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「そらとぶあひる」で世界一周、60ft「かもめとぶ」で海洋計画を主宰、林賢之輔ヨット塾の講師などをされていた能崎知文さんの散骨・偲ぶ会が11月4日伊豆下田でおこなわれた。先月の4日、台風を避けて八丈島に入港し、一息入れたあと船の確認に行き、堤防を超えてきた大波にもっていかれた、という。
能崎さんの生前に交流のあった仲間や教え子たちが下田ボートサービスに集結、7艇のヨット、1艇のプレスボートに分乗し下田港外にて散骨、その後、下田東急ホテルで偲ぶ会となった。能崎さんの海への想い、操船技術、熱心な指導、人柄などを惜しむ声やエピソードがあちらこちらから聞こえてきた。
能崎さんが環境省の仕事で不在の折、不肖・私が「林賢之輔ヨット塾」の講師の代役を務めさせていただいた直後だけに、ほんとうに驚いた。1944年生まれは私と同い年、心からご冥福をお祈りします。
下田は私にとっても忘れられない港だ。私が初めて36ftの新艇のクルーになった時、シェークダウンを兼ねて第1回黒潮南進レースのスタートを観に下田に入港した。当時の最新鋭のレース艇が一堂に集まり、下田をスタートして八丈島へ向かった。美しいニス塗りのハルをヒールさせ、真っ赤な船底を見せて帆走する新艇「飛車角Ⅱ」、吹けば吹くほどいいらしい、という評判に武者震いするほど興奮したのを覚えている。レースの方は大荒れとなり、「天城」1艇だけが小網代にフィニッシュした。聞けば、クルー全員で軍歌を歌いながら嵐の夜を乗り切ったという。・・・。下田の湾口でお別れの最中、そんなことを思い出していたら涙が溢れてきてしまった・・・。
思えば遠くへきたものだ。
「そらとぶあひる」で世界一周、60ft「かもめとぶ」で海洋計画を主宰、林賢之輔ヨット塾の講師などをされていた能崎知文さんの散骨・偲ぶ会が11月4日伊豆下田でおこなわれた。先月の4日、台風を避けて八丈島に入港し、一息入れたあと船の確認に行き、堤防を超えてきた大波にもっていかれた、という。
能崎さんの生前に交流のあった仲間や教え子たちが下田ボートサービスに集結、7艇のヨット、1艇のプレスボートに分乗し下田港外にて散骨、その後、下田東急ホテルで偲ぶ会となった。能崎さんの海への想い、操船技術、熱心な指導、人柄などを惜しむ声やエピソードがあちらこちらから聞こえてきた。
能崎さんが環境省の仕事で不在の折、不肖・私が「林賢之輔ヨット塾」の講師の代役を務めさせていただいた直後だけに、ほんとうに驚いた。1944年生まれは私と同い年、心からご冥福をお祈りします。
下田は私にとっても忘れられない港だ。私が初めて36ftの新艇のクルーになった時、シェークダウンを兼ねて第1回黒潮南進レースのスタートを観に下田に入港した。当時の最新鋭のレース艇が一堂に集まり、下田をスタートして八丈島へ向かった。美しいニス塗りのハルをヒールさせ、真っ赤な船底を見せて帆走する新艇「飛車角Ⅱ」、吹けば吹くほどいいらしい、という評判に武者震いするほど興奮したのを覚えている。レースの方は大荒れとなり、「天城」1艇だけが小網代にフィニッシュした。聞けば、クルー全員で軍歌を歌いながら嵐の夜を乗り切ったという。・・・。下田の湾口でお別れの最中、そんなことを思い出していたら涙が溢れてきてしまった・・・。
思えば遠くへきたものだ。
凄い!愉しく拝見しました。
私メは、さすがに昨日はハットトックリなし、
帰るなりバタンキュー、長旅が堪えました…
http://www.yachting.jp/news/2-147.html