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佐倉の国立歴史民俗博物館は保守改革派の超時空要塞だ!

2008年12月29日 17時49分22秒 | 徒然日記


この記事では「KABUのお気に入りの場所」を紹介します。それは千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館、略して「歴博」。行けない年もあるけれど、大体、毎年1-2回は訪れる大好きな場所です(歴博の概要は下記のURLと記事末の画像を参照してください)。

・国立歴史民俗博物館オフィシャルウェブサイト
 http://www.rekihaku.ac.jp/

・Wikipedia:国立歴史民俗博物館
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%B0%91%E4%BF%97%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8





米英の大学学部・大学院に留学を志望する方々の研修に長らく従事してきたこともあり、而して、「海外に留学するのならなおのこと渡航前に日本の歴史を学び、どんな先祖達の営みを通して自分を含む<日本の現在>が形成されたのかということに思念を至らしめて欲しい」という老婆心から、スケジュールが許す限り毎年私は米英の志望校からアドミッション(合格通知)が届いた渡航前の受講生諸氏を誘ってこの歴博を訪ねてきました。そのような事情もあって私は都合30回以上歴博を訪ねています。しかし、何度訪れても(時々の特設展示企画は当然のこと、常設展示に関しても)飽きることがない。

何度訪れても常に新鮮な感覚を与えてくれる<場所>は、しかし、歴博だけではない。例えば、九段の社にある遊就館を一廻りじっくり見ようと思っても4-5時間もあれば十分でしょうが、英霊の残された手紙や遺品に思いを馳せる段ともなればこれまた10回や20回遊就館を訪れた所で時間は全然足りない。否、毎回毎回、新しい発見があり行くたびに行くべき「残りの回数」は増えさえする。

他方、京都市内を観光する場合(大原・比叡山・鞍馬山・保津峡を含め、一応、一通り京都市中の名所旧跡を訪れるには)4日あればまあ十分。それに奈良を加えるとしても(東大寺・興福寺・平城京跡・唐招提寺の北辺、西辺の斑鳩と東辺の天理、而して、南辺の橿原・藤原京跡・明日香を駆け足で廻って青丹よし奈良の古都を堪能するには3日。まあ、京師と合わせ)1週間から十日あれば南北両都制覇も可能という計算になります。けれども、京都を訪れようとする方が、例えば、「新撰組の土方歳三」や『二十歳の原点』の高野悦子等々ある特定の事柄や人物に特別な思いがあり、それらにまつわる事跡の訪問をも行われる場合には、それこそ「京都に7年住んでもまだ足りない」という事態に至ることもけっして稀なことではないです。

千葉県佐倉市にある歴博から靖国の御霊に導かれて京都・奈良まで話が飛びました。遊就館と京都・奈良の話を通して私が述べたかったことは、歴博の常設展示文物の圧倒的な量とその優れた品質です。国立歴史民俗博物館設立準備室長にして初代館長の井上光貞先生の明晰緻密かつ壮大豊饒なる構想を母胎に、石井進・佐原真という(所謂「唯物史観」が猖獗を極めた大東亜戦争後の日本の日本史学界の中にあって論理と実証を貫き優れた業績を残した)日本を代表する研究者が歴代の館長を務めてきた歴博の展示資料は具体的かつ豊富であるだけでなく極めて系統立っていて、歴史にそう詳しくはない一般の参観者にも実に分かりやすく心地良いのです。

これは不遜な言い方ではなく(世の中には折角九段の遊就館を訪れたというのに、「じっくり見ても30分もあれば足りるつまらない博物館だった」とのたまう、心ないとか主義主張は別にして知識欲のない論者も少なからずおられますが、)特に英霊の御霊とその憂国至誠の魂魄に思いを至らせるのでなければ、遊就館の「物品」としての常設展示の文物はおそらく4時間あれば一通り認知・理解することができるのも事実でしょう。これに対して、歴博の場合には、開館の午前9時半から閉館の午後4時半(夏期は午後5時)までの7時間鋭意見学したとしても5つある展示室の半分も見ることはできない。

大切なことなので再度記しておきますが、遊就館や京都・奈良と歴博を同じく情報処理されるべき「テクスト」と見立てた上で、その情報処理に要する平均的な時間やコストを比較することにあまり意味はない。それを言うのなら、図書館で朝日新聞の過去記事を1ヵ月分一通り読むのには10時間以上かかるでしょうが、だからと言って朝日新聞の1年分の記事が歴博や京都・奈良、まして、遊就館よりも優れているなどの主張があればそれは噴飯事の類でしょうから。

畢竟、歴史を、すなわち、文化と伝統を「本物の文物資料」を通して反芻する作業は、情報の処理、つまり、1回きりの情報の消費とは、ある意味、最も縁遠い営みである。『論語』冒頭の学而篇に曰く、「学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎」と。また、為政篇に曰く、「温故而知新、可以為師矣」と。蓋し、遊就館を訪ねることは靖国の英霊に日本の現状と現下の自己のあり方を尋ねる恒常的な自己再認識の作業に他ならず、それは消費せられる情報などでも断じてない、繰り返し繰り返し行われるべき人間性の自然な発露なのだと思います。

ならば、遊就館と対比することで私は歴博の意義についてもう一つ加えることができると思う。それは、歴博と遊就館、歴博と京都・奈良、あるいは、歴博と大宰府の九州国立博物館、而して、歴博と個々各々の日本人の<現在>は時空を超えて思想的に地続きだということです。

換言すれば、歴博を通して構築練磨されうる実証的で包括的な歴史認識、および、そのような歴史認識から演繹帰納される「日本の歴史と文化と伝統を共有している自分」という自己意識は、九段の社に集う英霊とも、大宰府・京都・奈良で感じられる日本の歴史を担った過去の日本人の情念とも、更には、「日本が日本であること日本であり続けていること」を好ましいと感じるすべての過去・現在・未来の日本人と思想的につながっているのではないでしょうか。もしそう言えるのならば、そのような自己意識の恒常的な再構築を容易にしてくれる歴博の展示資料の量と質、ならびに、その展示ノウハウとスキルは我々保守改革派が大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義を信奉する勢力、他方、国粋馬鹿右翼という(等身大の日本人によって生きられてきた歴史と文化を軽視軽蔑する)左右の観念的社会主義に抗する上での<要塞>なのかもしれません。

それほど歴博の歴史を捉える大枠のパラダイムは健全堅強であり、(そのパラダイムを苗床にした)個々の展示文物を選定配列するスキルは秀逸練達(例えば、歴博では融通の利かない「本物展示主義=偽物を展示しない主義」を排して、雄略天皇名を刻んでいるとされる埼玉県稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣、あるいは、日本国王・足利義満宛の明国皇帝の書状や徳川家康に下賜された征夷大将軍補任状【右大臣源朝臣源氏長者淳和奨学院別当征夷大将軍の任命状】等々の警備保存の都合上展示が憚られる国宝・国宝級の文物資料の精巧なレプリカを作り展示している)。蓋し、国立歴史民俗博物館は日本の歴史と伝統に価値を置く保守改革派がその思想と運動とを練磨鍛錬する上での時空を越えた優れもののツールである。そう私は考えています。





而して、保守改革派の超時空要塞とも言うべき国立歴史民俗博物館を訪れる度に私が想起する方がおられる。それは歴博の初代館長、1983年3月の歴博一般公開の直前に急逝された井上光貞先生。井上馨・桂太郎の孫に当たる井上光貞先生はマルクス主義歴史学なるものが跋扈跳梁をほしいままにしていた1970年代後半から10年近く(自伝『わたくしの古代史学』(文藝春秋・1982年9月)に淡々と書かれているように私事の心痛事が尋常でない中)、この保守改革派の要塞のアイデアを暖められ政治・行政との粘り強い交渉を経て形にされた。よって、井上先生の歴博一般公開直前の急死は「戦死」に等しいものだと思います。

専門研究書は別にして井上光貞先生の著作と言えば、中央公論社『日本の歴史』シリーズの巻頭を飾る『日本の歴史 第1巻 神話から歴史へ』(単行本1964年,中公バックス1970年,中公文庫1974年, 同新装改訂版2005年)が有名でしょう(同書の考古学の部分は同志社大学の森浩一先生が執筆されているもので、私にも縁のある書籍です)。私は本書を一度中学生の時に読んだはずなのですが全く記憶になく、曲りなりに社会科学方法論を専門的に勉強し始めた22-23歳の頃、「科学的言説体系のモデルとして歴史学と法学と神学を方法論的に比較してみよう」という若輩者特有の怖いもの知らずと言うか無鉄砲さから作った研究計画のために最初に読んだ<歴史書>が本書でした。

そして、今でも鮮烈に覚えていますが、本書のそのレヴェルの高さに立ち眩みにも似た感動を受けた。正に、名人・井上光貞の技量の前に若輩者は鎧袖一触。言い訳というか誤解のないように記して置きますが、その鎧袖一触の事態はまさか彼我の古代史の知識の差に起因するものではありません(本書は一般読者を対象にした書籍ですし、当時もすでに本書には、例えば、「英雄時代論」の援用等々時代遅れというか陳腐化している部分や間違いと判明していた記述も多々あったのですから)、畢竟、その完全敗北の感覚は一重にその歴史学方法論と歴史叙述の水準の高さに起因する。蓋し、この若輩者は「たかだか通俗本なのに何でこんなに凄いんやぁ」と呟かざるを得なかった。

そして、京都は左京区役所近辺の吉田上阿達町の下宿でそう若輩者が呟いている頃、井上光貞先生は歴博の一般公開を数日後に控えながら<戦死>された。ことほど左様に、石井進・佐原真の両館長の急逝と重ね合わせても、文字通り、歴博は日本の最良質の歴史研究者の生命と引き換えに誕生した実証的と論理的な日本歴史学研究のセンターであり、結果的にはそれは我々<保守改革派の要塞>の機能を果たしている。そう私には思えてなりません。機会があるようであれば是非一度、国立歴史民俗博物館を訪ねられることをお薦めします。

尚、私自身の歴史学方法論に関する基本的な考えについてはとりあえず下記の拙稿を一読いただければ嬉しいと思います。而して、最後に老婆心ながら一言。常設展示のボリュームからもどうせ1回や2回で歴博をきちんと見ることは不可能。よって、最初は全体の雰囲気を楽しまれるのが賢いですよ。正に、歴史と戯れる要領です。


・定義集-「歴史」 
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65233711.html

・「歴史教育を再構築する」という日本の課題
  http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-153.html

  

・沖縄集団自決を巡る教科書記述問題を契機に「歴史教育の再構築」という現下の日本の課題を再考する
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-160.html

 ・左翼にもわかる歴史学方法論☆沖縄「集団自決」を思索の縦糸にして
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-197.html

  

・国を愛することは恋愛ではなく人としての嗜みである
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-1353.html

 ・憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65231299.html







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