たまたま書名に惹かれて本書を手に取った。「はじめに」、「あとがき」、「著者略歴」を読むと、奈良文化財研究所副所長で60歳定年を迎えられる前年に本書を上梓されている。遺跡の発掘調査や整備などとともに、日本庭園の歴史の研究に30年近く携わってきたプロの研究者である。インターネットで検索してみると、現在は和歌山大学観光学部の教授に就任されていることがわかる。
本書を読み、著者が2004年に『岩波日本庭園辞典』、2009年に『日本庭園-空間の美の歴史』(岩波新書)を上梓されていることを知った。日本庭園と歴史の概要書という形の新書が出版されていることを知らなかった。まず、この辞典の方は用語を引くのに便利かと早速入手した。新書の方も読書予定に加えたいと思っている。
さて、本書はプロの研究者としての著者が、『奈良文化財研究所学報』を主体に、他の専門書・専門誌にも執筆・発表された日本庭園の歴史をテーマとする論文8編を選んで取りまとめられた本である。著者の論文集と言える。
私自身は、日本庭園に関心を抱く一般読者として本書を読んだので、この分野の研究者が本書を読まれれば、その印象や所見はかなり違うかもしれない。「はじめに」の後半で、著者自身が「各編で私が目指したところを紹介しておきます」と記し、論文の主旨を簡潔に記されている。この見開き2ページの梗概をお読みになれば、著者の意図と立場を読み取られることと思う。
本書を読んだ一般読者・好事家の立場で読後印象記を少しご紹介する。本書の中で関心を持たれた日本庭園の箇所を読んでみようかという契機になれば、幸いである。
著者の論文8編は、日本の歴史の流れに沿う形で章立てして構成されているので、読み進めて行くうえで、割合読みやすかった。論文の詳細な記述、研究論点を十分に理解できたとは言いがたいが、論点と所見の主要点は大凡把握できたように思う。今後、寺社の庭園を訪れるうえで、少しベースとなる知識が得られたので、読み応えがあったと思っている。
著者自身の要旨紹介の2ページを踏まえて、読後の覚書を兼ねてまとめてみる。
まずいくつか一般読者にも良い点を述べておこう。
1. 論文なので註として情報のソースが一覧にされている。関連情報をたぐるソースとなる。
2. 各章に庭園と建物の実測図、復元図、鳥瞰図などが明示されている。また発掘場所などの場合は、キーポイントの遺構写真が掲載されている。そのため庭園の状況をイメージしやすくなっている。ビジュアライズされた資料は、後で利用するのにも大いに役立ちそうである。
3. 論文の定石なのだろうが、論文の論点、所見の要約が概ね最後の箇所で要約されている。素人には通読した論文の主要点を確認でき、理解を促進できる。
それでは、本書の章立てのご紹介と各章で学んだことの一端をご紹介する。
第1章 飛鳥・奈良時代の庭園遺構と東院庭園
飛鳥時代と奈良時代の間に園池の概念が大きく変化したということを知ったのがまずは収穫である。飛鳥時代の池は直線主体の幾何学的な平面のものであり、奈良時代になり自然風景的な平面を持つ曲地になるという。飛鳥時代の各地で発掘された園池の遺構が見開きページにまとめられていて、わかりやすい。
飛鳥時代には、園池に配されるのは酒船石、石槽、噴水石、須弥山石、石人像などの加工された石造物であり、それが奈良時代に入って自然石の景石や自然石の有機的な石組みに変化したという。庭園デザインの大転換が起こったそうだ。日本庭園が持つ自然風景的要素を、なにげなく当然の如くに受け止めていたが、その淵源が奈良時代にあったと知り、興味深い。逆にいえば、飛鳥時代というのは、かなり特異な時代だったのかもしれない。飛鳥時代は、推古朝以後の百済の影響、天智朝以降の新羅の影響を受けているという。そして、奈良時代の園池デザインの転換は、遣唐使・粟田真人のもたらした中国・洛陽上陽宮の園池情報が背景にあると推定されている。
日本的と単純に思っていた園池デザインも、ある意味で輸入概念からの変容と創意工夫の複合なのだということがわかった。目から鱗でもある。
著者は、「平城宮東院庭園後期におけるデザインは、まさに日本庭園史上の画期をなしたものと位置づけて然るべきであろう」(p20)と言う。
第2章 平安時代初期における離宮の庭園
~神泉苑と嵯峨院を巡って~
神泉苑は幾度か訪れている。嵯峨野の大沢池はかなり以前に眺め、広沢池はつい最近その付近の探訪をする機会があった。そのため、神泉苑と嵯峨院が論じられているのに関心を抱いた。神泉苑が、平安時代の禁裡の宴遊の場であり、時には祈雨・請雨の儀式の場に使われたことを思い、景観の良さを眺め、池に浮かべられた龍頭鷁首の船に興味を抱く位だった。それがどこをモデルにしたものかという発想はなかった。著者は研究者の所見を紹介した上で、「渤海の首都・上京龍泉府において興慶宮をモデルとして築造された『禁苑』を実際のモデルとした」(p30)と結論づけている。
嵯峨院がある北嵯峨地域の地形環境が「山河襟帯」と称された平安京と相似する点を著者は論じている。両方の場所を目にしながら、そんな視点を持たなかったので、論述を楽しく読めた。
第3章 臨池伽藍の系譜と浄土庭園
平等院と浄瑠璃寺は訪れたことがあり、その園池を眺め、浄土庭園と称されるものの一端はイメージができている。しかし、臨池伽藍の系譜という視点は持っていなかったので、興味深く読めた。白河天皇が造営したという法勝寺跡地に行ってみたが、もはや現在地からは、その寺域構成のイメージは浮かべようがない。本書で「法勝寺復元図」を見て、参考になった。なお、著者は法勝寺は「浄土教ではなく明かに密教理念に基づく伽藍においても、臨池伽藍が採用されることになる」(p67)と論じている。
中国には、石窟に「浄土変」と呼ばれる阿弥陀浄土がレリーフの図像として残り、臨池伽藍の姿が遺跡でわかるようだが、その臨池伽藍を実際に造営した寺院はないという。朝鮮半島にもみられないという。そして、この日本で浄土庭園の臨池伽藍が造営され、各地に現存する園池があるというのがおもしろい。
著者は、日本で発展した臨池伽藍をこの論文で跡づける。藤原道長が造営した「無量寿院型臨池伽藍」を嚆矢とし、そこから拡大展開された「法成寺型臨池伽藍」、そして藤原頼通が造営した「平等院型臨池伽藍」の3つに分類している。
また、著者は「『浄土庭園』は、阿弥陀浄土を表現するものとして、わが国で独自に成立・展開した臨池伽藍または臨池伽藍に伴う園池空間を指す用語として用いることを原則とすべきと考える」(p68)と立ち位置を明確にする。
著者による上記辞典を引くと、「極楽浄土をこの世に再現すべく、阿弥陀堂と園池を一体的に築造した仏寺の庭園様式」と浄土庭園を定義している。
第4章 『春日権現験記絵』に描かれた藤原俊盛邸の庭園
まず、興味深いのは、娘が入内し女院となり、自らも左大臣に昇進した西園寺公衡が発願し、鎌倉時代末期に描かれた『春日権現記絵』という絵巻物が分析対象であること。そこに描かれた藤原俊盛邸の庭園を分析し読み解いていくという手法である。そして、それが製作者あるいは制作依頼者が「貴族の理想の庭園の心象」(p90)としての庭景であり、実景ではないという前提を置きながら、庭園の構成要素を詳細に分析していくアプローチである。博物館などで、有名な絵巻物を何となく眺めている私には、頭にガツン!というところ。ある意味で、鑑賞ノウハウを学べる論文ともいえる。
ここで著者が分析要素とした事項を列挙すると次のとおり。
水、築山・野筋(造形地形)、石組、植栽、動物、建築物・工作物、である。そして、そこに何が重視されているかが読み取られていく。さらに、対比的に「厩広場の情景と庭内の動物など」にも目を広げる。
著者は「理想の庭園は都市のなかにあって自然と親和する空間と捉えていた」という。絵巻物の製作の命題が「自然との親和、野生の生命の安全ならびに子孫繁栄」にあると分析し、「人工でありながら本物の自然を囲い込むことを欲望するという、都市文化の高度な到達点を示すものにほかならない」(p91)と結論づける。
この結論に至る構成要素の分析・解釈プロセスが興味深くかつ、鑑賞という観点で学べる材料になる。
第5章 永禄8年の京都の庭園の形態と機能
~フロイス『日本史』の記述から~
リスボン生まれのポルトガル人で、イエズス会の宣教師として来日したルイス・フロイスが編年体で著述した日本におけるキリスト教布教史としての『日本史』を著者は分析対象にする。『日本史』に書き込まれた庭園に関する記述を抽出し、その内容を分析していく。その記述を狩野永徳筆『上杉本洛中洛外図』屏風に描かれた対象と対比分析する。屏風に描かれた対象の絵の部分が、フロイスの記述の対照資料に利用されていくのである。ここにも一つの分析手法の提示があり、かつそれは、絵巻物と同様に風俗屏風絵などの鑑賞を深めるノウハウとして受け止めることができる。参照資料という手段をなるほどなあと思う。
著者は、フロイスの記述から、東福寺、足利将軍邸、細川管領邸(細川晴元旧邸)、大徳寺塔頭1・2、鹿苑寺、東寺に関係する箇所を抽出し、対比分析を推し進めて行く。絵巻物の場合と同様に、枯山水、池庭、樹木植栽・管理、草花植栽という構成要素を分析する。
そして、当時の庭園の機能として、静養と慰安、観光資源、秩序の象徴と接遇の装置という3つが存在したとする。
16世紀、安土桃山時代に、京の庭園が「観光資源」として機能していたというのを面白く思った。それも庭園の見物を許されるのは宗派の帰依者だけであるというのは、なるほどとうなづける。フロイスがそこまで観察しているというのが面白い。
著者の結論としての解釈例示の中で、特に2つ関心を持った。「フロイスが一種のトピアリーと記述した足利将軍邸の幾何学的と思われる刈込み手法は、日本で独自に発展した可能性があること。大徳寺塔頭の枯山水には四季の草花が植えられており、こうした意匠は、江戸時代の枯山水と比較して、この時代の枯山水の特徴といえること。」というところである。
第6章 醍醐寺三宝院の作庭
~『義演准后日記』の記述から~
著者は、「三宝院庭園の現状」「豊臣秀吉による作庭」「義演准后による作庭」という観点から庭の作庭の変遷を論じている。
かなり以前に、三宝院の庭を拝観した。しかし、その時はここで論じられている観点の意識は全くなかった。見開き2ページの実測図を除けば、実質7ページの論文なので、再訪する時にここのコピーを持参して、現地で読みながら庭を眺めたいと思う。
この論文で、特に関心を抱いたのは、次の諸点である。
*名石・藤戸石が庭園敷地の東西をほぼ二等分し、宸殿の真南にあるということ。
*秀吉の作庭は、建築に先立って庭園が築造されたという点。
*秀吉没後に行った義演の作庭は非常に長期に及ぶことと、庭師賢庭が中心的役割を担ったということ。(『孤篷のひと』という小説から小堀遠州と賢庭の関わりを知り、賢庭自身に興味を抱いている。)
三宝院の庭園作庭は、時代の経過とともにかなり変化しているようである。その点を現地でどう眺められるか。そこに興味がある。
第7章 『江戸図屏風』に描かれた寛永期の江戸の庭園
国立歴史民俗博物館が所蔵する『江戸図屏風』に描かれた庭園に着目して、江戸城下町の体裁が整った寛永期における庭園のありようが分析されている。大名屋敷の池泉庭園として、水戸中納言下屋敷、加賀肥前守下屋敷、森美作守下屋敷が取り上げられ、上級旗本屋敷の池泉庭園として、船手奉行向井将監下屋敷、米津内蔵助下屋敷、さらにその他注目すべき庭園として、駿河大納言上屋敷、内藤左馬助下屋敷、御花畠が取り上げられる。それら諸庭園の描写と関連諸文献の記述との対比分析などで読み解かれていく。ここでも比較検討できる諸文献の事実データの重要性がうかがえる。
著者は水源の確保という重要な観点を具体的に検討していく。有力大名の池泉庭園には、将軍の御成への対応という目的が見事な庭園を造営する重要な理由になっていると分析されている。そして、庭園を眺める視点場としての二階建て数寄屋楼閣が共通点にあるという。つまり、屏風に描かれる都市図は俯瞰図であり、俯瞰景を楽しむ視点場として楼閣が強く求められる施設だったと説く。
そして、徳川将軍家の茶の愛好も相まって、室町後期から京で根付いていった「市中の山居」が江戸でも導入されて行ったことを例証する。何かの本で、江戸時代、下級武士の間で朝顔の栽培が内職になっていたと読んだことがある。この論文では、「御花畠」の存在から、花卉を中心とする園芸文化を将軍が先導していたという読み解きに触れ、なるほどと合点が行った。
この論文では、小石川後楽園と東京大学三四郎池がかつての大名屋敷の池泉庭園の遺跡と例示している。現在は東京にどれくらい江戸期の池泉庭園が残っているのだろうか。本書を読み、関心が湧く。
第8章 平安神宮神苑築造記録から読む小川治兵衛と近代京都造園事情
あるとき、平安神宮が古くから存在したのではなくて、平安遷都千百年記念祭の祭典に際して創建されたということと社殿が平安宮朝堂院の主要建物の規模を縮小したものだということを知った。また、別の機会に神苑を訪れたことはあるが、神苑の築造の背景については詳しくは知らなかった。今回この章を読み、神苑を眺める上でひと味違う視点ができたと思う。改めて、再訪する機会を持ちたくなった。
この章を読み、改めて平安神宮のホームページの「平安神宮神苑」のページにアクセスし、その説明を読むと、この章で論じられた経緯の結果部分だけはいくつか説明されていることがわかる。
大きな違いは、そこに記されている説明の築造背景という奥行きが本書で得られたことである。この章でも、コピーを持って神苑を再訪し眺めてみたいという動機づけを得た。現地探訪に深みを加えてくれる章になる。
日本庭園研究者ではない日本庭園好きの一般読者にとっても、通読しやすく、読み応えがある教養書と位置づけることができるように思う。この8編の論文を研究者視点で議論するのは専門家に任せて、この論文から庭園鑑賞へのヒントをさまざまに得られる点が大いに役立つと思う。
ご一読ありがとうございます。
補遺
本書に掲載の事項で関心を抱いた語句、語彙等をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
小野健吉 :「researchmap」
『江戸図屏風』から読み解く寛永期の江戸の庭園 小野健吉 pdfファイル 『日本研究』
東院庭園 :「平城宮跡資料館」
平城宮東院庭園 :「閑古鳥旅行社」
奈良歴史漫歩 No.056 平城宮東院庭園の変遷 橋川紀夫氏 :「奈良歴史漫歩」
神泉苑 ホームページ
嵯峨院 :「コトバンク」
大覚寺 ホームページ
平等院 ホームページ
浄瑠璃寺 :「木津川市観光ガイド」
浄瑠璃寺 :ウィキペディア
春日権現記絵 :「宮内庁」
洛中洛外図 :ウィキペディア
洛中洛外図陶板 :「ギャラリー洛中洛外」
陶板で再現した上杉本洛中洛外図
三宝院のご案内 :「醍醐寺」
江戸屏風図 歴博ギャラリー :「国立歴史民俗博物館」
平安神宮 ホームページ
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その点、ご寛恕ください。)
本書を読み、著者が2004年に『岩波日本庭園辞典』、2009年に『日本庭園-空間の美の歴史』(岩波新書)を上梓されていることを知った。日本庭園と歴史の概要書という形の新書が出版されていることを知らなかった。まず、この辞典の方は用語を引くのに便利かと早速入手した。新書の方も読書予定に加えたいと思っている。
さて、本書はプロの研究者としての著者が、『奈良文化財研究所学報』を主体に、他の専門書・専門誌にも執筆・発表された日本庭園の歴史をテーマとする論文8編を選んで取りまとめられた本である。著者の論文集と言える。
私自身は、日本庭園に関心を抱く一般読者として本書を読んだので、この分野の研究者が本書を読まれれば、その印象や所見はかなり違うかもしれない。「はじめに」の後半で、著者自身が「各編で私が目指したところを紹介しておきます」と記し、論文の主旨を簡潔に記されている。この見開き2ページの梗概をお読みになれば、著者の意図と立場を読み取られることと思う。
本書を読んだ一般読者・好事家の立場で読後印象記を少しご紹介する。本書の中で関心を持たれた日本庭園の箇所を読んでみようかという契機になれば、幸いである。
著者の論文8編は、日本の歴史の流れに沿う形で章立てして構成されているので、読み進めて行くうえで、割合読みやすかった。論文の詳細な記述、研究論点を十分に理解できたとは言いがたいが、論点と所見の主要点は大凡把握できたように思う。今後、寺社の庭園を訪れるうえで、少しベースとなる知識が得られたので、読み応えがあったと思っている。
著者自身の要旨紹介の2ページを踏まえて、読後の覚書を兼ねてまとめてみる。
まずいくつか一般読者にも良い点を述べておこう。
1. 論文なので註として情報のソースが一覧にされている。関連情報をたぐるソースとなる。
2. 各章に庭園と建物の実測図、復元図、鳥瞰図などが明示されている。また発掘場所などの場合は、キーポイントの遺構写真が掲載されている。そのため庭園の状況をイメージしやすくなっている。ビジュアライズされた資料は、後で利用するのにも大いに役立ちそうである。
3. 論文の定石なのだろうが、論文の論点、所見の要約が概ね最後の箇所で要約されている。素人には通読した論文の主要点を確認でき、理解を促進できる。
それでは、本書の章立てのご紹介と各章で学んだことの一端をご紹介する。
第1章 飛鳥・奈良時代の庭園遺構と東院庭園
飛鳥時代と奈良時代の間に園池の概念が大きく変化したということを知ったのがまずは収穫である。飛鳥時代の池は直線主体の幾何学的な平面のものであり、奈良時代になり自然風景的な平面を持つ曲地になるという。飛鳥時代の各地で発掘された園池の遺構が見開きページにまとめられていて、わかりやすい。
飛鳥時代には、園池に配されるのは酒船石、石槽、噴水石、須弥山石、石人像などの加工された石造物であり、それが奈良時代に入って自然石の景石や自然石の有機的な石組みに変化したという。庭園デザインの大転換が起こったそうだ。日本庭園が持つ自然風景的要素を、なにげなく当然の如くに受け止めていたが、その淵源が奈良時代にあったと知り、興味深い。逆にいえば、飛鳥時代というのは、かなり特異な時代だったのかもしれない。飛鳥時代は、推古朝以後の百済の影響、天智朝以降の新羅の影響を受けているという。そして、奈良時代の園池デザインの転換は、遣唐使・粟田真人のもたらした中国・洛陽上陽宮の園池情報が背景にあると推定されている。
日本的と単純に思っていた園池デザインも、ある意味で輸入概念からの変容と創意工夫の複合なのだということがわかった。目から鱗でもある。
著者は、「平城宮東院庭園後期におけるデザインは、まさに日本庭園史上の画期をなしたものと位置づけて然るべきであろう」(p20)と言う。
第2章 平安時代初期における離宮の庭園
~神泉苑と嵯峨院を巡って~
神泉苑は幾度か訪れている。嵯峨野の大沢池はかなり以前に眺め、広沢池はつい最近その付近の探訪をする機会があった。そのため、神泉苑と嵯峨院が論じられているのに関心を抱いた。神泉苑が、平安時代の禁裡の宴遊の場であり、時には祈雨・請雨の儀式の場に使われたことを思い、景観の良さを眺め、池に浮かべられた龍頭鷁首の船に興味を抱く位だった。それがどこをモデルにしたものかという発想はなかった。著者は研究者の所見を紹介した上で、「渤海の首都・上京龍泉府において興慶宮をモデルとして築造された『禁苑』を実際のモデルとした」(p30)と結論づけている。
嵯峨院がある北嵯峨地域の地形環境が「山河襟帯」と称された平安京と相似する点を著者は論じている。両方の場所を目にしながら、そんな視点を持たなかったので、論述を楽しく読めた。
第3章 臨池伽藍の系譜と浄土庭園
平等院と浄瑠璃寺は訪れたことがあり、その園池を眺め、浄土庭園と称されるものの一端はイメージができている。しかし、臨池伽藍の系譜という視点は持っていなかったので、興味深く読めた。白河天皇が造営したという法勝寺跡地に行ってみたが、もはや現在地からは、その寺域構成のイメージは浮かべようがない。本書で「法勝寺復元図」を見て、参考になった。なお、著者は法勝寺は「浄土教ではなく明かに密教理念に基づく伽藍においても、臨池伽藍が採用されることになる」(p67)と論じている。
中国には、石窟に「浄土変」と呼ばれる阿弥陀浄土がレリーフの図像として残り、臨池伽藍の姿が遺跡でわかるようだが、その臨池伽藍を実際に造営した寺院はないという。朝鮮半島にもみられないという。そして、この日本で浄土庭園の臨池伽藍が造営され、各地に現存する園池があるというのがおもしろい。
著者は、日本で発展した臨池伽藍をこの論文で跡づける。藤原道長が造営した「無量寿院型臨池伽藍」を嚆矢とし、そこから拡大展開された「法成寺型臨池伽藍」、そして藤原頼通が造営した「平等院型臨池伽藍」の3つに分類している。
また、著者は「『浄土庭園』は、阿弥陀浄土を表現するものとして、わが国で独自に成立・展開した臨池伽藍または臨池伽藍に伴う園池空間を指す用語として用いることを原則とすべきと考える」(p68)と立ち位置を明確にする。
著者による上記辞典を引くと、「極楽浄土をこの世に再現すべく、阿弥陀堂と園池を一体的に築造した仏寺の庭園様式」と浄土庭園を定義している。
第4章 『春日権現験記絵』に描かれた藤原俊盛邸の庭園
まず、興味深いのは、娘が入内し女院となり、自らも左大臣に昇進した西園寺公衡が発願し、鎌倉時代末期に描かれた『春日権現記絵』という絵巻物が分析対象であること。そこに描かれた藤原俊盛邸の庭園を分析し読み解いていくという手法である。そして、それが製作者あるいは制作依頼者が「貴族の理想の庭園の心象」(p90)としての庭景であり、実景ではないという前提を置きながら、庭園の構成要素を詳細に分析していくアプローチである。博物館などで、有名な絵巻物を何となく眺めている私には、頭にガツン!というところ。ある意味で、鑑賞ノウハウを学べる論文ともいえる。
ここで著者が分析要素とした事項を列挙すると次のとおり。
水、築山・野筋(造形地形)、石組、植栽、動物、建築物・工作物、である。そして、そこに何が重視されているかが読み取られていく。さらに、対比的に「厩広場の情景と庭内の動物など」にも目を広げる。
著者は「理想の庭園は都市のなかにあって自然と親和する空間と捉えていた」という。絵巻物の製作の命題が「自然との親和、野生の生命の安全ならびに子孫繁栄」にあると分析し、「人工でありながら本物の自然を囲い込むことを欲望するという、都市文化の高度な到達点を示すものにほかならない」(p91)と結論づける。
この結論に至る構成要素の分析・解釈プロセスが興味深くかつ、鑑賞という観点で学べる材料になる。
第5章 永禄8年の京都の庭園の形態と機能
~フロイス『日本史』の記述から~
リスボン生まれのポルトガル人で、イエズス会の宣教師として来日したルイス・フロイスが編年体で著述した日本におけるキリスト教布教史としての『日本史』を著者は分析対象にする。『日本史』に書き込まれた庭園に関する記述を抽出し、その内容を分析していく。その記述を狩野永徳筆『上杉本洛中洛外図』屏風に描かれた対象と対比分析する。屏風に描かれた対象の絵の部分が、フロイスの記述の対照資料に利用されていくのである。ここにも一つの分析手法の提示があり、かつそれは、絵巻物と同様に風俗屏風絵などの鑑賞を深めるノウハウとして受け止めることができる。参照資料という手段をなるほどなあと思う。
著者は、フロイスの記述から、東福寺、足利将軍邸、細川管領邸(細川晴元旧邸)、大徳寺塔頭1・2、鹿苑寺、東寺に関係する箇所を抽出し、対比分析を推し進めて行く。絵巻物の場合と同様に、枯山水、池庭、樹木植栽・管理、草花植栽という構成要素を分析する。
そして、当時の庭園の機能として、静養と慰安、観光資源、秩序の象徴と接遇の装置という3つが存在したとする。
16世紀、安土桃山時代に、京の庭園が「観光資源」として機能していたというのを面白く思った。それも庭園の見物を許されるのは宗派の帰依者だけであるというのは、なるほどとうなづける。フロイスがそこまで観察しているというのが面白い。
著者の結論としての解釈例示の中で、特に2つ関心を持った。「フロイスが一種のトピアリーと記述した足利将軍邸の幾何学的と思われる刈込み手法は、日本で独自に発展した可能性があること。大徳寺塔頭の枯山水には四季の草花が植えられており、こうした意匠は、江戸時代の枯山水と比較して、この時代の枯山水の特徴といえること。」というところである。
第6章 醍醐寺三宝院の作庭
~『義演准后日記』の記述から~
著者は、「三宝院庭園の現状」「豊臣秀吉による作庭」「義演准后による作庭」という観点から庭の作庭の変遷を論じている。
かなり以前に、三宝院の庭を拝観した。しかし、その時はここで論じられている観点の意識は全くなかった。見開き2ページの実測図を除けば、実質7ページの論文なので、再訪する時にここのコピーを持参して、現地で読みながら庭を眺めたいと思う。
この論文で、特に関心を抱いたのは、次の諸点である。
*名石・藤戸石が庭園敷地の東西をほぼ二等分し、宸殿の真南にあるということ。
*秀吉の作庭は、建築に先立って庭園が築造されたという点。
*秀吉没後に行った義演の作庭は非常に長期に及ぶことと、庭師賢庭が中心的役割を担ったということ。(『孤篷のひと』という小説から小堀遠州と賢庭の関わりを知り、賢庭自身に興味を抱いている。)
三宝院の庭園作庭は、時代の経過とともにかなり変化しているようである。その点を現地でどう眺められるか。そこに興味がある。
第7章 『江戸図屏風』に描かれた寛永期の江戸の庭園
国立歴史民俗博物館が所蔵する『江戸図屏風』に描かれた庭園に着目して、江戸城下町の体裁が整った寛永期における庭園のありようが分析されている。大名屋敷の池泉庭園として、水戸中納言下屋敷、加賀肥前守下屋敷、森美作守下屋敷が取り上げられ、上級旗本屋敷の池泉庭園として、船手奉行向井将監下屋敷、米津内蔵助下屋敷、さらにその他注目すべき庭園として、駿河大納言上屋敷、内藤左馬助下屋敷、御花畠が取り上げられる。それら諸庭園の描写と関連諸文献の記述との対比分析などで読み解かれていく。ここでも比較検討できる諸文献の事実データの重要性がうかがえる。
著者は水源の確保という重要な観点を具体的に検討していく。有力大名の池泉庭園には、将軍の御成への対応という目的が見事な庭園を造営する重要な理由になっていると分析されている。そして、庭園を眺める視点場としての二階建て数寄屋楼閣が共通点にあるという。つまり、屏風に描かれる都市図は俯瞰図であり、俯瞰景を楽しむ視点場として楼閣が強く求められる施設だったと説く。
そして、徳川将軍家の茶の愛好も相まって、室町後期から京で根付いていった「市中の山居」が江戸でも導入されて行ったことを例証する。何かの本で、江戸時代、下級武士の間で朝顔の栽培が内職になっていたと読んだことがある。この論文では、「御花畠」の存在から、花卉を中心とする園芸文化を将軍が先導していたという読み解きに触れ、なるほどと合点が行った。
この論文では、小石川後楽園と東京大学三四郎池がかつての大名屋敷の池泉庭園の遺跡と例示している。現在は東京にどれくらい江戸期の池泉庭園が残っているのだろうか。本書を読み、関心が湧く。
第8章 平安神宮神苑築造記録から読む小川治兵衛と近代京都造園事情
あるとき、平安神宮が古くから存在したのではなくて、平安遷都千百年記念祭の祭典に際して創建されたということと社殿が平安宮朝堂院の主要建物の規模を縮小したものだということを知った。また、別の機会に神苑を訪れたことはあるが、神苑の築造の背景については詳しくは知らなかった。今回この章を読み、神苑を眺める上でひと味違う視点ができたと思う。改めて、再訪する機会を持ちたくなった。
この章を読み、改めて平安神宮のホームページの「平安神宮神苑」のページにアクセスし、その説明を読むと、この章で論じられた経緯の結果部分だけはいくつか説明されていることがわかる。
大きな違いは、そこに記されている説明の築造背景という奥行きが本書で得られたことである。この章でも、コピーを持って神苑を再訪し眺めてみたいという動機づけを得た。現地探訪に深みを加えてくれる章になる。
日本庭園研究者ではない日本庭園好きの一般読者にとっても、通読しやすく、読み応えがある教養書と位置づけることができるように思う。この8編の論文を研究者視点で議論するのは専門家に任せて、この論文から庭園鑑賞へのヒントをさまざまに得られる点が大いに役立つと思う。
ご一読ありがとうございます。
補遺
本書に掲載の事項で関心を抱いた語句、語彙等をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
小野健吉 :「researchmap」
『江戸図屏風』から読み解く寛永期の江戸の庭園 小野健吉 pdfファイル 『日本研究』
東院庭園 :「平城宮跡資料館」
平城宮東院庭園 :「閑古鳥旅行社」
奈良歴史漫歩 No.056 平城宮東院庭園の変遷 橋川紀夫氏 :「奈良歴史漫歩」
神泉苑 ホームページ
嵯峨院 :「コトバンク」
大覚寺 ホームページ
平等院 ホームページ
浄瑠璃寺 :「木津川市観光ガイド」
浄瑠璃寺 :ウィキペディア
春日権現記絵 :「宮内庁」
洛中洛外図 :ウィキペディア
洛中洛外図陶板 :「ギャラリー洛中洛外」
陶板で再現した上杉本洛中洛外図
三宝院のご案内 :「醍醐寺」
江戸屏風図 歴博ギャラリー :「国立歴史民俗博物館」
平安神宮 ホームページ
平安神宮神苑
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