kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

パソコンがなかった頃は

2019年04月03日 | 日記
学校での授業やその準備に、パソコンが使われ出したのは、いつ頃だったかしら?

私の頃(50~60年前)幾何の先生は、定規とコンパス・分度器を使って黒板に図を描いていましたが、
叔母の話では、女学校のY先生(70~90年前)は、道具を使うことなく、きれいに円や直線を描いていたそうです。

地理の時間、私が習った時は、「地図帳を見なさい」と指示されていたと思う。
でも、後に出会ったK先生は、アフリカでも東南アジアでも(マイナーな地域でも、ってことです)、フリーハンドで地図帳と同じ図を黒板に描いていました。

器用な人もいたもんだという話ですが、昨日読んだ本の著者・橋田東聲も、現代人なら持ち得ない能力を、身につけていたんだと思いました。
古来からの和歌全般についての知識です。
書物やノートを並べても、頭の中で整理されてないとまとめられませんから。

例えば、山上憶良の『貧窮問答歌』の説明では
「貧乏の歌をよんだものに、後世、橘曙覧、良寛、若山牧水、石川啄木等があるが、山上憶良はその先例である」として、次の和歌を参照にあげています。

橘 曙覧
たのしみはあき米櫃に米いでき今ひと月はよしといふとき
たのしみはまれに魚煮て子ら皆がうましうましと言ひて食ふとき
たのしみは銭なくなりてわびゐるにひとの来りて銭くるるとき

若山牧水
ひきだしの数の多さよ家のうちかき探せども一銭もなし
ゆく水の止まらぬ心持つといえどおりおり濁る貧しきゆえに

石川啄木
はたらけどはたらけどなほ我がくらしらくにならざりじつと手を見る

万葉集の心がこのような流れて伝えられてきた、という説明でしょう。

今ならネットで検索すれば簡単に出てくるし、自分で整理してまとめるのもパソコンを使えば簡単です。
そのような道具も手法もなかった時代に、貧しさも悲しさも強さも喜びも理解した上で歌を選び出し、説明してあるので感心しました。
なお、この原稿が完成したのは、橋田東聲38歳の時でした。
(序文から年齢計算をした)


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