kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

あかときつゆに我れ立ちぬれし

2022年10月03日 | 古典聞きかじり
わがせこを大和へやると さよふけて あかときつゆに われ立ちぬれし

現代語訳
愛するひとを、自分の手の届かない大和へ発つのを見送っていると、夜も更けて、明け方の露に濡れてしまった

大伯皇女の、この歌を知ったのは高校の授業でだったが、深く印象に残った。
解説は、
謀反の疑いをかけられた大津皇子は、大和から、伊勢の斎宮(さいぐう)である姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)に、別れの挨拶に来た。
それを見送る大伯皇女は、弟の運命を嘆きつつ立ちすくんでいた。夜も更け、朝露に濡れていた。


でも、分からなかったのは、死刑が宣告された大津の皇子が、大和から伊勢まで一人で姉に会いに来た、という状況。
まあ、おかまいなく、この歌がずっと好きだった。

しかし、NHKラジオの『古典講読』を聞いたら、解釈は違った。

大津の皇子は、686年9月9日、天武天皇が崩御すると、皇太子・草壁皇子に取って代わろうとして、行動に移した。

天皇の祖先である天照大神を祀っている伊勢神宮。
天皇及び皇位を継承するものだけが奉幣できる伊勢神宮は、勝手に御幣を捧げて祈願することが禁じられる「私幣禁断」がある。
それ以外のものが奉幣するのは、皇位を狙う仕業として厳禁される。

伊勢神宮で、天照大神に仕える初代斎宮は、姉である大伯皇女。
大津は自分こそが正当な皇位継承者であると自認して、まず神宮に奉幣しに来た。
そして、神宮から15キロ離れた斎宮にいる姉に会ったのだ。
(大伯皇女が、手引をした)

大和(飛鳥浄御原宮:あすかのきよみはらのみや)に戻った大津の皇子は、誅(しのびごと)が発覚し、10月2日に捕らえられ、翌日3日、自害させられた。享年24歳。

11月、大伯皇女は斎宮の任を解かれ、大和へ戻った。

なるほどね~。
高校で習ったのは、60年前の解釈。
もやもやした解釈より、ストンと腑に落ちる見解でした。

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