遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ヴォーリズ建築の100年 恵みの居場所をつくる』 山形政昭監修 創元社

2021-11-01 14:06:10 | レビュー
 ウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築についての本を読むのはこれが2冊目である。ヴォーリズが日本で建築活動を開始して100年目の年に、「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」が企画された。2008年2~3月に滋賀県立近代美術館から始まり、2009年4~6月の松下電工・汐留ミュージアムまで合計5ヵ所で展覧会が実施されたという。本書はその企画展の公式カタログを兼ねて、2008年2月に出版された。
 当時、「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」が実施されていたということを知らなかった。

 本書は21.3cm×29.8cmという図録サイズの大型本である。
 目次の後、100ページまでヴォーリズ建築作品のカラー写真を主体に掲載している。建築物はやはりカラーの大きな写真サイズで見る方がわかりやすいし、インパクトもある。建物の細部も比較的見やすくなる。作品毎に、建築年、所在地、建物構造、その他の情報と簡潔な説明が付いている。この作品カタログの部分を眺めていくだけで、ヴオーリズの携わった建築物全体の大凡をイメージできるようになっている。

 公式カタログを兼ねたということなので、この最初の100ページの編成は、企画展示の章構成になっていることと思う。以下のとおりである。
 Ⅰ 湖国のユートピア         12
 Ⅱ ミッション建築家として      18
 Ⅲ 軽井沢-自然の緑と住む       8
 Ⅳ 『吾家の設計』と住宅建築     12
 Ⅴ 都市の建築             2
 末尾に示したのは掲載作品数である。尚、この数字の1は、ヴォーリズ建築の代表的事例に挙げられる関西学院や神戸女学院の建物群もそれぞれ1にカウントしている。例えば、関西学院の事例だと、「関西学院 時計台(旧図書館)、中央講堂、文学部校舎、神学部校舎、経済学部校舎、総務館、住宅他」という一項目になっている。西宮市にある上ヶ原キャンパスは、「米国カリフォルニアのミッション建築を源流とするスパニッシュ・ミッション様式の建築で統一されている」(p37)。そして、キャンパス軸の要に位置する時計台(旧図書館)が象徴的な建物になっているという。

 各章の終わりには、石田忠範(敬称略す)記のコラムが挿入されている。「ヴォーリズの暖炉」「ヴォーリズの照明器具」「ヴォーリズの階段」「ヴォーリズの扉」という形で、ヴォーリズ建築の細部として、そこに生活する人々に関わる諸物へのヴォーリズの思考と配慮などに触れている。もう一つ、本書の後半に、「ヴォーリズの窓」というコラムが載る。

 本書前半の写真集に対し、後半は論考・エッセイがまとめて掲載されている。その標題と著者をご紹介しよう。どういう視点がカバーされているかご理解いただけるだろう。
 理想を形に-ミッションスクールの建築   山形政昭
 『吾家の設計』とヴォーリズの住宅   山形政昭
 ミッションに生きる-ヴォーリズ建築を生み出したもの   奥村直彦
 ヴォーリズ建築のこころとかたち   石田忠範
 スパニッシュなヴォーリズ   藤森照信
 ヴォーリズとモダン都市   海野 弘
 アメリカ建築史から見たヴォーリズ   福田晴虔
 軽井沢とヴォーリズ   内田青蔵
 ヴォーリズの恩恵   阿川佐知子
 ヴォーリズと関西学院-重なり合うそれぞれの歩み   田淵 結
 窓からの眺め-神戸女学院岡田山キャンパスに見るヴォーリズの美学 濱下昌宏
 豊郷小学校の建築意義   川島智生
 朝吹別荘とその移築保存   松岡温彦
 旧近江八幡郵便局の再生   石井和浩                      
 ピアソン記念館とヴォーリズ   伊藤 悟
 ヴォーリズネットワークの活動   土井祥子
これらの論考・エッセイには、関連する写真がセピア色のコマ写真として併載されていて、理解を促進する役に立っている。
 
 後半部分の最後に、「ヴォーリズさんを慕って」と題し、直接ヴォーリズさんとともに働いたあるいは身近に接した人々の間で座談会(林一・吉田ゑい・矢野義・芹野与幸)が行われた記事が載っている。ここでは、文章などには記されていないヴォーリズの姿や行動が垣間見えて興味深い。

 末尾には、「ヴォーリズ建築主要作品リスト」「ヴォーリズの書画とゆかりの品々」「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ年譜」「参考文献」が併載されている。

 このような構成になっているので、ヴォーリズ建築に関心を寄せる人には、本書が一番アプローチしやすい本と言えるかもしれない。

 ヴォーリズ自身は終生アマチュア建築家であり、日本において建築と関わりを持つようになった。ヴォーリズは、アメリカ人建築技師のL。G.チェーピンを嚆矢にして、アメリカ人と日本人の建築技師たちとともにヴォーリズ建築事務所を設立・運営し、戦前期に1000棟を優にこえる建築を行ってきた。だが、ヴォーリズの名がプロの建築家にはあまり知られていなかった時期があるという。それは、彼自身がプロの建築家の志向とは違うスタンスを持ち続けたことに一因があるようだ。『ヴォーリズ建築事務所作品集』(1937/昭和12年)にヴォーリズが記した言葉を最後に孫引きしておこう。
 「吾々の主張するところは、建築上の様式の非常に目立った進出を、試みんとするものではなくて、至極簡単なる普通の住宅をはじめ、条件の多い建物に至るまで、最小限の経費を以て、最高の満足を与える建築物を、人々に提供せんと、一途に努力し来たった。・・・・現在焦眉の急を要する日常生活の使用に対して、住心地のよい、健康を護るによい、能率的建築を要求する熱心なる建築依頼者の需めに応じて、吾々はその意をよく汲む奉仕者となるべきである。」(山形、p108)
 その結果、際だった建築様式を主張するのとは真逆に、その建物を利用し、そこで生活する人々の視点と要望を重視した。米国での建築様式を基本にしながらも、日米の風土や環境の違いを考慮し、日本での住環境として最適で折衷的な意匠・プランニングを推進したことに特色があると言えそうだ。

 日本人女性と結婚、最終的に帰化する選択をし、一柳米来留と名乗ったウィリアム・メレル・ヴォーリズの人柄と足跡がうかがえる書である。

 ご一読ありがとうございます。

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『ヴォーリズの西洋館 日本近代住宅の先駆』  山形政昭  淡交社