鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

漆工作業その16

2015年07月16日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 漆工産業が、伝統工芸の一翼を担ってきたことは十分理解しているが、一部の富裕層以外の商機を模索するとなると、ハイブリッド化しか考えられないが、伝統産業として継続すれば、二極分化は避けられない。従来から、従来の専門分野が、他の業界との境界領域との相乗りの道は、左官と室内装飾としてのインテリアデザインとが競合する例や、建築塗装が、サイジングと合体化する、ブロック建築と土建とが一体的に行う例がある。この傾向は、広い意味での技術の進歩が、作業工程を簡略化し、施工技術の進歩、改善等が影響している。

 

 漆工製品がほぼ永遠に使えるとの誇大宣伝があるが、確かにその利点は多いに利用すべきである。しかし一般の消費者は何世代も漆工製品を果たして利用するであろうか、文化財以外の日用品は、その世代が使えればよく、そこまでの耐久性を求める必要はない。

 

 自家用乗用車の外面に塗装されている焼き付け型のウレタン樹脂塗料は、自動車の寿命が長くても10年であり、10年以上の寿命を持たせる必要はない。マニアの中には相当年数を経過した車を所有しているが、実用に供しない。外面ばかりが長寿であっても他の部品に耐久年数がなければ意味がないのである。鋼板腐食の限界を5~6年に置いているのも納得出来る。

 

 従来、漆器や仏像、霊廟等の産業は、漆工職人を育てる環境があり、生計を営むための生活基盤が出来上がっていたからで、注文施主である城主や、大名、寺社仏閣の所有者等の膨大な資金があったお陰で、産業として成り立っていた。しかし、今や、バックボーンとなるこれらのユーザーがいなくなったため、存続の危機を迎えたのである。流通について考えると、現在ではではどこで生産しても、大差なく、全国に張り巡らされている流通網を使えばよいのであって、地域性に依存する意味は相当薄れているといえよう。

 

 世界遺産となった、和食、健康志向で、抹茶に人気があるとか、食の文化は食物の味覚や作法等も影響するので、果たして漆芸によって制作された食器まで及ぶかどうか予測不可能な点もあるが、商機として捉えることが出来る。2020年の東京開催が決まっているオリンピックで来日する外国人も多いと思われる。下作な漆工製品を流布しない様に気を付けたい。漆芸が文化としてどれだけ受け入れられるかはこれからの対応に委ねられる。一過性のイベントとしてだけに終わらせないためにも、宣伝等工夫されたい。


漆工作業その15

2015年07月15日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 3Dプリンターが内在する製品製作の可能性は計り知れないとまでいうには、既に川崎市民アカデミーに招聘されて講演したベンチャー企業(浜野エンジニアリング)の3Dプリンターで制作し、丸1昼夜で出来た巨大なクワガタムシである。大きさは50cmを超えていて、6本の足も見事に再現されていた。世の中に実在しないクワガタムシである。

 現在のところ、加工機の大きさに制限があるため、これ以上大きい物はできないとのことであったが、加工機が大きくなれば対象となる製品も大型化が可能となるであろう。

 

 人物では、等身大の造形物も可能であれば、年齢に応じた分身作製も出来るであろう。臓器も健康の時と病に冒されたときの双方が有れば、手術も容易となる。人型ロボットも、もっと人間に近くなることは間違いない。現在でもコピー商品が氾濫し、水際での防衛にご苦労されていると聞いたことがあるが、3Dプリンターの登場は、オリジナル製品とコピー商品の見分けが着かなくなるのもそう遠い先ではない様である。

 

 現在、特許が制度として機能しているが、データの操作で、本物とは異なる機能を付与することが可能となれば、特許の意味が薄れることはないのであろうか、デザインに置いても、誰にでも可能となれば、つまり組み合わせ技術(ハイブリッド化)が簡単に製品化出来ることを意味する。最も、塗装ロボットにしてもそうであるが、熟練技能者の吹き付け要領をテーチングによってロボットに教え込む。溶接ロボットもしかりである。人工知能によって、独自に学習機能を組み込めば、最短時間で、最高製品を不良品無しに作ることが出来る。

 

 3Dプリンターの誕生過程は生産ロボットとは異なるにしても、ロボットの導入量によって、雇用すべき人材も不要となるデメリットもある。生産に従事する労働者の形態が変わってきているのも事実である。おそらく、3Dプリンターの導入が盛んになれば、付随した問題発生も避けては通れない。もはや手作り、ものづくりを連呼して、地場産業育成として、伝統産業によりどころを求める意味はますます薄れるであろう。なぜなら、情報の広がりは避けられないし、どこでも、いつでも、誰でもが簡単にコピー製品を作れることになるからである。

 

 漆工作業・乾漆技法の興味が意外な世界へ展開したが、未だ、カンや、コツが技法の奥義として生きてきた。反論はあるにしても敢えていわせて貰えば、もはやそのような拘りは捨てるべきで、いかに3Dプリンター技術を導入すべきかが伝統産業を唯一生き延びさせる要(かなめ)となるであろう。


漆工作業その14

2015年07月14日 00時00分01秒 | 提言

 3Dプリンターの出現によって、漆芸の世界も飛躍的な変化が期待される。既に仏像の制作、複製の制作、保存の世界においても、実用化が試みられているとの放映があった。国内の廃寺に安置されていた、ご本尊や他の仏像が盗難に遭っていて、苦慮していたところであるが、複製を作製して、本物の代わりに安置するといったニーズである。勿論、本物は安全な倉庫や博物館に収めるわけであるので、盗難等の被害から避けることが出来る。

 

 仏像等は精神性が内在している関係で、偽物の安置は興ざめの所も残るが、そこは知恵で、良くしたものである。仏様の魂を抜き、複製に魂を移入することが可能という。そこら当たりは漆芸とは直接関係しないが、乾漆像などの複製は、容易に作成可能となる。

 

 現在ではまだ、3Dプリンターの持ちうる機能の面で、十分ではないところもあるであろうが、採算性や使用する樹脂などの材料の強度、上塗り塗料の質感等は、代用品で本物にどれだけ近づけるかの問題は残る。しかし解決不可能な事柄ではない。

 

 データさえ準備出来ていれば、3Dプリンターを使った加工は、大きい物でも2~3日で出来上がる。コンマ数ミリ単位の積層構造で作製されるため、精度を上げれば、表面の粗さも変化させることが出来、本物により近くなるであろう。これは成型装置の問題であるが、日々性能は上がっている。最大の特徴は何といっても、人手を必要としないメリットである。

 

 漆芸の乾漆は、被塗物となる素材加工が難しい曲線や、複雑な形は加工し難いとして、粘土で原形を作り、石膏型を使って求めるデザインに近づけた結果であった。同様に、鋳物も同じ考え方で、砂型を使った成型方法である。ブロンズ作品も同様である。写真撮影可能なオリジナルさえあれば複製も容易で、不要な部分の削除、新たな追加は、パソコンの画面で容易に加工出来るため、新たなオリジナル製品も大量生産が可能となるであろう。一大革命である。

 

 もはや手作りの良さは3Dプリンターの登場で、漆芸の衰退は吹き飛んだ感じがする。それでも漆芸にどれだけ魅力があるのだというのであろうか。3Dプリンターはただ単なる加工機械ではない、道具でもない、情報と結びついた再現性を具現する万能性を期待出来る、神機登場である。

 

 実物大の臓器を再現した透明のアクリル樹脂が臓器の外形を表し、内部の各組織が寸分も狂いが無く形作られた模型を神宮球場近くの科学未来館で見たことがある。これさえも今まで作られてこなかったが、医療分野への応用は将に始まったばかりであり、手術を担当する医師の訓練に利用されるとのことであった。3Dプリンター技術が無限の可能性を持つと考えられる。


漆工作業その13

2015年07月13日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 加飾について考えてみたい。デコレーションのことで、色や光を加えることによって、素材を一層艶やかにするものと捉えると、消費者の好みや、華やかさ、意外性等による方向を探ることになる。素材が何を目的に制作され、使われるかによって、一定の範囲があると思われる。

 

 以前から加飾の対象を広げる努力はされているが、定着していると考えられるのは、使用頻度に影響するが、年に数回しか使われないものは贅沢の部類に入り、宝の持ち腐れとなりやすい。漆工でよく制作対象となっている屠蘇用品(杯、調子、盆、重箱等)正月用品は将に年1回のものである。和室が新築住宅からに消えて久しいが、あってもひと間で、座卓を使うことも殆ど無くなった。

 

 食に関していえば、お椀類、塗り箸、菓子器、お盆、抹茶入れの棗(なつめ)、拭き漆のサラダボールくらいであろうか、これも取り扱い等色々注文がある様で、敢えて漆器に拘っている理由はない。塗り物であっても、結婚式の引き出物で頂く程度で、自らが購入することは殆ど無かった。

 文房具は文書入れや万年筆、硯箱等である。日用品となると、敢えて漆塗りが好まれているわけではないが、定番のオルゴール、宝石入れ、手鏡等であり、携帯電話やパソコンにも塗られているものを見たことがある。珍しいといえば、車いすを木製で作り、漆を塗った例や、自動車のダッシュボードやハンドルもあった。バイクのガソリンタンクやヘルメットに漆ではないが加飾したものある。

 

 建築物では、神社の鳥居、城郭の廊下、神社、寺院、仏壇・仏具等は箔貼りした物もあるが、文化財の修復で使われるぐらいで、総てではない。漆塗りと称しているのは極僅かで、カシュー等の合成漆やポリウレタン樹脂塗料が殆どと思われる。

 

 工芸品は多くの作家がいるし、地域の民芸品等も継続して制作されているので、そのすそ野は広いと感じられる。この分野はピンキリで、金、銀、螺鈿、バチル(象牙)、珊瑚、真珠、貴石や宝石類を加飾に施せば、価格の上限を知り得ない。変わり塗りといわれる技法もあり、多くは伝統として継続されている手法である。

 

 こうして製品の加飾を見ると意外と現在使用頻度が高いと思われているものが少ないことが分かる。これでは先細りといわれても仕方がないが、我が国の森林で生育している多くの木材の利用が進めば、光明が見えてくるが、産業としての存続には、消費量の問題も解決しなくてはならない。


義母の入院

2015年07月12日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 大正6年生まれの女房の母は、現在98歳になる。56歳の時に他界した自分の母と同じ年齢である。自分の母は、若い時分から余り健康ではなかった様で、戦前に結婚後父が台湾へ応酬されて、戦後まで台湾で生活していた。我が家は兄弟が3人であり、自分と2歳違う兄とは台湾で生まれた。兄は基隆(キールン)で自分は高雄である。軍医から取り上げられたと母がいっていた。終戦後引き上げてきて母の実家であった杉並区関根町1-1(現在は地名変更で、井荻という)の祖父・祖母の家である。戦後神奈川県が分譲住宅を建て、その募集に応募し、見事当選した家が、現在自分が住居としている川崎市多摩区の家である。

 

 昭和30年に杉並区関根町から川崎市多摩区の県営住宅に転居した。当時62世帯が入居していた。父親は遠洋航海の仕事であったため、自宅にいるのは年に1~2回、それも長くて1ヶ月であった。無理をしていたせいか昭和32年に病気で他界した。以後、子供男3人を総て大学まで卒業させてくれたのは教育熱心な母親のお陰である。自分が就職して、数年後に台湾で被患したアメーバー赤痢が原因して、大腸腫瘍が見つかり、療養していたが、昭和50年に薬石効果なく他界した。56歳であった。丁度、結婚して2番目の子供が誕生する前であった。

 

 生まれた娘は既に結婚して2児の母となっている。娘の年からするともう40年も前の話である。女房の母と同じ年なので、では40年間義母に何をしてあげたかを、ふと考えてみた。生活の場が違うといっても、それは仕事にかこつけた自分の逃げでしかない。母と義母とを別段区別して接したことはないが、実の母が他界しているとダブってくるのも確かなことである。

 

 自宅にある母の遺影を見る機会はあるが、母は生前から抹香臭いことが嫌いであったこともあり、儀式張ることは殆ど無かったが、そうであっても夢にすら出てこないのはきっと兄弟が社会人としての生活が出来てきたからであろうか?

 

 実は、早くに両親を亡くした遺児の境遇が、不幸であったかといえばそうではない事を申し上げたい。一般的には、確かに、父親が早くに他界した後、女手一つで3人の子供を育てることは経済的にも社会的にも大変ご苦労が多かったことは経験からして間違いない。

 幸いなことに、父親の会社から遺児育英資金なるものがあり、また、親戚や知人の援助があってのことであったが、道を間違えることなく現在まで生きてこられたのは、両親の早過ぎる他界によって、学んだことが生きたことだと自認しているが、丁度ユズリハがそうである様に、親がいつまでも長生きして欲しいことは疑う余地はない。


漆工作業その12

2015年07月11日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 どの産業においても盛況の状況が何時までも続くわけではない。特に衰退産業の中に、伝統産業が含まれているのは、嘆かわしいという他はなく、関係した者の一人として、日々興隆を夢見ているのであるが、特別な良案を有しているわけではない。抜本的なてこ入れを行うこと以外に衰退の連鎖は続き、何れは従事する労働者が激減する時代を迎えることは必至である。

 

 衰退の原因で思い付くことは、1.漆工産業で生まれる製品の価格が高く、代用出来る安い製品に凌駕されたこと、2.完成品に至る手作業や工程が複雑で、単純作業化にしてこなかった、3.材料である漆塗料の生産が国内では僅かでしかなく、殆どが日本産に比べ、品質が悪い中国産や東南アジア等からの輸入品である。4.産業を後押しする団体や政府からの資金援助・技術支援等が乏しい。5.日本の各地で名前が知られた漆器の産地はあるが、斬新な地場産業として魅力が乏しくなっている。等であるが、最近の個々の動向は知り得ない部分もあり、実態からかけ離れているかも知れない。

 

 しかし、再興に向けての動きが見えないし、聞こえてこないので有れば、衰退を真摯に受け止めなければならないであろう。では復興の可能性はどうであろうか、漆工製品が堅牢で、美的価値を持ち、様々な加飾技法の種類があり、補修も出来る。価格の面では高止まりで、日用品は価格の安い代用品が市場に溢れている。使用する塗料は輸入品であり、漆工材料の一部は国産であっても、国産に比べ、価格の安い材料が使われていれば、もっと価格に幅を持たせることは可能と思われる。実態は総てを国産品が使われてはいない。

 

 多くの技法が我が国で開発され、芸術性を高めてきたが、現在の生活には、縁遠くなってしまっている。生活の風習が昔と変わってきていて、金襴緞子的な豪華さにも違和感を覚えずにはいられない。

 

 漆や漆器をジャパンと英語では言うが、我が国の名前が付くことはチャイナが陶器を示すのと同じで、折角付いた名前をどのように育んでいくのか、時代にあった漆器が生活を潤うようにするためには何が必要なのかは、当事者は勿論、従事している雇用者にも分かっているはずである。高級志向だけではなく、日用品にも拡大し、販路を広げることであろう。むしろ高級志向からの離脱の方向が、新たな可能性を発見出来るかも知れない。伝統や、過去に拘らず、考えを逆転し、漆の持つ性質を短時間の硬化を可能にする新技術の開発・導入等、積極的であっても良い。手間をかけずに製品化する研究開発を行うべきではないであろうか。


漆工作業その11

2015年07月10日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 治具(ジグ)は補助具のような物で、工作機械の刃物を正しく当てる働きをする道具であるが、一般に、個人によって工夫して、作られている。漆工作業においても、作業を正確に行うために制作物の局面を同じにする、角度を持った箇所、例えば、合い口の立ち上がりの角度を均一にさせるための定規や特殊な形状を持つへらなどに使われる。強度を必要とする場合は、ブリキ板を金切りばさみで切って作る。

 

 四角形や円形の造形物を作る場合は、最終的には、石膏型を作るのであるが、手っ取り早いのは、油粘土や粘土を使う。仏像などの脱乾漆と呼ばれている造形物は、木型に粘土を用いて造形物を作り、麻布に生漆と糊を混ぜた下地を張り重ねて、乾燥すれば、さらに下地にとの粉や、地の粉(珪藻土)を加えて、彫刻へらを使って、整形する。乾燥すれば研ぎを行いこれを繰り返して一定の厚みを作る。バケツに水を入れて造形物を浸すと、水に粘土が溶けるため、粘土は除去でき、漆と麻布が張り合わされて乾漆造形物が作れる。 

 

 油粘土を使った造形物は、精密な加工は難しく、限界はあるが、円筒形や立体造形等比較的単純な形状に向く。複雑な石膏型から乾漆が抜けないと離形材を使っても抜けなくなる。油粘土を整形するときには治具を作る。両手に入るぐらいの調理用ボールを伏せたイメージを例として考えることにする。アクリル板(3mm)を加工して寸法の台を作る。その前に、アルミ板(0.5mm)か塩ビシート(1mm)を準備し、設計図の1/4の形状を作製する。円形では、90度を持つ型が出来るので、4方向同じ外形を確定することが出来る。この治具を使って正確なアクリル台を作製する。同じ曲率の外形を持つ台となるアクリル板が出来る。中央に直径3mmφの穴をあけ、同径の真鍮チューブを差し込む。アクリル定規のガイドとなるものである。

 

 アクリル板定規を先にこしらえたアクリル板台に沿って、回転させることによって、粘土の形状を作る。逆L字型の曲率を持つ定規を作り、中央の真鍮棒を挟む形にする。曲率がボール型の丸みとなる。中心に立てた真鍮棒が横ぶれしないように固定する必要がある。油粘土を掻き取るため、アクリル定規へらの片方に刃をつける。

 

 複雑な形状であっても台の加工によって、様々な形状、楕円であれ、花びら型であれ制作が可能となる。台のアクリル定規や加工したアクリルへらなども治具である。