大河ドラマを見ていると、愛情で強く結ばれていく主人公たち
という筋書きになっている。
しらじらし~😞
700年も1000年も前の人にまで、愛とロマンを求めるのだろうか?
ドラマだから、ねえ。
江戸時代を想像して作り上げた、水戸黄門や暴れん坊将軍を見て
スカッとしたぞ!
明日の仕事もバリバリやるぞ!とか
家事育児、どんと来い!とか
思うのだろうか(・・?
今、私世代の人に沁みついている家族・家庭像や道徳観は
明治政府が国家の近代化のために作ったもので
ほんの100年前までは、こんなじゃなかった。
明治の頃の婚姻経緯、例えば、私の母方の祖父母について。
(父方の祖父母は精励恪勤な農民であった。それ以上は知らない)
母の母親は、何代か続いた農家の跡取り娘で
3人目の婿さんが私たちの祖父になった。
最初の婿さんは「酒も飲めん奴はダメ!」と返され
2回目の婿さんは「こんな家は潰れてしまう」と去ったとか。
3人目の婿さん(明治13:1880年生まれ)は、
来る前に2回婿入りを経験していた。
酒飲みの風流好みはいらんと返された?と想像する。
母(明治42:1909年生まれ)に
「なんでそんなに行ったり来たりしたの?」と聞いたら
「親が行けというところに行って、
行った先の親に『帰れ』と言われたら帰ったのよ」
と、こともなげに説明してくれた。
もう一世代前の婚姻経緯について、ある人の伝記で読んだ。
今治で生まれ育ったY氏について。
男子がなかったA家は、親戚B家の5男:C男を養子に迎え
娘のDと結婚させることを決めていた。
ただD娘は、C男より20歳年下で、すぐには結婚できなかったので
つなぎとして、E妾を内妻とした。
こういうことは、昔はよくあったことらしい。
E妾は明治15(1882)年に娘(F女)を産んだ。
F女はA家の親戚に預けられ、後に、その家の書生であった医師と結婚した。
成人したA家の跡取り娘のDと、養子のC男は結婚した。
E妾は、A家の世話で他家に嫁いだが
その夫が亡くなったので、実の娘のF女と暮らした。
で、A家の娘Dと、養子のC男との間に生まれたのが、伝記の主のY。
Yは、明治26(1893)年生まれ。
教育熱心な家だったので、尋常小学校を出ると、
中学進学のため、2歳年上の兄と共に神戸に出る。
時は明治37(1904)年4月。2月に日露戦争が始まった直後。
のち、A家のC夫もD妻も亡くなった。
晩婚で小さい子がいたからだろうか、近くに住んでいたF女が親代わりになり
E妾も手伝って、世話をしたとのこと。
以上、伝記に書いてあったので、詳細が伝わるのだけど
これが100年余り前のこと。
今の時代にいて、周りに迷惑をかけないよう慎ましい暮らしに努力している私には
頭のこんがらがる変遷ではある。
話を戻して、今から先。
家族も家庭も、うんと変わっていくと思う。
地域や親戚の結びつきが薄くなり、様々な価値観を持つ家庭が増える。
格差は拡大していくかも…。
私は「あの時代だったから生活できた、よかった」と思っているが
若い世代は「今だって、いい時代」と思っているかもしれない。
政府が企画した「こども庁」は、
旧統一教会からの横やりで「こども家庭庁」に名称変更され、4月に発足する。
どんな「家庭」を推奨するのだろう?
分からんことが多すぎる、と思う昨今です。
という筋書きになっている。
しらじらし~😞
700年も1000年も前の人にまで、愛とロマンを求めるのだろうか?
ドラマだから、ねえ。
江戸時代を想像して作り上げた、水戸黄門や暴れん坊将軍を見て
スカッとしたぞ!
明日の仕事もバリバリやるぞ!とか
家事育児、どんと来い!とか
思うのだろうか(・・?
今、私世代の人に沁みついている家族・家庭像や道徳観は
明治政府が国家の近代化のために作ったもので
ほんの100年前までは、こんなじゃなかった。
明治の頃の婚姻経緯、例えば、私の母方の祖父母について。
(父方の祖父母は精励恪勤な農民であった。それ以上は知らない)
母の母親は、何代か続いた農家の跡取り娘で
3人目の婿さんが私たちの祖父になった。
最初の婿さんは「酒も飲めん奴はダメ!」と返され
2回目の婿さんは「こんな家は潰れてしまう」と去ったとか。
3人目の婿さん(明治13:1880年生まれ)は、
来る前に2回婿入りを経験していた。
酒飲みの風流好みはいらんと返された?と想像する。
母(明治42:1909年生まれ)に
「なんでそんなに行ったり来たりしたの?」と聞いたら
「親が行けというところに行って、
行った先の親に『帰れ』と言われたら帰ったのよ」
と、こともなげに説明してくれた。
もう一世代前の婚姻経緯について、ある人の伝記で読んだ。
今治で生まれ育ったY氏について。
男子がなかったA家は、親戚B家の5男:C男を養子に迎え
娘のDと結婚させることを決めていた。
ただD娘は、C男より20歳年下で、すぐには結婚できなかったので
つなぎとして、E妾を内妻とした。
こういうことは、昔はよくあったことらしい。
E妾は明治15(1882)年に娘(F女)を産んだ。
F女はA家の親戚に預けられ、後に、その家の書生であった医師と結婚した。
成人したA家の跡取り娘のDと、養子のC男は結婚した。
E妾は、A家の世話で他家に嫁いだが
その夫が亡くなったので、実の娘のF女と暮らした。
で、A家の娘Dと、養子のC男との間に生まれたのが、伝記の主のY。
Yは、明治26(1893)年生まれ。
教育熱心な家だったので、尋常小学校を出ると、
中学進学のため、2歳年上の兄と共に神戸に出る。
時は明治37(1904)年4月。2月に日露戦争が始まった直後。
のち、A家のC夫もD妻も亡くなった。
晩婚で小さい子がいたからだろうか、近くに住んでいたF女が親代わりになり
E妾も手伝って、世話をしたとのこと。
以上、伝記に書いてあったので、詳細が伝わるのだけど
これが100年余り前のこと。
今の時代にいて、周りに迷惑をかけないよう慎ましい暮らしに努力している私には
頭のこんがらがる変遷ではある。
話を戻して、今から先。
家族も家庭も、うんと変わっていくと思う。
地域や親戚の結びつきが薄くなり、様々な価値観を持つ家庭が増える。
格差は拡大していくかも…。
私は「あの時代だったから生活できた、よかった」と思っているが
若い世代は「今だって、いい時代」と思っているかもしれない。
政府が企画した「こども庁」は、
旧統一教会からの横やりで「こども家庭庁」に名称変更され、4月に発足する。
どんな「家庭」を推奨するのだろう?
分からんことが多すぎる、と思う昨今です。