このブログのおかげで、カトー折りが続いているのかもしれないと思いました。来場者数や閲覧数をみると、なんとか発信したいという気持ちが沸いてきます。今日もそんな気分で書いています。
カトー折りとは何か、何を目指しているのか、今になってわからなくなってしまっています。何に役立つかはそのときの場面や状況によって変わるものです。でも一つはっきりしていることがあります。「困った・・・」と思って、「なんとかしないと・・・」といったときに思いついたのがこのカトー折りでした。常に、問題意識があるからこそ、そこに発明意欲がわきます。それがないとただの紙の悪戯に過ぎません。一つ解決策を見つけると、もっとよくなる、もっといい方法があると探そうとします。すると困ったことが解決しただけでなく、便利になっていくのです。その過程が楽しい。だからこのカトー折りで一番楽しんでいるのは私かもしれません。
考える楽しさ・・・これが紙によって簡単に体験できるです。紙がそれが役立つことを証明してくれます。廃材が便利な皿になったことでモノを守ってくれたり、作業がしやすくなったり、そういった驚きがあるんです。そういった驚きを紙が教えてくれるんです。
こんなのがこんな風に折れたぞ、段ボールで折ったら、牛乳パックで折ったら、テッィシュで折ったら、同じ折り方でも材料によってこんなに使い方や役立ち方が変わるんです。ティッシュやナプキンはどこにでもある。チラシやコピー用紙もある。そのある場所で、ちょっとした困ったことに出会うと、その紙が変身して、助けてくる。また、楽しくさせてくれる。そういう場面に遭遇することを期待して、折っています。
だから、エコのために、くらしのために、という動機よりも、紙がちょっと助けてくれたことで感謝の念を持って、その場が過ごせることがとても精神衛生上、いいんですね。
そう、わたしがこのブログが続けられるのは書いたあと、とても安らかになれる。何かのためにではなく、そうすることが精神衛生上、平常心になれる。それは私がカトー折りを広げたいと宣言したからであって、執筆して、出版したいからであって、明らかにそれが実現していないという「困った・・・」という状態が一つの目標意識を形成しているのかもしれない。
ということで、おやすみなさい。