表紙の大首絵を見るなり、この作品の役者名を知らなくても、写楽の絵を連想する。
「とんちき」というタイトルがおもしろい。私にはその感じがわかるだけで、関西で育った日常生活ではなじみのうすい言葉のように思う。そこに「耕書堂」と「青春譜」という言葉の組み合わせ。「耕書堂」は版元蔦屋重三郎の経営する店の号。「青春譜」という言葉は誰かの青春時代の行動譚をイメージさせる。これらの絵と言葉の連なりだけで既に私にはちょっとアトラアクティブだった。
写楽とは東洲斎写楽のこと。本書の奥書から、表紙のこの大首絵が「谷村虎蔵の鷲塚八平次」とわかる。読後に調べてみると、東京国立博物館の所蔵にあり重要文化財に指定されている。だが一点違いがある。表紙絵は谷村虎蔵の頭頂部、さかやきが青色に摺られている。「e國寶」で公開されている作品に青色はない。版摺り時期での変化だろうか。
それはさておき、これは「江戸三座役者似顔絵」のうちの一つだという。そして、「江戸三座役者似顔絵」と称する大判錦絵の方に「東洲斎写楽は、寛政6年(1794)5月から翌年1月までのわずか10ヶ月の間(途中閏月がある)に140点を超える版画作品を残して忽然と姿を消した。すべての作品が版元蔦屋重三郎から出版されているが、師弟関係などが無く、謎の絵師とされている。」と簡潔な説明が記されている。このことは、この小説の時期設定に関係していく。
「とんちき」という言葉を『新明解国語辞典』(三省堂)で引くと載っている。
”[「とん」は、とんまの意。「ちき」は、「いんちき」「らんちき」と同義の接辞]「気のきかないまぬけ」の口頭語的表現。「この--め」”と説明されている。
「耕書堂」をネット検索して、東京都中央区日本橋大伝馬町13に、「蔦屋重三郎耕書堂跡」の案内板が中央区教育委員会により設置されているという記事を見つけた。写真とグーグルの地図も載っているので、ああこのあたりに登場人物たちが屯していた耕書堂があったのか・・・・・・と具体的に重ねることができて興味が増す。本書では「通油町(とおりあぶらちょう)にある耕書堂」として登場する。
この小説に出てくる主な登場人物を列挙してみよう。
蔦屋重三郎 地本問屋・耕書堂の主。喜多川歌麿を浮世絵師として売り出した。
出版についての名プロデューサーである。幕府の倹約政策に批判的。
このストーリーでは、歌麿との確執が底流の話となっていく。
喜多川歌麿 要所要所で登場。蔦屋と縁を切ろうという方向を選択する。
江戸で絵師として絶頂期にあり別の版元の費用持ちで吉原に居続ける。
耕書堂から大首絵が売り出された時の歌麿の思いと行動が興味深い。
山東京伝 既に江戸で名の知られた一流の戯作者(33際)として登場する。
蔦屋とは良好な人間関係を維持する。青春譜の該当者たちと交流する。
幾五郎 ストーリーの冒頭に出てくるのがこの男。青春譜が描かれる内の一人。
駿河生まれで江戸で奉公した武士。侍を辞め、上方で義太夫の師につく。
浄瑠璃が性に合わず、滑稽本に出会い、戯作者を志して江戸に戻る。
耕書堂を頼ればなんとかなるという思いを起点に戯作者をめざす男。
世の中をおもしろおかしく生きたいという好奇心旺盛の男。
鉄蔵 耕書堂に出入りを認められている絵師(34歳)。未だ売れない絵師。
勝川春章の弟子だったが師匠の死で流派を離れ、耕書堂に出入りする。
重三郎は鉄蔵の絵師として将来性を見抜いて面倒をみている。
絵師として名が売れる前の時期が描かれていく。青春譜が描写される一人。
下戸で甘い物好き。他人の懐に土足で入り込む。あの男は馬鹿と評される。
斎藤十郎兵衛 江戸詰めで、阿波蜂須賀家お抱えの能役者。
絵が好きで小銭稼ぎをねらう。だが顔しか描かないという変わった男。
似顔絵を描かれた本人が必ず怒ると鉄蔵は幾五郎に言う。
普段は無口で陰気。影が薄い存在に徹しているきらいがある。
ストーリーでは重三郎が十郎兵衛の絵に魅了されそこに賭ける行動に出る。
写楽誕生のサブストーリーが青春譜の一つとして描き込まれていく。
瑣吉 江戸深川生まれ。滝沢家の次男。武士を捨て、戯作者となると決意する。
京伝の家に住みつく。曲亭馬琴という筆名で黄表紙を書いている。
京伝の意を受けた重三郎を介し下駄屋の入り婿となるが鬱屈が深まる。
世間の嗜好と瑣吉が描きたいものとの間のギャップに懊悩する青春譜。
瑣吉が目指すのは、英雄豪傑の活躍する物語の世界である。
このストーリー、そのメインは幾五郎、鉄蔵という耕書堂に出入りする食客的存在の二人と瑣吉と称される駆け出しの戯作者の3人が耕書堂との関わりの中で織りなす一時期の行動の顛末を描き挙げて行く。瑣吉はペンネームを既に持ち本も書いている。だが戯作者として己の描きたいものが未だ描けない段階で下駄屋の入り婿となり、鬱屈が高まっている。その三人が行動する背後に影のように十郎兵衛も加わり行動に連なる姿が描かれる。
十郎兵衛の場合は、蔦屋重三郎と歌麿との間での確執が背景として大きく作用する。十郎兵衛の得意な大首絵にあるとき蔦重が目を付ける。東洲斎写楽という筆名で役者絵を描かせる賭けに出て、写楽を一時期世に出していく。この小説ではサブストーリーの展開という位置づけだと私は思っている。だが、このストーリーの中では独立峰的に話が纏まってもいて、ある意味で完結している。著者は一つの写楽仮説を描いているとも言える。
つまり、このサブストーリーでは役者絵の領域で、蔦重、歌麿、十郎兵衛という三人の関係の顛末譚にその比重が移る。蔦重と歌麿の確執がなければ東洲斎写楽が世に出なかったかもしれないと思わせるところがおもしろい。また、なぜ写楽が忽然と消えたのかも一つの仮説として描き込まれていく。そこに、歌麿の視点からの描き込みがあって興味深い。
そこで、メインストーリーに関してなのだが、一つの事件の謎解きが彼等の青春譜を描き込むネタになっている。鬱屈した瑣吉が失踪する。蔦重は耕書堂に転がり込んできた幾五郎を鉄蔵に付けて、瑣吉探しを命じる。瑣吉は一時放浪の末、鉄蔵の住む長屋を訪れるが間違って隣家の部屋に入り込む。そこで首吊り死体を発見して大仰天してしまう。長屋に戻って来た鉄蔵と幾五郎は、隣家の部屋に居る茫然自失の瑣吉に気づく。さらにその部屋の主である長唄の師匠の首吊りを知る。この事件がストーリー展開の発端となる。
京伝に引きつれられて吉原の座敷で一行が遊んだとき、芸者の一人が、あの長唄の師匠は自分で死ぬような人じゃないと京伝につぶやいた。それを幾五郎が聞きかじった。それが契機となって鉄蔵が中心になり謎解きが始まって行く。
鉄蔵、幾五郎、瑣吉にとって、この長唄の師匠の死に対する謎解きを試みる紆余曲折の行動は、彼等が絵師あるいは戯作者として世に名が知られていく前の青春の譜となる。この顛末譚が彼等3人のその後を方向づけていく。
瑣吉、鉄蔵、幾五郎は三者三様の道を歩むことになるが、このストーリーは彼等が共に行動した時代を切り取って、その関わりの有り様を描き出す。
ストーリーのプロセスで、戯作者・瑣吉のことは大凡誰であるか、徐々に推測が固まっていく。そのヒントが各所に出てくる。ところが、鉄蔵と幾五郎については、推測できるほどのヒントは無いように感じた。二人については最後まで後の世に知られる名前は伏せられたままでストーリーが進行する。誰だろう・・・という楽しみが最後まで継続した。勿論、先に知ってから、その名の人物の無名時代の話として楽しむこともできる。が、ここではやはり伏せたままにしておこう。
最後のページで、著者は瑣吉、鉄蔵、幾五郎が誰であるかその戯作者あるいは絵師として後の世に知られた名前を明らかにする。
このストーリーは「しかし今はまだ、彼等の行く末を誰も知らない」という一行で終わる。つまり、ここでは耕書堂に屯した3人の「とんちき」な青春譜がメインストーリーとして描き出されている。
おもしろい切り口のストーリーとなっている。興味深い構想が展開され、フィクションのウエイトがかなり大きい小説という印象を受けた。楽しめる小説である。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して関心事項をネット検索した結果を一覧にしておきたい。
江戸出版界の名プロデューサー、蔦重こと蔦屋 重三郎 :「岩下書店」
東洲斎写楽 :ウィキペディア
谷村虎蔵の鷲津八平次 :「e國寶」
江戸三座役者似顔絵 :「e國寶」
蔦屋重三郎耕書堂跡 :「4travel.jp」
蔦屋重三郎 :ウィキペディア
蔦屋重三郎 :「江戸ガイド」
本書表紙の「耕書堂青春譜」の文字下の図柄のソースが掲載されている。
版元として出版物に口上を述べる姿絵として登場!
黄表紙 :「コトバンク」
洒落本 :「コトバンク」
山東京伝 :ウィキペディア
山東京伝 :「ジャパンナレッジ」
山東京伝の見世 :「文化遺産オンライン」
曲亭馬琴 :ウィキペディア
滝沢馬琴 :「コトバンク」
日本が世界に誇る天才たちの、青き時代は面白い! とんちき 耕書堂青春譜 :「新潮社」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『無頼無頼ッ! ぶらぶらッ!』 集英社
『蛇衆』 集英社
「とんちき」というタイトルがおもしろい。私にはその感じがわかるだけで、関西で育った日常生活ではなじみのうすい言葉のように思う。そこに「耕書堂」と「青春譜」という言葉の組み合わせ。「耕書堂」は版元蔦屋重三郎の経営する店の号。「青春譜」という言葉は誰かの青春時代の行動譚をイメージさせる。これらの絵と言葉の連なりだけで既に私にはちょっとアトラアクティブだった。
写楽とは東洲斎写楽のこと。本書の奥書から、表紙のこの大首絵が「谷村虎蔵の鷲塚八平次」とわかる。読後に調べてみると、東京国立博物館の所蔵にあり重要文化財に指定されている。だが一点違いがある。表紙絵は谷村虎蔵の頭頂部、さかやきが青色に摺られている。「e國寶」で公開されている作品に青色はない。版摺り時期での変化だろうか。
それはさておき、これは「江戸三座役者似顔絵」のうちの一つだという。そして、「江戸三座役者似顔絵」と称する大判錦絵の方に「東洲斎写楽は、寛政6年(1794)5月から翌年1月までのわずか10ヶ月の間(途中閏月がある)に140点を超える版画作品を残して忽然と姿を消した。すべての作品が版元蔦屋重三郎から出版されているが、師弟関係などが無く、謎の絵師とされている。」と簡潔な説明が記されている。このことは、この小説の時期設定に関係していく。
「とんちき」という言葉を『新明解国語辞典』(三省堂)で引くと載っている。
”[「とん」は、とんまの意。「ちき」は、「いんちき」「らんちき」と同義の接辞]「気のきかないまぬけ」の口頭語的表現。「この--め」”と説明されている。
「耕書堂」をネット検索して、東京都中央区日本橋大伝馬町13に、「蔦屋重三郎耕書堂跡」の案内板が中央区教育委員会により設置されているという記事を見つけた。写真とグーグルの地図も載っているので、ああこのあたりに登場人物たちが屯していた耕書堂があったのか・・・・・・と具体的に重ねることができて興味が増す。本書では「通油町(とおりあぶらちょう)にある耕書堂」として登場する。
この小説に出てくる主な登場人物を列挙してみよう。
蔦屋重三郎 地本問屋・耕書堂の主。喜多川歌麿を浮世絵師として売り出した。
出版についての名プロデューサーである。幕府の倹約政策に批判的。
このストーリーでは、歌麿との確執が底流の話となっていく。
喜多川歌麿 要所要所で登場。蔦屋と縁を切ろうという方向を選択する。
江戸で絵師として絶頂期にあり別の版元の費用持ちで吉原に居続ける。
耕書堂から大首絵が売り出された時の歌麿の思いと行動が興味深い。
山東京伝 既に江戸で名の知られた一流の戯作者(33際)として登場する。
蔦屋とは良好な人間関係を維持する。青春譜の該当者たちと交流する。
幾五郎 ストーリーの冒頭に出てくるのがこの男。青春譜が描かれる内の一人。
駿河生まれで江戸で奉公した武士。侍を辞め、上方で義太夫の師につく。
浄瑠璃が性に合わず、滑稽本に出会い、戯作者を志して江戸に戻る。
耕書堂を頼ればなんとかなるという思いを起点に戯作者をめざす男。
世の中をおもしろおかしく生きたいという好奇心旺盛の男。
鉄蔵 耕書堂に出入りを認められている絵師(34歳)。未だ売れない絵師。
勝川春章の弟子だったが師匠の死で流派を離れ、耕書堂に出入りする。
重三郎は鉄蔵の絵師として将来性を見抜いて面倒をみている。
絵師として名が売れる前の時期が描かれていく。青春譜が描写される一人。
下戸で甘い物好き。他人の懐に土足で入り込む。あの男は馬鹿と評される。
斎藤十郎兵衛 江戸詰めで、阿波蜂須賀家お抱えの能役者。
絵が好きで小銭稼ぎをねらう。だが顔しか描かないという変わった男。
似顔絵を描かれた本人が必ず怒ると鉄蔵は幾五郎に言う。
普段は無口で陰気。影が薄い存在に徹しているきらいがある。
ストーリーでは重三郎が十郎兵衛の絵に魅了されそこに賭ける行動に出る。
写楽誕生のサブストーリーが青春譜の一つとして描き込まれていく。
瑣吉 江戸深川生まれ。滝沢家の次男。武士を捨て、戯作者となると決意する。
京伝の家に住みつく。曲亭馬琴という筆名で黄表紙を書いている。
京伝の意を受けた重三郎を介し下駄屋の入り婿となるが鬱屈が深まる。
世間の嗜好と瑣吉が描きたいものとの間のギャップに懊悩する青春譜。
瑣吉が目指すのは、英雄豪傑の活躍する物語の世界である。
このストーリー、そのメインは幾五郎、鉄蔵という耕書堂に出入りする食客的存在の二人と瑣吉と称される駆け出しの戯作者の3人が耕書堂との関わりの中で織りなす一時期の行動の顛末を描き挙げて行く。瑣吉はペンネームを既に持ち本も書いている。だが戯作者として己の描きたいものが未だ描けない段階で下駄屋の入り婿となり、鬱屈が高まっている。その三人が行動する背後に影のように十郎兵衛も加わり行動に連なる姿が描かれる。
十郎兵衛の場合は、蔦屋重三郎と歌麿との間での確執が背景として大きく作用する。十郎兵衛の得意な大首絵にあるとき蔦重が目を付ける。東洲斎写楽という筆名で役者絵を描かせる賭けに出て、写楽を一時期世に出していく。この小説ではサブストーリーの展開という位置づけだと私は思っている。だが、このストーリーの中では独立峰的に話が纏まってもいて、ある意味で完結している。著者は一つの写楽仮説を描いているとも言える。
つまり、このサブストーリーでは役者絵の領域で、蔦重、歌麿、十郎兵衛という三人の関係の顛末譚にその比重が移る。蔦重と歌麿の確執がなければ東洲斎写楽が世に出なかったかもしれないと思わせるところがおもしろい。また、なぜ写楽が忽然と消えたのかも一つの仮説として描き込まれていく。そこに、歌麿の視点からの描き込みがあって興味深い。
そこで、メインストーリーに関してなのだが、一つの事件の謎解きが彼等の青春譜を描き込むネタになっている。鬱屈した瑣吉が失踪する。蔦重は耕書堂に転がり込んできた幾五郎を鉄蔵に付けて、瑣吉探しを命じる。瑣吉は一時放浪の末、鉄蔵の住む長屋を訪れるが間違って隣家の部屋に入り込む。そこで首吊り死体を発見して大仰天してしまう。長屋に戻って来た鉄蔵と幾五郎は、隣家の部屋に居る茫然自失の瑣吉に気づく。さらにその部屋の主である長唄の師匠の首吊りを知る。この事件がストーリー展開の発端となる。
京伝に引きつれられて吉原の座敷で一行が遊んだとき、芸者の一人が、あの長唄の師匠は自分で死ぬような人じゃないと京伝につぶやいた。それを幾五郎が聞きかじった。それが契機となって鉄蔵が中心になり謎解きが始まって行く。
鉄蔵、幾五郎、瑣吉にとって、この長唄の師匠の死に対する謎解きを試みる紆余曲折の行動は、彼等が絵師あるいは戯作者として世に名が知られていく前の青春の譜となる。この顛末譚が彼等3人のその後を方向づけていく。
瑣吉、鉄蔵、幾五郎は三者三様の道を歩むことになるが、このストーリーは彼等が共に行動した時代を切り取って、その関わりの有り様を描き出す。
ストーリーのプロセスで、戯作者・瑣吉のことは大凡誰であるか、徐々に推測が固まっていく。そのヒントが各所に出てくる。ところが、鉄蔵と幾五郎については、推測できるほどのヒントは無いように感じた。二人については最後まで後の世に知られる名前は伏せられたままでストーリーが進行する。誰だろう・・・という楽しみが最後まで継続した。勿論、先に知ってから、その名の人物の無名時代の話として楽しむこともできる。が、ここではやはり伏せたままにしておこう。
最後のページで、著者は瑣吉、鉄蔵、幾五郎が誰であるかその戯作者あるいは絵師として後の世に知られた名前を明らかにする。
このストーリーは「しかし今はまだ、彼等の行く末を誰も知らない」という一行で終わる。つまり、ここでは耕書堂に屯した3人の「とんちき」な青春譜がメインストーリーとして描き出されている。
おもしろい切り口のストーリーとなっている。興味深い構想が展開され、フィクションのウエイトがかなり大きい小説という印象を受けた。楽しめる小説である。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して関心事項をネット検索した結果を一覧にしておきたい。
江戸出版界の名プロデューサー、蔦重こと蔦屋 重三郎 :「岩下書店」
東洲斎写楽 :ウィキペディア
谷村虎蔵の鷲津八平次 :「e國寶」
江戸三座役者似顔絵 :「e國寶」
蔦屋重三郎耕書堂跡 :「4travel.jp」
蔦屋重三郎 :ウィキペディア
蔦屋重三郎 :「江戸ガイド」
本書表紙の「耕書堂青春譜」の文字下の図柄のソースが掲載されている。
版元として出版物に口上を述べる姿絵として登場!
黄表紙 :「コトバンク」
洒落本 :「コトバンク」
山東京伝 :ウィキペディア
山東京伝 :「ジャパンナレッジ」
山東京伝の見世 :「文化遺産オンライン」
曲亭馬琴 :ウィキペディア
滝沢馬琴 :「コトバンク」
日本が世界に誇る天才たちの、青き時代は面白い! とんちき 耕書堂青春譜 :「新潮社」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『無頼無頼ッ! ぶらぶらッ!』 集英社
『蛇衆』 集英社
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