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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

意思は大切

2019-03-07 15:27:15 | 言語


自己の意思を表せば、当事者・関係者となる。意思の表現がなければ傍観者にとどまる。
日本人には、意思がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には、未来時制はなく、日本人には意思がない。
個人の意思の存在は公に認められていない。個人主義がない。それで、日本人は、優柔不断・意志薄弱に見える。意思を表さない人間には当事者能力がないので、責任者・交渉者には適任ではない。大切な仕事は、任せられない。
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本・権力構造> (The Enigma of Japanese Power) の<世界にあって世界に属さず>の中で日本の交渉能力について下記の段落のように述べています。

アメリカ政府はとくに、中曽根を含む日本の歴代首相との交渉を通し、日本の場合には、政府の公式首長であれ他の誰であれ、実効性のある交渉は不可能だと気づかされた。他の多くの国も今世紀を通して分かったのは、日本の交渉者とは実質的な交渉はできないということだった。日本の交渉者が交渉不能なのは、交渉者のどんな言葉に対しても本国で反対される可能性がつねに存在するためだ。この難しさが、日本に対する戦前の欧米諸国の態度を大方決めたのだった。ある日本外交史の専門家が要約するように-戦前の日本ほど、国際的信頼を得たいという強迫観念にかられながら、世界中から信頼されなかった国はない。交渉の失敗を考えることすらこわがっていたにもかかわらず、日本の指導者も交渉者も交渉は最小限にとどめたし、考えもこり固まっていたので、非難されることは必然的だった。--交渉という交渉で、指導者も外交官もあやまちをくり返すまいと意識して努力したにもかかわらず、結果は何度も何度も同じ落とし穴に落ち込んでしまうのだった。(引用終り)

個人の意思を認められない人々の思考形式は、我々の民族的な性格にまで影響を及ぼしている。‘アメリカに行く’ 意思のあるなしを尋ねる人がいたとする。私は、’ある’ と答える。そうしたら、’”ある” と答えたのになぜ如何行っていのか’ と尋ねる。’意思は未来 (非現実) 構文の内容であるから、現実を観察してもその内容は確認できない’ と私が答えると、相手は、’あなたは、理屈っぽい’、’理屈を言ってはいけない’ と私をたしなめる。こうした会話は、そこで終わりになる。だから、我が国民の思考停止に至る細かい考察などには触れることはない。こうした思考停止の状態で相も変わらず過ごしている。
非現実を考えとして脳裏に持たない人たちは、現実の世界の中で非現実の内容を探し求めている。だから、見つかるはずもない。期待の成就を意識して、つい ’まだか、まだか、まだか’ と気をもんで待つことになる。日本人が全体として気が短いのは、非現実の存在を認めていないためである。

フランク・ギブニー氏 (Frank Gibney) は、自著 <人は城、人は石垣> (Japan The Fragile Superpower) の中で、日本語と英語の特徴の違いを以下のように述べています。
、、、、言語として、日本語は「いの、ここ」に根ざしている。判断より気分に興味をもつ。意味より感受性に関心がある。英語を使うのは絶えず論理的な価値判断を行なう言語を使っていることであり、英語が価値判断を行わせる。一方、日本語は論理的、法的ないし哲学的判断を敬遠する。、、、、、(引用終り)
我々日本人は、日本語と英語を共によく学び、作文における時制の大切さを十分に理解して意思の表現法を獲得して、日本国内にも国際社会においても意思疎通に役立てよう。さすれば、我々の行く手には大きな夢と希望が存在することになります。


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大きな誤り

2019-03-07 06:18:55 | 教育
(略)
>私は現在の英語教育、つまり小学校の時代から「英語は必須科目だ」と誰もが勉強しなければならないのは大きな誤りと思っています。>日本が貿易立国になり、これほど繁栄してきたのは、昔なら日露戦争、最近ではパナソニックやトヨタの成功のように、「機械、電気の技術者のレベル」というのがとんでもなく高かったことによります。

それは、職人の技ですね。GAFA (Google, Amazon com., Facebook, Apple Inc.) の行き方とは、発想の次元が違いますね。

>それを一部の文科系の人がよく考えずに「コミュニケーションが必要だ」などといって英語教育を強化したのですが、その結果は日本の競争力を弱め、私たちの子供は貧乏を強いられるでしょう。

それは、わが国の職人技が異次元の発想法についていけなかったからでしょう。

>私も一時期、国の中央教育委員会の専門委員をしていたことがありますが、出世目当ての官僚が書いたシナリオを勲章をもらいたい先生が委員会を開いてまとめるという手法で、ろくなものはありませんでした。

会議で十分な議論がなされずに、委員の理解が得られていなかったということですね。

>もちろん英語教育の強化も、それがもたらす弊害などを議論せず、「グローバリゼーションの時代だから」という理由で決められたものです。

そうですね。英語は、日本人の役に立ちます。弊害も議論しないといけませんね。

>もともと日本人、そして決めた人たちの所得が「英語教育をしなかったから」、もしくは「日本は島国で外国との付き合いは一部の人でよかった」ということなど理解もしていないのは明らかです。

結果としての技術立国の成果は、わが国が外国と本格的なお付き合いをする以前から存在した技によりもたらされたものですからね。

>長い歴史を持つ日本人の技術力が「英語教育」で壊れてしまう恐ろしさ
>人はとかく「結果と対策」を考える傾向があります。>「日本は貿易立国である」とか、「最近、競争力が低下したから、テコ入れしなければならない」などと考えます。

そうですね。日本人は、現実に囚われて結果と対策ばかりを考えていますからね。

>でも、真なる発展は「なぜ、日本が世界の中でも機械、電気の製品が素晴らしいのか」ということをまず考えなければなりません。

それは、日本製品は ‘仕上がりが良い’ からでしょう。 物に心を込める技が発達しているからでしょう。技は、書物では得られません。

>明治以来の日本の科学を見ますと、2つの特徴があります。
>外国語で書かれた欧米の書物を必死になって日本語に翻訳した。 >この中には多くの人が知っている杉田玄白の解体新書などもあります 

実験・観察によることなく、読書に没頭したのですね。現実の内容を中心に据えないと、’頭でっかち’ になりますね。

>日本人は、珍しいものが好きでなんでもやってみる気質があること、学問をする人を尊敬し、お金より上位に置いたこと >と思います。

日本人には、’後追い’ の性質があるということですね。相変わらずの無哲学・能天気の状態で学問の成果は期待できませんね。未来社会の建設に前向きになれず、手段の目的化が起こりやすいですね。世界観を持つことがでずに凝り性で上下判断にとらわれますね。それでも、役には立ちますね。

>(後略)