>類義語としては、平凡、典型的、人並み、十人並み、なんの変哲もない、など。
‘普通’ という単語の類義語のことですね。
>普通という言葉について、村上龍の小説「希望の国のエクソダス」にはこんな一節があります。 >“普通”の中学生である中村君が語った言葉です。 >「ずっと言われてきたんですよ。 >親と話したことでよく憶えているのはそれだけです。 >普通というのがぼくはわからなかったし、今もわかりません。 >みんなと同じようにすることだと親が言ったこともあるけど、みんな一人一人違うじゃないですか」…
そうですね。難しい問題ですね。
>「普通という概念は一定のものじゃないとぼくは思います」…
そうですね。’普通’ は、’一般’ であって ‘特殊’ ではありませんね。
>「だから普通でいなさいと言われてもよくわからないんです」 >「普通」を定義できますか? >自分にとっては普通でも、他の人にとっては普通でない可能性があります。
考えの内容は、一人一人違いますからね。
>自分の国では普通でも、他の国では普通でない可能性があります。>普通というのは、どこまでいっても相対的なものなのです。
そうですね。
>ぶっちゃけた言い方をすれば、世の中で言われている”普通”とは、「幻想」にすぎません。
普通は現実の内容ではない。非現実 (考え) の内容ですね。
>あるような気もしますが、ないような気もします。>空なんです。>つまり「普通」とは、解釈次第でどうにでも言えるわけです。
そうですね。現実の中に ‘普通’ は見えませんね。ですから、普通の内容は、十人十色です。
>だから、自分の意見を正当化して人に押し付けるときに非常に役に立つんですね。> 「それが普通だから、そうしなさい」というように。
そうですね。役立つ度合いは、説得力にかかっていますね。
>思考停止していることを隠したいときにも使える言葉ですね。
そうですね。日本人には思考停止が多いですから、’普通’ という言葉は役に立ちますね。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」
(略)
>普通であろうとすること自体は悪いことだとは思いませんが、その「普通」とは、誰かに洗脳された結果「普通だ」と思っているのではないか? と疑ってみることをおすすめします。
そうですね。日本人が無哲学・能天気であるのは普通の状態であると考えているかもしれませんね。
現実は頭の外に存在する。その内容は、見ることができる。見ればわかる。
非現実 (考え) は、頭の中にある。その内容は、見ることができない。ただの話である。話がわかる為には、その文章の理解が必要である。
見ることができる内容は、’本当’ のことである。見ることのできないものは、’嘘’ である。誰も、’見て来たような嘘’ をつく人間にはなりたくない。だから、自分自身の考え (非現実) の内容は、語らない。これが、我々の思考停止の状態になる原因である。自分自身の考えの内容が、想定外になっているのである。その結果、たいていの日本人は、受け売り専門の人になっている。
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