遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『決闘の辻 藤沢周平新剣客伝』  藤沢周平  講談社文庫

2021-11-10 10:25:46 | レビュー
 隠し剣シリーズの2册を読んだので、その続きとして剣客ものをもう一冊読んでみることにした。短編集で5つの短編を収録している。「小説現代」に各短編が昭和56年4月号~昭和60年5月号の期間に断続的に発表され、昭和60年(1985)7月に単行本が刊行された。1988年11月に文庫化されている。

 5つの短編が収録されていて、実在した剣客を軸に取り上げ、独自の着想のもとに史実の間隙に実在した人々の中に架空の人物を配してフィクションを紡ぎだしたのだろう。収録順に読後印象をまとめてみたい。

<二天の窟(あなぐら)(宮本武蔵)>
 武蔵は最晩年を熊本で過ごした。熊本城主細川忠俊に招かれ禄米300石で客分として遇されたという。忠俊が没した後も、熊本に留まり、岩殿山の窟にて『五輪書』を執筆することになる。この短編は、武蔵が構想を練りつつも執筆に踏み出す前のエピソードを語る。
 千葉城跡にある居宅と岩殿山を往復する間に、武蔵は己を窺い見る若者に気づく。若者は江戸から来た鉢谷助九郎と名乗る。立ち合う気がなかった武蔵は、ふと気が変わり木刀での立ち合いに応じた。だが、かろうじて引き分けの形をとることに。それは武蔵が己の衰えを自覚する契機となる。己の名声を崩すことなく、その若者と真剣で立ち合い、斬り捨てて江戸に返さない一計を案じる。無敵の己という輝きを最後まで保とうとする武蔵の心理と執念を浮彫にする短編になっている。

<死闘(神子上典膳)>
 一刀流を広めるために関東を回国する伊藤一刀斎景久には、天正18年ごろから、善鬼と神子上典膳という2人の弟子がいた。兄弟子の善鬼は身の丈六尺を超える巨漢である。師匠からもう習うものはない、師匠より上回ると自負する。一方、典膳は老境にさしかかった一刀斎と立ち合ってみて歯が立たなかった。そこで剣術を習うために自ら弟子入りした。一刀斎は、娼家から買い取った女・小衣を回国に同行させていた。善鬼は一刀流をつぐ者を証する一刀斎秘蔵の瓶割刀と小衣を己のものにしようと企んでいた。
 一刀斎は善鬼と典膳を真剣で戦わせ、勝者には瓶割刀をさずけ一刀流をつがせると言う。典膳と善鬼が死闘に至るまでの経緯が描かれ、その後の典膳の生き方に触れる。徳川家康と神子上典膳との関係ほかいくつかのエピソードが語られていておもしろい。
 典膳は天下に名だたる剣客だったようだ。

<夜明けの月影(柳生但馬守宗矩)>
 坂崎出羽守が火種となる騒動に対し、宗矩が老中土井利勝の求めに応じて意見を述べた。そのことが原因で、小関八十郎に逆恨みされ命を狙われる羽目になる経緯が描き出されていく。併せて、柳生家が徳川家の兵法指南役として幕臣になるまでの経緯が織り込まれる。小関の誤解も絡んでいるのだが、結局は宗矩が小関と決闘しなければならない状況に追い込まれることになる。そのプロセスがこのストーリーである。
 閣老協議の上で島原の乱の追討使として板倉内膳正重昌が派遣された事態に対して、宗矩が兵法者の視点で将軍家光に意見を述べたことが最後に触れられている。それは家光が晩年の宗矩を深く信頼するようになった契機だそうである。
 
<師弟剣(諸岡一羽斎と弟子たち)>
 香取の天真正伝神道流と塚原卜伝の興した新当流の刀術の流れをきわめたうえで、諸岡一羽斎は一羽流を生み出した。一羽斎には土子泥之助と岩間小熊という弟子がいた。そこに一羽斎の剣名を慕い下総から郷士の伜だと言う根岸兎角がやってきて一羽流を習うようになる。3人は頭角を現して行く。だが、江戸崎城の土岐家の滅亡は諸岡家の没落となって行く。一羽斎が老い、病いの床に臥すようになると、兎角はおまんさまを連れだし出奔した。1年たち、おまんさまは戻ってきた。兎角は江戸に出て道場を開き、流名を偽称し微塵流と名乗り数百人の弟子を取るようになっているという消息が伝わる。一羽斎が没した後、泥之助と小熊は、いずれかが一羽流を名乗り、兎角に対し怨みをはらしに行こうと言う。籤を引いて行く者を決めることになる。その後の顛末が綴られていく。
 一羽流を天下に知らしめたいという弟子の熱い思いが伝わる一面でやるせなさが残る結末でもある。
 
<飛ぶ猿(愛州移香斎)>
 住吉波四郎は子供の頃から、死んだ母に愛洲太郎左衛門という兵法者をこの世の仇敵と教えられて育った。波四郎の父は磯浜の漁師だったが、若い頃に鹿島の太刀を修行した高名な兵法者でもあった。愛洲に試合を挑まれ敗れたのだ。波四郎は愛洲を仮想敵として、剣技を磨き続ける。斬れると自信がついた時、愛洲の所在を求めて旅に出る。旅の途中で、中条判官満秀と名乗る武士と旅の道連れになる。その動機から結末に至るエピソードもおもしろい。波四郎は愛洲の所在を尋ねて旅を重ねる途中、愛洲の弟子・貝坂丹後と試合をし、父と愛洲の試合の話を聞かされる。その後、遂に愛洲に巡り合い、愛洲から直に父との試合の思い出話を直に聞くことになる。そして立ち合うに至るまでのプロセスが描かれる。この旅を通じて波四郎が意識転換を遂げていくところが興味深い。
 「顔を上げてかがやく初冬の光りを顔にうけながら、波四郎は長い旅がいま終わったのを感じた」でこの短編が締めくくられる。

 実在した剣客たちを見つめる視点が興味深い。
 ご一読ありがとうございます。

本書と関連する関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
宮本武蔵 :ウィキペディア
霊巌洞  :ウィキペディア
雲厳禅寺 :「ニッポン旅マガジン」
五輪書  :ウィキペディア
伊藤一刀斎 :「コトバンク」
小野忠明 :「コトバンク」
柳生宗矩 :ウィキペディア
坂崎直盛 :ウィキペディア
土井利勝 :ウィキペディア
諸岡一羽  :「コトバンク」
愛洲久忠  :ウィキペディア
愛洲移香  :「コトバンク」
中条流   :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
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『隠し剣秋風抄』  文春文庫
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