1970年(昭和45年)、会社のヨット部が発足しました。
高度経済成長がはじまっていた時期、全国からたくさんの若者が東京に採用されてきました。
当時、学生運動・社会運動が盛んで、地方から採用された純真な若者たちの成長を助けようと、東京近郊の独身寮にスポーツサークルが置かれましたが、そんな背景の中、大船南寮に「ヨット部」が誕生しました。
最初は「シーホース」2隻、「Y-15」でのスタートでしたが、レースや大型艇の経験を積んで、大学ヨット部経験者の入部をきっかけに、短期間で実業団選手権、国体、全日本選手権で好成績を収めるまでに成長しました。
東京に続き、関西、信越(新潟)、東海にもヨット部が立ち上がり、お互いに切磋琢磨し年月を経て、東京・関西から「オリンピック選手」を輩出するまでになったのです。
長いようで短い、短いようで長い50年、一晩や二晩では語りつくせない思い出がギッシリと詰まっています。
そんな仲間が全国から集まってパーティーを、ということになり、11月18日(土)江の島に集まりました。
134号線沿いの会場には懐かしい顔・顔・顔が・・・・。
関西からは兵庫県連のM崎さん、バルセロナオリンピック470級日本代表のO津さんH部さん。 秋田からはKM田選手など。 ヨット界の重鎮・M編集長、T叶社長、O蔭大兄貴、KT山さんなどなど、古き良き仲間も駆けつけてくれました。
忘れちゃいけない、KCCのE藤ゲゲもきてくれました。 ゲゲとは20代の頃ワントン旭Ⅱ(S&S36)に一緒に乗っていて
神子元島レースで優勝した仲間です。 KCCとは親しくさせてもらいました。 (注:KCC=慶応クルージングクラブ、当時の油壷界隈のレース艇には何人も乗っていて、強い影響を受けました。学生なのにセールバック一つ持ってどこのレース艇にも乗りに行く)
ハワイ・Kenwood Cup遠征の仲間たち、もうあれから30年経ったのについ先日のような気がします。
思えば遠くへ来たもんだ・・・・。
立派な冊子もできあがり、鹿児島のSG松さんからは美味しい焼酎も届きました。
以下、コメントはキリがないので写真のみでお許しいただきたいと思います。
これより「二次会」です。
おまけの一枚
とてもいい一日になりました、めでたしメデタシ・・・。 失礼いたしました。
高度経済成長がはじまっていた時期、全国からたくさんの若者が東京に採用されてきました。
当時、学生運動・社会運動が盛んで、地方から採用された純真な若者たちの成長を助けようと、東京近郊の独身寮にスポーツサークルが置かれましたが、そんな背景の中、大船南寮に「ヨット部」が誕生しました。
最初は「シーホース」2隻、「Y-15」でのスタートでしたが、レースや大型艇の経験を積んで、大学ヨット部経験者の入部をきっかけに、短期間で実業団選手権、国体、全日本選手権で好成績を収めるまでに成長しました。
東京に続き、関西、信越(新潟)、東海にもヨット部が立ち上がり、お互いに切磋琢磨し年月を経て、東京・関西から「オリンピック選手」を輩出するまでになったのです。
長いようで短い、短いようで長い50年、一晩や二晩では語りつくせない思い出がギッシリと詰まっています。
そんな仲間が全国から集まってパーティーを、ということになり、11月18日(土)江の島に集まりました。
134号線沿いの会場には懐かしい顔・顔・顔が・・・・。
関西からは兵庫県連のM崎さん、バルセロナオリンピック470級日本代表のO津さんH部さん。 秋田からはKM田選手など。 ヨット界の重鎮・M編集長、T叶社長、O蔭大兄貴、KT山さんなどなど、古き良き仲間も駆けつけてくれました。
忘れちゃいけない、KCCのE藤ゲゲもきてくれました。 ゲゲとは20代の頃ワントン旭Ⅱ(S&S36)に一緒に乗っていて
神子元島レースで優勝した仲間です。 KCCとは親しくさせてもらいました。 (注:KCC=慶応クルージングクラブ、当時の油壷界隈のレース艇には何人も乗っていて、強い影響を受けました。学生なのにセールバック一つ持ってどこのレース艇にも乗りに行く)
ハワイ・Kenwood Cup遠征の仲間たち、もうあれから30年経ったのについ先日のような気がします。
思えば遠くへ来たもんだ・・・・。
立派な冊子もできあがり、鹿児島のSG松さんからは美味しい焼酎も届きました。
以下、コメントはキリがないので写真のみでお許しいただきたいと思います。
これより「二次会」です。
おまけの一枚
とてもいい一日になりました、めでたしメデタシ・・・。 失礼いたしました。