遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『逆流 越境捜査』  笹本稜平   双葉文庫

2021-11-20 14:44:57 | レビュー
 第10章に次の一節がある。「死ぬ気まではないが、ここが正念場なのはたしかだろう。これまでの相手の仕掛けは用意周到な上に大胆だった。その逆流に押し込まれては、このままなす術もなく退散ということになりかねない。だからといってただ気負いこめばいいというものでもない。」(p393)事件の捜査が正念場にきたときの鷺沼刑事の思いである。本書のタイトルは多分ここに由来するのだろう。
 越境捜査シリーズは、警視庁刑事部捜査一課特命捜査二係の鷺沼友哉警部補が中軸となり、三好章係長と井上拓海巡査とともに追跡する事案に、神奈川県警の嫌われ者で万年巡査部長の宮野裕之と元ヤクザで今は堅気のレストラン経営者と自認する福富が加わってくることでおもしろい展開になる。今回はここに碑文谷警察署・強行犯捜査係の山中彩香巡査が加わることに。この山中彩香がなかなかの強者でおもしろさを加えてくれる。
 本書は越境捜査シリーズ第4弾で、2014年3月に単行本が刊行され、2017年7月に文庫化された。

 ストーリーは、鷺沼が柿の木坂の自宅マンションに帰宅し外階段を上り四階にある部屋に向う途中、人の気配に気づき「今晩は」と声をかけた直後に、右脇腹をナイフで刺されるというシーンから始まる。鷺沼刑事が刺されるというとんでもない事件の発生!
 発見し通報したのが宮野だった。彼はある事件ネタを持って偶然鷺沼の部屋に転がり込もうと出かけてきたのだ。
 刑事が自宅付近で襲われた事で、この地域を所轄する碑文谷警察署の刑事組織犯罪対策課がこの傷害事件を捜査することに。捜査本部は立たない。再発を懸念し、碑文谷署は捜査の一方、鷺沼に対し昼夜交替の警護体制を敷いた。昼間は山中彩香巡査が担当を命じられた。彼女は鷺沼を警護する形から鷺沼の捜査事案に自ずと巻き込まれていくことになる。
 鷺沼は、正面から肝臓の脇まで刺された。幸いにも致命傷に至らず術後の回復は順調で、1ヵ月の休職扱いとなり静養する羽目になる。だが、彼はこの休職期間中に手掛けている事案に対し、頭脳中枢的役割を担いながらその究明に取り組んで行く。彩香は尊敬する鷺沼を身近で警護をするという使命から、一歩踏み込み追跡捜査に関わって行く。

 鷺沼は特別捜査対策室に属する。殺人事件の時効撤廃により、過去の不審死や迷宮入り事件の事案を洗い直すという継続捜査を担当する。鷺沼たちは、10年前の死体遺棄事件、足立区内の荒川河川敷で見つかった白骨死体を追っていた。検視報告書と発見時に撮影した写真の再鑑定により肋骨の傷跡が刃物による刺殺であると最近わかったことによる。
 一方、宮野が鷺沼に持ち込んできた事件ネタは、神奈川県の伊勢佐木署管内で捕まった窃盗犯の余罪を追及する中で自白された話だった。その窃盗犯は12年前に足立区のある豪邸に侵入した。玄関は施錠されていなかった。二階の寝室で俯せに倒れ、心臓のあたりに刃物によるものと思われる小さな刺し傷が覗いている男の死体を発見したという。現金と宝石を盗んで慌てて退散した。その後、その豪邸での殺人事件も現金・宝石が盗まれた事件も一切報道すらなかったというのだ。捜査員が出向いて調べたところ、そこは10年前に更地にした後売りに出され、二宮という別の住人が新しい家を建てて住んでいた。取引を地元の不動産屋が扱っていた。売主は現在与党の参議院議員で、財務副大臣をしている木暮孝則とわかる。ただ、当時は選挙で落選し浪人生活中だったようなのだ。捜査員はけんもほろろにあしらわれたという。宮野は桜田門の縄張りになるこの件に独特の臭覚、金の匂いを感じて、鷺沼に事案として考慮させようと持ち込んだ。ガセネタである可能性は勿論高い。
 井上はインターネットで木暮関連情報を調べてみる。宮野もまた独自ルートでに木暮の背景を調べるとともに、不動産屋に聞き込みを行い、木暮邸関連情報を探り、現所有者二宮の関連情報も収集していく。宮野なりにガセネタでない確度を見極めようとする。
 
 継続捜査事案の荒川河川敷の死体遺棄事件は、遺体に付着していた衣類のサンプルが保存されていて、最新技術でDNA型を抽出できた。比較するサンプルが警視庁のデータベースにあったのだ。それは、12年前に婦女暴行未遂容疑で逮捕された福岡市在住の会社経営者、佐久間一雄だという。被害者の告訴で捜査された結果、犯人のDNA型と一致しなかったので佐久間は不起訴になった。その佐久間は不起訴になった翌年5月に所有の小型クルーザーで沖釣りに出かけ、玄界灘で突発的な低気圧に遭遇してクルーザーが転覆。海上保安庁が捜索活動をしたが、死体は発見出来なかった。その結果、戸籍上、認定死亡の扱いが行われていた。DNA型の一致と認定死亡が発端となって追跡捜査が具体化していく。井上が福岡に出張し福岡県警の協力を得て捜査活動を推進する。
 
 空き巣が木暮邸で死体を見たのが12年前の6月。11年前の5月に佐久間一雄は海難死したと認定された。10年前の荒川河川敷の死体遺棄事件は殺害で、佐久間のDNA型と一致。河川敷の場所は木暮邸とごく近いとわかる。11年前の9月に木暮は引っ越した。更地にされた土地に10年前、新たな家が建てられ二宮という人の所有になっている。捜査の結果、木暮は生まれも選挙区も福岡であり、佐久間とは同郷である。
 これは偶然なのか・・・・・。「おそらくは偶然だろう。それが健全な考え方だと自分に言い聞かせる。しかしどうも落ち着きが悪いのだ。それぞれを結ぶ糸は蜘蛛の糸よりか細いが、すべてがまとまったときの強さは無視できない。」(p49)と鷺沼は思考する。

 DNA型が一致した佐久間、空き巣が木暮邸で発見した男の死体から端を発して、状況証拠が少しずつ累積していく。福岡に捜査出張した井上は、さらに木暮に繋がる別件情報を入手し、鷺沼に知らせてくる。12年前に、木暮の地元秘書だった宮沢忠之の失踪届が出されていた。拉致されたというような犯罪性や不審な点がなかったので、警察では通常の家出人扱いとして、特に捜査など行わずに処理されていたという。
 ジグソウパズルのように、ばらばらな断片情報が相互にリンクしていく。このプロセスがかなり具体的に書き込まれていく。事実をつかむためにどのような視点と捜査手続きで情報を探索するのか。そのプロセスがひとつの読ませどころとなっていく。その結果、状況証拠はターゲットを絞り込んでいるのに、決定打となる物証が掴めないというジレンマの狭間で正念場を迎える局面へと突き進んで行く。
 一方、鷺沼の住むマンションの部屋に盗聴器が仕組まれることから始まり、捜査を阻むかのような妨害事象が様々な形で発生してくる。鷺沼に対する時期はずれの人事異動話すら出てくる。その背後に居る黒幕は一体誰なのか・・・・・。

 このストーリーでは、山中彩香巡査が鷺沼の警護役として加わった点が新鮮である。彩香が宮野の天敵的な存在となる一方、尊敬する鷺沼の捜査に助っ人として効果的な役割を担っていくところを楽しめる。これが一つの特徴。また、体力回復のために静養しなければならない鷺沼に対し、井上が活躍の場を広げ、刑事として一回り大きく成長していく姿が見られるのも楽しい。
 さらに、事案捜査の過程において、その捜査を頓挫させようとするかのごとく鷺沼の人事異動の話がどこからかの圧力として現れてくる。この側面の織り込みがこのストーリーに警察官心理に対しリアル感を加えていく。更に、鷺沼が対峙する相手側から、警察内の人事異動の話がこの追跡捜査に関わる者への圧力として語られることにもなる。宮野の反応に対する描写が特に興味深い。その上で、宮野のしたたかさを絡ませていくところがおもしろい。
 特に政治家と警察組織の関係はフィクションと雖もリアル感が強い気がする。事実は小説より奇なりというから、両者の関係の実態は現実的にもっと泥臭いのかもしれないかも・・・。
 巨悪打倒に挑み続ける鷺沼たちの姿。やはりこの種のストーリーは楽しめる。

 状況証拠の積み上げによる論理的推論では思いもよらない意外な展開がファイナル・ステージに加わって行く。その巧妙なストーリーの転換が土壇場での読ませどころとなる。エンターテインメント性もうまく盛り込まれていると言える。

 ご一読ありがとうございます。

この印象記を書き始めた以降に、この作家の以下の作品を順次読み継いできました。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『強襲 所轄魂』  徳間文庫
『希望の峰 マカルー西壁』  祥伝社
『山岳捜査』  小学館
『サンズイ』  光文社
『公安狼』   徳間書店
『ビッグブラザーを撃て!』  光文社文庫
『時の渚』  文春文庫
『駐在刑事 尾根を渡る風』   談社文庫
『駐在刑事』  講談社文庫
『漏洩 素行調査官』  光文社文庫
『白日夢 素行調査官』  光文社文庫
『素行調査官』  光文社文庫
『破断 越境捜査』  双葉文庫
『挑発 越境捜査』  双葉文庫
『越境捜査』 上・下  双葉文庫
『失踪都市 所轄魂』  徳間文庫
『所轄魂』  徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
『遺産 The Legacy 』  小学館