コロナ禍で呻吟する現在の状況を、フィクションという手法を使い描き出す。
本書の表紙には、標題のタイトルに「COVID-19 APOCALYPSE」という英語タイトルも併記されている。
COVID-19ははや見馴れて日常語化してしまった。見馴れているだけで、どうしてこう表記するのかまで意識している人がどれだけいるだろう。この表記をネット検索すると、「新型コロナウィルス感染症(COVID-19)」と表記されている。だから私自身もそこで思考停止し、意識することなくそう表記するのだと単純に受け入れていたことに本書を読んでいて気づかされた。 「WHOは、ウィルス学会が新型コロナウィルスの正式名称SARS-CoV-2による感染症をCOVID-19と命名したと公表した。コロナのCO、ウィルスのVI、疾病のDに加えて、末尾にWHOに報告された2019年という年号の下2桁19という命名法だ。WHOは以後、新ウィルスを同様のシステマティクな命名法で名付けることを同時に発表した」(p137)と説明を加えている。corona, virus, disease 、ナルホド! 地域名などを入れると風評被害などを含め禍根が残ることを回避するという側面もあるようだ。
APOCALYPSEという英単語など普段目にすることは滅多にない。知らなかったので英和辞典を引くと、「(1)[the ~]この世の終わりの日 (2)[単数形で]大参事、大事件 (3)[the A~]ヨハネの黙示録(Revention)(新約聖書最後の書)」(『ジーニアス英和辞典第5版』大修館書店)と出ている。昔入手した日本国際ギデオン協会版で、NKJ/新共同訳の対訳『新約聖書』を開くと、聖書の最後の書として「ヨハネの黙示録」が載っている。ここでは「The Revention of Jesus Christ」という語句が第1章第1節の冒頭に記されている。revention という語が「黙示」と訳されている。英和辞典の第3の語義にも付記されている。
新約聖書では「この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕(しもべ)たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。」と、この節の記述に使われている言葉である。
多分、本書では辞典の第2と第3の意味の双方の含意で「黙示」という言葉が使われているのだろう。昔、映画で「地獄の黙示録」などと邦訳された映画があったことを思い出した。勿論本書での「黙示」は、神様まで引き出さなくても、コロナの発生において、真の専門家の知見と判断があるなら、「すぐにも起こるはず」と予測でき、対応策をとれるはずというくらいに受けとめてもよいのではないか。だが、現実には日本の政治・行政機構主導の下で何が起こったか。それはご存知の通りだ。この時代を背景にフィクションが構築されている。
現在進行形の日本と世界の政治経済社会情勢の事実を踏まえ、それとパラレルの形でフィクションを創作し、そのタイトルに「黙示録」という言葉を敢えて使う意味は重くて深いと感じる。
この小説は、桜宮市にある東城大学医学部付属病院の不定愁訴外来、通称愚痴外来を担当する田口先生が、学長室で、厚労省技官、コードネームは火喰い鳥の白鳥圭輔から、ウェブ作家にならないかと声を掛けられ、その役回りを押し付けられるところから始まる。時は、2019年11月である。そして、この小説がエンディングを迎える「終章 いちごの季節」は2020年5月29日の日付で描かれている。書き下ろし小説で、2020年7月に出版された。
現実の日本社会での2020年前半を思い出していただきたい。当時の新聞の社説にも出てくるキーワードを一部列挙してみよう。年初早々に「ポスト安倍政治」という表現が現れる。ゴーン被告逃亡、カジノ疑惑、東京五輪開催の行方、パリ協定、「桜を見る会」と杜撰な公文書管理の実態、阪神大震災25年、東京高検検事長の定年延長問題、新型コロナウィルスの集団感染発生の大型クルーズ船とその対処状況、森友学園問題の推移と地裁判決、中国・武漢市のコロナ問題と中国政府の対応、気候危機対策問題、全国一斉休校問題とその波紋、検察庁法改正、福島の事故から9年、新型コロナウィルス感染者の急増、緊急経済対策、コロナ医療体制、緊急事態宣言・・・・・・・。これらで全てではないが、こういう事象が進展していた。その時期がこの小説の背景となっている。
「この物語はフィクションです。作中に同一の名称があった場合でも、実在する人物・団体等とは一切関係がありません」と明示されている。
だが、同時代をテーマにすれば、体験している現実に対して、フィクションとして書き上げられたものが、現実世界とかけ離れた絵空事なら、読み始めても興味を喪失するだろう。誰もが体験してきた現実と小説というフィクション世界の間に虚実皮膜の接点があるから、読者は楽しみ、怒りながら、それを考える材料にすることもできる。体験した事実の一端を振り返り、見過ごしていた面を見直す材料、糧になる。同時代感覚をリアルに持たせるには、真実に迫れるフィクションでなければ途中で投げ出されるだろう。そいう意味で、この小説はこの時期の政治実態と新型コロナウィルスに感染した大型クルーズ船への対応・対策に焦点をあてていて、社会諷刺小説として読める。政治家の行動、高級官僚の思考と行動、国家行政機構との相互関係における医療関係者の限界と実情、忖度を批判しながら自らは忖度、自主規制をしている大手マスコミの実態などを、「フィクション」として描き出している。だが、そこに虚実皮膜のおもしろさ、諧謔が含まれている。それを許してきた国民に対しても、間接的に「フィクション」の形で問題提起していると読める。
小説としては桜宮ワールドである。このストーリーにはいくつかの軸が組み込まれ、相互に関わりながら、ダイナミックに状況が進行していく。
1.北海道の将軍速水が統轄する救命救急医療センターの緊急入院患者が死ぬ。その治療にあたった研修医大曽根富雄がコロナに感染する。速水自身にも感染が疑われる状態に。大曽根の症状悪化が、桜の宮の東城大学医学部付属病院につながり、速水も古巣に絡んでいく。
北海道では知事に判断を促し、独自に緊急事態宣言を道内に発出するに至る。
2.乗客定員3700人、乗組員約1000人の大型クルーズ船ダイヤモンド・ダスト号でコロナが発生する。当初の「災害派遣医療チーム」を主体にした対策活動に対し、本田大臣官房審議官が現地視察し、トンデモ発言で横槍を入れ現場を混乱させていく。本田審議官は泉谷首相補佐官との不倫が噂されていた。
混乱する現場に対し、厚労省技官・火喰い鳥の白鳥が黒幕になり、田口先生を表に出して、東城大学医学部付属病院の旧病棟を主体にコロナ感染者を受け入れてるシステムを構築させていく。勿論、そこには感染症研究で有名な蝦夷大学の名村教授が関与していく。ゾーニングを徹底して感染者を隔離し、治療態勢を構築していくプロセスが一つの読ませどころにもなる。
3.コロナ禍において安保宰三総理大臣と明菜首相夫人の二人三脚による「なかよし」政治の行動が描かれて行く。勿論そこには、パラレルにいくつかの問題が絡んでいく。桜宮理財局絡みで発生した「有朋学園事件」と「満開の桜を愛でる会」問題が燻り続けていた。また、東京五輪を何としても実施する姿勢を見せる。コロナ禍の進展状況下での首相と政府側関係者の思考と行動が描き込まれて行く。
4.パラレルに、政策集団・梁山泊の活動が加わっていく。フリーランサー病理医の彦根新吾が発案し、元浪速府知事でTVコメンテーターとなっている村雨弘毅が総帥となり、メンバーを集めた活動を描く。梁山泊は東京五輪阻止とコロナ問題をテーマにする。後に、時風新報の別宮葉子が梁山泊に加わる形で、有朋学園事件に絡み文書改竄問題で自殺した職員の問題が俎上に載っていく。
2020年前半の状況をとらえなおしてみる上で、おもしろい小説だ。このフィクションを介して、当時の社会状況の裏舞台、隠された側面を考える視点と材料がふんだんに盛り込まれているように思う。政府報道、大手マスコミ報道に韜晦されない視点づくりの一助になるのではないか。
10年後、この小説はどんな読まれ方をするのだろうか。ふと、そんなことも気になる。
ご一読ありがとうございます。
「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に読んだ印象記のリストです。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
=== 海堂 尊 作品 読後印象記一覧 === 2021.11.5 現在 17册
本書の表紙には、標題のタイトルに「COVID-19 APOCALYPSE」という英語タイトルも併記されている。
COVID-19ははや見馴れて日常語化してしまった。見馴れているだけで、どうしてこう表記するのかまで意識している人がどれだけいるだろう。この表記をネット検索すると、「新型コロナウィルス感染症(COVID-19)」と表記されている。だから私自身もそこで思考停止し、意識することなくそう表記するのだと単純に受け入れていたことに本書を読んでいて気づかされた。 「WHOは、ウィルス学会が新型コロナウィルスの正式名称SARS-CoV-2による感染症をCOVID-19と命名したと公表した。コロナのCO、ウィルスのVI、疾病のDに加えて、末尾にWHOに報告された2019年という年号の下2桁19という命名法だ。WHOは以後、新ウィルスを同様のシステマティクな命名法で名付けることを同時に発表した」(p137)と説明を加えている。corona, virus, disease 、ナルホド! 地域名などを入れると風評被害などを含め禍根が残ることを回避するという側面もあるようだ。
APOCALYPSEという英単語など普段目にすることは滅多にない。知らなかったので英和辞典を引くと、「(1)[the ~]この世の終わりの日 (2)[単数形で]大参事、大事件 (3)[the A~]ヨハネの黙示録(Revention)(新約聖書最後の書)」(『ジーニアス英和辞典第5版』大修館書店)と出ている。昔入手した日本国際ギデオン協会版で、NKJ/新共同訳の対訳『新約聖書』を開くと、聖書の最後の書として「ヨハネの黙示録」が載っている。ここでは「The Revention of Jesus Christ」という語句が第1章第1節の冒頭に記されている。revention という語が「黙示」と訳されている。英和辞典の第3の語義にも付記されている。
新約聖書では「この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕(しもべ)たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。」と、この節の記述に使われている言葉である。
多分、本書では辞典の第2と第3の意味の双方の含意で「黙示」という言葉が使われているのだろう。昔、映画で「地獄の黙示録」などと邦訳された映画があったことを思い出した。勿論本書での「黙示」は、神様まで引き出さなくても、コロナの発生において、真の専門家の知見と判断があるなら、「すぐにも起こるはず」と予測でき、対応策をとれるはずというくらいに受けとめてもよいのではないか。だが、現実には日本の政治・行政機構主導の下で何が起こったか。それはご存知の通りだ。この時代を背景にフィクションが構築されている。
現在進行形の日本と世界の政治経済社会情勢の事実を踏まえ、それとパラレルの形でフィクションを創作し、そのタイトルに「黙示録」という言葉を敢えて使う意味は重くて深いと感じる。
この小説は、桜宮市にある東城大学医学部付属病院の不定愁訴外来、通称愚痴外来を担当する田口先生が、学長室で、厚労省技官、コードネームは火喰い鳥の白鳥圭輔から、ウェブ作家にならないかと声を掛けられ、その役回りを押し付けられるところから始まる。時は、2019年11月である。そして、この小説がエンディングを迎える「終章 いちごの季節」は2020年5月29日の日付で描かれている。書き下ろし小説で、2020年7月に出版された。
現実の日本社会での2020年前半を思い出していただきたい。当時の新聞の社説にも出てくるキーワードを一部列挙してみよう。年初早々に「ポスト安倍政治」という表現が現れる。ゴーン被告逃亡、カジノ疑惑、東京五輪開催の行方、パリ協定、「桜を見る会」と杜撰な公文書管理の実態、阪神大震災25年、東京高検検事長の定年延長問題、新型コロナウィルスの集団感染発生の大型クルーズ船とその対処状況、森友学園問題の推移と地裁判決、中国・武漢市のコロナ問題と中国政府の対応、気候危機対策問題、全国一斉休校問題とその波紋、検察庁法改正、福島の事故から9年、新型コロナウィルス感染者の急増、緊急経済対策、コロナ医療体制、緊急事態宣言・・・・・・・。これらで全てではないが、こういう事象が進展していた。その時期がこの小説の背景となっている。
「この物語はフィクションです。作中に同一の名称があった場合でも、実在する人物・団体等とは一切関係がありません」と明示されている。
だが、同時代をテーマにすれば、体験している現実に対して、フィクションとして書き上げられたものが、現実世界とかけ離れた絵空事なら、読み始めても興味を喪失するだろう。誰もが体験してきた現実と小説というフィクション世界の間に虚実皮膜の接点があるから、読者は楽しみ、怒りながら、それを考える材料にすることもできる。体験した事実の一端を振り返り、見過ごしていた面を見直す材料、糧になる。同時代感覚をリアルに持たせるには、真実に迫れるフィクションでなければ途中で投げ出されるだろう。そいう意味で、この小説はこの時期の政治実態と新型コロナウィルスに感染した大型クルーズ船への対応・対策に焦点をあてていて、社会諷刺小説として読める。政治家の行動、高級官僚の思考と行動、国家行政機構との相互関係における医療関係者の限界と実情、忖度を批判しながら自らは忖度、自主規制をしている大手マスコミの実態などを、「フィクション」として描き出している。だが、そこに虚実皮膜のおもしろさ、諧謔が含まれている。それを許してきた国民に対しても、間接的に「フィクション」の形で問題提起していると読める。
小説としては桜宮ワールドである。このストーリーにはいくつかの軸が組み込まれ、相互に関わりながら、ダイナミックに状況が進行していく。
1.北海道の将軍速水が統轄する救命救急医療センターの緊急入院患者が死ぬ。その治療にあたった研修医大曽根富雄がコロナに感染する。速水自身にも感染が疑われる状態に。大曽根の症状悪化が、桜の宮の東城大学医学部付属病院につながり、速水も古巣に絡んでいく。
北海道では知事に判断を促し、独自に緊急事態宣言を道内に発出するに至る。
2.乗客定員3700人、乗組員約1000人の大型クルーズ船ダイヤモンド・ダスト号でコロナが発生する。当初の「災害派遣医療チーム」を主体にした対策活動に対し、本田大臣官房審議官が現地視察し、トンデモ発言で横槍を入れ現場を混乱させていく。本田審議官は泉谷首相補佐官との不倫が噂されていた。
混乱する現場に対し、厚労省技官・火喰い鳥の白鳥が黒幕になり、田口先生を表に出して、東城大学医学部付属病院の旧病棟を主体にコロナ感染者を受け入れてるシステムを構築させていく。勿論、そこには感染症研究で有名な蝦夷大学の名村教授が関与していく。ゾーニングを徹底して感染者を隔離し、治療態勢を構築していくプロセスが一つの読ませどころにもなる。
3.コロナ禍において安保宰三総理大臣と明菜首相夫人の二人三脚による「なかよし」政治の行動が描かれて行く。勿論そこには、パラレルにいくつかの問題が絡んでいく。桜宮理財局絡みで発生した「有朋学園事件」と「満開の桜を愛でる会」問題が燻り続けていた。また、東京五輪を何としても実施する姿勢を見せる。コロナ禍の進展状況下での首相と政府側関係者の思考と行動が描き込まれて行く。
4.パラレルに、政策集団・梁山泊の活動が加わっていく。フリーランサー病理医の彦根新吾が発案し、元浪速府知事でTVコメンテーターとなっている村雨弘毅が総帥となり、メンバーを集めた活動を描く。梁山泊は東京五輪阻止とコロナ問題をテーマにする。後に、時風新報の別宮葉子が梁山泊に加わる形で、有朋学園事件に絡み文書改竄問題で自殺した職員の問題が俎上に載っていく。
2020年前半の状況をとらえなおしてみる上で、おもしろい小説だ。このフィクションを介して、当時の社会状況の裏舞台、隠された側面を考える視点と材料がふんだんに盛り込まれているように思う。政府報道、大手マスコミ報道に韜晦されない視点づくりの一助になるのではないか。
10年後、この小説はどんな読まれ方をするのだろうか。ふと、そんなことも気になる。
ご一読ありがとうございます。
「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に読んだ印象記のリストです。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
=== 海堂 尊 作品 読後印象記一覧 === 2021.11.5 現在 17册