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>■道徳とは精神世界の領域
>まずこれは言うまでも無い事ですが、道徳というのは人間の精神世界の問題です。
そうですね。道徳は、頭の中の問題ですね。
> 1 善悪の基準や価値観の理解 > 2 社会通念上の決まりごとを守る意志 > 3 他者への敬意 > 4 周囲の人間の利益を考える高度な人格 >およそこのようなものを高めることが道徳教育に求められている役割だと言えるでしょう。
道徳は、‘世の中は、、、’ といった内容を高めて固定することですね。
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>それは、教育関係者などの管理する側の人間がまともな道徳などを備えていない事です。>いじめ自殺が起きてもそれを黙殺し、人命が失われたという現実よりも、学校の評判や自分たちの社会的身分を守ることしか考えられない大人が道徳があると言えるでしょうか?
大人の教育関係者は、処世術の方に走っていますね。
>私には全くそのような倫理観や道徳観念が高い人間や組織だなどとは全く思えません。
そうですね。‘あれではいけない・これではだめだ’ ということですね。
>言うまでも無くもはやこうした事件が全国各地で相次いで起きており、それを葬って学校の運営などしか考えない人間などが道徳の授業をするということ自体おかしなことです。
教育関係者は、道徳の基準が立てられないということでしょう。
>もはや笑えない冗談・ギャグだと言われても致し方ありません。>社会正義と真実を公平・公正に追求する人間を育てるなどという学校の管理者たちが、この道徳を備えていないというのでは説得力が無さ過ぎます。>道徳を高めるということは、もはや学校に期待しても無意味であり、的外れもいいことなのです。
学校に関する性悪説のような感じがしますね。もっと建設的な提案はありませんか。
>英語が話せない人に英語を教わろうなどという人がいれば、頭の痛い人だと誰もが思いますでしょう。>教育現場で起きていることというのはもうこの手のことと何ら変わらないレベルまで来ているのです。
実況放送・現状報告の内容をいくつ掲げても現実は変わりませんね。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思のない人は、仕方がないから、無為無策でいる。だから、日本人は、おとなしい。
日本人には、意思がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語脳には未来時制がなく、日本人には意思 (未来時制の文章内容) がない。優柔不断・意志薄弱に見える。
日本語には時制がないが、英語には時制がある。日本人には意思がないが、英米人には意思がある。
意思のある人には、加害者意識を体験している。加害者意識が強いと、罪の意識にまでなる。自分自ら謝罪・贖罪が必要になり、そのための宗教を求めるようになる。
意思のない人には、加害者意識がない。罪を感ずることもなく、無邪気なままでいる。そして、罪の話を敬遠する。どうしていじめが起こるのかわからない。
英米人は、意思の良さに従って自分たちの指導者を選び、意思の悪さに従って彼らの罪人を糾弾する。日本人は、意思がないので、意思以外のことを基準にとって指導者を選び、罪人を糾弾している。日本人は、自己の道徳の中に罪 (加害者意識) の基準を導入することが難しい。だから、道徳の規準に深刻さが足りないと感じているのでしょうね。しかし、罪を基準にとった道徳をわが国に導入できたとしても、それによりわが国の犯罪率が低下するとも考えられませんね。
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)
我々日本人は、日本語と英語を良く学び、時制の大切さをよく理解して、自己の意思を表明できるようにする必要がありますね。さすれば、外国人との意思の疎通も可能になり、国際社会においても大きな責任を果たすことが可能になります。私達には、夢と希望に満ちた未来があります。
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