前置きなしに書きますが、私は、元号が時代を区分するものだとは思いません。
使いたい人、それで喜びたい人が使うのをどうこう言える立場ではありませんが、国家権力から使用を強制されるのには反対の立場です。
干支や星座、血液型などで人柄を判断するのは間違いであるように、生まれや育った元号で人となりを決めつけるのは間違いです。
天皇制を利用したい時の権力者が元号を喧伝しても、自然現象はもちろんのこと、社会や経済の流れだって変わるわけがない。
ふと、私も勉強した頃の日本史の授業を思い出しました。
それは50年以上前のことで、今とはすっかりかわっているはずですが、どうでしょうか。
今も「奈良時代」と呼んでいますよね。
その時代、大宝律令によって律令国家ができました。
戸籍計帳といった文書(もんじょ)が残っています。それを読み、家族や集落の構成を考察する授業だったと思います。
年号は漢字4文字が多かったです。
お経のよう覚えました。「天平・天平感宝・天平勝宝・天平宝字・天平神護・神護景雲・宝亀・天応…」。
奈良時代の7~80年間(気が付けば、私が生きてきた期間と同じ!)なので、西暦に換算することもなく、前後が分かればよかったと思う(たぶん…)。
ネットで調べたら、奈良時代に年号は12ありました。
一方、『万葉集』について。
家にある古い本、発行は昭和8年(86年前)で、橋田東聲著『傑作選 万葉集 評釈』です。
著者はこの本発行の2年前に44歳で急逝しています。つまり100年ほど前の研究に基づくものですから、鵜呑みにしちゃダメでしょうが、分かりやすい文章です。
「選集」なので、「巻之五」「天平2年、大宰府師大伴旅人の宅にて梅花の題詠」については、話題の前書きはなく、「梅花三十二首」も採り上げているのは2首でした。
ところで、この「巻之五」には、次のような教科書で習った歌もあります。
大伴家持
亡妻を嘆く歌
「妹が見しあふちの花はちりぬべし我が泣く涙未だ乾かなくに
(妻が愛でていたあふち(センダン)の花は散りかかっている。それだけ時間がたったのだろう。私の袖にはまだ涙の乾くひまもないのに)
山上憶良
子らを思う歌
長歌は長いので省きます。反歌で思い出してください。
しろがねも黄金も玉もなにせむにまされる宝子にしかめやも
貧窮問答歌
律令体制下の公民の貧窮ぶりと里長(さとおさ)による苛酷な税の取り立ての様子を写実的に歌った歌。こちらも長歌は省きます。
反歌
世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
万葉集の「巻之五」を手にした人たちは、この歌にも心を寄せるでしょうよね。
<蛇足>
万葉集は、後世の歌人だけでなく、一般の人々にも受け入れられ、共感を呼びました。
「子を思う歌」については、次の狂歌もあるんですって。
私は、後半部分を知らなかったわ(^_^;)。
這えば立て立てば歩めの親心我により来る年は忘れて(よみびとしらず)
使いたい人、それで喜びたい人が使うのをどうこう言える立場ではありませんが、国家権力から使用を強制されるのには反対の立場です。
干支や星座、血液型などで人柄を判断するのは間違いであるように、生まれや育った元号で人となりを決めつけるのは間違いです。
天皇制を利用したい時の権力者が元号を喧伝しても、自然現象はもちろんのこと、社会や経済の流れだって変わるわけがない。
ふと、私も勉強した頃の日本史の授業を思い出しました。
それは50年以上前のことで、今とはすっかりかわっているはずですが、どうでしょうか。
今も「奈良時代」と呼んでいますよね。
その時代、大宝律令によって律令国家ができました。
戸籍計帳といった文書(もんじょ)が残っています。それを読み、家族や集落の構成を考察する授業だったと思います。
年号は漢字4文字が多かったです。
お経のよう覚えました。「天平・天平感宝・天平勝宝・天平宝字・天平神護・神護景雲・宝亀・天応…」。
奈良時代の7~80年間(気が付けば、私が生きてきた期間と同じ!)なので、西暦に換算することもなく、前後が分かればよかったと思う(たぶん…)。
ネットで調べたら、奈良時代に年号は12ありました。
一方、『万葉集』について。
家にある古い本、発行は昭和8年(86年前)で、橋田東聲著『傑作選 万葉集 評釈』です。
著者はこの本発行の2年前に44歳で急逝しています。つまり100年ほど前の研究に基づくものですから、鵜呑みにしちゃダメでしょうが、分かりやすい文章です。
「選集」なので、「巻之五」「天平2年、大宰府師大伴旅人の宅にて梅花の題詠」については、話題の前書きはなく、「梅花三十二首」も採り上げているのは2首でした。
ところで、この「巻之五」には、次のような教科書で習った歌もあります。
大伴家持
亡妻を嘆く歌
「妹が見しあふちの花はちりぬべし我が泣く涙未だ乾かなくに
(妻が愛でていたあふち(センダン)の花は散りかかっている。それだけ時間がたったのだろう。私の袖にはまだ涙の乾くひまもないのに)
山上憶良
子らを思う歌
長歌は長いので省きます。反歌で思い出してください。
しろがねも黄金も玉もなにせむにまされる宝子にしかめやも
貧窮問答歌
律令体制下の公民の貧窮ぶりと里長(さとおさ)による苛酷な税の取り立ての様子を写実的に歌った歌。こちらも長歌は省きます。
反歌
世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
万葉集の「巻之五」を手にした人たちは、この歌にも心を寄せるでしょうよね。
<蛇足>
万葉集は、後世の歌人だけでなく、一般の人々にも受け入れられ、共感を呼びました。
「子を思う歌」については、次の狂歌もあるんですって。
私は、後半部分を知らなかったわ(^_^;)。
這えば立て立てば歩めの親心我により来る年は忘れて(よみびとしらず)