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【資料】アサヒ新聞、敗北の弁-「世の中が見えていたのは橋下氏」朝日新聞大阪社会部デスクの嘆き

2012年07月12日 11時53分51秒 | Weblog


以下は、ブログ同志のもあいさんの記事で知った朝日新聞記者の随筆の抜粋紹介です。リンク切れの場合は「ご免」ですが、原典全文は下記URLで閲覧できます。

・「世の中が見えていたのは橋下氏」朝日新聞大阪社会部デスクの嘆き
 http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/special/2012070900007.html

正直、朝日新聞の記者のものとしてはかなりラジカルな「反省の弁」であろうと思います。まー、もっとも、世間の常識の流れからは少なくとも20年近く遅かったね。とも感じましたけれども(笑)。

而して、この随筆の主題たる「世間と時代に取り残された朝日新聞/戦後民主主義」を巡る私の基本的な考えについては本稿末尾の弊記事をご参照いただければ嬉しいです。また、この随筆の筆者の経歴は原典に添えられた情報によれば概略次の通り、

稲垣えみ子
朝日新聞大阪本社社会・地域報道部次長。
1965年愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒。
教育担当デスクとして橋下報道に携わる。


(以下、転記開始。尚、下線部はKABUによるもの)




◎「世の中が見えていたのは橋下氏」朝日新聞大阪社会部デスクの嘆き


最近、夕方が近づくと憂鬱が襲ってくる。原因は、大阪の「お客様オフィス」から全デスクのもとに送られてくる、読者の電話やメールをまとめたリポート。

 「朝日は橋下の宣伝機関か」
 「維新の会の話を垂れ流すのはいいかげんやめろ」
 「もう購読を辞めさせていただく」

ああ、またか、と思う。橋下氏のことを紙面で取り上げるたびにこうした反響がいくつも届くことを、もう何カ月繰り返しているのだろう。

(中略)



◆同じ記事に寄せられる真逆の反応

橋下氏をウオッチしている大阪社会部は当然のことながら、橋下氏を宣伝しようと記事を書いているわけではない。原則は中立だし、もちろん、氏の発言に危惧を感じて記事化することも多い。それでもこの反響なのだ。

さらに事態を複雑にしているのが、同じ記事に対して寄せられる真逆の反応の存在。少しでも橋下氏の問題点を指摘すると、「なぜ橋下さんの足を引っ張るのか」「偏向報道の極み。許せない」という声が、これまた複数寄せられるのである。(中略)

わざわざ電話してきて下さるのはごく一部の読者であることを考えれば、どれだけ多くの人が無言で新聞の購読をやめているのかと想像し、背筋が寒くなる。気力が落ち込むのをどうすることもできない。

新聞が売れない時代、これがどれほど大きなことか!

さぼった結果なら努力すればよい。でも、しつこいようだが「努力した結果」なのである。
一体どうしろというのか。

(中略)

このリポートは、悩みに悩みながら橋下氏の記事を発信している現場デスクのつぶやきである。

(中略)

転機となったのは、11年の統一地方選挙だったと思う。

橋下氏は、膠着状態にあった府市再編問題を動かそうと、地域政党「大阪維新の会」を立ち上げた。橋下人気に後押しされ会所属の候補が続々と当選。大阪府議会では過半数を制するに至った。選挙直後、維新の会が、君が代の起立斉唱を教職員に義務づける全国初の「君が代条例案」を議員提案することを朝日が特報する。

当時、私は大阪社会・地域報道部のデスクに異動し、教育担当を命じられたばかり。正直、驚いた。橋下さんってこういうイデオロギーにかかわる施策を打ち出す人物だったのか。選挙戦では君が代の「き」の字も出た記憶はなかった。これが氏の地金なのか。いずれにせよ「リベラル」「反戦」「護憲」の朝日新聞としては見過ごせない問題だった。



◆時代から取り残されたアナクロな朝日新聞?

さてどうしたものか。担当記者と顔を見合わせてため息をついた。

君が代強制は降ってわいた話題ではない。国旗・国家法が制定された後は各地で強制が進み、折に触れ記事化されていた。だが記事はややもすれば教職員組合や護憲派の学者に強制反対を代弁してもらうパターンになり、どうみても読者の心を揺さぶっている気がしなかった。まして「公務員なら決まりを守れ」と平易な論理で押してくる知事に、大所高所から正論をふりかざすだけではなんとも弱い。どうすればいいのか……。

(中略)

さえない日々の中、あることを思いつく。条例制定は「府民の総意」と繰り返す橋下氏に、争点になったわけでもない君が代強制がホントに府民の総意なのか突きつけようと思ったのだ。維新の会に投票した人は既得権に切り込む橋下氏の改革力に期待したのであって、君が代強制に期待したのではないはずだ。

記者が街に出て、維新の会に投票した人を探し条例への是非を聞いて回った。
我ながらなかなかのアイデアだ。

結果は思ってもみないものだった。

30人中26人が「君が代条例に賛成」。当たり前のルールを守れない人が先生をしていること自体おかしいという。

ショックだった。正直、6~7割が「反対」と答えると思っていた。良心的な日本人にとって、国内外に大きな犠牲をもたらした戦争の記憶とつながる国旗・国歌の強制は根源的に受け入れられないものと信じていた。その人たちこそ朝日新聞の読者だと思っていた。

だがそんな人たちは、もはや1割しかいないのだ。良心的な世論をリードしているつもりが、振り返ってみたら誰もいなかったのである。私が想定していた読者像は、自分たちに都合のいい甘いものだった。本当に想定しなくてはいけない読者は、朝日新聞的リベラルな主張を、ウソっぽい、あるいは嫌いだと感じている、世の中の9割の人たちだった。世の中が見えていたのは朝日新聞ではなく、橋下氏のほうであった。

(中略)

橋下氏は知事を辞任しダブル選をしかける意向を表明。選挙前の2011年夏、維新の会は再び驚くべきものを出してきた。大阪府教育基本条例案。一読して、これは大変なものが出てきたと思った。



◆戦後民主主義への正面からの挑戦状

君が代条例が一本の木を倒すチェーンソーなら、教育基本条例はすべてをなぎ倒すブルドーザーだ。(中略)大きな特徴は二つ。

一つは、戦後教育の根幹である教育委員会制度を真っ向から否定したことだ。条例案は「知事は学校が実現すべき教育目標を設定する」とし、続く条項で、教育委員も学校も校長も教員も、目標に向け職務を果たすよう求める。政治と教育が一体化した戦前の反省から、政治家が直接教育に口出しできないようにした教育委員会制度を根底から覆す内容だった。

もう一つは厳しい成果主義。結果を出せなければ、教育委員も校長も教員も、最悪の場合クビになる。学校も保護者の選択にさらし、生徒を集められなければ生き残れない。

何のためにここまでするのだろう。

条例案の前文によると、グローバル社会に対応できる人材を育成するため、過去の教育から決別し時宜にかなった教育内容を実現するのだという。

うーん……。もしヒットラーのような人が首長になり、排他的・暴力的な教育目標を立てたらどうなるのか。戦前の軍国主義教育で多くの若者が一つの思想にそめられ戦争へ駆り出されたことを思えば、条例は朝日新聞が守り育ててきた戦後民主主義に対する正面からの挑戦状である。

とはいえ、維新の会の主張にももっともなところがあった。教育委員会制度は理念は立派だが、現実は、地元の名士が月1回程度の会議で事務局の報告を受け、ちょこちょこ意見を述べておしまい。政治的中立どころか「放談会」と化しているところがほとんどだった。それを守れと主張するのはいかにも弱い。ここまで形骸化したことを放置してきた自らの怠慢を恥じたがもう遅い。

ああ、何をどこからどうしたらいいんだ! 勝ち目のない戦いから逃げられなかった硫黄島の将軍の気持ちだよ……なんてぐずぐず言っている暇はない。教育班のメンバーと知恵を出し合った。

(中略)

大阪府の教育委員が「条例案が通れば総辞職」と表明したこともあり、テレビの情報番組でも条例案の問題点が批判的に取り上げられ始めた。よしよし、いい流れになってきたぞ……。

甘かった。

条例案の賛否を聞いた選挙前の世論調査の結果は、賛成48%。反対26%。「わからない」ではなく「賛成」ですよ。いったいなぜ、どこに賛成なのか。ショックを受けている間に選挙戦となる。知事・市長選を維新の会が制した。圧勝であった。

(中略)

まずは朝日の負けを認めるところから始めよう。

不起立教員のことを取り上げると「なぜそんな教師の肩を持つのか」という反応がたくさん返ってくる。朝日の問題意識を共有する人は今や少数派である。それでもやっぱりこの先生のことを書いておきたい―。そんな前文を書いた。

(中略)



◆商売のタネになるような生やさしい相手ではない

最後に、橋下報道を間近で見て感じていることを整理しておきたい。

橋下氏とは朝日新聞にとってどういう存在なのか。橋下氏を積極的に紙面に載せて全国の読者をひきつけていこうという社の方針には全面的に協力していきたいが、氏は商売のタネになるような生やさしい相手ではない。朝日新聞が生きるか死ぬかの戦いの相手と考えた方がいい。

理由は主に二つある。

一つは、橋下氏が世間から喝采をあびている大きな理由のひとつが「既得権益の否定」だが、これまで「リベラル」と言われてきた層も既得権者としてターゲットにしているのが橋下流。そのリベラルの親玉が朝日新聞なのだ。

私自身リベラルだし、その価値を心に抱いて記者をしてきたし、これからもそうしたいと思っている。

だが今世間は、インテリ業界が戦後の長い時間のなかでためてきた澱のようなものを敏感に感じ取っている。きれいごとを言い、上から目線で、一皮めくれば既得権化しているのにエラそうに説教をたれる―。そこを橋下氏は明確に突いてくる。彼の発言の前ではよほど肝を据えてかからねば、リベラルはどんどん陳腐化してしまう。朝日新聞が裸の王様にされかかっていることを自覚しなければならない。

我々は少数派であり、勝ち目の薄い挑戦者である。それでもやるかどうか。

もう一つは、「特ダネ主義」から脱却する勇気が持てるかどうか。

隠されてきた情報を取るのが特ダネである。だが橋下氏は基本的に隠さない人で、思いつきの段階から発信し、議論の過程もどんどんオープンにしている。新聞記者が想定してこなかった形だ。(中略)相手は「他紙」ではなく「橋下氏」なのだ。管理職も含め、これまでの成功体験を捨て、その覚悟を持てるだろうか。誰に向かって、今なぜ、この記事を書くのか。その思いの裏付けのない記事を発信してはいけないのだ。

紙面を見返すと、これは橋下報道に限る問題ではない。
我々全員が「グレート・リセット」を迫られているのだろう。

(以上、抜粋引用終了)



【関連拙稿】


・保守主義の再定義(上)~(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11145893374.html

・「左翼」の理解に見る保守派の貧困と脆弱(1)~(4)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11148165149.html

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11146780998.html








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