教育基本法に愛国心をどう盛り込むかで自民・公明の妥協案が国会に提出される。
産経新聞の「主張」より
心は態度に表れるので「態度」よりは「心」がよいと思うし、「他国を尊重し」は、いつまでも卑屈な外交を見せられているので素直に飲み込めない。
我々の年代は修学旅行と言えば伊勢神宮や四国金比羅さんだった。それが自分にどう影響したかは不明だが、当時はこれを日本が大切にしているものなんだなと理解したように思う。公明党が「宗教的情操の涵養(かんよう)」の盛り込みに反対しているのはやはり支持宗教団体の影響なのだろうか。残念なことである。
映画などでみかけるが米国の小学校では教壇の横に星条旗が掲げてある。歴史が浅く様々な人種で成り立つ米国では幼い頃から常に国を意識させるためと聞く。
歴史が古い国といっても、人は入れ替わっていく。ある時期に学習すべき基本的な事が抜けると、もうその人にとっては学習の機会がないのではないだろうか。そしてそれが次世代を育てるべき教師であったとしたら・・怖ろしいことである。「教育は、不当な支配に服することなく」ということが曲解され、国旗・国家を軽視する教師がでて、板挟みになった校長が自殺した事件があった。
TVで竹島に関して韓国の市民意識を取材したシーンが流れていた。独島(竹島)の位置を尋ねたらほとんどの人が指摘できていた。しかし、同じ事を日本の街角で尋ねると竹島の位置を正確に指摘できる人は少数であった。かなりの年配の人にも及んでいるので戦後教育の歪みとも言えるのではないだろうか。こう書いている自分でも恥ずかしながら、島根県「竹島の日」のニュースまでは李承晩ラインと竹島の位置関係は知らなかった。
「主張」の言うように「子や孫たちが日本に生まれたことに誇りを持てるよう」党派を超えて国会で十分に審議を尽くしてもらいたいと思う。
産経新聞の「主張」より
【主張】教育基本法改正 「愛国心」はもっと素直に 2006/04/14 産経 教育基本法改正案に盛り込む「愛国心」の表現をめぐり、与党検討会の大島理森座長が示した案を自民党と公明党が了承し、ようやく合意に達した。 座長案は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という長い文言だ。 自民党は「国を愛する心」という表現を主張していたが、「国」と「郷土」を併記し、他国の尊重もうたい、「心」を「態度」に変えるなど、公明党への配慮がにじむ妥協の産物といえる。「国を愛する」は明記されたものの、含みが多く、簡明な文案とはいえない。 「愛国心」の表現で、これだけもめる国は、おそらく日本だけだろう。愛国心は、どの国の国民も当然持っているものだ。そして、愛国者であることは最大の誇りとされる。国の根本法規である教育基本法は、もっと素直な表現であってほしい。 「愛国心」以外の与党合意についても、多くの問題点が残されている。 自民党は「宗教的情操の涵養(かんよう)」の盛り込みを求めたが、これに反対する公明党の主張に譲歩し、条文化が見送られた。この文言は、現行の教育基本法が制定される前、日本側の原案にあったが、GHQ(連合国軍総司令部)の指示で削除されたものだ。 その結果、給食前の合掌や座禅研修などが次々と排除され、修学旅行では伊勢神宮などの神社仏閣が避けられるようになった。宗教的情操の欠如が、オウム真理教などのカルトに若者が入り込む一因になったといわれる。 また、現行法の「教育は、不当な支配に服することなく」という規定は、残されることになった。だが、この規定は、国旗・国歌などをめぐる国や教育委員会の指導に反対する一部教職員らの運動の根拠に使われ、逆に、過激な教師集団による不当な支配を招いてきた一面を持っている。 これまでの与党合意には、家庭教育の充実など評価すべき点も多いが、現行法より後退しかねない部分は、なお修正が必要である。戦後教育の歪(ゆが)みを正し、子供たちが日本に生まれたことに誇りを持てるような格調の高い改正案に仕上げてもらいたい。 |
心は態度に表れるので「態度」よりは「心」がよいと思うし、「他国を尊重し」は、いつまでも卑屈な外交を見せられているので素直に飲み込めない。
我々の年代は修学旅行と言えば伊勢神宮や四国金比羅さんだった。それが自分にどう影響したかは不明だが、当時はこれを日本が大切にしているものなんだなと理解したように思う。公明党が「宗教的情操の涵養(かんよう)」の盛り込みに反対しているのはやはり支持宗教団体の影響なのだろうか。残念なことである。
映画などでみかけるが米国の小学校では教壇の横に星条旗が掲げてある。歴史が浅く様々な人種で成り立つ米国では幼い頃から常に国を意識させるためと聞く。
歴史が古い国といっても、人は入れ替わっていく。ある時期に学習すべき基本的な事が抜けると、もうその人にとっては学習の機会がないのではないだろうか。そしてそれが次世代を育てるべき教師であったとしたら・・怖ろしいことである。「教育は、不当な支配に服することなく」ということが曲解され、国旗・国家を軽視する教師がでて、板挟みになった校長が自殺した事件があった。
TVで竹島に関して韓国の市民意識を取材したシーンが流れていた。独島(竹島)の位置を尋ねたらほとんどの人が指摘できていた。しかし、同じ事を日本の街角で尋ねると竹島の位置を正確に指摘できる人は少数であった。かなりの年配の人にも及んでいるので戦後教育の歪みとも言えるのではないだろうか。こう書いている自分でも恥ずかしながら、島根県「竹島の日」のニュースまでは李承晩ラインと竹島の位置関係は知らなかった。
「主張」の言うように「子や孫たちが日本に生まれたことに誇りを持てるよう」党派を超えて国会で十分に審議を尽くしてもらいたいと思う。