![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/37/0f965645e01c4c7e14f95cf87db94f3f.jpg)
シェイエスを俎上に載せつつ中川さんの論は更に進みます。
「国民がたとえどんな意志をもっても、・・・その意志は常に至上至高の法である」(岩波文庫, p.88)・・・
これでは、「国民の意志」というものが憲法の上位にあり、恣意的に憲法を改廃する権力をもつことになる。また、国民は憲法を遵守する義務を負わないことになる。つまり、憲法は単なるある瞬間瞬間の「国民の意志」と名付けられた、祈りでも呪いでもよく、感情でも欲望でもよいことになる。われわれはそのようなものを憲法とは呼ばない。(p.139)
蓋し、「われわれはそのようなものを憲法とは呼ばない」と中川さんが言うのは勝手であるけれど、世間と世界では、憲法の正当性の根拠としての国民の意志を基盤として成立した国家の最高法規も広く「憲法」と呼んでいる。要は、これは言葉の規約定義の問題にすぎないでしょう。尚、「定義」という言葉には概略3個の意味があります。すなわち、
英米流の分析哲学は、語を定義するという言語行為を、大きくは、「辞書的定義」「規約定義」「事物定義=語の経験分析」の三者に区別するということ。要は、その語彙が世間ではこのような意味で使用されてきたという情報提供、私はこの語彙をこれこれの意味で使用するという宣言、そして、過去の経験に基づきその語彙を巡り人々が連想する事態や事物の範囲や属性、構造や機能に関する陳述の三者を「語の定義」と考えるのです。閑話休題。
上に引用した主張には三つの誤謬が含まれていると思います。先ず、これもまた言葉の定義の問題になるのですが、蓋し、国民主権のイデオロギーを受け入れる国法秩序においては、憲法の正当性の根拠たる(繰り返しますが、これは物理的なものや具体的なものではなく、観念的かつ抽象的な理念にすぎないのですが)国民の意志に従った憲法の改廃を「恣意的」とは呼ばないということです。
次に、その憲法の改廃の動機や動因が具体的な「国民=有権者」の「祈りや呪い、あるいは、感情や欲望」であるにせよ、その結果として改正・制定される憲法は法規範としての形式と事物の本性を備えた間主観的で論理的な<作品>であるということ。而して、新しい憲法が憲法としての事物の本性を満たしている限り、その改廃の動機や動因が「国民=有権者」の情念や欲望であると社会学的に観察されたとしても、その事実は、新憲法の規範的な妥当性と実効性に毫も影響を与えることはないのです。
第三に、憲法秩序に従う場面と憲法を改廃する場面は位相を異にしている。ならば、憲法を改廃する、憲法の正当性の根拠がナシオン主権としての観念的に思念された「全国民の意志」であるからといって、実定的な憲法が効力を有する間、まして、具体的な個々の国民が「憲法を遵守する義務を負わない」などということを「国民主権」から演繹することはできないのです。
このシェイエスのデマゴギーをそのまま無批判に継承したのが、カール・シュミットの『憲法論』(1928年)である。・・・
「憲法制定権力は何らかの法的権原に基づいているではない。・・・その妥当根拠はもっぱらその(=人民の)政治的実存にある」(『憲法論』みすず書房, pp.117-118)。
君主であれ人民であれ、いずれも憲法制定権力になることはできない。憲法制定の正統性は、その国で歴史的に発展してきた自生的制度(order)と自生的な法(law)に従っているか否かで定まる・・・。(p.140)
「君主であれ人民であれ、いずれも憲法制定権力になることはできない」「憲法制定の正統性は、その国で歴史的に発展してきた自生的制度と自生的な法に従っているか否かで定まる」というのは、これまた「憲法制定権力」「憲法制定の正統性」という用語の定義の問題にすぎない。それだけの問題ではないかと思います。
ちなみに、カール・シュミットの憲法制定権力論は、
(イ)「憲法改正の限界論」を法論理的に基礎づけただけでなく、事実の世界と規範の世界の結節点たる憲法の事物の本性をよく説明しているロジックであり、(ロ)20世紀初頭、(歴史法学派と近代自然法論者の両者が競い合い牽制し合いながらも、一応、主要な法域での法典化が済、要は、主要な社会的紛争の解決が法内在的な規範論理の形式で処理可能になった、所謂「概念法学」の全盛時代に)憲法学に社会学的な考究を導く呼び水になった先駆的業績。(ハ)更に言えば、それは「政治的実存」として、すなわち、民族の文化が憑依している具体的な個々の国民を(しかし、もちろん、より高い抽象度で観念される「国民」を)憲法制定権力の担い手と見ることで、君主が憲法制定権力として振る舞う場合と同様に、憲法制定権力としての国民による憲法の改廃の行為も自生的な民族性によって枠づけられるという主張です。
最後の点は、例えば、カール・シュミットにおけ「民族性」を「普遍的な基本的人権」に転換した芦部信喜『憲法制定権力』(東京大学出版会・1983年)に道を開くものだったと言えると思います。
一般理論的にいえば、国民主権/人民主権とは、文明社会の文明性(法秩序)と自由にとって不可欠な「法による支配」を全否定して、「人による支配」へと政治をコペルニクス的に野蛮化することを図ったものである。・・・「君主主権」や「国民主権/人民主権」の君主や国民・人民が「人」であるように、そのいずれも“誰が政治を担うべきか”という間違った思想に基づいており、この点でもそれらは「<法の支配>による政治」を否定する。・・・
【フランス革命における】あれほどの財産没収とギロチン/溺死刑その他の大量殺人は、【「すべての主権の淵源は、本質的に国民にある」と記した】人権宣言第3条の成果である。(pp.143-144)
一般的に言えば、この主張は、憲法の正当性の根拠が誰の意志に起因するかという問題と国家権力の恣意的な運用を単純に結びつけるものと言えるでしょう。しかし、国民主権の原理を採用したとしても、そこで制定・改正された憲法に沿った政治が行なわれる限り、恣意的な権力の行使の制約は可能である。実際、一般的にはこの経緯を「立憲主義」と呼ぶのであり、それが可能であるがゆえに立憲主義は19世紀と20世紀を通して世界中に広がったのではないでしょうか。
而して、フランス革命における凄まじい惨劇の原因を人権宣言の文言に求めるのは二重の間違いであろうと思います。すなわち、
(イ)憲法典ができればその内容が自動的に実現するものではないこと。そして、(ロ)フランス革命の惨劇は、憲法典を越える「国民国家=民族国家」の成立のダイナミックスに起因するものであること。
前者において、人権の普遍性なるものもまた理念にすぎないことは当然なのですが、前者における中川「国民主権」批判論の陥穽は、中川さんの主張とは裏腹に、憲法万能論に近く、それは、左翼的な設計主義の亜種と言えるの、鴨。
後者に関しては、例えば、英国が「国民国家=民族国家」に脱皮するプロセスで行われたクロムウェルのアイルランドとスコットランドの蹂躙、あるいは、これも「国民国家=民族国家」成立の陣痛と言えるアメリカの独立戦争時の王党派への陰惨な迫害と、二度の世界大戦を遥かに超える60数万に及ぶ南北戦争の死者数(民間非戦闘員の犠牲者数を加えれば、3100万人の当時の人口の3%強!)を考えれば、それは残酷ではあるが歴史的な必然であったと言えなくもないのではないでしょうか。後者に関しては下記拙稿をご参照ください。
・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11146780998.html
国民が主権者である自分から政府を通じて支配(統治)を受けるということは、国民は主権者ではないということである。何人にも支配されない最高至高の権力をもつという意味が主権者だから、国民が主権者である国民の統治を受けることは論理的に成立しない。各国民が国王と庶民を兼ねることができないように、各国民が主権者と被主権者になることはできない。そうでないと考えるのは、重度の精神分裂症の妄想のみである。・・・
「立憲主義」とは「正しい憲法」が政府を支配していることをいうから、「間違った憲法」である「国民主権」に基づく憲法の下では「立憲主義」は成立できない。つまり、「立憲主義」と「国民主権」は両立できない。・・・
少なくとも、「国民主権/人民主権」は、ハイエクの冷静な表現によれば、「迷信」である。
「主権がどこにあるのかと問われるなら、どこにもないというのがその答えである。立憲政治は制限された政治であるので、もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこに主権の入り込む余地はありえない。無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、あらゆる法がある立法機関の計画的な決定から生まれる、という誤った信念に由来する迷信である」(『ハイエク全集』第10巻、春秋社、171頁および190頁)(pp.145-148)
「支配」という社会学的概念を「主権」という法学的概念と併用している時点で中川さんの主張は成立しないのですが、いずれにせよ、個々の具体的な国民と観念的・抽象的に表象された理念としての国民とは位相を異にする概念でしょう。また、憲法制定権力が一旦憲法を制定した場面では(憲法制定権力の次の発動が行なわれるまでの間)憲法に従うことは国民主権の帰結でさえある。要は、国王が国民を兼ねることができるように、各国民がナシオン主権の主体たる理念としての国民として、後者においては主権者、前者においては被主権者になることはなんら問題ではないのです。
蓋し、事前に制定された憲法による国家権力の正当化とその裏面としての国家の権力行使を枠づけるアイデアを「立憲主義」と呼びます。すなわち、(就中、憲法改正の手続きが一般の法律の改廃手続よりもより高いハードルを認める「硬性憲法」の場合には)「立憲主義」は偶さかの民意によって国家権力の権力行使が左右されることを制約する、民主主義と鋭い緊張関係にある憲法原理なのです。
而して、「立憲主義」を「「正しい憲法」が政府を支配していることをいう」と理解するのは中川さんの自由でしょうし、「正しい憲法」の内容を、(現在の保守主義とは些か異なる)バークに起原を持つ社会思想史上の保守主義と親しいものとするのも同様でしょう。しかし、通常の「国民主権」と「立憲主義」の意味内容からは、民主主義と重なり合う部分を持つ「国民主権」と「立憲主義」は鋭い緊張関係にあるものの両立不可能ではないのです。
中川さんは、国民主権を憲法原理に採用した場合、どのような内容の憲法規範も成立する可能性が惹起することの危険性を、憲法改正と制定を「歴史的・自生的に形成されてきた法」によって枠づけることで回避しようとするの、鴨。しかし、「歴史的・自生的に形成されてきた法」の内容を誰がどのような手続で<憲法>の内容とするかという、HLAハートの言う第二次ルール(ルールを承認・変更するルール)を巡る議論を欠落した主張は法の論理としては破綻している。畢竟、国民主権論の危険性は、究極的には憲法内在的なロジックではなく政治過程における政治の実存において回避するしかないのではないでしょうか。
ならば、要は、ハイエクの主張は、「主権」を「憲法の正当性根拠たる理念としての全国民の意志」と捉えるナシオン主権論にとっては、子供の遊戯に等しい議論でしかない。立憲政治とは「制限された政治」を無制限の権力たる国民が選択しただけのことなのですから。