少し前に、藤森照信・山口晃共著『日本建築集中講義』(中公文庫)の読後印象を載せた。この本を読んで私は初めて、山口晃という画家を知った。同書の奥書で、著者が『ヘンな日本美術史』を出版しているということをさらに知った。このタイトルの「ヘンな」という修飾語にちょっと関心を抱くと共に、「日本美術史」という言葉にも関心を持ち、読んでみることにした。
この本、元は出版より数年前にカルチャーセンターにおいて「私見 にっぽんの古い絵」という題で講義した内容に追加してできたという。多分カルチャーセンターでの受講生は、既に山口晃という画家を知っている人々だったのだろう。
本書は、平成24年(2012)11月に出版されている。『ヘンな日本美術史』というタイトルは編集人の発案だという。『私見 にっぽんの古い絵』というタイトルそのままで本にするより、やはり惹きつけるというインパクトはある。さすが、本をビジネスとする編集人である。
「はじめに」において、著者がこの本のタイトルについて説明しているからおもしろい。
著者は、「日本美術史」というタイトルではなく、「ヘンな」が付いているから、「まあ、これなら一般的な所を勉強しようとしている人は手に取らぬだろうと判断し、そのままゆく事にしました。」(p3)と記す。その後に、「ヘンな日本美術史」というタイトルの読み取り方をp4で自己解説している。引用しておこう。
「中国や西洋から見て、現代人から見て『変わっている』日本美術。何故こんな風に描いたのか、どうやればこんな風に描けたのか『ふしぎ』な日本美術。『へんな日本美術・史』とみた場合はそういうことです。『ヘンな・日本美術史』とみた場合は、古い順に並べただけで『美術史』気取りとは、変わっているなあ、と云った所です。」
通読してみて、著者の自己解説はその通りだった。私は「ヘンな」の内容を知りたかった点と、日本美術史研究家が語るのではなく、画家が日本美術史をどう語るのかという興味があった。「日本美術史」を通史という観点で捕らえると、通史的には語られていないので、その点画家がどう語るかについては、ちょっと肩すかしをくった感じが残る。著者が関心を寄せて取り上げた絵師たちを古い順に並べているというのはその通りである。逆に私の興味を抱いてきた絵師たちが入っていたので、けっこう楽しめた。
読後印象はやはり「日本美術史」ではなくて、「日本美術」について、現代画家の視点からの私見開陳というウエイトが高い。画家の視点から、古い時代の日本美術の中に「変わっている」部分、「ふしぎな」部分が数多くあるという解説に、逆に気づかされたと言える。「目から鱗」という点がおもしろかった。
本書の構成と、そこで解説されている事項について、簡略にご紹介しよう。
<第1章 日本の古い絵-絵と絵師の幸せな関係>
[鳥獣戯画]、[白描画]、[一遍聖絵(絹本)]、[伊勢物語絵巻]、[伝源頼朝像]を取り上げている。
「私は『鳥獣戯画』があまり好きではありませんでした」(p12)という発言から語りが始まる。これ自体がヘンな感じでおもしろいではないか。そのすぐ後で「やはり達者な絵と云うのは見ていて気持ちのよいものです」(p13)と言う。画家の目からみた鳥獣戯画の甲乙丙丁の四巻の特徴と構成が指摘されていく。鳥獣戯画展は鑑賞に出かけたが、p22に著者が大雑把なまとめとして語るレベルまでは考えてもいなかったことに気づいた。ナルホド!である。
画家としての経験を通してここに取り上げられた作品が語られている。この点が絵を見る側の私の様な一般読者には、読ませどころとなっていく。
例えば、白描画については「黒」の重要性に読者の注意を喚起する。そして、「日本の絵と云うのは基本的に影をつけないこともあって、割と同系色の集りでメリハリがなく感じられる。そこに黒という『色であり、またその埒外であるもの』が入る事によって、微妙な色相対比が、豊かなニュアンスとして引き立つと云う作用が起こるのです」(p39,40)と。そこから、伊藤若冲の鶏冠だけ赤く塗り他は黒で描いた鶏図へ展開して行く。さらに黒絵に金泥をのせる技法に展開する。こんな具合の語りが本書では続いていく。
日本美術を語るために、その対比として西洋美術が引用されている。例えば、この第1章には、古代ローマ時代のプリニウスの書いた『博物誌』、13~14世紀ごろのジョットの壁画「聖フランチェスコの生涯」、マルセル・デュシャン(1887~1968)、ゲルハルト・リヒター(1932~)、ブリューゲル(1525~1569)、アンチボルド(1527~1593)、ホルバイン(1492~1543)、ブリューゲルの「バベルの塔」、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)、「白貂を抱く貴婦人」、フラ・アンジェリコ(1400頃~1455)が引き合いに出されてくる。
勿論、[伝源頼朝像]を語るときに、長谷川等伯の描いた肖像画などを引き合いに出している。日本美術の絵師同士の描法や思考についての対比もしていて、それぞれの長短、特徴などを考える材料になっている。こういう見方も私には興味深い。
<第2章 こっけつまろびつの画聖誕生-雪舟の冒険>
当時の王道である絵を描く技術を持っていながら、[破墨山水図]を描くという邪道に突き進んだ雪舟。こけつまろびつしながら、独自の水墨画の世界を築いた雪舟を、[秋冬山水図]、[慧可断臂図]、[増田兼堯像]、[天橋立図] を題材にして論じていく。
印象に残る説明を引用してみる。
*大雑把に言ってしまいますが、いわゆる中国的な山水画は、日本人の私から見るとクドい感じがします。 p86
*大もと、すなわち中国における、絵と現実の風景との関係を知らずに、絵の方だけを模写した結果、日本人は、それを予期せぬ方向に変容させてしまったのです。 p87
⇒雪舟は中国に渡って画を学んでいます。ほぼ実物として在る様を見た雪舟。 p89
*途中で一息つきながら「よいしょ」という感じで描いているのが、そのまま絵に表されている。その点からも非常に前のめりにこけつまろびつしている精神を感じます。p105
*雪舟の絵には、常に裏切る所があります。最初見た時は予想外に「つまらない」、けれども、よくよく見てゆくとこれまで無いものが不意に見えてくるのです。 p116
<第3章 絵の空間に入り込む-「洛中洛外図」>
「洛中洛外図」は京都の町を鳥瞰図の一つの形式で描いた風俗画である。それを二隻で一双の屏風として描き出す。ここでは、その代表として、[船木本]、[上杉本]、[高津本]の順で解説している。[船木本]はほぼ岩佐又兵衛の工房による作品と確定される方向にあるそうだ。この三者の屏風絵が対比的に分析されていておもしろい。
「洛中洛外図」はどこから見たものなのかが論じられていて、興味深い。「様々な縮尺の地図の集合体として、その境目を雲で上手くつなげているのです」(p149)にナルホド!
狩野永徳の描いた[上杉本] には、「あるような無いような遠近法がついています」(p154)とある。手許にある上杉本の図録の見方が一歩深まる学びになった。
<第4章 日本のヘンな絵-デッサンなんかクソくらえ>
[松姫物語絵巻]、[彦根屏風]、[岩佐又兵衛]、[円山応挙と伊藤若冲]、[光明本尊と六道絵-信仰のパワーの凄さ] が取り上げられている。
[松姫物語絵巻] と [光明本尊](正厳寺蔵)は本書で初めて見た気がする。著者はこの光明本尊を「見るからにファンキー」で、「私は鶯谷のグランドキャバレーを思い出します」と卑近な対比をしていておもしろい。仏の光背はイリュージョンであるとし、このイリュージョンについて説明を加えている。仏の像容の描き方には決まりがある。「締め付けられればられるほど、他の所で暴れたくなるのが絵描きの心情です。この光背の突飛な感じは、そのように作られていったのではないでしょうか」(p201)と。そして、この光背にはグラデーションになるような技巧が贅沢に尽くされている点を指摘している。
著者は現代人からすれば応挙の画論はデタラメに聞こえるが、「応挙作品を見ながらですと、『なる程、この辺りの事を言っているな』といちいち腑に落ちるのです。要は現代人とは異なる絵の作り方をしているのです。」(p197)
応挙の画論を知って彼の作品を見る。そんな視点は今までなかったことにも気づくことになった。
<第5章 やがてかなしき明治画壇-美術史なんかクソくらえ>
著者自身が大学で油画を学んだ頃の経験から語り始め、明治になり「西欧の真似ができなくても、真似をしてもバカにされる」という側面を語る。そこから「日本美術」はどのように生み出されたかに戻って行く。「美術」という言葉自体が明治に訳された言葉だという。
ここでは、江戸時代に生まれ、明治前期に活躍した河鍋暁斎、月岡芳年、川村清雄の作品を取り上げて論じている。河鍋暁斎の作品は展覧会で見たことがあり関心を持つている絵師の一人。後の二人はほとんど知らなかった。どこかでその作品と出会ってみたい。
著者は川村清雄について、「彼は西洋画の最初期の現地習得者であると同時に、日本で最初期の西洋画の破壊者でもあるのです」(p247)と位置づけている。
岡倉天心について、興味深い記述がある。最後にそれに触れておきたい。岡倉天心は東京美術学校の設立に深く関わるとともに、海外に日本美術を広く紹介した。
岡倉天心は西洋から「バカにされる」事に対処する姿勢として、洋行の際には「英語が不自由無くできるなら和装で」と述べたとか。天心は「西洋美術の向こうを張った、多分に対外的な『日本美術』を打ち出した」(p216)のだと著者は言う。
「日本美術史」という言葉に拘らず、各章のテーマ毎に読んでいけば、「ヘンな」というよりも、画家の経験を踏まえてそんな見方ができるのか・・・・と楽しめる本だ。
表紙の上辺中央に、著者の自画像(略画)が描かれていておもしろい。この自画像、冒頭に記した『日本建築集中講義』にもバリエーションが沢山載っていた。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、ネット検索で得た情報を一部部分だが一覧にしておきたい。
鳥獣戯画 公式ホームページ 高山寺
白描の美-図像・歌仙・物語- :「大和文華館」
一遍聖絵 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
伊勢物語絵巻 デジタルミュージアム :「和泉市久保惣記念美術館」
伝源頼朝像 :「京都国立博物館」
破墨山水図 :「東京国立博物館」
秋冬山水図 :「東京国立博物館」
慧可断臂図 :「京都国立博物館」
紙本著色益田兼尭像〈雪舟ノ印アリ/〉 :「文化遺産オンライン」
天橋立図 :「京都国立博物館」
洛中洛外図 :「京都国立博物館」
洛中洛外図屏風(船木本) :「e國寶」
洛中洛外図屏風(上杉本) :「綴 TSUZURI 文化財未来継承プロジェクト」
松姫物語 :「東洋大学」
風俗図(彦根屏風) :「彦根城博物館」
岩佐又兵衛 :「美術手帖」
大乗寺円山派デジタルミュージアム ホームページ
伊藤若冲とは?奇想の絵師の代表作品と人生の解説、展覧会情報まとめ :「warakuweb」
絹本著色光明本尊 :「福山市」
河鍋暁斎 :ウィキペディア
河鍋暁斎記念美術館 home facebook
月岡芳年 :ウィキペディア
川村清雄 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『日本建築集中講義』 藤森照信・山口 晃 中公文庫
この本、元は出版より数年前にカルチャーセンターにおいて「私見 にっぽんの古い絵」という題で講義した内容に追加してできたという。多分カルチャーセンターでの受講生は、既に山口晃という画家を知っている人々だったのだろう。
本書は、平成24年(2012)11月に出版されている。『ヘンな日本美術史』というタイトルは編集人の発案だという。『私見 にっぽんの古い絵』というタイトルそのままで本にするより、やはり惹きつけるというインパクトはある。さすが、本をビジネスとする編集人である。
「はじめに」において、著者がこの本のタイトルについて説明しているからおもしろい。
著者は、「日本美術史」というタイトルではなく、「ヘンな」が付いているから、「まあ、これなら一般的な所を勉強しようとしている人は手に取らぬだろうと判断し、そのままゆく事にしました。」(p3)と記す。その後に、「ヘンな日本美術史」というタイトルの読み取り方をp4で自己解説している。引用しておこう。
「中国や西洋から見て、現代人から見て『変わっている』日本美術。何故こんな風に描いたのか、どうやればこんな風に描けたのか『ふしぎ』な日本美術。『へんな日本美術・史』とみた場合はそういうことです。『ヘンな・日本美術史』とみた場合は、古い順に並べただけで『美術史』気取りとは、変わっているなあ、と云った所です。」
通読してみて、著者の自己解説はその通りだった。私は「ヘンな」の内容を知りたかった点と、日本美術史研究家が語るのではなく、画家が日本美術史をどう語るのかという興味があった。「日本美術史」を通史という観点で捕らえると、通史的には語られていないので、その点画家がどう語るかについては、ちょっと肩すかしをくった感じが残る。著者が関心を寄せて取り上げた絵師たちを古い順に並べているというのはその通りである。逆に私の興味を抱いてきた絵師たちが入っていたので、けっこう楽しめた。
読後印象はやはり「日本美術史」ではなくて、「日本美術」について、現代画家の視点からの私見開陳というウエイトが高い。画家の視点から、古い時代の日本美術の中に「変わっている」部分、「ふしぎな」部分が数多くあるという解説に、逆に気づかされたと言える。「目から鱗」という点がおもしろかった。
本書の構成と、そこで解説されている事項について、簡略にご紹介しよう。
<第1章 日本の古い絵-絵と絵師の幸せな関係>
[鳥獣戯画]、[白描画]、[一遍聖絵(絹本)]、[伊勢物語絵巻]、[伝源頼朝像]を取り上げている。
「私は『鳥獣戯画』があまり好きではありませんでした」(p12)という発言から語りが始まる。これ自体がヘンな感じでおもしろいではないか。そのすぐ後で「やはり達者な絵と云うのは見ていて気持ちのよいものです」(p13)と言う。画家の目からみた鳥獣戯画の甲乙丙丁の四巻の特徴と構成が指摘されていく。鳥獣戯画展は鑑賞に出かけたが、p22に著者が大雑把なまとめとして語るレベルまでは考えてもいなかったことに気づいた。ナルホド!である。
画家としての経験を通してここに取り上げられた作品が語られている。この点が絵を見る側の私の様な一般読者には、読ませどころとなっていく。
例えば、白描画については「黒」の重要性に読者の注意を喚起する。そして、「日本の絵と云うのは基本的に影をつけないこともあって、割と同系色の集りでメリハリがなく感じられる。そこに黒という『色であり、またその埒外であるもの』が入る事によって、微妙な色相対比が、豊かなニュアンスとして引き立つと云う作用が起こるのです」(p39,40)と。そこから、伊藤若冲の鶏冠だけ赤く塗り他は黒で描いた鶏図へ展開して行く。さらに黒絵に金泥をのせる技法に展開する。こんな具合の語りが本書では続いていく。
日本美術を語るために、その対比として西洋美術が引用されている。例えば、この第1章には、古代ローマ時代のプリニウスの書いた『博物誌』、13~14世紀ごろのジョットの壁画「聖フランチェスコの生涯」、マルセル・デュシャン(1887~1968)、ゲルハルト・リヒター(1932~)、ブリューゲル(1525~1569)、アンチボルド(1527~1593)、ホルバイン(1492~1543)、ブリューゲルの「バベルの塔」、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)、「白貂を抱く貴婦人」、フラ・アンジェリコ(1400頃~1455)が引き合いに出されてくる。
勿論、[伝源頼朝像]を語るときに、長谷川等伯の描いた肖像画などを引き合いに出している。日本美術の絵師同士の描法や思考についての対比もしていて、それぞれの長短、特徴などを考える材料になっている。こういう見方も私には興味深い。
<第2章 こっけつまろびつの画聖誕生-雪舟の冒険>
当時の王道である絵を描く技術を持っていながら、[破墨山水図]を描くという邪道に突き進んだ雪舟。こけつまろびつしながら、独自の水墨画の世界を築いた雪舟を、[秋冬山水図]、[慧可断臂図]、[増田兼堯像]、[天橋立図] を題材にして論じていく。
印象に残る説明を引用してみる。
*大雑把に言ってしまいますが、いわゆる中国的な山水画は、日本人の私から見るとクドい感じがします。 p86
*大もと、すなわち中国における、絵と現実の風景との関係を知らずに、絵の方だけを模写した結果、日本人は、それを予期せぬ方向に変容させてしまったのです。 p87
⇒雪舟は中国に渡って画を学んでいます。ほぼ実物として在る様を見た雪舟。 p89
*途中で一息つきながら「よいしょ」という感じで描いているのが、そのまま絵に表されている。その点からも非常に前のめりにこけつまろびつしている精神を感じます。p105
*雪舟の絵には、常に裏切る所があります。最初見た時は予想外に「つまらない」、けれども、よくよく見てゆくとこれまで無いものが不意に見えてくるのです。 p116
<第3章 絵の空間に入り込む-「洛中洛外図」>
「洛中洛外図」は京都の町を鳥瞰図の一つの形式で描いた風俗画である。それを二隻で一双の屏風として描き出す。ここでは、その代表として、[船木本]、[上杉本]、[高津本]の順で解説している。[船木本]はほぼ岩佐又兵衛の工房による作品と確定される方向にあるそうだ。この三者の屏風絵が対比的に分析されていておもしろい。
「洛中洛外図」はどこから見たものなのかが論じられていて、興味深い。「様々な縮尺の地図の集合体として、その境目を雲で上手くつなげているのです」(p149)にナルホド!
狩野永徳の描いた[上杉本] には、「あるような無いような遠近法がついています」(p154)とある。手許にある上杉本の図録の見方が一歩深まる学びになった。
<第4章 日本のヘンな絵-デッサンなんかクソくらえ>
[松姫物語絵巻]、[彦根屏風]、[岩佐又兵衛]、[円山応挙と伊藤若冲]、[光明本尊と六道絵-信仰のパワーの凄さ] が取り上げられている。
[松姫物語絵巻] と [光明本尊](正厳寺蔵)は本書で初めて見た気がする。著者はこの光明本尊を「見るからにファンキー」で、「私は鶯谷のグランドキャバレーを思い出します」と卑近な対比をしていておもしろい。仏の光背はイリュージョンであるとし、このイリュージョンについて説明を加えている。仏の像容の描き方には決まりがある。「締め付けられればられるほど、他の所で暴れたくなるのが絵描きの心情です。この光背の突飛な感じは、そのように作られていったのではないでしょうか」(p201)と。そして、この光背にはグラデーションになるような技巧が贅沢に尽くされている点を指摘している。
著者は現代人からすれば応挙の画論はデタラメに聞こえるが、「応挙作品を見ながらですと、『なる程、この辺りの事を言っているな』といちいち腑に落ちるのです。要は現代人とは異なる絵の作り方をしているのです。」(p197)
応挙の画論を知って彼の作品を見る。そんな視点は今までなかったことにも気づくことになった。
<第5章 やがてかなしき明治画壇-美術史なんかクソくらえ>
著者自身が大学で油画を学んだ頃の経験から語り始め、明治になり「西欧の真似ができなくても、真似をしてもバカにされる」という側面を語る。そこから「日本美術」はどのように生み出されたかに戻って行く。「美術」という言葉自体が明治に訳された言葉だという。
ここでは、江戸時代に生まれ、明治前期に活躍した河鍋暁斎、月岡芳年、川村清雄の作品を取り上げて論じている。河鍋暁斎の作品は展覧会で見たことがあり関心を持つている絵師の一人。後の二人はほとんど知らなかった。どこかでその作品と出会ってみたい。
著者は川村清雄について、「彼は西洋画の最初期の現地習得者であると同時に、日本で最初期の西洋画の破壊者でもあるのです」(p247)と位置づけている。
岡倉天心について、興味深い記述がある。最後にそれに触れておきたい。岡倉天心は東京美術学校の設立に深く関わるとともに、海外に日本美術を広く紹介した。
岡倉天心は西洋から「バカにされる」事に対処する姿勢として、洋行の際には「英語が不自由無くできるなら和装で」と述べたとか。天心は「西洋美術の向こうを張った、多分に対外的な『日本美術』を打ち出した」(p216)のだと著者は言う。
「日本美術史」という言葉に拘らず、各章のテーマ毎に読んでいけば、「ヘンな」というよりも、画家の経験を踏まえてそんな見方ができるのか・・・・と楽しめる本だ。
表紙の上辺中央に、著者の自画像(略画)が描かれていておもしろい。この自画像、冒頭に記した『日本建築集中講義』にもバリエーションが沢山載っていた。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、ネット検索で得た情報を一部部分だが一覧にしておきたい。
鳥獣戯画 公式ホームページ 高山寺
白描の美-図像・歌仙・物語- :「大和文華館」
一遍聖絵 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
伊勢物語絵巻 デジタルミュージアム :「和泉市久保惣記念美術館」
伝源頼朝像 :「京都国立博物館」
破墨山水図 :「東京国立博物館」
秋冬山水図 :「東京国立博物館」
慧可断臂図 :「京都国立博物館」
紙本著色益田兼尭像〈雪舟ノ印アリ/〉 :「文化遺産オンライン」
天橋立図 :「京都国立博物館」
洛中洛外図 :「京都国立博物館」
洛中洛外図屏風(船木本) :「e國寶」
洛中洛外図屏風(上杉本) :「綴 TSUZURI 文化財未来継承プロジェクト」
松姫物語 :「東洋大学」
風俗図(彦根屏風) :「彦根城博物館」
岩佐又兵衛 :「美術手帖」
大乗寺円山派デジタルミュージアム ホームページ
伊藤若冲とは?奇想の絵師の代表作品と人生の解説、展覧会情報まとめ :「warakuweb」
絹本著色光明本尊 :「福山市」
河鍋暁斎 :ウィキペディア
河鍋暁斎記念美術館 home facebook
月岡芳年 :ウィキペディア
川村清雄 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『日本建築集中講義』 藤森照信・山口 晃 中公文庫
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます