KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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女子マラソンの代表選考がモメる本当の理由

2012年02月23日 | マラソン時評
ジャーナリズムの役割は、「反権力の姿勢を保つこと」だという。権力の横暴を監視し、叩くべきところは叩く、というのがジャーナリズムの役割だと言われるが、スポーツ界において、叩くべき権力は何か?

所謂、オヤジ向け週刊誌やタブロイド版の夕刊紙では、人気と実力を兼ね備えた「スター」選手が、しばしば叩かれる標的となる。その根底にあるのは、

「たかが野球とかサッカーとかゴルフとかが巧いだけの若僧が、何億も稼いで女にもモテて、いい思いをしやがって。」

という想いを抱く読者層は、スター選手のスキャンダルに快哉を叫ぶのだろう。某週刊誌など、オリックス時代のイチローに対する叩き方が尋常ではなかったな。何が気に入らなかったのだろうか。

そして、フリーランスのジャーナリストの叩く標的と言えば、いわゆる大手の新聞社である。そして、国内のメジャーなマラソンや駅伝を主催するのは、ほとんどが新聞社である。日本陸連がマラソンの代表選考を複数行なうのも、主催する新聞社の思惑絡みであり、読売新聞社が主催する箱根駅伝は今や、日本の男子マラソン低迷の元凶ということになっている。

スポーツライターの武田薫氏はかつて、

「甲子園の高校野球を否定する人が日本人メジャーリーガーを賞賛するのはどういうわけか?イチローやゴジラ松井や大魔神佐々木は、一体どこで野球の基本を身に着けたのだ?」

と皮肉っていたが、その手の人たちは、読売新聞の悪口を言いたいためだけに、箱根駅伝を否定し、日本男子の世界陸上のマラソンメダリストが全て箱根駅伝出身者であり、今話題の公務員ランナーも箱根駅伝を走っていることなどは、まるで不都合な真実であることのように黙殺する。そう言えば、あの「4年に一度同じ事を書く」谷口源太郎氏はも今年1月の某週刊誌での、箱根駅伝の「山の神」と呼ばれるランナーの将来性を問う記事において、彼がマラソンの五輪代表になる可能性を否定していた。

何を根拠にそのような事を断言するのだろうか?確かに、かつて箱根の山登り区間で活躍した大久保初男氏は、京都や勝田といったローカル大会では優勝したものの、国際マラソンでは優勝していないし、金(通名木下)哲彦氏も、マラソンの韓国代表にはなれなかった。しかし、それが「山の神」がマラソンで大成しないという根拠にはならないだろう?

だいたい、この記事、彼を「平地では走れない」などと見出しで謳っていたが、彼が高校3年生の時に、都道府県対抗男子駅伝の1区で区間賞を獲得していることをご存知ではないのだろうか?一般誌のマラソン記事では、高校駅伝で全国大会に出ている選手まで「無名選手」扱いされるからなあ。プロ野球の報道で、たとえ一回戦に敗退していても、甲子園に出場している選手を「高校時代は無名」とは言わないだろう。

「無名なんじゃなくて、お前が知らんかっただけやろ?」

とツッコミを入れたくなる。

マラソンの代表を決定する日本陸連という団体も、「叩くべき権力」と見られているのだろう。確かに、かつてのマラソン代表選考はひどい一面があった。しかし、2004年のアテネ五輪の代表選考。明らかに特定の選手に便宜を図ったり、代表選考レースの優勝者を落選させる、というかつての選考方式に対する反省からか、代表選考レースの優勝者を代表に選び、前回大会の金メダリストを落選させる、という実に画期的な選考を行なったのだが、これに納得したのは、僕のような土佐礼子ファンだけだったみたいだ。「アーカイブス」をお読みいただければ分かるように、僕が管理していたサイトと掲示板は、金メダリストのファンを名乗る人たちによって炎上させられ、一時的に閉鎖に追い込まれた。

前回、北京五輪の代表選考は、拍子抜けするくらいあっさりと決まり、これまでのように選考結果に異議を唱えるような報道はほとんど目にしなかった。しかし、今思えば、それはアテネ代表を脅かすような若手が出現しなかっただけなのだ。ジャーナリズムの叩く標的は、五輪開催地の中国に向けられた。マラソンの代表がどうとかいう以前に、大気汚染がひどく固い路面の北京でマラソンが無事に行なわれるのかどうかという話になってしまった。

金メダル有力候補の「出生の秘密」を暴いたフリーライターが、ネット上で激しく非難される事態も生じた。あえて、誤解を覚悟で言わせてもらうと、その記事を掲載した週刊誌は、「報道姿勢が一貫していた。」と思う。その雑誌は、日本国内でも行なわれた、五輪の聖火リレーの協賛企業に対して、中国がチベットに対して行なっている激しい人権弾圧についての公開質問を行なっていたのだ。そこまで、「中国で五輪を開催すること」に批判的な雑誌の立場からすれば、北京五輪の有力メダル候補も、「中国の現体制の擁護者」として、叩くべき標的になるのもやむを得ないはずである。むしろ、開幕前はさんざんボイコットもやむなしとの論調を唱え、開会式の演出にもケチをつけながら、日本人のメダリストには

「感動をありがとう。」

と決まり文句を並べる他のメディアの方がよほど節操が無い。その代わり、あれだけ、北京で五輪を開催したことを否定していて、ガスマスク姿のランナーがマラソンを走るイラストまで掲載していたメディアに、マラソンで男女ともに入賞ゼロという結果を批判する資格もない。北京五輪で男子の優勝タイムが五輪新記録だったのを見て以来、僕は一般誌のマラソン報道は信頼に足るものではないと思うことにした。信頼すべき情報なら、陸マガか月陸といった専門誌か、寺田辰朗氏のような陸上専門記者の書く記事を読めばいいと思うことにした。その寺田氏が自らのサイトで書いていたが、現時点で、日本の女子マラソンの五輪代表は1人も決定していないことをどれだけの人が認識しているだろうか?

スポーツ紙などは「重友、五輪に当確!」という見出しで大阪国際女子の結果を報じているが、日本陸連が公式に発表したわけではないのである。過去に、選考レースが全て終わる前に、内定者を発表したことが混乱と批判と現場の不信を招いたから、全ての選考レースが終わるまでは、「内定者」も発表しないことにしているのである。

僕も20年近く、日本陸連に登録料を毎年払っている立場である。だからと言って、日本陸連を擁護しないといけない義理があるとは思っていない。しかし、これだけ過去の批判を踏まえて、代表選考を改善しようとしている団体に対して、「とにかく、陸連を叩いておけばいい。」と言った姿勢の報道を行なうのは、まるで自分たちが政権与党だった頃にも実施しようとしていた政策に対しても、全て反対と審議拒否するどこかの政党と変りないではないかと思う。

「なぜ女子マラソンの選考は毎度毎度モメるのか」

真の理由はもはやお分かりだろう。答えは一つ

「お前が言うな!」

である。


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