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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

普通

2019-03-10 22:45:21 | 言語

>類義語としては、平凡、典型的、人並み、十人並み、なんの変哲もない、など。

‘普通’ という単語の類義語のことですね。

>普通という言葉について、村上龍の小説「希望の国のエクソダス」にはこんな一節があります。 >“普通”の中学生である中村君が語った言葉です。 >「ずっと言われてきたんですよ。 >親と話したことでよく憶えているのはそれだけです。 >普通というのがぼくはわからなかったし、今もわかりません。 >みんなと同じようにすることだと親が言ったこともあるけど、みんな一人一人違うじゃないですか」…

そうですね。難しい問題ですね。

>「普通という概念は一定のものじゃないとぼくは思います」…

そうですね。’普通’ は、’一般’ であって ‘特殊’ ではありませんね。

>「だから普通でいなさいと言われてもよくわからないんです」 >「普通」を定義できますか? >自分にとっては普通でも、他の人にとっては普通でない可能性があります。

考えの内容は、一人一人違いますからね。

>自分の国では普通でも、他の国では普通でない可能性があります。>普通というのは、どこまでいっても相対的なものなのです。

そうですね。

>ぶっちゃけた言い方をすれば、世の中で言われている”普通”とは、「幻想」にすぎません。

普通は現実の内容ではない。非現実 (考え) の内容ですね。

>あるような気もしますが、ないような気もします。>空なんです。>つまり「普通」とは、解釈次第でどうにでも言えるわけです。

そうですね。現実の中に ‘普通’ は見えませんね。ですから、普通の内容は、十人十色です。

>だから、自分の意見を正当化して人に押し付けるときに非常に役に立つんですね。> 「それが普通だから、そうしなさい」というように。

そうですね。役立つ度合いは、説得力にかかっていますね。

>思考停止していることを隠したいときにも使える言葉ですね。

そうですね。日本人には思考停止が多いですから、’普通’ という言葉は役に立ちますね。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

(略)
>普通であろうとすること自体は悪いことだとは思いませんが、その「普通」とは、誰かに洗脳された結果「普通だ」と思っているのではないか? と疑ってみることをおすすめします。

そうですね。日本人が無哲学・能天気であるのは普通の状態であると考えているかもしれませんね。
現実は頭の外に存在する。その内容は、見ることができる。見ればわかる。
非現実 (考え) は、頭の中にある。その内容は、見ることができない。ただの話である。話がわかる為には、その文章の理解が必要である。
見ることができる内容は、’本当’ のことである。見ることのできないものは、’嘘’ である。誰も、’見て来たような嘘’ をつく人間にはなりたくない。だから、自分自身の考え (非現実) の内容は、語らない。これが、我々の思考停止の状態になる原因である。自分自身の考えの内容が、想定外になっているのである。その結果、たいていの日本人は、受け売り専門の人になっている。



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さん付け

2019-03-10 11:21:35 | 教育

>最近の小学校、「あだ名禁止」や「さん付け」が増えた事情 >「○○っち、久しぶり」──同窓会で旧友に子供時代のあだ名で呼びかけられると、数十年前の景色が一気に甦り、昔話に花が咲く。 >そんな経験をいまの小学生が味わうことは、おそらくない。>いまどきの小学校では、「呼び名」に厳しい制約が課されているからだ。

美智子さまを ‘ミッチー’ と呼ぶのもいけないのですね。

>都内在住の70代男性は、ふと子供たちの言葉遣いに疑問を持った。>「あるとき学校まで孫を迎えに行ったら、孫が同級生と『加藤さん』『原田さん』と呼び合っていたんです。>会話は子供らしく『ふざけんな』とか『それ、ヤベェよ』とか言ってるのに、名前だけは呼び捨てでもあだ名でもなく、丁寧に『さん付け』で呼び合っている。>本当に仲がいいのかな、と思ってしまいました」>いま、同級生や友人の名前を呼び捨てにしたりあだ名で呼ぶことをせず、名字に「さん」を付けて呼ぶ小学生が増えている。

そうですね。孫たちは、礼儀正しい日本人でしょうね。言葉の発想で、行動の内容も変わりますね。英米人は、人の名前を呼び捨てにしますね。ヒロヒトでは、いけないのかな。

>埼玉県の小学校に勤務する現役教師はこう語る。>「私も自分のクラスでは生徒同士に『さん付け』をさせています。>そのメリットとして、明らかにケンカが減った、という教師としての実感があるからです。

言葉遣いと個人の行動は、一体化しているのでしょうね。それにしても、’さん付け’ の部分だけに一体化が関係しているとも思えませんがね。

>相手を怒鳴る前に自分の頭の中に“さん”が浮かぶと、ちょっと冷静になるんでしょうね。>あだ名で呼ぶことは、いまの小学校では考えられません。>それくらいイメージが悪いのです。

あだ名とニックネームは同じかな。それとも、あだ名は悪く、ニックネーム (愛称) は良いのかな。

>理由は、あだ名で呼ぶことでいじめと捉えられる可能性があるからです」>実際に小学校では「あだ名の禁止」や「さん付け」などの丁寧な呼び方をすることを規則に定めることで、いじめを防止しようとする動きがある。

この言葉狩りが、全国に平和をもたらすのでしょうかね。

>広島県のある公立小学校では「生徒指導規程」において〈人の名前は呼び捨てにしない。あだ名等で呼ばない〉と定めていることをホームページ上で公開している。>文科省OBで京都造形芸術大学教授の寺脇研氏によると、近年多くの小学校で、いじめの防止のために略称や愛称なども含めてあだ名を禁止しているという。>寺脇氏が言う。>「あだ名禁止の要因として、2000年代にいじめによる悲惨な事件が多発して文科省による『いじめの定義』が変わっていったことが挙げられます。

あだ名に、無実の罪が着せられたのですね。それが良いのか、悪いのか。

>滋賀県のいじめ自殺事件(*注)を受けて2013年に施行された『いじめ防止対策推進法』に伴い、いじめは生徒が〈心身の苦痛を感じているもの〉と、定義された。

外国人に ‘ジャップ’ と呼ばれら、我々日本人はすぐさま相手に十分な仕返ししなくてはいけないのかな。

>あだ名は体の特徴を捉えたものも多いため、『あだ名の禁止』などの校則を定める学校が増えています」

一種の言葉狩りですかね。

>【*注/2011年10月に滋賀県大津市内の中学2年生(当時)がいじめを苦に自殺した事件。>自殺につながった深刻ないじめの発見や対応が遅れたことが、大きく問題視された】>しかし、一律に禁止することで、名前を略したり、愛称で呼ぶことさえもNGとなっているという。>つまり“キムタク”や“松ちゃん”も、禁止対象となる。

‘不自由を常と思えば不足なし’ ということですね。

>「例えば転校したばかりのときに、本人が望む場合には堅苦しい名字よりも愛称のようなあだ名で呼んでもらったほうが、円滑なコミュニケーションに有効だと思います」(寺脇氏)

松平健さんは、マツケンですね。

>同じ名字の子供がいる場合はフルネームに「さん」を付けなければならないなど、面倒な問題も生まれてくる。

フル・ネイムに ‘さん’ 付けは、礼儀正しい日本人の証でしょうかね。

>すると、子供同士のトラブルも奇妙な展開に。>「私が担任を受け持つクラスの男子生徒同士がケンカになった際、一人の生徒が思わず相手を呼び捨てにしたんです。>そうしたら相手の子が『先生! 〇〇さんが呼び捨てにしてきました』って私に告げ口してきたんです。>“えっ、そこ?”って戸惑ってしまいました」(都内の小学校教師)

勝負あった。呼び捨ての負けですね。

>千葉県内の公立小学校では、生徒間だけでなく、教職員が生徒を呼ぶ際に、「○○さん」と呼ぶように定めている。>県内の小学校教頭が語る。ことばは員が生徒を呼び捨てにすると、生徒たちの言葉が荒くなることが予想されるためです。

呼び捨てそのものに、上下観が込められているのですね。

>優しい呼び掛けをすれば、続く言葉も自然と優しくなりますから。

一事が万事ですね。日本人の社会は、序列社会ですからね。’上とみるか・下とみるか’ の個人判断で、そのあとに続く言葉も変化しますからね。一方で我々の序列メンタリティを温存しながら、他方で ‘呼び捨て’ などの言葉狩りに精を出すのもむなしい気持ちになりますね。こんなやり方で、現在の問題が片付くはずもない。

>子供たちの場合も教職員と同じで、できるだけ優しい言葉を使っていこうということです」

日本語には、優しくない言葉が多いのですかね。

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