オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

クルージング・2013

2013-08-19 15:40:50 | 日記
新しいチャンネル

 暑い暑いこの夏、私の短いクルージングが終わった。 7月からずっと休みだった仕事が、8月20日から再開することになり、1レグだけの乗船になった。 
 8月16日(金)出港届提出、燃料確保、インペラ交換。燃料フィルタはヨセフがチェックしておいてくれた。8月17日(土)朝5時出港。南からの微風、機走で7kt、下田に向ける。 川奈ホテルまで4時間、順調々々。 稲取あたりから少しは吹かれるかと思っていたが、風は変わらず。 爪木から神子元にかけて強い追い潮・対地9ktを記録、12時半には下田港に入った。
 今回のクルージングには大きな楽しみがあった。 長年、計画しながら実現しなかった、清水港のPATIとミートして合同で宴会をすることにしていた。 PATIはSS木・G司が乗る、言わば兄弟船で、彼らは新島からの帰り道、我々と前後して下田に入ってきた。 早速、私たちを訪問してくれて、今宵の宴の打合せ、5時30分スタートが決まった。  食料品・氷などを買い、昭和湯へ。 さっぱりとしてから、おなじみ「いわさ」へと向かう。 そこから先はもう、ヨットマン同志のいつもどおりだが、私は嬉しくて仕方がなかった。 PATIにはGちゃん、我々チームにSW田選手がいて和気あいあい、話が弾んでいた。二人は1992年のハワイKENWOODCUPで選考に漏れた、というか、人数枠の関係で私が選考しなかったというのが正しい言い方になる。 その二人が20数年後もこうしてヨットを続けていて、この下田で一緒に酒を呑んでいる。 何と素晴らしいことか、私にとっては罪の意識を和らげてくれる感動ものだ。 翌日の朝食はPATIが準備してくれることとなり、お開きとなったが、GちゃんとSW田選手が二人でお互いのチームの財布を開いてお会計をしていたのが印象的だった。 
 翌朝、約束どおりPATIに横着けして「美味しい日本の朝ごはん」をいただいた。 食生活はPATIのほうが数段上である、という事実、我がチームの食に改善の余地あり、という反省はあったが、短くも楽しい私のクルージングは終わった。
 PATIは次の目的地「妻良・子浦」へ我らのRydeenは「新島」へと向かい、私は伊豆急行の電車に乗った。 いい夏休みになった。

銀座~花火大会の反省会へ

2013-08-19 09:36:40 | 日記
新しいチャンネル

 8月14日(水)、東京湾花火大会の警備にあたった仲間と反省会をやろう、ということになった。旧盆の真っ最中だったが、忘れないうちに、ということでこの日になった。 せっかく東京まで行くのだから、少し早めに行って懐かしの銀座でも歩いてみようと・・・。  銀座はサラリーマン生活最後の12年を過ごした会社があり、楽しい思い出がある街だ。 有楽町から四丁目の三越へ出て、そこから裏道を新橋へと向かった。 銀座の楽しみは裏通りにあると思う。 表通りの松坂屋は閉店していたが、美味しいやきとり屋、絶品のおでん屋、文人・画家が好む蕎麦屋さんなどは健在だった。 明治の初めに国策として創られた煉瓦街は1万5千平米もあったとか、その一部が記念碑として金春通りに保存されている。 2年前までいた街を確かめるように歩いて新橋にでた。 待合わせ時刻には全員の顔が揃った。 お盆と急な話ということもあり、今日は4人、AoxxグループのKW島さん、フリーライターのKNさん、元内閣府のSG崎さん、と私。 新橋烏森口の店に納まった。 反省点については、既にペーパーにして中央区役所のほうに提出してあったが、その再確認、熱のこもった意見が百出し、杯が進んだ。同じ仕事の仲間として考え方を合わせておきたいという気持ちがあり、人の話をよく聞いてくれる人たちだ。 あっというまに午後11を過ぎ、各々の電車に向かったが、よく話し、よく聞いたせいか、呑んだ量のわりにはシャンとしていた。 この仕事の仲間は、現職・前職を含めて「異色の集まり」で話の興味は尽きない。