昨年の春、新聞に「ケセン語で福音書完訳」という記事が掲載されていました。朝日新聞平成16年4月28日夕刊。岩手県大船渡市在住の内科医、山浦玄嗣さん(64歳)がこのほど4年がかりで新約聖書の4福音書を「ケセン語」に翻訳されたという記事(以下引用開始)。
「ガリラヤの田舎で育ったイエスは、きっと方言で話したはずだ。だったら、方言の方が似合う」と思った山浦さんには、標準語訳の聖書は、直訳過ぎで分かりづらく感じた。だから、標準語訳を重訳するのではなく、あえてギリシャ語の原典から訳した。(以上、引用終了)
実は、私はこの「ケセン語」と山浦さんの聖書翻訳についてはちょうど3年前にこのブログの本家サイト海馬之玄関の日記コーナーで取り上げたことがあります。ですから、もちろん山浦さんとは一面識もないのですけれど、「とうとう完訳ですか! 凄いですね」と思いました。
しかし、朝日新聞の記事では今ひとつこのケセン語訳聖書の意義というか山浦さんの動機が伝わってこない。新約聖書のケセン語訳という方法の必然性が皆目分からない。多分、この記事を書かれた朝日新聞の記者も校正担当や編集の方も、山浦さんの仕事と最近流行りの「方言で読む日本国憲法」とかと同じようなものとしか理解できていないのだと思います。違うんですよね、多分。そこで旧稿を転載改訂して山浦さんの仕事を紹介したいと思います(以下、自家原稿改訂転載)。
◆2002年7月16日(火曜日) 「ケセン語で聖書を読む」を堪能した
一昨日(7月14日)はパリ際だった。1789年の7月14日パリはバスチュ-の牢獄(要塞)を民衆側が攻撃陥落させた日、それが「パリ際」=革命記念日である。今から、213年前のこと。日本では、徳川11代将軍家斉公の時代、松平定信公が寛政の改革(1787年-1793年)を押し進め、TVで御馴染みの鬼平こと火付盗賊改加役・長谷川平蔵が活躍していたころのことである。
で、213回目のパリ祭の日、昼食もすみ寛子ちゃんお気に入りの「なんでも鑑定団(再放送)」も終わったころ、何気なく教育TVにチャンネルを替えた。丁度新しい番組が始まるところだった。午後2時。番組タイトルが奇異。『こころの時代(再)』「ケセン語で読む聖書」。私も一応語学教育の専門家だが、ケセン語なんて聞いたことないよ。寛子ちゃんも始めて聞く名前だという。これは面白いかな(仕事に役立つかな)と思い数分間見ていても画面に映るのは日本の漁村の風景のみ・・・。ケセン語って何じゃらほい?
ケセン語とは宮城県気仙沼地方の方言のこと。「ケセン語で読む聖書」はケセン語で新約聖書を翻訳された地元在住の医師山浦玄嗣さんを取り上げた番組だった。何故に、山浦さんがケセン語で聖書を翻訳するなどという、おちゃらけとも余興ともつかぬことをやり始めたのか、ケセン語訳聖書を作る上での苦労話、そして、聖書をケセン語で読むことから何が見えてきたか、これらが新約聖書の幾節かの翻訳を読み解く中で明らかになるという知的興奮に満ちた60分番組だった。
山浦さんはこの翻訳に30年以上も取り組まれたわけで、新約聖書のケセン語訳はとても世間でいう「余興」ではないし、ましておちゃらけでは全くない。翻訳を敢行する上で山浦さんご自身が立てられた二つの方針がそれを如実に示している。即ち、①ギリシア語の原典から翻訳すること、②漢語表現はできるだけ使わないこと、である。要は、気仙沼地方で使われる普通の言葉にイエスの言葉を置き換えること。しかも、抽象的な漢語使用は避け、かつ、聖書の言葉そのままに原典からケセン語に移すということだ。
こんなん文献学を少しかじったりちょっとでも翻訳をやったことのある方なら、とてもおちゃらけや余興どころではなく、寧ろ、正気の沙汰ではないことが直感的に解ると思う。作業のボリュームと作業の困難さのどちらを取っても、これは一個人のライフワークのレヴェルを遥かに越えることだよ。おっさんまじかよ。我が家は夫婦で息を呑む。
山浦さんは代々医師の家系で、ご両親ともカソリックの信仰をお持ちの家庭に育った。16年前、東北大学医学部の助教授から自家の医院を継ぐために気仙沼に戻られた。聖書をケセン語に訳すことを思い立った動機はシンプルである。共通語で語られる聖書では気仙の人々にとってイエスの言葉としては伝わりにくいのではないかということ。そして、イエスの言葉は伝言ゲームによるノイズが一番少ない原典(ギリシア語)から読み取られるべきと思われたことである。確かにこれはシンプルかつ真理だろうけれど、それは残酷なほど厳しい現実と対応しているよね。
しかし、そこからが凄い。全く単なる思いつきではない。山浦さんは15年以上の歳月をかけて、ケセン語の辞書と文法書を作られた。また、共通語と異なるケセン語の音韻をより正確に記述するために独自にケセン語特有の「文字」も考案された。而して、新約聖書の言葉を文献学的な手法を遵守しながら、一節一節、一文一文、一語一語、原語からケセン語に移し替えられた。イエスの言葉を。イエスの息遣いを移し替えられた。それは、共通語や漢語という自身の思考に混入され組込まれている表層文化のシステムから翻訳者が自分自身を離脱させる作業だったのではないか。そう想像する。もちろん、目的は自己の解放だが、手段は他者たる自己との格闘だったのだろうけれど。
例えば、マタイによる福音書6章26-29節の話。「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」この日本聖書協会・新共同訳の中の「鳥」と「種も蒔かず」をケセン語訳では「カラス」と「田植え」とされる。それは、ケセン語ではトリとは鶏のことであり、種を蒔くことなど気仙地方では農作業の一般的な喩えにはならないからである。
また、山浦ケセン語訳聖書には「愛」という言葉も「天国」という言葉もでてこない。愛という漢語は抽象的で、しかも、上位者が下位者を慈しむ心の動きを表す、ゆえに、愛することと「嫌い/憎い」の気持ちは両立しえない。つまり、「汝の敵を愛せよ」は絶対にケセン語には翻訳不可能なセンテンスであり、これはギリシア語原文の「アガペー」を「愛」という漢語に訳すこと自体にそもそも孕まれていた間違いなのではないか、と。
そこで、山浦さんは隠れキリシタンの聖書理解からヒントを得て、「愛」を「大切にすること」、ケセン語で「でーじにする」と訳された。「天国」もそうである。天国は原語ではある状態を表わす動詞の名詞化した用法であり、それは近代国家のようなある人民と主権と領土を持つ周囲から隔絶されているような領域概念ではない、と。「天国」はケセン語では神様の「お取しきり」となる。神様が取り仕切られているその状態という意味。見事な仕事だと思う。
私は山浦玄嗣さんのこの聖書翻訳の事業に大変共感した。言葉で書くと月並みだけれど、簡単に「我が意を得たり」と感じたそのポイントを記せば、人間は言語(母語)で考え感じる動物だということ。そして、この経緯は2000年以上前のイエスにも現在の気仙地方の人々にとっても同じだろうということ。
人間の言語自体は、辞書と文法と語用のルールブック、文字表、音韻と音声のルールという有限個な規範の束(というかルールの体系の束、)で構成されている。その有限な差異のシステムを使うことで人間は範囲としても無限の、思想としても無窮の、文字通り天壌無窮の思索と信仰を表現するのではないか。誰に対して。そう、自分を含む他者に対して。
ならば、原罪を抱えた総ての人類に語りかけるイエスのメッセージの実在性を確信される山浦さんが、その言葉を真に受取ろうとされた場合、ギリシア語とケセン語の研究に迷わず突き進まれたのは、蓋し、当然だったのかもしれない。有限で数に限りのある言語ルールのシステムをマスターすればイエスの言葉という無限なる福音、普遍なる真実に至ることができるとすれば、この賭けに参加するのは合理的ではないか。参加するだけでも大変な苦労を伴なう「賭け」であることは言うまでもないけれど。共感。堪能。
ブログ・ランキングに参加しています。
応援してくださる方はクリックをお願いします
↓ ↓ ↓
にほんブログ村 英会話ブログ
「ガリラヤの田舎で育ったイエスは、きっと方言で話したはずだ。だったら、方言の方が似合う」と思った山浦さんには、標準語訳の聖書は、直訳過ぎで分かりづらく感じた。だから、標準語訳を重訳するのではなく、あえてギリシャ語の原典から訳した。(以上、引用終了)
実は、私はこの「ケセン語」と山浦さんの聖書翻訳についてはちょうど3年前にこのブログの本家サイト海馬之玄関の日記コーナーで取り上げたことがあります。ですから、もちろん山浦さんとは一面識もないのですけれど、「とうとう完訳ですか! 凄いですね」と思いました。
しかし、朝日新聞の記事では今ひとつこのケセン語訳聖書の意義というか山浦さんの動機が伝わってこない。新約聖書のケセン語訳という方法の必然性が皆目分からない。多分、この記事を書かれた朝日新聞の記者も校正担当や編集の方も、山浦さんの仕事と最近流行りの「方言で読む日本国憲法」とかと同じようなものとしか理解できていないのだと思います。違うんですよね、多分。そこで旧稿を転載改訂して山浦さんの仕事を紹介したいと思います(以下、自家原稿改訂転載)。
◆2002年7月16日(火曜日) 「ケセン語で聖書を読む」を堪能した
一昨日(7月14日)はパリ際だった。1789年の7月14日パリはバスチュ-の牢獄(要塞)を民衆側が攻撃陥落させた日、それが「パリ際」=革命記念日である。今から、213年前のこと。日本では、徳川11代将軍家斉公の時代、松平定信公が寛政の改革(1787年-1793年)を押し進め、TVで御馴染みの鬼平こと火付盗賊改加役・長谷川平蔵が活躍していたころのことである。
で、213回目のパリ祭の日、昼食もすみ寛子ちゃんお気に入りの「なんでも鑑定団(再放送)」も終わったころ、何気なく教育TVにチャンネルを替えた。丁度新しい番組が始まるところだった。午後2時。番組タイトルが奇異。『こころの時代(再)』「ケセン語で読む聖書」。私も一応語学教育の専門家だが、ケセン語なんて聞いたことないよ。寛子ちゃんも始めて聞く名前だという。これは面白いかな(仕事に役立つかな)と思い数分間見ていても画面に映るのは日本の漁村の風景のみ・・・。ケセン語って何じゃらほい?
ケセン語とは宮城県気仙沼地方の方言のこと。「ケセン語で読む聖書」はケセン語で新約聖書を翻訳された地元在住の医師山浦玄嗣さんを取り上げた番組だった。何故に、山浦さんがケセン語で聖書を翻訳するなどという、おちゃらけとも余興ともつかぬことをやり始めたのか、ケセン語訳聖書を作る上での苦労話、そして、聖書をケセン語で読むことから何が見えてきたか、これらが新約聖書の幾節かの翻訳を読み解く中で明らかになるという知的興奮に満ちた60分番組だった。
山浦さんはこの翻訳に30年以上も取り組まれたわけで、新約聖書のケセン語訳はとても世間でいう「余興」ではないし、ましておちゃらけでは全くない。翻訳を敢行する上で山浦さんご自身が立てられた二つの方針がそれを如実に示している。即ち、①ギリシア語の原典から翻訳すること、②漢語表現はできるだけ使わないこと、である。要は、気仙沼地方で使われる普通の言葉にイエスの言葉を置き換えること。しかも、抽象的な漢語使用は避け、かつ、聖書の言葉そのままに原典からケセン語に移すということだ。
こんなん文献学を少しかじったりちょっとでも翻訳をやったことのある方なら、とてもおちゃらけや余興どころではなく、寧ろ、正気の沙汰ではないことが直感的に解ると思う。作業のボリュームと作業の困難さのどちらを取っても、これは一個人のライフワークのレヴェルを遥かに越えることだよ。おっさんまじかよ。我が家は夫婦で息を呑む。
山浦さんは代々医師の家系で、ご両親ともカソリックの信仰をお持ちの家庭に育った。16年前、東北大学医学部の助教授から自家の医院を継ぐために気仙沼に戻られた。聖書をケセン語に訳すことを思い立った動機はシンプルである。共通語で語られる聖書では気仙の人々にとってイエスの言葉としては伝わりにくいのではないかということ。そして、イエスの言葉は伝言ゲームによるノイズが一番少ない原典(ギリシア語)から読み取られるべきと思われたことである。確かにこれはシンプルかつ真理だろうけれど、それは残酷なほど厳しい現実と対応しているよね。
しかし、そこからが凄い。全く単なる思いつきではない。山浦さんは15年以上の歳月をかけて、ケセン語の辞書と文法書を作られた。また、共通語と異なるケセン語の音韻をより正確に記述するために独自にケセン語特有の「文字」も考案された。而して、新約聖書の言葉を文献学的な手法を遵守しながら、一節一節、一文一文、一語一語、原語からケセン語に移し替えられた。イエスの言葉を。イエスの息遣いを移し替えられた。それは、共通語や漢語という自身の思考に混入され組込まれている表層文化のシステムから翻訳者が自分自身を離脱させる作業だったのではないか。そう想像する。もちろん、目的は自己の解放だが、手段は他者たる自己との格闘だったのだろうけれど。
例えば、マタイによる福音書6章26-29節の話。「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」この日本聖書協会・新共同訳の中の「鳥」と「種も蒔かず」をケセン語訳では「カラス」と「田植え」とされる。それは、ケセン語ではトリとは鶏のことであり、種を蒔くことなど気仙地方では農作業の一般的な喩えにはならないからである。
また、山浦ケセン語訳聖書には「愛」という言葉も「天国」という言葉もでてこない。愛という漢語は抽象的で、しかも、上位者が下位者を慈しむ心の動きを表す、ゆえに、愛することと「嫌い/憎い」の気持ちは両立しえない。つまり、「汝の敵を愛せよ」は絶対にケセン語には翻訳不可能なセンテンスであり、これはギリシア語原文の「アガペー」を「愛」という漢語に訳すこと自体にそもそも孕まれていた間違いなのではないか、と。
そこで、山浦さんは隠れキリシタンの聖書理解からヒントを得て、「愛」を「大切にすること」、ケセン語で「でーじにする」と訳された。「天国」もそうである。天国は原語ではある状態を表わす動詞の名詞化した用法であり、それは近代国家のようなある人民と主権と領土を持つ周囲から隔絶されているような領域概念ではない、と。「天国」はケセン語では神様の「お取しきり」となる。神様が取り仕切られているその状態という意味。見事な仕事だと思う。
私は山浦玄嗣さんのこの聖書翻訳の事業に大変共感した。言葉で書くと月並みだけれど、簡単に「我が意を得たり」と感じたそのポイントを記せば、人間は言語(母語)で考え感じる動物だということ。そして、この経緯は2000年以上前のイエスにも現在の気仙地方の人々にとっても同じだろうということ。
人間の言語自体は、辞書と文法と語用のルールブック、文字表、音韻と音声のルールという有限個な規範の束(というかルールの体系の束、)で構成されている。その有限な差異のシステムを使うことで人間は範囲としても無限の、思想としても無窮の、文字通り天壌無窮の思索と信仰を表現するのではないか。誰に対して。そう、自分を含む他者に対して。
ならば、原罪を抱えた総ての人類に語りかけるイエスのメッセージの実在性を確信される山浦さんが、その言葉を真に受取ろうとされた場合、ギリシア語とケセン語の研究に迷わず突き進まれたのは、蓋し、当然だったのかもしれない。有限で数に限りのある言語ルールのシステムをマスターすればイエスの言葉という無限なる福音、普遍なる真実に至ることができるとすれば、この賭けに参加するのは合理的ではないか。参加するだけでも大変な苦労を伴なう「賭け」であることは言うまでもないけれど。共感。堪能。
ブログ・ランキングに参加しています。
応援してくださる方はクリックをお願いします
↓ ↓ ↓
にほんブログ村 英会話ブログ
イエスはガリラヤ方言を使ったのでしょう?これが素直にギリシャ語にそもそも翻訳できるのでしょうか。
しかもイエスは新たな意味をガリラヤ語に付与したのではないか。
しかも、聖書といわれる書物はこのような複数の記者が別個の思想で書いている、それが聖書として確定したのはイエスの時代から4世紀も経過した後。
われわれは、しかも、聖書をとおしてしかイエスの現行をのぞき見られない。それで信仰を得た、といっているひとがいることの不思議さ。