KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2010東京マラソン雑感~32000人の第1位がヒーローではないのか?

2010年03月07日 | マラソン観戦記
4回目の東京マラソン、今回初めて僕もエントリーしたのだが、抽選に漏れてしまった。1月31日の愛媛マラソンの後、1週間は筋肉痛と風邪で、身体を動かすのがやっとだったが、2週間後には練習を再開し、30km走が出来るまでに回復した。これなら、当選していたら愛媛よりもずっと楽しく走れていただろうにと思っていた。

28日は地元のイベントに参加していた。愛媛は好天気に恵まれた。打ち上げで酒を飲み、夕方に帰宅してビデオを見たのだが、それを見て

「これなら出なくて良かった。」

と思った。

第一回のこの大会同様に冷たい雨が降りしきるコンディション、それが後半には雪に変っていた。4週前の愛媛と同様、あるいはそれ以上に厳しい条件になっていた。ちなみに愛媛マラソンのスタート時の気温は7℃。東京は5℃だったという。

基本的に寒い大会は苦手だ。暑さに強いとは言わないが、気温20℃を越えるコンディションで何度か完走を経験しているし、最低でも10℃は欲しい。

「空前の」という形容詞がつくほどのランニング・ブームであり、その発信源と呼ばれる東京マラソンであるが、今や単なるマラソン大会の域を越えている。村上春樹氏の表現を借りると、新聞の「運動面」の話題のみならず、「社会面」や「芸能面」、時として「経済面」の話題になるほどの盛況ぶりである。いや、むしろ「運動面」としての話題が乏し過ぎやしないか?

主催の讀賣新聞にしても、優勝者の写真が一面に掲載されなかったほどである(僕が見たのは、愛媛で売られている大阪版)。バンクーバー五輪での女子スピードスケートの団体追い抜きの銀メダルに食われてしまった形である。

本稿では、メディアからやや蔑ろにされている優勝争いについて書いてみたい。

今回の参加メンバーの顔ぶれ、いわば「事実上の日本マラソン選手権」と呼びたくなる顔ぶれだった。昨年の世界選手権代表が2名に、アテネ五輪代表が2名。若手の注目ランナーの初マラソンもあれば、再起をかけるベテランまで。昨年暮れの福岡国際マラソンのメンバーがあまりにもしょぼいと言われたが、多くのランナーが東京に照準を合わせてきていたのだ。駅伝が終わってから準備しても間に合う、ということだけではないだろう。ランナーたちもやはり、

「注目度の高い大会で走りたい。」

と思うものだろう。海外招待選手もメダリストこそいないが、実力のあるランナーが揃った。前回優勝者のキプサングも来ている。このところ、前回優勝者が連続して来日するケースが少ないだけに、ほっとした。2年前のような高速レースを期待したが、降りしきる氷雨がそんな期待を打ち砕いた。

寒さのせいでペースが上がらず、10kmから15kmまでのスプリットが15分25秒、20kmまでが15分51秒に落ち込み、中間点は1時間5分16秒で通過。そんなペースに次々とランナーたちが脱落していく。かつて、氷雨降りしきる福岡で当時世界最速のペースで独走した中山竹通氏が放送席に座っていたが、どのような想いでレースを見ていたのだろうか?

現役時代は奔放な発言で物議を醸すこともあった中山氏がどちらかというと抑え気味のコメントをして、そのライバルで現役時代は優等生的なイメージだった瀬古利彦氏の方が「言いたい放題」コメンテイターとなっているのが面白い。

ちなみに、この日の東京は'87年の福岡よりも寒かった。

女子の部は男子以上に波乱のレースとなっていた。出場していたサブスリー・ランナーのブログにて、「地獄絵図」と表現されていたほど、国内の有力ランナーがことごとく「撃沈」していった。世界選手権銀メダリスト尾崎好美の姉、尾崎朱美も「ラストラン」を完走出来なかったし、前回優勝の那須川瑞穂は30kmからゴールまで1時間8分以上もかかっていた。

こんなレースを見てしまうと、かつてマラソンを冬季五輪の種目にしようという提言があったことが悪い冗談のように思えてくる。'90年代の五輪や世界選手権がいずれも耐暑マラソンとなり、都市マラソンのスピード・ランナーたちが出場を回避する傾向が目立ったために起きたものだが、この10年で「暑さ対策」が格段に進化した。そして、2年前の北京でワンジルが真夏の五輪で2時間6分台で金メダルを獲得して、「夏マラソン」の概念が変ってしまった。

思えば、ランニングウェア等の「暑さ対策」は進化したというのに、「寒さ対策」と言えば、せいぜいアーム・ウォーマーが普及した程度である。水泳のレーザー・レーサーのように全身を覆うようなランニング・ウェアは開発されていない。五輪のマラソンで、そのようなウェアが必要になるようなコンディションがあり得ないからだろう。完走自体が目標というレベルのランナーならロングタイツが欠かせないが、優勝を目標とするランナーにはパフォーマンスの低下につながるために使用されない。

寒さは筋肉を冷やし、能力を低下させるのみならず、治りかけていた故障をぶり返させる。多くのランナーが集団から脱落していったのもそのせいだろう。1kmを3分前後で42.195kmを走るためにチューン・アップされた肉体が雪混じりの雨にずたずたにされていった。

25km過ぎて、100kmマラソンの優勝歴のある渡邊真一が、さらには昨年暮れの防府で優勝した澁谷明憲が先頭に飛び出したが、結果的には失敗に終わった。40km過ぎても、9人のランナーが集団を形成している様は、強風のためにスローペースの展開となった3週間前の別大毎日マラソンを思わせた。

ラスト2km。その時レースが動いた。飛び出したのは藤原正和。7年前、中央大学卒業直前に出たびわ湖毎日マラソンで初マラソンの日本最高記録をマークしたランナーである。しかし、その年の世界選手権は欠場。その後再びマラソンを走るまで5年もかかった。今回が3度目のマラソン。帽子を投げ捨てて先頭に立ち、後続を引き離す。後を追うのは昨年の世界選手権代表の藤原新、世界選手権6位入賞で今回僕が最も優勝を期待していた佐藤敦之、そして、よくぞここまで残っていたと思わせた、学習院大初の箱根駅伝出場ランナーで現在は埼玉で県立定時制高校の事務職員の川内優輝。寒さで硬く強張っていた筈の足の一体どこにこんな力が残されていたのだろうか。

トップでゴールしたのは藤原正和、2位は藤原新と、「フジワラ」のワン・ツーフィニッシュとなった。宗兄弟以外に、同姓のランナーのワン・ツーというのは初めてではないだろうか?そして、佐藤、川内がゴール。この4人はラストの2.195kmを7分以内で駆け抜けた。ゴールタイムが2時間12分台とはいえ、これは「実力」があり、コンディションも巧く整えたランナーでないと出来ないことだ。

日本人ランナーが国内の三大国際マラソン(福岡、東京、びわ湖)で優勝したのは5年ぶりのこと。東京国際マラソンでの高岡寿成氏の優勝以来だが、あの時の東京は強力なライバルが不在のレースだった。国内外の強豪との競り合いから抜け出して優勝したという点が素晴らしい。

中継によると、佐藤敦之は当初春の海外マラソンの出場を希望したが坂口泰監督から
「まず優勝してから。」
と諭されて、東京にエントリーしたという。藤原正和には、今秋のアジア大会の代表になる権利もあるが、彼にはむしろベルリンかシカゴのような記録を狙うレースに出てもらいたいと思う。まだびわ湖の結果次第だが、藤原新と佐藤はアジア大会の出場を承諾するだろうか?

あるいは、川内も代表候補となるだろうか。県立高校の教員をしながらボストンマラソン優勝、ミュンヘン五輪代表となった采谷義秋氏のようになって欲しいと思う。報道によると、定時制高校職員としての出勤するのは午後1時からで午前中に練習しているという。これはフルタイム勤務の仕事を持つ「リアル・アマチュア・ランナー」としては9時から5時までの勤務よりも随分、恵まれた環境ではあるまいか。夕方仕事を終えて、暗い夜道や公園を走るよりも質の高い練習が可能であるし、平日の午前中でも治療院に通うことが出来る。目標とするレースのスタート時間に練習出来るのは、調整もやり易いと思う。箱根駅伝で区間賞を獲得しながら、あえて「同好会サークル」に近いNTT大阪に入社し、2時間8分台の記録をマークした大崎悟史のようになって欲しいと思う。

せっかくの快挙がバンクーバー五輪のメダル獲得にかき消されてしまったのは残念である。せめて中継を担当したテレビ局くらいは、翌日朝のニュースショーに生出演させても良かったのではないか。練習で10kmも走っていないのに、今回なんとか完走した身内の女子アナを映すような企画を削ってでも、「初の日本人優勝者」をアピールして欲しかった。なんといっても藤原正和、箱根駅伝で「花の2区」と「山の5区」の両方で区間賞を獲得しているランナーだぞ。箱根駅伝を中継するテレビ局がもっと盛り上げなくてどうする。五輪の開催中でも一面はいつもタイガースの関西のスポーツ紙を見習え。(流石に、女子フィギアの翌日はデイリー・スポーツの一面も真央ちゃんだったが。)

ちなみに上位4人、全て箱根駅伝経験者だった。





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