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8月10日(土)第25回東京湾大華火祭が催され、今年も裏方のお手伝いをさせてもらった。私自身は2回目で、先日中央区役所での事前会議にも出席したが、港湾関係の会社・組合、観光協会、町会連合、各政党など、たいへんな数の会社・団体の協力により、実行委員会が組織・運営され、12000発が打上げられた。
私は海上警備と観覧船の誘導・安全確保を担当した。 当日は3時に家を車で出発、5時に辰巳を出港、6時15分業務開始~夜11までの長丁場である。 私の乗る船は48ft・250hpの作業補助船で38人乗り、当日は二人乗務、長い一日になるのでパートナーを気心の知れたM編集長にお願いした。 6時に本部から当日の標識・備品・無線機2台・お弁当を積込み早速、霞のかかった海面へ。 7時、花火を打上げる台船が引船に引かれてやってきた。 大きな台船が3ケ所にアンカーで固定され、周囲をブイで囲むと、保安エリアとなって航行禁止区域となる。 始めの仕事は、この保安エリアの警備で、通行しようとする船にマイクで知らせる。 中には無理やり通ろうとするレジャー船がいるが、先まわりして頭を押さえることもある。 根拠として、港則法37条に基く京浜港長の公示により規制区域となっています、という説明を用意しておいた。 午後、観覧船の指定エリアがブイで設定され、それぞれABCDEと小型船に区切られる。 午後3時、保安エリアの警備を他船に引継ぎ、小型船エリアに移動した。
海上での花火観賞は、協賛していただく額でA~Eに区切られ、Aの大型船からDが屋形船、Eが一般プレジャーボートとなっていて、それぞれの標識旗を揚げるが、標識旗を持たない船は小型船エリアを案内する。 小型船エリアの警備を7艇でチームを作って案内・誘導するが、私の船がその指揮船に指定されたので、案内・誘導のほか、他船との無線連絡、本部との連絡など、食事をする間もない大忙し、通称「テンテコ」ってやつだ。 案の定、観覧エリア外の航路にアンカーを下ろしてビールを飲みながら花火を待っている船がある。 近づいて、ここでは観覧できないと説明するが、ガンとして動こうとしない。罵声を浴びせてくるが淡々と説明し、本部に連絡。 警察の船が3艇で取り囲んで移動させた。 結構ハードな仕事だけれど、こんなところで昔の経験が役にたち、警察と本部からご苦労様といわれ、少し「ヤッタゼ感」を感じることができた。
Dエリアで花火を見る、と言っていた恵比寿にあるヨット関連A社のA社長から電話があったが、回線の混雑か話はできなかった。
午後6時50分、打上げ開始。 周囲の歓声・どよめき・拍手にもかかわらず、花火なぞ見ているヒマがない。 次々とくる観覧船を誘導して、指定の位置にアンカーを下ろしてもらうが、アンカーに慣れていない船が多く、ハラハラしながら様子をみて安全確認をしていく。 午後8時10分、あっという間に花火は修了、今度はお帰りの誘導で「ゆっくりお帰りください」を繰り返す。「おうちに帰るまでが花火大会で~す」とやってトラブルにならないよう7艇で叫びつづけた。
疲れとともに空腹・のどの渇きを感じ、水を一本ガブ飲みした。
やがて観覧艇はいなくなり最終確認、本部に戻っていったが、ここでは備品類を返しにきた関係者の船でゴッタ返していて、帰港したのが夜11時、片付けて、半分居眠り運転で家に着いたのが午前1時半、シャワーに飛び込み遅い遅い夕食となった。 今日一日でどれくらいの汗をかいたのだろう、などと考えながら長い一日を振返った。
あの暑い日差しの中、1台の台船の上に80人、3台で200人以上の花火師が朝から準備をしていて、大量の氷、弁当や飲み物が次々と運び込まれていった。 台船は鉄板でできている、世の中には凄い仕事があるものだと驚き感心した。
8月10日(土)第25回東京湾大華火祭が催され、今年も裏方のお手伝いをさせてもらった。私自身は2回目で、先日中央区役所での事前会議にも出席したが、港湾関係の会社・組合、観光協会、町会連合、各政党など、たいへんな数の会社・団体の協力により、実行委員会が組織・運営され、12000発が打上げられた。
私は海上警備と観覧船の誘導・安全確保を担当した。 当日は3時に家を車で出発、5時に辰巳を出港、6時15分業務開始~夜11までの長丁場である。 私の乗る船は48ft・250hpの作業補助船で38人乗り、当日は二人乗務、長い一日になるのでパートナーを気心の知れたM編集長にお願いした。 6時に本部から当日の標識・備品・無線機2台・お弁当を積込み早速、霞のかかった海面へ。 7時、花火を打上げる台船が引船に引かれてやってきた。 大きな台船が3ケ所にアンカーで固定され、周囲をブイで囲むと、保安エリアとなって航行禁止区域となる。 始めの仕事は、この保安エリアの警備で、通行しようとする船にマイクで知らせる。 中には無理やり通ろうとするレジャー船がいるが、先まわりして頭を押さえることもある。 根拠として、港則法37条に基く京浜港長の公示により規制区域となっています、という説明を用意しておいた。 午後、観覧船の指定エリアがブイで設定され、それぞれABCDEと小型船に区切られる。 午後3時、保安エリアの警備を他船に引継ぎ、小型船エリアに移動した。
海上での花火観賞は、協賛していただく額でA~Eに区切られ、Aの大型船からDが屋形船、Eが一般プレジャーボートとなっていて、それぞれの標識旗を揚げるが、標識旗を持たない船は小型船エリアを案内する。 小型船エリアの警備を7艇でチームを作って案内・誘導するが、私の船がその指揮船に指定されたので、案内・誘導のほか、他船との無線連絡、本部との連絡など、食事をする間もない大忙し、通称「テンテコ」ってやつだ。 案の定、観覧エリア外の航路にアンカーを下ろしてビールを飲みながら花火を待っている船がある。 近づいて、ここでは観覧できないと説明するが、ガンとして動こうとしない。罵声を浴びせてくるが淡々と説明し、本部に連絡。 警察の船が3艇で取り囲んで移動させた。 結構ハードな仕事だけれど、こんなところで昔の経験が役にたち、警察と本部からご苦労様といわれ、少し「ヤッタゼ感」を感じることができた。
Dエリアで花火を見る、と言っていた恵比寿にあるヨット関連A社のA社長から電話があったが、回線の混雑か話はできなかった。
午後6時50分、打上げ開始。 周囲の歓声・どよめき・拍手にもかかわらず、花火なぞ見ているヒマがない。 次々とくる観覧船を誘導して、指定の位置にアンカーを下ろしてもらうが、アンカーに慣れていない船が多く、ハラハラしながら様子をみて安全確認をしていく。 午後8時10分、あっという間に花火は修了、今度はお帰りの誘導で「ゆっくりお帰りください」を繰り返す。「おうちに帰るまでが花火大会で~す」とやってトラブルにならないよう7艇で叫びつづけた。
疲れとともに空腹・のどの渇きを感じ、水を一本ガブ飲みした。
やがて観覧艇はいなくなり最終確認、本部に戻っていったが、ここでは備品類を返しにきた関係者の船でゴッタ返していて、帰港したのが夜11時、片付けて、半分居眠り運転で家に着いたのが午前1時半、シャワーに飛び込み遅い遅い夕食となった。 今日一日でどれくらいの汗をかいたのだろう、などと考えながら長い一日を振返った。
あの暑い日差しの中、1台の台船の上に80人、3台で200人以上の花火師が朝から準備をしていて、大量の氷、弁当や飲み物が次々と運び込まれていった。 台船は鉄板でできている、世の中には凄い仕事があるものだと驚き感心した。