今回の行動、正しいと信じる…航海士コメント
б(≧◇≦)ノ ・・・そうだ!
◆今回の行動、正しいと信じる…航海士コメント
尖閣諸島沖の中国漁船衝突を巡る映像流出事件で、弁護人は16日未明、「実名を出さないで、写真も配慮してほしい」とした上で主任航海士のコメントを公表した。
◆コメント全文◆
私が今回起こした事件により、国民の皆様、関係各位には、多大なるご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。海上保安庁の皆様、中でもお世話になった方々や今回の件でご苦労されている方々に対しては、申し訳ない気持ちで一杯です。
今回私が事件を起こしたのは、政治的主張や私利私欲に基づくものではありません。ただ広く一人でも多くの人に遠く離れた日本の海で起こっている出来事を見てもらい、一人ひとりが考え判断し、そして行動して欲しかっただけです。
私は、今回の行動が正しいと信じておりますが、反面、公務員のルールとしては許されないことであったと反省もしております。
私の心情をご理解いただければ幸いです。
(2010年11月16日15時19分 読売新聞)
而して、「不逮捕→may be 不起訴」の事態に切歯扼腕の朝日新聞の怨み節。朝日新聞(11月17日)の社説。
◆海保映像問題―まだ流出の真相が見えぬ
尖閣沖の中国漁船ビデオが流出した事件で、捜査当局は海上保安官を逮捕せずに調べを続ける方針を決めた。
自ら出頭したのに供述にあいまいな部分があり、映像を持ち出したとされる記録媒体も見つかっていない。当局内部でも意見は割れたが、様々な事情を総合判断した結果だという。
忘れがちだが、捜査の基本は在宅調べで、逮捕は証拠隠滅や逃亡の恐れがある場合の手段だ。これに照らせば身柄拘束にこだわる必要はない。肝心なのは流出に至る真相の究明である。
いいえ、肝心なのは「真相」だけではなく「事件性=可罰的違法性の度合」の確定です。而して、事実関係がまだ明確でないのに直前まで逮捕の可否が話題になっていたのは、正に、この可罰的違法性の立証が難しかったということ。要は、逮捕が見送られたということは(今後、政権の懇願で大逆転するとしても)検察当局が、起訴した上での公判の維持が無理と考えたということとイークオルなのです。
これまでの捜査で驚かされたのは海上保安庁の情報管理のお粗末さだ。
映像はどう保管され、ネットとどうつながり、どこまでの職員がアクセスすることができたのか。初めは厳重に管理しているという説明だった。その後、二転三転した。映像は刑罰を科してでも守る秘密だったのか否かの判断にも影響する重要な問題だ。
海保は海上の警察組織だ。逮捕や武器使用の権限を与えられている。その機関がこの有り様では不安を覚える。
ほかの重要資料の保管はどうなっているのか。データを扱う体制と意識の見直しはもちろん、管理業務にかかわる者の責任も厳しく問われよう。
海保への疑問が増す一方で、保安官の行為を支持する声が一部に広がっている。安倍晋三元首相がメールマガジンで、「勇気をふるって告発した保安官」を励ましたのはその一例だ。
だがこれはおかしい。政府の方針が自分の考えと違うからといって、現場の公務員が勝手に情報を外に流し始めたら、国の運営はどうなるか。
いいえ、そんな「all or nothing」的な議論は法律論ではありません。これは、ことが尖閣諸島問題であろうと、日教組教師による機密漏洩でも同様。蓋し、政府が「丸秘」の判子を押せば、その情報が機密、「公務員の守秘義務に該当する秘密」に自動的になるなどということはないのです。
ならば、「まだ流出の真相が見えぬ」とは、つまり、逮捕して更に詳しく捜査せよということでしょうけれど、その朝日新聞の願望は叶わぬ望みということであろうと思います。
保安官の行いは、法律で保護される内部告発の要件を満たしてもいない。称賛したり英雄視したりするのは間違いだし、危険なこと甚だしい。保安官は「一人ひとりが考え判断し、行動してほしかった」との声明を出したが、いったい何を意図したものか。
誰も「内部告発の要件を満たしている」などと主張しているわけではありません。単に、(行政)刑法の謙抑性の原則と、および、憲法上の表現の自由や国民の知る権利と公務員の守秘義務保護の必要性との比較考量の問題。而して、これらから見て、国家公務員法100条の「守秘義務」の保護法益たる「秘密」に今回の流出ビデオは該当しないというだけのこと。すなわち、「内部告発」云々は朝日新聞の余計なお世話なのです。
朝日新聞は国民の知る権利の大切さを唱えてきた。だが外交、防衛、治安情報をはじめ、すべてを同時進行で公にすることがその中身ではない。
情報の公開とそれに基づく討議は民主主義に欠かせぬという認識を互いに持ち、ケースごとに全体の利益を見すえて公開の当否や時期を判断する。この積み重ねこそが社会を鍛える。
今回の混迷のもとには、漁船事件に対処する方針がぶれたあげく、検察庁に責任を押しつけ、自らの姿勢を国民に丁寧に説明してこなかった政権に対する不信がある。そして、大国化する中国への感情やナショナリズム、党利党略がないまぜになり、感情論や思惑含みの発言が飛び交っている。
まだ真相が見えない。捜査を尽くし事実を解明する。それが、ネット時代の情報の公開や保全のあり方について冷静な議論を進めることにつながる。
◎参考社説
◆内閣支持急落―「やる気」が疑われている
菅直人内閣の支持率が急落した。朝日新聞社の世論調査では27%だ。
野党は態度を硬化させ、補正予算案は政権が期待した公明党の賛成も得られないまま、衆院を通過する。 この数字の変化に、菅政権はどんな教訓を読み取るべきか。急落の理由を腑分けして考える必要がある。
一つは、政策判断や選択に対する批判である。
賛否の割れる難しい課題について、政権がぎりぎりの決断を下した結果に対する批判であれば、それは腹をくくって引き受けるしかない。
尖閣諸島事件をめぐる対応が強い批判を浴びていることは間違いないが、一方で政権は日中双方のナショナリズムの無益な沸騰や衝突を防ぐ責務も負う。その是非は気軽に一刀両断にできるものではない。
こうした批判に起因する急落なら、実はまだ救いがある。
下落の大きな理由、菅政権にとってより深刻な理由は、別にある。
本紙調査では、不支持と答えた人のうち、理由に「政策」を挙げた人は2割強にとどまる。6割を超える人が選んだのは、「実行力」だった。 政策を遂行する力量があるか。いやそもそも、その気があるのか。そこに疑問を抱かれていると解釈せざるを得ない。(後略)
朝日新聞(11月16日)
要は、朝日新聞は、今回のビデオ流出事件での「海上保安官の行動への世論の支持」が「民主党政権の尖閣諸島問題への対応、就中、対支那の軟弱外交への批判」と認定されることを恐れている。このことは明確でしょう。
また、(纐纈厚山口大学教授の11月16日付けコメント等々、朝日新聞にコメントを寄せた識者の中には)国家公務員法の守秘義務の解釈からは到底勝ち目がないことを察してか、法律上、本件の「可罰的違法性」の確定とは何の関係もない海上保安官は「武器を携帯する」「捜査権のある」等々の言辞を弄して、当該の海上保安官の行為を<特殊化>しており、他方、逆に朝日新聞自体は、「一般的に公務員の守秘義務が守られなければ国の政治はなりたたない」等々の<一般論>に逃げている。正に、朝日新聞のなりふりかまわぬ言動。往生際が悪いの一言、鴨。
◎解題
>政府の方針が自分の考えと違うからといって、
>現場の公務員が勝手に情報を外に流し始めたら、
>国の運営はどうなるか
畢竟、「こういうことが許されたら何でも許されちゃう」、と。蓋し、こういう、十羽一絡げ的な思考は現在の法律論とは無縁なのですよね。要は、こういう十羽一絡げのロジックで国民の知る権利が萎縮されないために、公務員法の守秘義務には①秘密性、②機密性という縛りがあり、かつ、刑事罰と行政罰の二重の(プライバシー侵害やインサイダー取引の場合には民事責任という三重の)サンクションがある。まして、「武器」云々は全く筋違いなのですから。
而して、今回の「事件」を「2.26」事件に喩えた谷垣禎一自民党総裁のコメントが保守派の中では不人気のようです。また、同趣旨の橋下大阪府知事のコメントも。けれど、彼等のコメントもフルに読めば、真っ当な一般論(公務員の守秘義務は重要である、その公務員に守秘義務違反を行なわせるような民主党の外交と情報戦略は破綻している)でもあるのですが、他人は(憲法として完成度の低い旧憲法下で起こった)2.26事件と、「今回の事件が似ている」という所しか記憶しないのではないか。ならば、谷垣総裁には、もっと、ロジックだけでなくレトリックに気をつけて欲しい。と、そう私は考えています。