遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『後催眠 完全版』  松岡圭祐   角川文庫

2021-11-12 17:56:08 | レビュー
 奥書を読むと、2001年11月に『後催眠』(小学館文庫)が刊行されたが、それを改題・修正して完全版という形で2009年(平成21)12月に文庫として発行された。先の『後催眠』は未読なので、この完全版だけの読後印象になる。

 この小説、のっけから重要な伏線がある。まず一つは、タイトルそのものの「後催眠」。『催眠 完全版』を読んでいる人は、催眠については催眠療法の意味をお解りだろう。しかし、その分野に不案内の人は、日常語の催眠術という言葉と後催眠という言葉から、某かの漠然としたイメージを心に浮かべるかもしれない。そこから読者独自の何らかの想定ないし想像が、漠としたものであっても生まれることになる。
 目次の次のページに、「『催眠 完全版』より数年前 嵯峨が臨床心理士資格を取得する以前の物語」という記載だけがある。これが二つ目の伏線になっている。このページをさらりとパスしてしまいそうだが、この記述の意味は最後まで読み通せば、ナルホドと頷ける。つまり、『催眠 完全版』に登場する嵯峨敏也のプロフィール・活動と彼のイメージの延長線上で読み始めると読者自身が己をミス・リードすることになりかねない、とだけ述べておこう。
 この小説、大変興味深いストーリー構成になっている。いわばどんでん返し、意外性のインパクトがこの小説のおもしろみと言える。
 
 ストーリーの特徴だけをご紹介しておこう。
1.主人公は嵯峨敏也なのだが、ストーリー自体は嵯峨が脇役的存在と思える感じで展開する。そこがおもしろい。
 ストーリーは、ショーウィンドウ越しに嵯峨がカルティエの結婚指輪を見つめている時に、携帯電話の着信音が鳴る。ショーウィンドウの女のマネキンと見つめ合っている様な状態で嵯峨が電話で女の声を聞く。女は言う。木村絵美子に会い深沢透さんのことを忘れろということを伝えよと。深沢さんはもうこの世にいないと。それだけのメッセージ。

2.嵯峨とのコンビの如く鹿内明夫が登場する。鹿内の行動結果が、このストーリーの展開を補強する役割を担うことになるからおもしろい。
 東邦医大付属病院精神科での研修の時から嵯峨と鹿内は同じグループに属していた。彼は嵯峨とは逆に、社交的で何にでも首を突っ込むみ、嵯峨にとっては苦手な存在である。
 鹿内は、上司から押し付けられた相談者の女子大生に嵯峨が惹かれ、恋の病に陥っているとからかう。そして誘ったかと聞く。行動に出ないのなら、自分がアプローチするとまで言い出す。後に鹿内は宣言通り行動に移す。それが鹿内にある変化をもたらす。それが一つの証拠になる。

3.ストーリーは、嵯峨から木村絵美子と深沢透の関係に比重が移っていく。あたかも木村絵美子が主役で、深沢透が準主役であるかのように・・・・。
 このストーリーの前半は、絵美子の心理、精神状態が深沢との関係の中で描かれる。
 木村は神経症を病み、かつて主治医・深沢透の治療を受け、3年半前にカウンセリングを終えていた。二人の間には愛が芽ばえた。絵美子は深沢に忘れられることを恐れていた。
 ある事件の被害届を出したことから、絵美子の精神状況が悪化する。そこに、深沢から電話がかかる。絵美子の自宅に行くという電話である。深沢が絵美子の住まいに現れた後、絵美子の精神状態について、二人の会話と行動にフォーカスがあたっていく。
 絵美子はもはや病にかかっていないのか、病のただ中で翻弄されているのか。絵美子がどういう行動を取ればよいか。深沢は絵美子に説明し勇気づけるのだが・・・。

4.絵美子が心の危機を再び感じるようになった原因は何か。具体的に明らかになり始めるのは、ストーリーの後半に入ってからというのが特徴的でおもしろい。
 絵美子はノムヨムという飲料を配達するアルバイトをしていた。「みわ荘」という二階建の賃貸木造アパートに配達に行った折、庖丁を持った男に襲われ、そのアパートの一室に連れ込まれ監禁されるという事態に遭遇した。その被害届を杉並警察署に出した。担当は牧山昌憲刑事である。加害者は志垣和男と判明した。だが、牧山はまだ被害届を正式には受理していない。精神科医と、加害者である志垣和男、絵美子を交えて、状況の詳しい詰めをしたいと言う。牧山は被害届を正式に受理したくない雰囲気を漂わせる。あたかも、絵美子の精神状態に問題があるとも言わんばかりに。牧山の意図に絵美子は気づいていく。彼女はある行動に出る。

5.深沢透を共通項にして、嵯峨の行動と絵美子の行動という二つのストーリーが交点を持ちながらも、ほぼパラレルに進展しエンディングに至るところがおもしろい。
 嵯峨は、鹿内の協力を得て、木村絵美子と深沢透の二人の情報を入手する。深沢の情報を入手した時点で、嵯峨は鹿内の指摘で、東都医大でカウンセラーの研修を受けた際に、催眠療法の教官だったのが深沢透だったことに気づいた。そしてその時の記憶を呼び起こす。嵯峨は木村絵美子に会いに行く。さらに情報を入手することで真相に至る。

 ストーリーの展開をお楽しみに。
 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『催眠 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ3 千里眼 運命の暗示 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ2 千里眼 ミドリの猿 完全版』  角川文庫
『クラシックシリーズ1 千里眼 完全版』  角川文庫
『探偵の鑑定』Ⅰ・Ⅱ  講談社文庫
『探偵の探偵』、同 Ⅱ~Ⅳ  講談社文庫
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.2 2021.6.11時点 総計32冊