kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

歌詞を見なくても歌えた

2023年01月14日 | 古典聞きかじり
幼くて、まだ字は読めなかった頃の孫が
TVアニメで、終わりに流れるアニメソングを
流暢に歌っているのを見て、びっくりした!

TV画面の下に、歌詞の字幕は出ているが
テンポが速くて、すぐ消えてしまう。
でも、孫に字は関係ない。
TVの音声に合わせて、楽し~く歌うのだ。


ラジオで『万葉集』の歌謡の話を聞いて
昔の孫の姿を思い出した。
『万葉集』に残っている歌(五七調で長々続くのを「長歌」
その終わりの、五七五七七の短いのを「反歌」という)は
天皇がイベントなどで多くの人を集めた時
人々の心を一にするために
大勢が声をそろえて歌ったものだそうだ。

当時、文字はなかったが、
遣唐使で唐の文化を学んが人々が持ち帰った漢字を、使える人がいた。
そういう人が、漢字を当てて書き残していた歌などを
大伴家持らが、編纂して(集めて、整理して、台詞をつけたりして)
『万葉集』ができたとのこと。

キラキラネームは「万葉仮名みたい」と言われる。
その根拠となっている『万葉集』の文字列。
意味を酌量して読むものも、意味は気にせず音だけ借りているものもあり
それらがまぜこぜになって
句読点・改行なしで、筆で書いた続け字で
ぎっちりと連ねてあったらしい。
難解だと思うが、ほかには方法がなかった。
当時の人は、読めたのだろう。

平安時代になって、かな文字ができると
難解な万葉仮名は見向きもされなくなり
50年ほど前の人が書いたものでも、読まれなくなっていた。

なお、「仮名(かな)」は、正式でない仮の文字という意味。
正式な文字は漢字で「真名(まな)」。
「名」は「文字」のこと。


『万葉集』が見直されたのは平安中期。
天皇の命で、宮中の和歌所「梨壺」において
5人の歌人が『万葉集』の写し書き・整理などを行った。

今私たちが、写真で見ることができる
改行や返り点などがついた筆書きの文字の『万葉集』は
そこがスタートとのこと。
(大伴家持が編纂した『万葉集』の元本は、現存しない)


「昔の人は、どうしてそんなことができたんだろう」と思うことがよくある。
器用で記憶力バッチリで、脚力もあって、力持ち。

現代の人々は、便利なものが身近にあって使えたので
そんな能力を保持しておく必要がなくなったからだと思う。

子どもを見ていると
「文明の長~い発達過程を、一気に駆け抜けているのかなあ?」
と思わされて、うれしくなったりもする。
身につけなきゃならないものはいっぱいあるので
必要ないものは振り落としていくのが『成長』なんですね。

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