英語と書評 de 海馬之玄関

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マンガは素晴らしい。マンガは人類の文化遺産だ!

2005年07月26日 15時02分20秒 | 表現とメディアの話題
◆マンガは素晴らしい 
KABUはマンガが好きです。寛子さんもマンガが大好きです。この春にBLOGを始めたのも、実は、「BLOGというツールはサブカルチャー評論、特に、マンガ評論と相性がいいんじゃない」と漠然と思ったのが大きい。マンガは素晴らしい。マンガは人類の文化遺産だ!

と、テンションは高いのですがのっけから予防線を二つ。まず、「マンガとは何か」「どんな表現をさしてマンガと呼ぶんですか」という問題は留保させていただきます。つまり、マンガの定義はあまり深く考えませんよということ。しかし、それではあまりにも頼りないし無責任でしょうから便宜上この記事では①ページにコマ割が施された、②台詞やト書きが画像と同じページに書かれている、③ストーリー性のある情報媒体というくらいの漠としたイメージでマンガを捉えておきます。つまり、アニメーションは除外し挿絵入りの小説もマンガではないと考えて話を進めます。

次に、本稿では日本のマンガに絞ってコメントします。これが二番目の予防線です。外国の特に米国のマンガ(cartoon, comic, comic strip)と日本のマンガの違いについては書きたいことはてんこ盛りなのですが別の機会に譲ります。よってここでは、田河水泡『のらくろ』、横山隆一『フクチャン』、島田啓三『冒険ダン吉』等の大東亜戦争前からの伝統を持ち、手塚治虫・横山光輝・白土三平という戦後のストーリーテラーの巨匠達が育て、昭和30年代後半から昭和50年代にかけて石ノ森章太郎・ちばてつや・藤子不二雄・赤塚不二夫、吾妻ひでお・本宮ひろし・水島新司、萩尾望都・池田理代子・みつはしちかこ・大和和紀、大島弓子・竹宮恵子・里中満智子・山岸涼子等々の才能が技とアイデアを競った出版ジャンルとしてマンガをイメージしています。

上に列挙した巨匠・名匠以外にも、この国のマンガ界は、大友克洋・寺沢武一・桂正和・池上遼一、鳥山明・立原あゆみ・高橋留美子、あだち充・岡崎京子・秋月リス等々のカリスマにこと欠かない。ちなみに、私のお気に入りのマンガ家ベストファイブは、西岸良平・森雅之・諸星大二郎・岡崎二郎・川原泉の各氏です(★)。

★註:マンガサイト紹介
個々のマンガ家や作品に関しては<ま・ん・ぱ・らいぶらりー>でご確認ください。


◆マンガのパワーのその源泉と限界
少し古い統計なのですが、2000年の1年間、日本では出版物販売総額の25%をマンガが占めていました(雑誌・書籍の販売総額は2兆5千億円、その内の約6千億円がマンガの売上です)。そして、書籍の単価比を想定すれば、総出版部数に占めるマンガの割合は総販売額比の25%以上であることは確実でしょうから、マンガは販売総額の面でも出版点数の面からも他の出版ジャンルを圧倒しているのです。

しかし、このようなビジネスの側面だけでなく、思想的な影響や教育的効果においてもマンガは他の出版ジャンル(就中、文芸ジャンル)を凌駕していると私は考えています。特に、<読書をする習慣のない>今時の子供達や子供のような大人達に対しては、マンガは際立った優位性を持っているだろう、と。そう考える根拠は以下の3個。


(甲)文字を読む習慣のない人々へのマンガの教育効果
 ①ストーリーをたどる体験の提供
 ②場面を構想・表象する体験の提供
(乙)心象風景と写実描写におけるマンガの優位性
(丙)SFや歴史等、自由自在に思索と思想を展開できるマンガの優位性


とにかく、「マンガやゆうて舐めたらあかんぜよ」ということです。マンガは楽しいし、本当にマンガって素晴らしい(そういえば、岡崎二郎さんの作品は、2年前に出版された『緑の黙示録』、3年前の『時の添乗員①』以来まとまった作品を読んでいない。楽しくない! 『時の添乗員①』の第3話「交換日記」なんかジーンと来ました。岡崎さんもっと作品いっぱい描いて下さい! )。

マンガは情報伝達のツールとしての側面と複合的なアートの側面を併せ持っている。小説と比べた場合、マンガの具体性は歴然でしょう。また、実写映像表現と比べた場合のマンガ表現の自由さと本質を抽象する性質も明白です。つまり、教育のツール(そこでは、本質を具体的に伝えられる機能が要求されるでしょう)として見た場合、他の媒体と比較しても、マンガは送り手にも受け手にもユーザーフレンドリーなツールと言えると思います。

教育ツールとしてのマンガのこの優位性は、しかし、教育のある場面では劣位性の裏返しかもしれない。何が言いたいのか? それは、あまりにもマンガの表現がわかりやすいがゆえに、かえってある程度以上の読解力の養成のためにはマンガには逆に限界がある;そして、マンガを通して得た知識は試行錯誤を経て獲得された知識ではない場合が多いということです。例えば、「大学生/大学院生/ビジネスマンにもなってマンガばっかし読んでてどないすんねんな」とは今でも時々聞く言葉ですが、これはマンガに対するアンビバレンツな評価を前提にした小言ではないでしょうか。

実際、国語教育界には小説の挿絵でさえ<本格的な想像力や構想力>を身につけるのに有害だと仰る先生方も少なくない。そのような先生方にとって<画像情報が主で文字情報が従>のマンガなんぞ教育ツールとしては邪道にすぎない。ならば、その立場の先生方がもし教育ツールとしてマンガを受け入れてくださるにしてもマンガには補助的な役割しか与えられないことになる。マンガ、ピンチ!

私もマンガが<本格的な想像力や構想力の開発>については補助的な役割しか果さないということには悔しいけれども同意します。この能力開発においては、マンガは言わば「自転車に乗る練習をしている子供が最初の頃に使う補助輪にすぎない」のかもしれない、と。しかし、このブログの本家サイトでも前にも書いたことなのですけれども、現在の子供達や子供のような大人達の国語力の凄まじい状況を鑑みるに、この補助輪の意義は残念ながら小さくはないと思っています(千代ヶ丘クロニクル2002年2月1日の記事、2月23日の記事を参照頂ければ幸いです)。


◆文字を読む習慣のない人々へのマンガの教育効果
マンガは、文字を読む習慣のない人への情報伝達において(特に、その情報の領域に疎い方にとって)、わかりやすさの点では文字情報中心の媒体に数段優ることは明らかでしょう。例えば、さいとうたかお『ゴルゴ13』を通して国際政治を学び国際関係のダイナミックスに親んだ方、石ノ森章太郎『マンガ日本経済入門』や『マンガ日本の歴史』で日本の経済や歴史に関するイメージを獲得された方、はたまた、雁屋哲&花咲アキラ『美味しんぼ』によって人生における食べ物の重要さや食文化の大切さと豊饒さについての見通しをつけられた方も決して少なくないと思います。

教育的の影響力という点で、『ゴルゴ13』に優る国際関係論のテキストは日本にはないだろうし、その津々浦々に及ぶ影響力という点で石ノ森『マンガ日本の歴史』を超える日本通史を私は寡聞にして聞いたことがありません(『マンガ日本の歴史』に匹敵しうるとすればおそらく唯一の書籍:現在、その新装本が刊行されている名著にしてベストセラー、中公文庫『日本の歴史』もその全26巻をすべて読んだという方は極々限られると思います)。

マンガのこの影響力を担保しているのがマンガの持つ二つのユーザーフレンドリーネスではないかと私は考えています;ストーリーを追うことの容易さ;場面イメージを構想することの容易さ、の二つです。このユーザーフレンドリーネスが社会への影響力のみならず教育ツールとしての優位性をマンガに与えているのではないでしょうか。


◆心象風景と写実描写におけるマンガの優位性
マンガは教育ツールや情報媒体として、そのわかりやすさにおいて優れているだけでなく、心象風景の描写や写実描写においても優れている。心の内側と外部世界のイメージを文字を通して再構成する訓練をあまり受けていない今時の子供達や子供のような大人達にとって、これらの点でもマンガは恰好のトレーニングツールを提供しています。もちろん、ここでもまた「自転車の補助輪」にすぎないとしてもです。

例えば、立原あゆみ『本気!』の中に出てくる風景はほとんど写真画像そのものの描写です。しかしそれは間違いなく絵画の画像であって立原さんが作画において参照したと思われる千葉県船橋市や習志野市の風景そのものではない。だから、この作品においても読者は自分なりに『本気!』の作品世界の風景を心の中にイメージしなければならず、それは、写真画像とは異なり<個物を普遍の例示>として捉える作品理解であることは間違いない。ならば、「自転車の補助輪」にすぎないとはいえマンガは作品理解の楽しさを人間に提供するメディアであることも間違いないでしょう。

こう考えるならば、文字の世界で戯れることに慣れ親しんでいる大人達にとっても、マンガは存在意義を持っているのではないか。それは、より作者の作るイメージに拘束制限される反面、マンガでは作品理解の醍醐味に:微妙な心理と世界の認識に読者はエネルギーを集中的に投入できるということです。事実というか外部世界に拘束されている以上、物理学は数学ほど自由ではない。けれども、だからと言って物理学が数学に比べてクリエティヴィティーが乏しいと考える人は少ないでしょう。マンガと小説とを比べた場合に私はこの物理学と数学の違いとパラレルな関係を感じるのです。


◆思索と思想を自由自在に表現するマンガの優位性
マンガはその複合性(文字+画像)によって文字のみでは切り込みにくい森羅万象にも思索の営みを広げることができる。表現媒体としてのマンガのこの特徴がその持ち味を存分に発揮するのが、例えばSFであり歴史スペクタクル、あるいは、最先端の思想的課題が取り扱われる場合でしょう。実際、手塚治虫・横山光輝・白土三平という大東亜戦争後の巨匠達はこれらの領域で代表作を持っておられる。例えば、『鉄腕アトム』『ブッダ』『火の鳥』に『鉄人28号』『項羽と劉邦』『カムイ伝』と記せば、この点でのマンガの優位性にこざかしい説明は不要でしょう。

自由自在に思索と思想を展開できるマンガの優位性は、しかも作者だけが享受できるものでもない。作品に拘束される度合いが小説に比べれば大きいとはいえ(作者が与えた登場人物の容姿や街の風景を読者は前提にせざるを得ないですよね、)読者は別の意味で想像力と構想力の翼を羽ばたかせることができるからです。

マンガでは作者と読者との協働作業によって、阿刀田高・星新一という日本の短編小説創作の名手をもってしても表現することが難しい、あるいは、不可能な事柄を<作品世界>に昇華することも不可能ではないと私は思っています。例えば、柳沢きみお『夜の街』、たがみよしひさ『軽井沢シンドローム』、桂正和『電影少女』、ジョージ秋山『浮浪雲』そして、短編部門における日本マンガの最高傑作の一つと私が考えている森雅之『夜と薔薇』、川原泉『笑う大天使』はある意味小説よりも小説的な読み方が誰にも可能な作品である。私はそう考えています。


◆結語
マンガは文字と画像という、本来、必ずしも相性が良いとはいえない二つの要素を結合させることによって豊饒で官能的な作品世界を作り上げる。マンガは挿絵交じりの小説でもないですし言葉が少し添えられた絵本でもない。それは、絵画によって触発されたイメージがエクリチュ-ルの衣をまとう音楽のないオペラであり、逆に、書かれた言葉であるエクリチュ-ルが画像の中を流れる言語で描かれた絵画である。

サッカーやアメリカンフットボールでも将棋や囲碁でもデイフェンスとオフェンスというトレードオフの関係にある戦術戦略のバランスの上でゲームが展開されます。マンガはこれに近しいかもしれない。あるいは、マンガはノルディック複合(ジャンプと距離レースとの複合)である、と。石井隆『名美』『赤い教室』、大友克洋『アキラ』『童夢』『さよならニッポン』および、諸星大二郎の諸作品、例えば、『孔子暗黒伝』『無面目・太公望』『天崩れ落つる日』『暗黒神話』は人類の知的遺産でさえあると私は思っていますが、これらの作品の価値はマンガという、エクリチュ-ルとイメージがせめぎ合いながら作品世界が形成されていく表現ツールの本性にそのかなりの部分が依存していると私は考えています。 マンガは本当に素晴らしい。


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2 コメント

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しかし、漫画あやうし (キム)
2005-07-26 15:45:59
ご自身の漫画論を読みまして、自分と相通ずるところなどがあり、こういうちゃんとした見解をブログで書いてくれる方があるんだと思い、うれしくなりました。

ただ、実情としては、自分のブログの記事にあるようにマンガすら読まない世代が増えてきているようです。

自分は、それゆえにマンガという表現手段をあらためて見直してもらいたく、そういう世代にも見てもらえるようなマンガをかこうと現在構想中です。



また、このような意見をブログで拝見させていただければと思います。



#TBさせていただき、すみません。
返信する
マンガさえ読まないは蔓延中です (KABU)
2005-07-28 14:10:13
>キムさん



コメントありがとうございました。この記事の続編「お気に入りの作家を軸にマンガの可能性を考える」でも書きましたが、今は「マンガさえ読まない人達」は多いですね。実は、弁護士とか公認会計士(補)をやっている方の中にも多くはないが確実にいる。



つまり、他人が作ったストーリをたどるのが辛いという感覚です。だから、断片的な情報の集積と反射神経的な問題解決はできるが、(司法試験にもでないような)論点を含めて1ページ目から本を読むことができない。



もちろん、それで本人も社会も問題がないなら、「マンガも読まない」は彼等にとっていらぬお世話なのでしょうが、そうではないと思います。一種、無学を売りにしていた「秀吉」も「将棋の坂田翁」も、ストーリを粘り強くおっていく訓練は人並みはずれてやっていたと思いますし、特に、レヴェルの高い交渉事になればなるほど<教養の有無>が、交渉相手としての資格要件になる欧米人とのコミュニケーションでは、この人達は使い物にならないと思います。
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