八の宮が二人の娘の行く末を心配しながら死去する場面だった。
(八の宮は桐壺帝の第八皇子。源氏が第二皇子。そして冷泉帝は、第十皇子)
八の宮は、政権の中枢から外され、北の方は2番目の姫を出産後亡くなり
都の家は焼失したので、2人の娘を連れて、宇治の山荘で暮らしていた。
仏道修行に励み、宇治山の阿闍梨と親しくなった。
八の宮は自分の命の終わりを予感し、阿闍梨の山寺に籠ることにした。
静かな環境で心ゆくまで念仏を唱えようと思った。
その前に、2人の娘たちに向かって遺言を語る。
唯一の保護者である私も、この世を去ることになる。信用のおける後見人もいない。
しかし、軽薄な心で想い寄ってくる男に頼って、さ迷い出るようなことはするな。
自分たちは、前世からの宿命である「不幸な定め」のもとに生まれてきた人間なのだ、と分かって欲しい。この宇治の山小屋で一生を終えて欲しい。
(八の宮の遺言は、薫のように信用のおける男であれば、その誘いを受けても良い。けれども好色な男たちの甘い言葉に騙されてはならないというものだったが、「薫ならば結婚しても良い」とは明言しなかった)
父親としてまことに無責任な言葉にも聞こえるが、不幸な一生を生きてきた八の宮は、このように言い残すしかなかった。
そして、阿闍梨の山寺にこもって念仏を唱えていたが、体調がすぐれず、逝去することになる。
ひと目、娘たちに会いたいという八の宮に、阿闍梨は説得した。
姫君たちのことは、あなたがいくら心配しても、どうすることもできない。
どうして思い嘆くことがありましょう。
頭の中から、娘さんたちの存在を消してしまいなさい。
人間には皆、その人その人が持って生まれた宿世というものがあります。
親がどんなに心配しても、娘の人生がよくなるものではなく
親が全く顧みなくても、娘が幸せになることもあるでしょう。
親の側の思いと、子どもたちの幸不幸は、全く別次元のものなのです。
余計な心配などなさらない方がよろしいです。
娘たちだけでなく、あらゆるものへの執着を捨て去りなさい。
この山寺で、人生の最後の瞬間を心静かに迎えなさい。
宗教者である阿闍梨は、このように、正しい臨終へと導いていった。
そして葬儀の前に、亡き父親の亡骸と対面したいという姫君たちの願いも
厳しく拒絶した。宗教の世界の厳しさを感じます。
その厳しさに耐えられなかった父娘の人間的な弱さとが浮かび上がりますが、その弱さこそが人間にとって最も大切な優しさ、思いやりでもあるのです。
以上、ラジオから聞こえてきたことをそのまま書き留めたが、腑に落ちない部分もある。
紫式部は、どうして、このように主張したのかなあ🤔