第二次大戦後、GHQによって戦勝国史観を押しつけられてきた。
現在もなお一部の歴史教科書に「日本は侵略国」と書かれている由。
あろうことか日本国内の左巻き新聞が火を付けた結果、中共・朝鮮半島は「南京大虐殺」「従軍慰安婦」などを捏造し、未来永劫謝罪せよという。
しかし、欧米の著述家にこの「戦勝国史観の虚妄」を正す人がいる。
■「加瀬英明のコラム」メールマガジン 2014/01/22 より
現在もなお一部の歴史教科書に「日本は侵略国」と書かれている由。
あろうことか日本国内の左巻き新聞が火を付けた結果、中共・朝鮮半島は「南京大虐殺」「従軍慰安婦」などを捏造し、未来永劫謝罪せよという。
しかし、欧米の著述家にこの「戦勝国史観の虚妄」を正す人がいる。
■「加瀬英明のコラム」メールマガジン 2014/01/22 より
題 名 : 新年の願い
いつも年頭に当たって、願うことが多過ぎるが、1つだけあげたい。
昨年12月に、イギリス人ジャーナリストのヘンリー・ストークス氏による『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)が出版された。
著者はニューヨーク・タイムズ、ロンドン・タイムズ、ファイナンシャル・タイムズ各紙の東京支局長を歴任した大記者であるが、「戦勝国史観」は歴史をあざむいており、日本は侵略国家ではない、日本は「アジアの光」であって、先の大戦によって人種平等の世界をもたらしたと、説いている。
そして、東京裁判では「連合国こそ裁かれるべきだった」と論じて、「南京大虐殺」や「慰安婦」問題についても、日本がいわれのない非難を蒙っていることを、証している。
きっと読者の多くが、本書によって戦勝国によって強いられた、歪んだ歴史観を正されることになろう。
畏友の宮崎正弘氏が、はじめて欧米の大記者が戦後の歴史観を正した「刮目すべき本」だと、激賞している。 このまさに救世の書が1人でも多くの日本国民によって、読まれることを願った。 私はこの本の末尾に、解説を寄稿している。
「著者のストークス氏は、私の多年の親しい友人である。
1964年に、イギリスの最も権威ある経済紙『ファイナンシャル・タイムズ』の初代東京支局長を、26歳の若さでつとめた。
敏腕な記者として知られたために、67年に『ロンドン・タイムズ』東京支局長として引き抜かれ、さらに78年から『ニューヨーク・タイムズ』に移籍して、東京支局長としてだけでなく、アジア各地をひろく取材して活躍した。
三島由紀夫との親交によって、国際的に知られている。三島は1970年に割腹自殺した直前に、ストークス氏に宛てて自筆の手紙を送っている。
東京に、外国特派員協会(プレスクラブ)がある。200人近い外国記者が、在籍している。ストークス氏は私より2歳年下だが、いまではクラブの最古参である。
読者は、ストークス氏の本書のなかの記述によって、目を大きく開かれる思いがしよう。私も多くを学んだ。 ストークス氏の母国であるイギリスは、アメリカと世界でもっとも親しい関係を結んでいるものの、読者は日本国民の一般的なアメリカ観と、イギリス人のアメリカ観のあいだに、大きな隔たりがあることに、きっと驚かれよう。
著者は幼い時に、アメリカの戦車隊がヨーロッパ戦線に出動する途上で、郷里の町をはじめて通り抜けたのを、道端(みちばた)に立って、見た時に受けた衝撃を、つぎのように回想している。
『アイダホか、ユタか、アーカンソーか、どこから来たか知らないが、アメリカの若造が戦車でやって来て、まるで王であるかのように振舞っていた。私はあの若造たちが浮かべていた笑みを、今でも鮮明に憶えている。彼らは意気高揚としていた』
『私は子どもとしてアメリカの戦車を見て、本能的にアメリカ軍が我々の国を支配するようになるのだと感じた。私たちが戦っていたドイツについてそう思ったのではなく、アメリカに対してそう直感した。そして今、アメリカは巨大な勢力となって、わが国イギリスをコントロールしている。実に不愉快なことだ』
著者も、私と同じように、親米であることに、変わりがない。しかし、日本の親米派は、アメリカの軍事力に日本の安全を委ねているために、アメリカの基地があっても、イギリス人のように、本能的な不快感を覚えることがない。
いつの間にか、日本人であることの誇りを忘れてしまっているからだ。
私はあらためて、独立国としての意識が希薄になったのは、戦後の日本国民を支配してきた、“平和憲法幻想”がもたらしたものだと思って、愕然(がくぜん)とした。日本は、いまだに多分に心理的に、アメリカの占領下にある。薬物中毒から立ち直れないような状況だ。
昨年の3月10日に、東京大空襲67周年が巡ってきた。
東京スカイツリーがこの日に当たって、犠牲者を悼むために、1晩だけ、照明によって白1色にライトアップした。その日、地元民の有志が区内で『東京大空襲』の悲劇を訴える、手造りの創作劇を上演した。
著者は意気に感じて、これらの有志を応援するために、英文で紹介する資料を書いて、在京の外国記者に配布した。
幼年時代に、ドイツ空軍が郷里の町から遠いブリストルの市街を空襲して、夜空の底が無気味に紅に染まるのを、望見した。
本書に『東京ではあの暗く赤い雲が、何百倍となって空を染めた。その圧倒的な力は、私が見た焔の比ではなかったろう。アメリカは、そういうことをするのだ。圧倒的な戦力で、制圧するのだ』と、述べている。
著者は東京裁判を、裁いている。東京裁判が不正きわまるものだったと、憤っている。
そして、『公正という、西洋が高らかに掲げてきた美徳を、規範を、原則を葬り去って、裁判という名に値しない茶番劇』『フェア・プレーの精神を地に貶(おとし)めて、欺瞞を貫いた』『裁かれるべきは、戦勝国側だった』と、断じている。
今日、靖国神社の境内に、インドのパル判事を顕彰して、銅板の胸像が設置されている。
パル判事は東京裁判において、ひとりだけ『日本無罪論』の判決書を提出したことで、日本において有名だ。ところが、海外ではパル判事とその判決書について、ほとんど知られていない。
だが、もし、パル判事が存在しなかったとすれば、日本において東京裁判が不法きわまるものだったという見方が、ひろまることがなかったはずである。
著者は東京裁判を論じるなかで、パル判事について、まったく言及していない。どうして、日本で東京裁判を批判する時に、かならずパル判事が取り上げられるのだろうか、訝(いぶか)らなければならない。
パル判事がいなかったとしても、東京裁判が邪まな報復劇でしかなかったことは、明白であるはずだ。
この“裁判”で、日本は侵略国として裁かれたが、裁判が進行しているあいだに、イギリス、フランス、オランダの諸国軍が、日本が解放した旧植民地を、再び植民地として領有しようと企てて、侵略戦争を戦っていた。
アジア人は日本によって覚醒(かくせい)されていたから、独立を守るために、立ち上って勇敢に戦った。この事実1つだけとっても、東京裁判が不正きわまるものだったことが、分かる。
著者は、先の大戦の戦勝国史観は、歴史をあざむいており、日本は侵略国家ではなかったと、反論している。 日本は数百年にわたった西洋による支配から、アジアを解放した『アジアの光だった』と、主張している。
いわゆる『南京大虐殺」や『慰安婦』問題についても、著者は日本がいわれのない非難を蒙っていることを、証している。
私は海外で講演することが多いが、南京事件、慰安婦問題について、日本から正しい情報が発信されることが、ほとんどないのに加えて、今日でも日本の一部の学校教科書に載っているために、外国人を説得することが難しい。
著者によると戦勝国史観は、有色人種を蔑視した白人優位主義から、発している。
それなのに、日本国民の多くの者が、なぜ、そのような史観を信じているのか、説明に苦しんでいる。
白人は日本が先の大戦で、西洋の覇権を覆(くつがえ)すことによって、アジア・アフリカが解放されるまで、有色人種を人間以下の下等な存在として見下し、さげすんでいた。
それは、酷いものだった。トルーマン大統領は、広島、長崎に原爆を投下した直後に、笑みを浮かべながら、ホワイトハウスで閣僚に対して、『獣を相手にする時には、獣として扱わなければならない(ホエン・ユー・ハブ・ツウ・ディール・ウィズ・ア・ビースト、ユー・ハブ・ツウ・トリート・ヒム・アズ・ア・ビースト)』と発言したことが、記録されている。このような態度は、トルーマン大統領だけに限らず、欧米諸国民の圧倒的多数によって、共有されていたものだった。
著者は、日本がアジアを解放し、その高波がアフリカ大陸も洗って、今日の人種平等の世界が招き寄せられたが、日本が大戦をたたかった結果として、人類史にまったく新しい時代がひらかれたと、指摘している。
ストークス氏は、全国の各地からしばしば講師として招かれているが、聴衆から『目から鱗(うろこ)が落ちた』『日本人として、自分を見直した』という声が、あがっている。
読者の多くが、本書によって戦勝国によって強いられた、歪んだ歴史観を正されることとなろう。この良書が、ひろく読まれることを、願いたい。
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加瀬英明事務所
お問い合わせメール: info@kase-hideaki.co.jp
ホームページURL: http://www.kase-hideaki.co.jp/
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いつも年頭に当たって、願うことが多過ぎるが、1つだけあげたい。
昨年12月に、イギリス人ジャーナリストのヘンリー・ストークス氏による『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)が出版された。
著者はニューヨーク・タイムズ、ロンドン・タイムズ、ファイナンシャル・タイムズ各紙の東京支局長を歴任した大記者であるが、「戦勝国史観」は歴史をあざむいており、日本は侵略国家ではない、日本は「アジアの光」であって、先の大戦によって人種平等の世界をもたらしたと、説いている。
そして、東京裁判では「連合国こそ裁かれるべきだった」と論じて、「南京大虐殺」や「慰安婦」問題についても、日本がいわれのない非難を蒙っていることを、証している。
きっと読者の多くが、本書によって戦勝国によって強いられた、歪んだ歴史観を正されることになろう。
畏友の宮崎正弘氏が、はじめて欧米の大記者が戦後の歴史観を正した「刮目すべき本」だと、激賞している。 このまさに救世の書が1人でも多くの日本国民によって、読まれることを願った。 私はこの本の末尾に、解説を寄稿している。
「著者のストークス氏は、私の多年の親しい友人である。
1964年に、イギリスの最も権威ある経済紙『ファイナンシャル・タイムズ』の初代東京支局長を、26歳の若さでつとめた。
敏腕な記者として知られたために、67年に『ロンドン・タイムズ』東京支局長として引き抜かれ、さらに78年から『ニューヨーク・タイムズ』に移籍して、東京支局長としてだけでなく、アジア各地をひろく取材して活躍した。
三島由紀夫との親交によって、国際的に知られている。三島は1970年に割腹自殺した直前に、ストークス氏に宛てて自筆の手紙を送っている。
東京に、外国特派員協会(プレスクラブ)がある。200人近い外国記者が、在籍している。ストークス氏は私より2歳年下だが、いまではクラブの最古参である。
読者は、ストークス氏の本書のなかの記述によって、目を大きく開かれる思いがしよう。私も多くを学んだ。 ストークス氏の母国であるイギリスは、アメリカと世界でもっとも親しい関係を結んでいるものの、読者は日本国民の一般的なアメリカ観と、イギリス人のアメリカ観のあいだに、大きな隔たりがあることに、きっと驚かれよう。
著者は幼い時に、アメリカの戦車隊がヨーロッパ戦線に出動する途上で、郷里の町をはじめて通り抜けたのを、道端(みちばた)に立って、見た時に受けた衝撃を、つぎのように回想している。
『アイダホか、ユタか、アーカンソーか、どこから来たか知らないが、アメリカの若造が戦車でやって来て、まるで王であるかのように振舞っていた。私はあの若造たちが浮かべていた笑みを、今でも鮮明に憶えている。彼らは意気高揚としていた』
『私は子どもとしてアメリカの戦車を見て、本能的にアメリカ軍が我々の国を支配するようになるのだと感じた。私たちが戦っていたドイツについてそう思ったのではなく、アメリカに対してそう直感した。そして今、アメリカは巨大な勢力となって、わが国イギリスをコントロールしている。実に不愉快なことだ』
著者も、私と同じように、親米であることに、変わりがない。しかし、日本の親米派は、アメリカの軍事力に日本の安全を委ねているために、アメリカの基地があっても、イギリス人のように、本能的な不快感を覚えることがない。
いつの間にか、日本人であることの誇りを忘れてしまっているからだ。
私はあらためて、独立国としての意識が希薄になったのは、戦後の日本国民を支配してきた、“平和憲法幻想”がもたらしたものだと思って、愕然(がくぜん)とした。日本は、いまだに多分に心理的に、アメリカの占領下にある。薬物中毒から立ち直れないような状況だ。
昨年の3月10日に、東京大空襲67周年が巡ってきた。
東京スカイツリーがこの日に当たって、犠牲者を悼むために、1晩だけ、照明によって白1色にライトアップした。その日、地元民の有志が区内で『東京大空襲』の悲劇を訴える、手造りの創作劇を上演した。
著者は意気に感じて、これらの有志を応援するために、英文で紹介する資料を書いて、在京の外国記者に配布した。
幼年時代に、ドイツ空軍が郷里の町から遠いブリストルの市街を空襲して、夜空の底が無気味に紅に染まるのを、望見した。
本書に『東京ではあの暗く赤い雲が、何百倍となって空を染めた。その圧倒的な力は、私が見た焔の比ではなかったろう。アメリカは、そういうことをするのだ。圧倒的な戦力で、制圧するのだ』と、述べている。
著者は東京裁判を、裁いている。東京裁判が不正きわまるものだったと、憤っている。
そして、『公正という、西洋が高らかに掲げてきた美徳を、規範を、原則を葬り去って、裁判という名に値しない茶番劇』『フェア・プレーの精神を地に貶(おとし)めて、欺瞞を貫いた』『裁かれるべきは、戦勝国側だった』と、断じている。
今日、靖国神社の境内に、インドのパル判事を顕彰して、銅板の胸像が設置されている。
パル判事は東京裁判において、ひとりだけ『日本無罪論』の判決書を提出したことで、日本において有名だ。ところが、海外ではパル判事とその判決書について、ほとんど知られていない。
だが、もし、パル判事が存在しなかったとすれば、日本において東京裁判が不法きわまるものだったという見方が、ひろまることがなかったはずである。
著者は東京裁判を論じるなかで、パル判事について、まったく言及していない。どうして、日本で東京裁判を批判する時に、かならずパル判事が取り上げられるのだろうか、訝(いぶか)らなければならない。
パル判事がいなかったとしても、東京裁判が邪まな報復劇でしかなかったことは、明白であるはずだ。
この“裁判”で、日本は侵略国として裁かれたが、裁判が進行しているあいだに、イギリス、フランス、オランダの諸国軍が、日本が解放した旧植民地を、再び植民地として領有しようと企てて、侵略戦争を戦っていた。
アジア人は日本によって覚醒(かくせい)されていたから、独立を守るために、立ち上って勇敢に戦った。この事実1つだけとっても、東京裁判が不正きわまるものだったことが、分かる。
著者は、先の大戦の戦勝国史観は、歴史をあざむいており、日本は侵略国家ではなかったと、反論している。 日本は数百年にわたった西洋による支配から、アジアを解放した『アジアの光だった』と、主張している。
いわゆる『南京大虐殺」や『慰安婦』問題についても、著者は日本がいわれのない非難を蒙っていることを、証している。
私は海外で講演することが多いが、南京事件、慰安婦問題について、日本から正しい情報が発信されることが、ほとんどないのに加えて、今日でも日本の一部の学校教科書に載っているために、外国人を説得することが難しい。
著者によると戦勝国史観は、有色人種を蔑視した白人優位主義から、発している。
それなのに、日本国民の多くの者が、なぜ、そのような史観を信じているのか、説明に苦しんでいる。
白人は日本が先の大戦で、西洋の覇権を覆(くつがえ)すことによって、アジア・アフリカが解放されるまで、有色人種を人間以下の下等な存在として見下し、さげすんでいた。
それは、酷いものだった。トルーマン大統領は、広島、長崎に原爆を投下した直後に、笑みを浮かべながら、ホワイトハウスで閣僚に対して、『獣を相手にする時には、獣として扱わなければならない(ホエン・ユー・ハブ・ツウ・ディール・ウィズ・ア・ビースト、ユー・ハブ・ツウ・トリート・ヒム・アズ・ア・ビースト)』と発言したことが、記録されている。このような態度は、トルーマン大統領だけに限らず、欧米諸国民の圧倒的多数によって、共有されていたものだった。
著者は、日本がアジアを解放し、その高波がアフリカ大陸も洗って、今日の人種平等の世界が招き寄せられたが、日本が大戦をたたかった結果として、人類史にまったく新しい時代がひらかれたと、指摘している。
ストークス氏は、全国の各地からしばしば講師として招かれているが、聴衆から『目から鱗(うろこ)が落ちた』『日本人として、自分を見直した』という声が、あがっている。
読者の多くが、本書によって戦勝国によって強いられた、歪んだ歴史観を正されることとなろう。この良書が、ひろく読まれることを、願いたい。
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