前回更新よりも10日間、更新がストップしてしまったが、インフルエンザや政権交代の影響ではありません。
月刊陸上競技誌は、世界選手権や五輪の前月は世界各国の「専門家」による全種目の金メダル候補を予想している。今回、日本人で金メダル候補になっていたのは男子では、50km競歩の山崎勇喜、女子ではマラソンの渋井陽子だった。
渋井は故障で欠場を表明。北京五輪7位入賞で、今回、日本の男子で最もメダルに近い男と呼ばれた山崎は、スタートから集団を飛び出す積極的なレースを見せたが、歩型違反として3度の警告を受けて失格。
そうなのだ。これがあるのだ。競歩という競技はただ、速く歩いてゴールすればいいだけの種目ではなかったのだ。適当な表現が出来ないが、「審判を味方につけるテクニック」もこれからは課題になるのかなと思った。
日本メダルゼロかという危機の中で迎えた男子マラソン。
弱いとか落ち目とか言われつつも男子マラソンは'99年のセビリア大会以来世界選手権では5大会連続入賞は維持しているし、メダルも2個持ち帰っている。にも関わらず、毎回、「王国復活」、「王国復権」と呼ばれ続けてきたのだが、今回はまさに「逆風」を受けてのスタートだった。
昨年の北京五輪では大崎悟史が直前で欠場。35歳にして初の五輪代表(この事自体が快挙なのだが)の尾方剛の13位が最高の成績。そして、佐藤敦之は、完走者の最後にゴール。いつものように、振り返って深く頭を下げた。僕にはそれは、とても「美しい姿」に見えたのだが、そう見えた人は少なかったのだろう。試合後のリングでカラオケを歌うようなボクサーや、ウケ狙いのふざけたコメントを連発するような柔道家を持て囃すスポーツメディアは、彼の姿を「赤っ恥」と切り捨てた。メダルを取らなければ、何の値打ちもないと言わんばかりに。
(話はずれるが、どう考えても、皆川賢太郎のトリノ五輪の4位入賞、過小評価だぞ。)
その佐藤が、今回、ベルリンのスタートに立っている。中村友梨香のトラック代表入りも「異例」だったが、五輪と世界選手権、2年連続マラソン代表になったのは日本人初である。
「五輪で燃え尽きていなかったから。」
などというのは、外野席の戯言だ。実際に新たな目標を見つけて、トレーニングを開始するまではかなりきつい日々を過ごしたはずである。今回の代表選考に、春の海外マラソンも対象にしたのは、もしかしたら佐藤の復帰を見越しての措置だったのではと、今なら思えるが、今回の男子マラソン、結論から先に言うと、
「佐藤がいてくれて、本当に良かった。」
の一言に尽きる。
5kmを15分9秒、10kmを30分9秒と、冬の国内メジャーマラソン並みのペースでレースが進む。このままでも2時間8分前後のペースだ。集団を埋め尽くすのはアフリカのランナーが大半だ。エチオピア、ケニア、タンザニア、エリトリア、南アフリカ、そして中東に国籍を移したケニア人ランナーたち。日本の5人もなんとかしがみついている。一際目立つのは黄色いシャツの長身のランナー、ルワンダのディジ。民族紛争から大虐殺が起こった国だが、彼の家族も全員殺されたという。彼が10km過ぎて思い切りペースを上げた。そこからの10kmがなんと29分34秒。北京五輪金メダリストのサムエル・ワンジル、その翌月に人類初の2時間3分台をマークしたハイレ・ゲブレセラシェがいなくても、関係ないとばかりにペースが上がる。
実は今回、'97年のアテネ大会以来の「入賞ゼロ」もあるかもしれないと覚悟した。昨年の福岡、入船敏と藤原新は2時間9分台とはいえ、優勝したツェガエ・ケベデ(北京五輪銅メダリスト)とは全く勝負にならなかった。清水将也はびわ湖で、前田和浩も東京で2時間10分は切っていない。もっとも、僕はびわ湖と東京のレースは悪くなかったと思っている。福岡のサブテンの2人よりは、買っていた。福岡の2人はケベデに3分以上差をつけられたが、びわ湖も東京も優勝タイムが2時間10分台のレースだったからだ。それよりも、藤原よりも別大で2位の小林誠治の方を高く買っていた。
しかし、それでも、世界のトップと「対等の勝負」が出来る陣容ではない。4月のロンドンで佐藤は7位。北京の屈辱からよくぞ立ち直ったと評価したい一方で、彼に「日本マラソンの復権」の重責を託さねばならないほど、選手層が薄くなっているのかと侘しくなってきた。
それでも、願わずにはいられなかった。
「日本には佐藤敦之がいる。」
「彼なら、なんとかしてくれる。」
10km過ぎて、5人の日本人は集団から取り残された。夏なのに、佐藤以外の4人の自己ベストを上回るペースのレースになっているからやむを得ない。日本人トップの佐藤にしても14位。このままゴールまでこの順位だろうか。
「独自の戦い」という言葉が、選挙の情勢報道で使われる。
「○区では現職の××候補が一歩抜け出すも、◎◎党新人の△△候補が支持拡大を目指し、××に迫る勢い。」
といった有力候補の分析の後、所謂“泡沫候補”に対しては
「●●候補は独自の戦いを続ける。」
と結ばれる。当選の見込みもないのに、立候補する議員候補と、マラソン・ランナーと一緒にしては失礼かもしれないが、ランナーたちは、たとえ、メダルに手が届かなくなっても走る事を止めない。もしもメダルが全てなら、メダリスト以外のランナーに何の価値もないのなら、マラソンのルールも変えればいい。5km毎の関門で、トップから一定のタイム以上離されたランナーは「失格」にすればいい。
そんなルールは、絶対に導入されないだろう。そんなルールが万が一導入されたら、僕はマラソンなど見なくなるし、やらなくなると思う。
先頭集団は遥か遠くにいる。しかし、佐藤の「独自の戦い」はここから始まった。
月刊陸上競技誌は、世界選手権や五輪の前月は世界各国の「専門家」による全種目の金メダル候補を予想している。今回、日本人で金メダル候補になっていたのは男子では、50km競歩の山崎勇喜、女子ではマラソンの渋井陽子だった。
渋井は故障で欠場を表明。北京五輪7位入賞で、今回、日本の男子で最もメダルに近い男と呼ばれた山崎は、スタートから集団を飛び出す積極的なレースを見せたが、歩型違反として3度の警告を受けて失格。
そうなのだ。これがあるのだ。競歩という競技はただ、速く歩いてゴールすればいいだけの種目ではなかったのだ。適当な表現が出来ないが、「審判を味方につけるテクニック」もこれからは課題になるのかなと思った。
日本メダルゼロかという危機の中で迎えた男子マラソン。
弱いとか落ち目とか言われつつも男子マラソンは'99年のセビリア大会以来世界選手権では5大会連続入賞は維持しているし、メダルも2個持ち帰っている。にも関わらず、毎回、「王国復活」、「王国復権」と呼ばれ続けてきたのだが、今回はまさに「逆風」を受けてのスタートだった。
昨年の北京五輪では大崎悟史が直前で欠場。35歳にして初の五輪代表(この事自体が快挙なのだが)の尾方剛の13位が最高の成績。そして、佐藤敦之は、完走者の最後にゴール。いつものように、振り返って深く頭を下げた。僕にはそれは、とても「美しい姿」に見えたのだが、そう見えた人は少なかったのだろう。試合後のリングでカラオケを歌うようなボクサーや、ウケ狙いのふざけたコメントを連発するような柔道家を持て囃すスポーツメディアは、彼の姿を「赤っ恥」と切り捨てた。メダルを取らなければ、何の値打ちもないと言わんばかりに。
(話はずれるが、どう考えても、皆川賢太郎のトリノ五輪の4位入賞、過小評価だぞ。)
その佐藤が、今回、ベルリンのスタートに立っている。中村友梨香のトラック代表入りも「異例」だったが、五輪と世界選手権、2年連続マラソン代表になったのは日本人初である。
「五輪で燃え尽きていなかったから。」
などというのは、外野席の戯言だ。実際に新たな目標を見つけて、トレーニングを開始するまではかなりきつい日々を過ごしたはずである。今回の代表選考に、春の海外マラソンも対象にしたのは、もしかしたら佐藤の復帰を見越しての措置だったのではと、今なら思えるが、今回の男子マラソン、結論から先に言うと、
「佐藤がいてくれて、本当に良かった。」
の一言に尽きる。
5kmを15分9秒、10kmを30分9秒と、冬の国内メジャーマラソン並みのペースでレースが進む。このままでも2時間8分前後のペースだ。集団を埋め尽くすのはアフリカのランナーが大半だ。エチオピア、ケニア、タンザニア、エリトリア、南アフリカ、そして中東に国籍を移したケニア人ランナーたち。日本の5人もなんとかしがみついている。一際目立つのは黄色いシャツの長身のランナー、ルワンダのディジ。民族紛争から大虐殺が起こった国だが、彼の家族も全員殺されたという。彼が10km過ぎて思い切りペースを上げた。そこからの10kmがなんと29分34秒。北京五輪金メダリストのサムエル・ワンジル、その翌月に人類初の2時間3分台をマークしたハイレ・ゲブレセラシェがいなくても、関係ないとばかりにペースが上がる。
実は今回、'97年のアテネ大会以来の「入賞ゼロ」もあるかもしれないと覚悟した。昨年の福岡、入船敏と藤原新は2時間9分台とはいえ、優勝したツェガエ・ケベデ(北京五輪銅メダリスト)とは全く勝負にならなかった。清水将也はびわ湖で、前田和浩も東京で2時間10分は切っていない。もっとも、僕はびわ湖と東京のレースは悪くなかったと思っている。福岡のサブテンの2人よりは、買っていた。福岡の2人はケベデに3分以上差をつけられたが、びわ湖も東京も優勝タイムが2時間10分台のレースだったからだ。それよりも、藤原よりも別大で2位の小林誠治の方を高く買っていた。
しかし、それでも、世界のトップと「対等の勝負」が出来る陣容ではない。4月のロンドンで佐藤は7位。北京の屈辱からよくぞ立ち直ったと評価したい一方で、彼に「日本マラソンの復権」の重責を託さねばならないほど、選手層が薄くなっているのかと侘しくなってきた。
それでも、願わずにはいられなかった。
「日本には佐藤敦之がいる。」
「彼なら、なんとかしてくれる。」
10km過ぎて、5人の日本人は集団から取り残された。夏なのに、佐藤以外の4人の自己ベストを上回るペースのレースになっているからやむを得ない。日本人トップの佐藤にしても14位。このままゴールまでこの順位だろうか。
「独自の戦い」という言葉が、選挙の情勢報道で使われる。
「○区では現職の××候補が一歩抜け出すも、◎◎党新人の△△候補が支持拡大を目指し、××に迫る勢い。」
といった有力候補の分析の後、所謂“泡沫候補”に対しては
「●●候補は独自の戦いを続ける。」
と結ばれる。当選の見込みもないのに、立候補する議員候補と、マラソン・ランナーと一緒にしては失礼かもしれないが、ランナーたちは、たとえ、メダルに手が届かなくなっても走る事を止めない。もしもメダルが全てなら、メダリスト以外のランナーに何の価値もないのなら、マラソンのルールも変えればいい。5km毎の関門で、トップから一定のタイム以上離されたランナーは「失格」にすればいい。
そんなルールは、絶対に導入されないだろう。そんなルールが万が一導入されたら、僕はマラソンなど見なくなるし、やらなくなると思う。
先頭集団は遥か遠くにいる。しかし、佐藤の「独自の戦い」はここから始まった。
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