英語。これが英語に関して日本と日本人が置かれている現状なのだと思います。この年末年始はこの英語と日本人を巡る現実を体感される意味でも少し英語に触れられてはいかがでしょうか。ということでKABUのお薦めのe-learningを下に一つ紹介しておきます(Yahoo IDでその場で登録可能。もちろん無料。しかし、かなりの優れものですよ)。
・iKnow!
http://www.iknow.co.jp/
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すぐに全面的に英語で教えるのは
現実の教師の英語力からして無理としても、
段階的に英語で教える方向に向かうのは正しいのでは。