ウィキペディアの「濱嘉之」を参照すると、2007年に著者が作家としてデビューする作品が警視庁情報官だという。情報捜査官はその後シリーズ化され、2019年の『ノースブリザード』まで続いている。それに対し、本作は2009年9月に新潮社より刊行された。加筆、修正の上、2013年1月に講談社文庫になっている。単発の作品にとどまる。
特別捜査官・藤江がシリーズ化されていない理由は定かではない。IT機器を駆使するという捜査環境の前提がほぼ共通基盤となることや位置づけとして、警視庁内における組織という視点では重複するという見方も有り得る。情報捜査官とパラレルにシリーズ化するのは、フィクションとはいえ合理性に欠けるからだろうか。あるいは一方に集中しないと有意差のあるテーマ設定が難しくなり、シリーズ化を難しくするのか。主人公である特別捜査官・藤江のキャラクターをセックス面で大らかな人物という設定にしたことで、シリーズ化しづらくしたのかとも邪推した。なにせ、直属の部下となる警察官との性的敷居をさらりと飛び越えていく行動をとれるキャラクター設定の側面がある。この点、フィクションとして楽しませてくれる設定ではあるのだが・・・・。
あるパーティで藤江康央の直近の履歴が披露される場面から始まって行く。藤江は3年間、在韓日本大使館一等書記官を務め、『平成のシンドラー』と呼ばれるという。在日韓国人の間で評価されている最大の理由は、「北朝鮮による韓国人拉致被害者や脱北者の救出と、北朝鮮のスーパーノートと呼ばれる偽札、さらには北朝鮮からの覚せい剤密輸の摘発を日本人として韓国で積極的に行ってきたからだ」(p10)
そんな背景を持つ藤江が、在外公務館勤務明けで、一旦異動待機中となる。警察庁警視正として赴任する先が警視庁刑事部捜査第一課に決まるが、そこに新たなポストが生み出される。「捜査第一課特別捜査官」つまり抜擢人事でのスタートとなる
捜査における縦割りの現状を危惧した警視総監・石川純一郎が新たな組織を設置しようとする。「複合事件捜査」と表現できる、他部門との合同捜査を一本化するような捜査組織をイメージしたのだ。それが捜査第一課「特別捜査室」の設置である。その室長に藤江が異動する。
新組織づくりの人選から藤江の仕事がはじまる。藤江は警視庁公安部に籍を置く現場の先輩倉田の協力と助言を得る。この新組織はIT情報処理等の最新設備を具えることになる。情報処理においては全員が指導員以上の能力を持つ捜査員というのが大前提とされる。それは一要件だからすごい組織といえる。特別捜査室は総勢73人の規模で発足する。
特別捜査室の情報分析担当のトップには、国家公務員Ⅱ種採用の女性警部、大谷久美子が抜擢された。組織が発足したまなしから、藤江はこの大谷久美子とさらりと男女の関係に入って行く。藤江のプライベートな側面が、ストーリーにおもしろみを加えている。
藤江を室長とする特別捜査室の初仕事になる事件がこのストーリーなのだ。
衣料部門から始まり、プライベートブランドを積極的に導入している日美商会は、新たな事業として化粧品産業の店舗展開をしている。その展開を担っているのが専務取締役の重田孝蔵、37歳。孝蔵は代表取締役社長重田祐介の一人娘・明子と結婚し養子となった。
会社に居る重田孝蔵に、息子の悠斗を誘拐した。身代金は新券なしで2億円、明日の正午までに用意しろという電話が入る。午後1時ちょうどに着信し30秒間の電話だった。まずは、家族内のパニック描写から始まる。誘拐事件は時間との勝負。4章から第8章には八月○日**:**というタイム表示が小見出し的に出てくる。
孝蔵は実の兄で医師の憲蔵に相談する。兄嫁の弟・大前哲哉が警察官僚だったからだ。憲蔵から相談を受けた大前は、その場に一緒にいたジャパンテレビ報道局長・加藤の助言で捜査第一課の特殊班の存在を知る。大前は重田孝蔵に警察への連絡方法について助言した。孝蔵が警察に連絡を入れると、その電話は特別捜査室に繋がれる結果となる。特別捜査室の受信が21:22だった。直ちに、誘拐事件の捜査体制が迅速に始動する。
この誘拐事件ストーリーには興味深いところが幾つかある。
1.これは一事例だが、誘拐事件の捜査体制がどのような形で進展するのか。そのイメージが生まれていくこと。次の重要ポイントが会話として書き込まれている。
「少年の誘拐事件となると、これまでのデータから見て一週間以内で解決しなければ、被害者の生命身体の安全を確保することは困難です。」(p115)
2.米沢管理官がまず誘拐事件の身代金要求が、個人宅の電話ではなくて、会社の孝蔵の役員室の電話にかけられた点に疑念を抱く。それを踏まえ、藤江はマクロな視点から誘拐犯人側の背景と動きについてシナリオを想定し、捜査の全体指揮をとっていく。この点が興味津々となる。
藤江は誘拐犯との電話のやり取りと捜査情報の中から、気づいた点を論理的に突き詰めて行く。誘拐犯の真の目的は何か、犯人の推定シナリオを想定し、その対応策を考えて行く。この藤江の思考プロセスと手の打ち方が一つの読ませどころになっている。
これは単なる少年誘拐事件ではない。その背後には誘拐をトリガーにした何か大きな狙い、意図が隠されているのではないか。想定シナリオは二転三転していくが、それが事件解決への対応をダイナミックにしていく。
藤江の読みが事件解決への大きなインパクトになっていくところがおもしろい。
3.捜査体制を支える基盤は新世代の科学捜査である、IT技術や映像技術を含めた最先端科学技術を如何に捜査に組み入れるか。その駆使が描き込まれている。
本書で描かれる科学捜査の側面に出てくる技術や方法の名称を参考に列挙してみよう。
空想科学小説ではないので、フィクションがあっても現実に利用可能な科学技術レベルで記されていると推測する。
警視庁通信指令本部の特殊チャンネル回線、FAX送信、特殊携帯電話、写真データ送信
監視カメラ画像の分析、テープ録音の音声分析、防犯カメラ画像の分析
パスモ、スイカなど入退場データの分析、Nシステムの画像データ分析
捜査支援用画像解析システム、データベースマップ・システム(衛星写真を基本に) 音声が肉声かどうかの分析並びに音声のバックにある雑音の分析、声紋鑑定
人工衛星から撮った写真情報、捜一の情報管理システム、特定地域の監視衛星の画像
逆探知、携帯電話に取り付ける音声発信器、超小型GPS発信器、隠しカメラの画像
通信傍受、広角カメラからの転送画像のデータ化と分析、超小型高感度盗聴用具
大凡、これらのものが科学捜査の手段として登場する。じつに興味深い。
4.フィクションではあるが、この特別捜査室の組織体制そのものと、効率的な科学捜査をベースに「複合事件捜査」を推進するという機動性に特徴がある。記述された諸点を抜き出してみよう。
*藤江は、警部以下の選考基準に捜査実務の経験、基礎能力、捜査センス、情報処理、
語学能力の諸点を考慮に入れた。
*少なくとも、情報分析担当、画像分析担当、事件担当という分掌がある。
*事件担当者には、特別体制と突発態勢が組み込まれている。
特別体制は、4人1組で12日に一度の宿直体制に入る
突発態勢は、週毎に事件担当係長を中心に一個班8人で臨戦態勢を組む。
*管理官、係長の体制は捜査一課等と同じである。
このストーリーの魅力は、やはりまず藤江の存在だろう。然るべき部署に必要とする情報を入手可能にする人脈を持つ。自ら画像処理技術を得意分野の一つとする。幅広い視野から思考する力を身につけている。事件の筋読みとその対策思考に優れている。語学力にも秀でているようである。
最後に、「複合事件捜査」という側面で少しだけ触れておこう。科学捜査による情報の集積から、ヤクザが絡んでいることが見えてくる。つまり、組織犯罪対策部がらみの事件の様相が表れる。捜査一課と組対部という、正に複合事件という方向が見える。藤江はSITやSATの出動要請を事件解決の対策に組む想定もすることに・・・・。
なぜ、ヤクザが誘拐事件に絡むのか。そこには、意外な構図が潜んでいた。
読者にとっては、ストーリー展開を楽しめる視点と要素がいくつも盛り込まれいる作品になっていると思う。
ご一読ありがとうございます。
こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『ヒトイチ 内部告発 警視庁人事一課監察係』 講談社文庫
『ヒトイチ 画像解析 警視庁人事一課監察係』 講談社文庫
『ヒトイチ 警視庁人事一課監察係』 講談社文庫
『警視庁情報官 ノースブリザード』 講談社文庫
『院内刑事 ブラックメディスン』 講談社+α文庫
『院内刑事』 講談社+α文庫
===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2021.9.14現在 1版 21冊
特別捜査官・藤江がシリーズ化されていない理由は定かではない。IT機器を駆使するという捜査環境の前提がほぼ共通基盤となることや位置づけとして、警視庁内における組織という視点では重複するという見方も有り得る。情報捜査官とパラレルにシリーズ化するのは、フィクションとはいえ合理性に欠けるからだろうか。あるいは一方に集中しないと有意差のあるテーマ設定が難しくなり、シリーズ化を難しくするのか。主人公である特別捜査官・藤江のキャラクターをセックス面で大らかな人物という設定にしたことで、シリーズ化しづらくしたのかとも邪推した。なにせ、直属の部下となる警察官との性的敷居をさらりと飛び越えていく行動をとれるキャラクター設定の側面がある。この点、フィクションとして楽しませてくれる設定ではあるのだが・・・・。
あるパーティで藤江康央の直近の履歴が披露される場面から始まって行く。藤江は3年間、在韓日本大使館一等書記官を務め、『平成のシンドラー』と呼ばれるという。在日韓国人の間で評価されている最大の理由は、「北朝鮮による韓国人拉致被害者や脱北者の救出と、北朝鮮のスーパーノートと呼ばれる偽札、さらには北朝鮮からの覚せい剤密輸の摘発を日本人として韓国で積極的に行ってきたからだ」(p10)
そんな背景を持つ藤江が、在外公務館勤務明けで、一旦異動待機中となる。警察庁警視正として赴任する先が警視庁刑事部捜査第一課に決まるが、そこに新たなポストが生み出される。「捜査第一課特別捜査官」つまり抜擢人事でのスタートとなる
捜査における縦割りの現状を危惧した警視総監・石川純一郎が新たな組織を設置しようとする。「複合事件捜査」と表現できる、他部門との合同捜査を一本化するような捜査組織をイメージしたのだ。それが捜査第一課「特別捜査室」の設置である。その室長に藤江が異動する。
新組織づくりの人選から藤江の仕事がはじまる。藤江は警視庁公安部に籍を置く現場の先輩倉田の協力と助言を得る。この新組織はIT情報処理等の最新設備を具えることになる。情報処理においては全員が指導員以上の能力を持つ捜査員というのが大前提とされる。それは一要件だからすごい組織といえる。特別捜査室は総勢73人の規模で発足する。
特別捜査室の情報分析担当のトップには、国家公務員Ⅱ種採用の女性警部、大谷久美子が抜擢された。組織が発足したまなしから、藤江はこの大谷久美子とさらりと男女の関係に入って行く。藤江のプライベートな側面が、ストーリーにおもしろみを加えている。
藤江を室長とする特別捜査室の初仕事になる事件がこのストーリーなのだ。
衣料部門から始まり、プライベートブランドを積極的に導入している日美商会は、新たな事業として化粧品産業の店舗展開をしている。その展開を担っているのが専務取締役の重田孝蔵、37歳。孝蔵は代表取締役社長重田祐介の一人娘・明子と結婚し養子となった。
会社に居る重田孝蔵に、息子の悠斗を誘拐した。身代金は新券なしで2億円、明日の正午までに用意しろという電話が入る。午後1時ちょうどに着信し30秒間の電話だった。まずは、家族内のパニック描写から始まる。誘拐事件は時間との勝負。4章から第8章には八月○日**:**というタイム表示が小見出し的に出てくる。
孝蔵は実の兄で医師の憲蔵に相談する。兄嫁の弟・大前哲哉が警察官僚だったからだ。憲蔵から相談を受けた大前は、その場に一緒にいたジャパンテレビ報道局長・加藤の助言で捜査第一課の特殊班の存在を知る。大前は重田孝蔵に警察への連絡方法について助言した。孝蔵が警察に連絡を入れると、その電話は特別捜査室に繋がれる結果となる。特別捜査室の受信が21:22だった。直ちに、誘拐事件の捜査体制が迅速に始動する。
この誘拐事件ストーリーには興味深いところが幾つかある。
1.これは一事例だが、誘拐事件の捜査体制がどのような形で進展するのか。そのイメージが生まれていくこと。次の重要ポイントが会話として書き込まれている。
「少年の誘拐事件となると、これまでのデータから見て一週間以内で解決しなければ、被害者の生命身体の安全を確保することは困難です。」(p115)
2.米沢管理官がまず誘拐事件の身代金要求が、個人宅の電話ではなくて、会社の孝蔵の役員室の電話にかけられた点に疑念を抱く。それを踏まえ、藤江はマクロな視点から誘拐犯人側の背景と動きについてシナリオを想定し、捜査の全体指揮をとっていく。この点が興味津々となる。
藤江は誘拐犯との電話のやり取りと捜査情報の中から、気づいた点を論理的に突き詰めて行く。誘拐犯の真の目的は何か、犯人の推定シナリオを想定し、その対応策を考えて行く。この藤江の思考プロセスと手の打ち方が一つの読ませどころになっている。
これは単なる少年誘拐事件ではない。その背後には誘拐をトリガーにした何か大きな狙い、意図が隠されているのではないか。想定シナリオは二転三転していくが、それが事件解決への対応をダイナミックにしていく。
藤江の読みが事件解決への大きなインパクトになっていくところがおもしろい。
3.捜査体制を支える基盤は新世代の科学捜査である、IT技術や映像技術を含めた最先端科学技術を如何に捜査に組み入れるか。その駆使が描き込まれている。
本書で描かれる科学捜査の側面に出てくる技術や方法の名称を参考に列挙してみよう。
空想科学小説ではないので、フィクションがあっても現実に利用可能な科学技術レベルで記されていると推測する。
警視庁通信指令本部の特殊チャンネル回線、FAX送信、特殊携帯電話、写真データ送信
監視カメラ画像の分析、テープ録音の音声分析、防犯カメラ画像の分析
パスモ、スイカなど入退場データの分析、Nシステムの画像データ分析
捜査支援用画像解析システム、データベースマップ・システム(衛星写真を基本に) 音声が肉声かどうかの分析並びに音声のバックにある雑音の分析、声紋鑑定
人工衛星から撮った写真情報、捜一の情報管理システム、特定地域の監視衛星の画像
逆探知、携帯電話に取り付ける音声発信器、超小型GPS発信器、隠しカメラの画像
通信傍受、広角カメラからの転送画像のデータ化と分析、超小型高感度盗聴用具
大凡、これらのものが科学捜査の手段として登場する。じつに興味深い。
4.フィクションではあるが、この特別捜査室の組織体制そのものと、効率的な科学捜査をベースに「複合事件捜査」を推進するという機動性に特徴がある。記述された諸点を抜き出してみよう。
*藤江は、警部以下の選考基準に捜査実務の経験、基礎能力、捜査センス、情報処理、
語学能力の諸点を考慮に入れた。
*少なくとも、情報分析担当、画像分析担当、事件担当という分掌がある。
*事件担当者には、特別体制と突発態勢が組み込まれている。
特別体制は、4人1組で12日に一度の宿直体制に入る
突発態勢は、週毎に事件担当係長を中心に一個班8人で臨戦態勢を組む。
*管理官、係長の体制は捜査一課等と同じである。
このストーリーの魅力は、やはりまず藤江の存在だろう。然るべき部署に必要とする情報を入手可能にする人脈を持つ。自ら画像処理技術を得意分野の一つとする。幅広い視野から思考する力を身につけている。事件の筋読みとその対策思考に優れている。語学力にも秀でているようである。
最後に、「複合事件捜査」という側面で少しだけ触れておこう。科学捜査による情報の集積から、ヤクザが絡んでいることが見えてくる。つまり、組織犯罪対策部がらみの事件の様相が表れる。捜査一課と組対部という、正に複合事件という方向が見える。藤江はSITやSATの出動要請を事件解決の対策に組む想定もすることに・・・・。
なぜ、ヤクザが誘拐事件に絡むのか。そこには、意外な構図が潜んでいた。
読者にとっては、ストーリー展開を楽しめる視点と要素がいくつも盛り込まれいる作品になっていると思う。
ご一読ありがとうございます。
こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『ヒトイチ 内部告発 警視庁人事一課監察係』 講談社文庫
『ヒトイチ 画像解析 警視庁人事一課監察係』 講談社文庫
『ヒトイチ 警視庁人事一課監察係』 講談社文庫
『警視庁情報官 ノースブリザード』 講談社文庫
『院内刑事 ブラックメディスン』 講談社+α文庫
『院内刑事』 講談社+α文庫
===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2021.9.14現在 1版 21冊
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