神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 天翔ける少女

2013-07-19 23:43:35 | SF

『天翔ける少女』 R・A・ハインライン (創元SF文庫)

 

ハインラインにしては珍しい、少女を主人公としたジュブナイル。

「ひどすぎるよ、ハインライン。女子の夢まで木っ端みじん!」なんて帯がついているので、ちょっと期待して読んでいたのだけれど、そんなにひどいとは思わなかった。

そもそもハインラインが女子の夢など理解するわけがなかろう。夏への扉に代表されるように、しょせんロリコン。膝の上に乗っけられる小っちゃくて元気な女の子が好きなだけで、成長した冒険者にはさせてくれないのさ。

実際、この物語でも本当に“冒険”するのは弟のクラークだ。主人公のポディはガンマ線バーストの非常事態においても、仕事として与えられるのは赤ん坊の子守(それはそれで壮絶なのだが)という、いかにもな役回りだ。

やはりハインラインには女子供は黙って見ておれ的な思想があるんじゃないか。でも、決して侮蔑的な視線ではなく、ジェンダー的に女子供の領分とされる分野で力を尽くせと主張しているように見える。

そして、その領分を越えようとした時には悲劇的結末が待っている。

とはいっても、最終的に採用されたものは完全なる悲劇ではなく、復活と成長を予感させるものではあるのだけれど。

要するに、ハインラインはドジっ娘大好きなわけだな。そして、それを勇気ある少年が救うわけだ。これがハインライン的王道であって、主人公が少女に変わろうとも、この構図は変わらない。

 


[SF] 丕緒の鳥

2013-07-19 23:35:52 | SF

『丕緒の鳥』 小野不由美 (新潮社文庫)

 

最近、どうして十二国記が新刊に上がっているのかと思ったら、講談社文庫から新潮社文庫に移籍して再刊していたのか。ホワイトハートから講談社文庫、さらに新潮社文庫と、流浪の物語となってしまうのは、同じシリーズでそろえたい読者泣かせなことだ。

そして、ついに新潮社版で初めてのオリジナル短編集が刊行。それがこの『丕緒の鳥』。雑誌掲載済みが2編に、描き下ろしが2編という豪華布陣。

最初に『月の影 影の海』を読んだときには、ファンタジー世界から美形の召使が16歳の女子高生を迎えに来るという冒頭のストーリーに頭がクラクラ(さすがホワイトハート!)したものだが、その後のシリアスな展開に鳥肌がたった。

おとぎ話としての女王様ではなく、実際に民を治める王としての責任と葛藤が、幼いと言ってもいい少女の肩にのしかかってくるのだ。出来そこないの少女マンガのような端緒からは考えもつかないところまで、十二国記という物語は読者を連れて行く。そのギャップに大ハマりしてしまった。

そして、この短編集には、王の物語ではなく、下級官僚を含む民の物語が詰まっている。ひとつの時代を王の側と民の側から重層的に描くことにより、野木や里木に生命(人間の赤ん坊も!)が実り、王の不在によって天変地異が襲うというこの不思議な世界を、より立体的に、現実感を持って読者の目前に出現させることに成功している。

民は王の圧政に苦しみ、王の不在に苦しみ、新たな王を不安と期待の入り混じった複雑な気持ちで迎える。それをここまで思い知らされると、王の物語を読むときに彼らのことを考えながら読まざるを得ない。読者の気づきにより、読まれ方を変えてしまうある種の魔法ではないかと思う。

王が不安定となり悪政をしき、斃れ、王が不在の陰鬱たる時代が来る。その時代にも民には民の物語があり、王には王の物語がある。それらは互いに絡み合いながらも、わずかな希望を灯す結末へと至る。寒い夜が過ぎた夜明けのように、すがすがしくも、まだ冷たい空気を感じる。

今後、長編もあるらしいのだが、途中にオリジナル短編集が挟まったりして、刊行順が変わっているんじゃないか。今後、十二国記の何巻と言った時に、話が通じない世代が出てくるんじゃなかろうか。いや、どれが何巻かなんてほとんど覚えていないのだから関係ないか。


「丕緒の鳥」
新王が誰なのかわかってしまった時点で、その想いはきっと伝わると背中を押したくなった。

「落照の獄」
最後の最後まで結論の読めないスリリングな死刑議論。一緒に考えてみたが、やはり結論は難しい。

「青条の蘭」
民のつながりによって遂に報われた想いに涙した。

「風信」
暦を作る人々がとらえたささやかな吉兆に、自然のやさしさとぬくもりを感じた。