蜷川幸雄さんのご逝去の報に心から哀悼の意を表します。
蜷川さんが数多くの作品を発表された「さいたま芸術劇場」は自宅から車で直ぐの所です。
発表会でも使ってる会場ですので、会員になってます。
芸劇から送られてくる会報には、いつも蜷川さんの事が載ってました。
車いすに座って演出されてるその痛々しい姿、そして、公演延期、の案内も目にしてました。
昨年は続けて2作品観る事が出来ました。その時「これが最後かも・・・」と思いました。
まさに、そうなってしまいました。
こんな近くに住んでいたのに、なんでもっと来なかったのか・・・と悔やまれてなりません。
多くの役者さんの追悼の言葉を読みました。
これほどの人達がここまでの事を言う、それは驚きでした。
同じ指導者、と言っては大変失礼にあたりますが、でも、同じ指導者として、深く考えさせられました。
日頃のレッスンをこれだけ真剣にしていたか?
「灰皿」は投げずとも、何かを「投げたい」衝動に駆られるほど生徒達に向き合っていたか?
発表会もしかり
自分では膨大な時間をかけて準備してるつもりではいるけど、果たしてそうか?
かたや、プロ中のプロの役者
かたや、ピアノを頑張って練習してる子供たち
実力も、目的も、背負ってる物も全く違うけど、「舞台」に立ち、「見せる」「聴かせる」という意味では全く同じ。
そして、それを演出する人間、という意味では、蜷川さんと私も同じ(すみません、宇宙とマグマ以上に違いますがお許しください)
「情熱」と「愛情」
指導者としてその姿に一歩でも近づきたい。
大きな「目標」が出来ました。
ありがとうございました。
どうか安らかにお眠りください。