鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

漆工作業その10

2015年07月09日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 神の世界での万物の始めといえば、土地を作り、人間が生まれる。道具を作り、生活できるように稲作を教える。すべてゼロからの出発で、総てを創造された。もちろん、人々の工夫があって生活を豊かにしてきた。以後、現在まで、物作りは伝えられている。

 

 道具は用と美を兼ね備え、芸術の領域まで発展してきた。人々の生活空間には、どこにでもデザインされた多くの品があふれている。何かを作ろうとするきっかけは、このようなものがほしい、こういう機能があればより使いやすく、便利である。レストランや旅館等の訪問先で見かけたものがほしい。もっと色彩が豊かなものがよい、斬新な形にあこがれる等その動機は千差万別であるが、誰もが感じていることであろう。しかしその思いを達成するためには、一過性であれば仕方ないが、自分でそれに取り組んでみようと思えば、さほど難しいことではない。

 

 現在の我が国では、居ながらにして情報を収集するのは簡単になった。インターネットでの検索で、ほとんどの事柄について知ることができる。知ることと出来ることは大きな違いがある。例えば、インデアンカヌーを知りたいと思えば、容易に検索でき、歴史から機能、費用、設計図、制作手順まで情報として知ることが出来る。ではすぐに出来るかといえば、お金を出して設計図を入手したとしても、作業場が必要であり、工具があり、材料の準備等が整わないと着手は難しい。

 

 デザインから始めようと思うと、完成状態を思い浮かべながら、どのくらいの大きさで、形を考え、図面に書き起こす。実寸大では大きすぎるので、縮図を作る。ここまで来れば、さらに小型のミニチュアを作ってみる。安定性や、形が決まれば完成図面となるであろう。

 

 漆工についても、新たな制作品のイメージ作りからはじめ、コンセプトを考える。オブジェ、箱物、蓋付き、壷型、平型、盆型等形を決め、鳥瞰図を書いてみる。素材や、大きさを決め、仕上がり状態を書き出す。油粘土でイメージを作ってみる。ここまで絞り込めれば、同様の制作品があるかどうか調べてみる。オリジナルに越したことはないが、まずは作ってみてどうであったかを考えてもよい。試作品を作るうちに考えも変わるものである。

 

 塗装工程はこの段階で決めなくてもよい。別途加飾の種類や色彩は徐々にイメージ作りをすればよい。


大工頭領宅に訪問

2015年07月08日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 暫くご無沙汰していたが、大工棟梁が亡くなって、はや2年半が過ぎてしまった。今年は3回忌であろう。既に済ませたのかも知れないが、遺影を見るとまだ健在の様に感じ、気さくな人柄が偲ばれる。今日は七夕、あいにく曇りで、梅雨前線は停滞したままである。天の川をはさんで、牽牛星と織り姫星が出会うという天空に広げられるドラマである。

 

 元気な奥様は未亡人となり、少々痩せた様であった。ご自宅の近所に農耕地を借りて、家庭菜園ならず、市場へ出荷しているという。野菜に巻いた帯はそれを物語っていた。農家出身と聞くとなおさらであり、日焼けした顔を見ると連日精を出していることが分かる。以前も棟梁が健在だった頃自宅に野菜を山ほど持ってきてくれた。ご自宅の周りは個人の住宅地であり、畑は50メートルぐらい離れていて、小高い丘の上にあり、十分な陽が当たるのであろうか、どれも立派に育った野菜である。

 

 経験者なならではの技で、適切な時期に与える肥料や野菜の生育には慣れているのであろう。健康にも良いし、畑にはグラジョウラスが満開であった。花卉も楽しみ、平素お一人の生活であるが、楽しんで畑仕事に精を出している姿には、ご主人を亡くされた未亡人の淋しさはなかった。

 

 棟梁が使用していた大工道具は、倉庫に山積みであったが、工務店の若い衆に処分をお願いしたそうで、多忙の中トラックで取りに来て貰ったとのこと。職人は自分の道具には拘りがあり、長年使い込んだ鉋や電動工具は、特殊な物が多く、故人にとっては思い出深い物であっても、残された家族にはその想いは伝り難い。今になって、ハンマーやのこぎりなどが必要になることもあり、少しは残しておくべきだったと悔やまれていた様であった。

 

 引き取った若い衆は、見繕って大工道具を遺品として持ってきてくれるとの話があったが実現していないそうである。若い衆は忙しいからだろうと奥様は呟いていたが、身近に置きたかった様である。道具への思いは、誰しも特別な思いを持つものである。日本人に限らないと思うが、毎日使う道具は、持ち主の魂が乗り移るとの精神性がある様だ。物を大切に使うことだけでなく、物にしてみれば、大切に取り扱われることによって、そこには人格の様な感情移入がなされるのかも知れない。


漆工作業その9

2015年07月07日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 最近ふと思うことに、簡単な作業や単純化、合理化による生産工程は、効率化と採算性をベースに一大革命を起こし、誰でも、どこでも可能と思われるユビキタス社会を構築してきた。情報社会は究極に向かおうとしているが、このことは、便利さを追求するベクトルは必然であるとの認識はあるものの、反面、おもしろくなくなってきた。未解決なことを探し、解決方法を模索し、挑戦するという、人間にとって、本来持っている探求心を求めることを否定する世の中となり、その行動が見つからなくなってきたからである。

 

 自分が、昔取った杵柄に心が向かうことについては、上述したことと無関係ではない。仕事等に拘束されることが無くなった現在、残っている時間はそう多くはないと思うが、便利さとは逆行するかも知れないが、簡単でなく、複雑で、忍耐力がいる作業に回帰する渇望の様な思いが湧き起こってきた。漆工は日々のちょっとした作業の積み重ねが大作を生む。

 

 漆工作業は将に自然が生んだ技巧であり、人の手による作業の連続である。自分にとっては丁度あっているように思える。時間を無駄にするなといっても、無駄な時間をどのように過ごすかは、それぞれによって異なっても良い。個人に任された自由に使える贅沢でもある。趣味に使う、感性を高める、知らない土地や、行ったことがない観光地を旅行する、人によってはグルメに向かう者もいるであろう、家庭菜園も魅力的である。対象は何でも良いのである。時間を過ごす方法は、誰にも強制されず、また、束縛されず、迷惑をかけない究極の自己実現だと思う様になってきた。

 

 漆工は芸術作品を作る事だけが目的ではない。芸術作品かどうかを評価するのは他人であるが、自分が満足出来ればよいのである。自己の至福の時間は己でなければ体験し、実感出来ないことである。最近、紙上を騒がしている話に3Dプリンターがある。ドローンの使い道以上に、多方面の新製品開発に無限の可能性を持つといわれている。

 

 3Dプリンターの発明は、確かに凄いことである(強度は兎も角として、拳銃を3Dプリンターで作製し、実射したという者が現れた。銃砲刀剣類不法所持で捕まった)と思えるが、そこには、複写するべき物があって始めて制作が可能となる。拡大も縮小も可能である。メカニズムは、多方向から多くの写真を撮り、ディメンジョン毎の位置情報をデータとして記憶し、それを樹脂等で再現する物であり、コピーを取ることの延長に過ぎない。自分のオリジナルではないのである。


漆工作業その8

2015年07月06日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 今回のテーマは塗料の濾過について触れることにする。漆工では塗料の濾過のことを濾す(こす)という。吹き付け塗装や建築塗装では、フィルター、篩い、ストレーナー等といわれる道具を使う。塗料に含まれているゴミや、沈殿物等を取り除いた塗料を塗りに使うが、目の粗さがあって、数字が大きくなると細かい目の大きさになっている。漆も同様であるが、吉野紙又は濾し紙という薄い和紙を利用する。漆工の場合は上塗りになるほどちょっとしたゴミや埃を嫌うので、和紙を数枚重ねて何度も濾過する。容器の上に半紙大の和紙を二重に重ね、その中央に塗料を乗せて、塗料がこぼれない様に端を折って、左右から捩って塗料を濾過する。

 

 原液を濾過してから溶剤で薄めるのではなく、始めに塗りやすい粘度に溶剤を加えて希釈した塗料を濾す。粘性が強いと濾し紙が破けてしまう。塗料を絞りきった濾し紙を、一方の端を口にくわえ、残った塗料は、へらで掻き取る。こうして塗料を掻き取った和紙は、広げてそのまま又は乾燥させて、被塗物を塗装する前に表面に着いたゴミ取り用に使う。

 

 容器に余った塗料は、原液に戻さずに、密閉容器に保存するか、その日の内に使い切る様にしたい。被塗物が総て塗り終われば良いのだが、どうしても残ることが多い。塗料の殆どは可燃性であるため、処分する場合でも、地域の分別収集ルールに併せて廃棄する。

 所によっては廃棄業者が引き取らない場合もあるので、注意が必要である。乾性油が成分である油性塗料については、ボロ切れなどに吸わせて保存すると自然発火する場合がある。水系の塗料が多くなってきたとはいえ、乾燥塗膜は可燃性である。有機溶剤の処分についても十分注意したい。

 

 自宅で吹き付け塗装をする方は少ないと思うが、漆工ではほとんど使用しない。高価な塗料である漆を溶剤に溶いて吹きつけすることは可能であるが、吹き付けは、空気圧の力を借りて空中へ放出されたときに霧化する。塗膜となるのは30%以下であるため、飛散する塗料は70%が無駄になるからである。吹き付けに適するラッカーの様な塗料より粘着性が高いので、薄めすぎると「たれ」を引き起こす。湿度が高いときには白化現象を引き起こす。

 

 環境汚染の問題は塗料を取り扱う者にとっては厄介である。無視するわけにはいかない。漆はかぶれる人もいるし、保管についても気を配らなければならない。マニアにとっては保管する溶剤等の危険物は、数量が少ないため問題はないが、常に火災の発生源になる可能性が高い。十分気を付けたいものである。


漆工作業その7

2015年07月05日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 箆(へら)は塗装作業全般で必需品である。多用されるのは木べらで、材質はヒノキやモミジが使われる。木材ばかりでなく、金べら、プラスチックべら、竹べら、ゴムべら(長四角形)等がある。既に三角形を長くした物を市販されている。使用に当たっては、先端に刃を付け、腰を付ける。刃はサンドペーパーで削ればよい。腰を付けるのは言葉で表現するのは難しいが、要は弾力性を付け、砥の粉や地の粉を潰す、下地材を調合、下地(パテ)付け、粘性の高い塗料の被塗物への塗り等、用途は広い。

 

 漆工作業では、通常ヒノキ板から塗師屋包丁(丹波)で削り、使用目的によって腰の強さやへらの大きさを変えて数本準備している。へらを自在に使える様になるのは年季がいるが、使い慣れることが大切である。ケーキ屋が使うパレットナイフでも同様で、スポンジケーキに生クリームを塗るのとよく似ている。

 

 漆工用の定盤(箱定盤)や、手定盤の上で、下地材をよく練り合わせる。塗料や下地材は、調合されているが、塗りやすい様にシンナー(溶剤)を加えて粘度を調整する。下地付けは、塗りつけ、斑(ムラ)直し、仕上げの3工程で行う。口で言うのは簡単であるが、熟練を要する。塗料は乾燥するため、時間が経つとゲル化(キョトキョトになる)し、へらでは取り扱いが困難となる。ゲル化のタイミングはへら付けを行う面積や、素材の吸収性、塗料の種類、気温、湿度、風速等により異なるため、使用する条件を熟知しないと失敗する。思った以上に取り扱いが難しい。そうはいっても、どの仕事でもいえることであるが、カンやコツの類は失敗の繰り返しで覚えるものである。

 

 へらは刷毛に含んだ塗料をしごき出すのにも使われる。刷毛は色換えをする場合や、塗り作業が終わり、翌日また使う場合には、そのままにしておくと塗料で固まってしまい使えなくなる。漆塗りには腰の強い箱ばけを使うが、どの刷毛であっても同様に、塗料をしごきだした後、空気に長時間さらさないために、水や、種油の中に付ける。使うときは水の場合は水を十分切った後塗料を含ませ、刷毛に馴染ませる。数回突き出しを行う。種油は不乾性であるため、刷毛に含んだ油分を突き出し、漆液に浸け、突き出しを繰り返し、十分油分を取り除く。

 

 へらについても、熟練が技を高め、次の工程の研ぎを軽易にするか、困難にするかに影響するため、専門家から教えを受け、実地で上達する他はないであろう。インターネットでビデオでもあればよいのであるが。


卓越大学院

2015年07月04日 00時00分01秒 | 提言

  文部科学省の中央教育審議会(中教審)大学院部会は7月2日、世界最高水準の教育力と研究力を備えた「卓越大学院」(仮称)の創設などを盛り込んだ審議まとめの素案を示した。

 

 上記は本日3日に日経朝刊に載った記事である。この構想は6月に政府が示した日本再興戦略の改訂版として大学改革がある。その大まかな内容は人工知能やビッグデータなどを研究し、新産業の創出に繋げることが期待されているという。

 

 それにしても奇抜といえる名称であり、現在は仮称で、変更される余地はあるものの、従来の大学院名称とはイメージ的にも突出して、違和感を覚え得ない。紙面に戻って、この提案の背景は、従来、何度か取り上げた、大学、大学院の現状の問題として捉えられる。

 

 すなわち、素案では近年の我が国の大学院教育について、「優秀な若者が博士課程に進学せず、国際競争力の地盤沈下に繋がりかねない懸念がある」と指摘している。そして、「高度な専門性や倫理観を元に新たな価値観を産み出してグローバルに活躍出来る人材を育成することが喫緊の課題だ」としている。

 

 こうした認識の上で、大学院改革について、(1)体系的・組織的な教育の推進と学生の質の保証(2)産学官民の連携や社会人の学び直しの促進(3)法科大学院など専門職大学院の質の向上・・・・といった7項目の方向性を提示した。筆者は総ての内容を把握していない。

 

  以上は記事に沿って書き出したもので、内容を触れたが、違和感は否めない。現状の打開に直接結びつくとは思えず、付け焼き刃的な発想は、法科大学院の失敗が何よりも端的に表している。机上での空論は、仕方ないにしても、現状分析の多角的な検討が成されていたとは思えないお粗末な内容ではないであろうか。

 

 アカデミックな頂点に位置する大学院が、果たして現在の世界の技術動向にどれだけ役に立つ成果を生んできたかを考えれば、このような牙城は不要の長物で、権威ばかりを強調してきた砂上の楼閣に過ぎない。勿論、数パーセントは評価に値する場合もある。しかし大多数の傾向であることは間違いないであろう。博士やドクターを否定はしないが、一度得た資格が一生役に立つ時代ではなく、技術士においても他の国家試験においても同様である。それの資格取得が契機となって、専門分野において、深まり、高まる保証はどこにもなく、むしろこのような制度自体が崩壊の危機に瀕しているのである。


パソコン突然のダウン

2015年07月03日 00時00分01秒 | マニュアル

 数日前からパソコンの反応が悪くなり、アプリケーションのアクセス時間が長く感じていた。特に毎日使用しているワードの立ち上がりに時間がかかり、メールの反応も悪かった。メールには迷惑メールが多くなり、毎日削除するのに手間を要していたところである。

  昨夜、突然画面が青くなり、白文字で、警告の文章が英語で書かれていた。内容は、今までにこの画面が出たことがあるのか、度々であれば、システムを再インストールするか、パソコン管理者に問い合わせてくれという警告文章であり、そのままでは消えないため、強制終了(電源ボタンを10秒以上押し続けると遮断する)せざるを得ず、再度電源を入れると、起動ファイルが壊れているとのメッセージが出て、再インストールディスクを入れてウィンドウズを立ち上げるとのことであった。

 

 それから格闘して、可能性のある修理方法を試みたが、一向に症状は変わらない。ダイアゴノステックという診断プログラムが、デルのパソコンにはCDに付属していて、これで状況を見たのであるが、ハードディスクの故障のメッセージが出るだけで、修理方法が示されない。

 

 ハードディスクの接続不良の可能性もあり、接続しているコードを総て取り去り、パソコン単体にして、カバーを外し、ハードディスクを取りだし、接点を復活材で洗浄した。元に戻し、電源を入れたが、画面にはウィンドウズが起動する前の段階の画面しか出ず、結局駄目であった。時間も経過して、夜中の2時となり、明日、デルのサポートセンターへ電話することにして、床に就いた。

 

 デルが営業する時間まで間があったため、電話番号を調べることにし、マニュアルを探していて、ふと気づいたことで、リカバリーディスクで再度挑戦することにした。リカバリーディスクは、セキュリティソフトをノートン360(シマンティック社)の機能である。パワーイレーザーというソフトが、ウィルスの感染を調べてくれる。感染していれば、駆除も可能であり、最後の手段と思って、CDをパソコンに挿入して起動した。

 

 暫くして、ウィルスに感染しているメッセージが出て削除したことが分かった。まさかと思った次第であるが、再起動すると見事、ウィンドウズが立ち上がってくれた。お釈迦にもならず、重要なファイルが飛ばずに胸をなで下ろしたところである。このようなことがあるので、日頃からバックアップを取り、そのときに備えることが重要であると肝に銘じたところである。


漆工作業その6

2015年07月02日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 意匠はデザインのことであるが、建築物や絵画等意匠のオリジナリティを高め、気に入った意匠に出会うと、感動し、人生を楽しくさせてくれる。意匠は形であり、機能であり、斬新性であり、創造の賜である。工業デザインではよいデザインは付加価値を高めることが出来る。意匠は今に始まったことではなく人類誕生と共に生まれたものだろう。

 

 漆工作業においても、通常分業化されていて、効率を高めている。一方、芸術家にはいると思うが、塗り物を素材から加飾までの総ての工程を個人で行う漆芸家も多い。最初に取りかかるのは意匠デザインである。建築でいえば設計書作成である。イメージ作りは平素からの意識がもたらす物であるが、直ぐによいイメージが湧くわけではなく、花鳥風月をモチーフにする漆芸家は、日頃より、デッサンに心がけ、実際に目で見て想像を膨らませ、デフォルメ(対象や素材の自然の形を作者の主観を通してそのイメージに合う様に捉えて表現することの意)するのである。

 

 意匠は、用と美が共に備わっていることが基本であるが、始めに制作する目的をはっきりしておく必要がある。しかし、市販されている素材を使用しては、オリジナリティに欠ける。漆工技巧にのみに走る場合には市販品でよいが、例えば、鎌倉彫をするための盆型に挽いた素地やお椀類は市販されている。分業として木地職人に素材となる造形物のデザインを依頼しても身近にいなければ、計画倒れとなってしまう。漆工を知らない木地職人は塗り代(しろ)を考慮しないため、箱物等は任すことが出来ない。轆轤(ろくろ)を使えない複雑な形状の物も不可能であろう。

 

 そこで登場するのが乾漆技法で好きなデザインを形にすることが可能であり、漆芸家に多用される所以でもある。とはいえ、粘土で型を作るため、粘土型が出来たとしても、石膏を流して固め、型抜き出来ないような形状は分割するか、無理と考えるべきであろう。

 ブロンズ像も同様で、簡単に言えば、石膏型が、砂型に変わるぐらいで、溶解したブロンズの取り扱いは高熱を伴うため、専門家に依頼しなければならない。

 

 デザインに戻るが、温故知新で、漆芸のデザインの多くが中国から伝来した物で、仏教の影響も強い。国宝である正倉院の御物の中にも多くの漆芸品が残されている。その中に唐草文様、宝相華(ほうそうげ)文様がある。