かなり以前に、大英博物館を数回訪れたことがある。その都度、所蔵品の膨大さに驚嘆した。古代エジプト、ギリシャについてはけっこう印象が記憶に残っているのだが、メソポタアミアについては、展示室を訪れていたはずなのに印象が相対的に薄い。そこで、このシリーズを電子版で見つけ、変則的だが、メソポタミア編から読んでみることにした。本書は2014年5月に刊行されている。
表紙の上部には「絶対に行きたい、世界の美術館、博物館」というキャッチフレーズが記されている。大英博物館は本当に機会があれば何度でも足を運び展示品の実物を自分の目で見たい博物館である。
分冊になっているためか、このメソポタミア編は56ページというボリュームなので、手軽に読めるというのが第一の特徴。
さらに、画像に付された説明文の文字が大きいので、電子版で読むという点では便利。
数度、訪れていながら、大英博物館の沿革を意識していなかった。本書の「はしがき」で初めて知った。「1753年に医師であり博物学者でもあるハンス・スローン卿(1660~1753)が、生涯を通して収集した遺品約8万点がイギリス国家に寄贈され、1759年から『すべての学究の徒、知識旺盛な人々』へと一般公開された」(p2)ことがそもそもの始まりだという。
本書によれば、大英博物館の収蔵品はおよそ800万点に及ぶとも言われているとか。まさに驚嘆するばかり。維持管理するだけでも大変だろうなと思う。
ティグリスとユーフラテスという2つの川に挟まれた地域に、メソポタミア文明が興った。地図を確認すると現在のイラク共和国のバグダッドがちょうど両河川が一番接近している地形地域に位置している。古代メソポタミア世界で繁栄したのはアッシリア帝国。
「大英博物館に所蔵されているアッシリアの展示品は、紀元前9~8世紀時代の王都カルフ、もしくは紀元前7世紀の王都ニネヴェのものが大半を占めている」(p4)そうである。
バグダッドの北にモスルという都市がある。その郊外がアッシリアの王都ニネヴェだった。19世紀半ば頃から、イギリス人の考古学者ヘンリー・レイヤードらが、この地の巨大な遺跡の発掘を始めたことの成果として、その事実が立証されたという。(p4)
56ページの本書には、23の作品が載っている。まず作品についての説明ページがあり、その次のページに作品の画像が載っている。電子版のページだてでは、見開きの右ページに解説文、ページを捲って次の見開きの左ページに画像となっている。読みやすさ、見やすさから言えば、見開きで左ページに説明文、右ページに画像という編成の方が便利だと思うのだが・・・・・。1ページを説明スペースとしているので、かなり空白が多い。画像が大きいのは利点である。
目次に記された23の作品名称を列挙してご紹介しよう。
1.庭園の中の猟犬係 2.黒いオベリスク 3.アッシュールナシバル2世の石碑
4.獅子像 5.アラブ軍の追跡 6.エジプト遠征 7.エラムとの闘争
8.戦利品の検閲 9.守護の精霊 10.ブラウ・モニュメント
10.バビロニアの世界地図 12.幾何学テキスト 13.ギリシャの学生の練習粘土板
14.エアンナトゥムの奉納板 15.グデアの像 16.女性像 17.男性像
18.女性像 19.杭形人形と煉瓦 20.彩文皿 21.牡牛石像
22.クセルクセスのアラバスター三言語銘文壺 23.牝の獅子に襲われた黒人
発掘品の絵や像もさることながら、「人類にとって最も価値があると言えるのは、アッシュールバニバル治世のニネヴェに紀元前7世紀後半から建設された王立図書館の大量の楔形文字粘土板文書だ。メソポタミアの知の伝承であり、文学・宗教書・科学書などの類いの学術書であるこれらの写本は、すべて楔形文字で書き記されている」(p5)という。そのこと自体が驚きである。
一方、「その王立図書館から出土された粘土板はすべて大英博物館に運ばれ、アッシリア学における重要な基礎となっている。ちなみにその粘土板の総数は2万2000個に及ぶと言われている」(p5)という説明を読むと、さらに輪をかけたお驚きが残る。だが、移されたことにより、破壊から免れるという側面がみられるのかもしれない。
わずか23作品だが、印象深い点をいくつか例示しておこう。
作品11「バビロニアの世界地図」の粘土板断片には、円盤状の地図が刻まれるとともに、楔形文字で記された部分が伝説を語っているという。
作品12「幾何学テキスト」は、数学を教える際の問題集の粘土版断片だそうで、かなり高度な教育を教え、受ける人々がいたことをしめしている。文明と称されるだけのことはあったのだ。
作品13「ギリシャの学生の練習粘土板」には、粘土板のオモテ面にはシュメール語とアッカド語が書かれ、裏面には同じ内容の呪文がギリシャ語で書かれているというのだから、これまた驚き。今風に言えば、当時既に国際化していたのだ。
作品14から作品18までの像は、古代エジプトの壁画や像にみられるように目が大きく造形されている。目を大きく表現すること自体にたぶん大きな意味があるのではないか、そんな気がする。目の表現の意味という課題が残った。
作品23「牝の獅子に襲われた黒人」は、フェニキア美術の最高傑作と称されるものらしい。一番リアル感を醸す浮彫作品である。時の隔たりを感じさせない作品だ。
メソポタミア文明の一端を感じ取れる一冊と言える。メソポタミア文明は他の文明圏と国際的な繋がりがあったのだろう。楔形文字の粘土板史料の解読、ロマンを感じてしまう。
ご一読ありがとうございます。
表紙の上部には「絶対に行きたい、世界の美術館、博物館」というキャッチフレーズが記されている。大英博物館は本当に機会があれば何度でも足を運び展示品の実物を自分の目で見たい博物館である。
分冊になっているためか、このメソポタミア編は56ページというボリュームなので、手軽に読めるというのが第一の特徴。
さらに、画像に付された説明文の文字が大きいので、電子版で読むという点では便利。
数度、訪れていながら、大英博物館の沿革を意識していなかった。本書の「はしがき」で初めて知った。「1753年に医師であり博物学者でもあるハンス・スローン卿(1660~1753)が、生涯を通して収集した遺品約8万点がイギリス国家に寄贈され、1759年から『すべての学究の徒、知識旺盛な人々』へと一般公開された」(p2)ことがそもそもの始まりだという。
本書によれば、大英博物館の収蔵品はおよそ800万点に及ぶとも言われているとか。まさに驚嘆するばかり。維持管理するだけでも大変だろうなと思う。
ティグリスとユーフラテスという2つの川に挟まれた地域に、メソポタミア文明が興った。地図を確認すると現在のイラク共和国のバグダッドがちょうど両河川が一番接近している地形地域に位置している。古代メソポタミア世界で繁栄したのはアッシリア帝国。
「大英博物館に所蔵されているアッシリアの展示品は、紀元前9~8世紀時代の王都カルフ、もしくは紀元前7世紀の王都ニネヴェのものが大半を占めている」(p4)そうである。
バグダッドの北にモスルという都市がある。その郊外がアッシリアの王都ニネヴェだった。19世紀半ば頃から、イギリス人の考古学者ヘンリー・レイヤードらが、この地の巨大な遺跡の発掘を始めたことの成果として、その事実が立証されたという。(p4)
56ページの本書には、23の作品が載っている。まず作品についての説明ページがあり、その次のページに作品の画像が載っている。電子版のページだてでは、見開きの右ページに解説文、ページを捲って次の見開きの左ページに画像となっている。読みやすさ、見やすさから言えば、見開きで左ページに説明文、右ページに画像という編成の方が便利だと思うのだが・・・・・。1ページを説明スペースとしているので、かなり空白が多い。画像が大きいのは利点である。
目次に記された23の作品名称を列挙してご紹介しよう。
1.庭園の中の猟犬係 2.黒いオベリスク 3.アッシュールナシバル2世の石碑
4.獅子像 5.アラブ軍の追跡 6.エジプト遠征 7.エラムとの闘争
8.戦利品の検閲 9.守護の精霊 10.ブラウ・モニュメント
10.バビロニアの世界地図 12.幾何学テキスト 13.ギリシャの学生の練習粘土板
14.エアンナトゥムの奉納板 15.グデアの像 16.女性像 17.男性像
18.女性像 19.杭形人形と煉瓦 20.彩文皿 21.牡牛石像
22.クセルクセスのアラバスター三言語銘文壺 23.牝の獅子に襲われた黒人
発掘品の絵や像もさることながら、「人類にとって最も価値があると言えるのは、アッシュールバニバル治世のニネヴェに紀元前7世紀後半から建設された王立図書館の大量の楔形文字粘土板文書だ。メソポタミアの知の伝承であり、文学・宗教書・科学書などの類いの学術書であるこれらの写本は、すべて楔形文字で書き記されている」(p5)という。そのこと自体が驚きである。
一方、「その王立図書館から出土された粘土板はすべて大英博物館に運ばれ、アッシリア学における重要な基礎となっている。ちなみにその粘土板の総数は2万2000個に及ぶと言われている」(p5)という説明を読むと、さらに輪をかけたお驚きが残る。だが、移されたことにより、破壊から免れるという側面がみられるのかもしれない。
わずか23作品だが、印象深い点をいくつか例示しておこう。
作品11「バビロニアの世界地図」の粘土板断片には、円盤状の地図が刻まれるとともに、楔形文字で記された部分が伝説を語っているという。
作品12「幾何学テキスト」は、数学を教える際の問題集の粘土版断片だそうで、かなり高度な教育を教え、受ける人々がいたことをしめしている。文明と称されるだけのことはあったのだ。
作品13「ギリシャの学生の練習粘土板」には、粘土板のオモテ面にはシュメール語とアッカド語が書かれ、裏面には同じ内容の呪文がギリシャ語で書かれているというのだから、これまた驚き。今風に言えば、当時既に国際化していたのだ。
作品14から作品18までの像は、古代エジプトの壁画や像にみられるように目が大きく造形されている。目を大きく表現すること自体にたぶん大きな意味があるのではないか、そんな気がする。目の表現の意味という課題が残った。
作品23「牝の獅子に襲われた黒人」は、フェニキア美術の最高傑作と称されるものらしい。一番リアル感を醸す浮彫作品である。時の隔たりを感じさせない作品だ。
メソポタミア文明の一端を感じ取れる一冊と言える。メソポタミア文明は他の文明圏と国際的な繋がりがあったのだろう。楔形文字の粘土板史料の解読、ロマンを感じてしまう。
ご一読ありがとうございます。