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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

学校歴

2019-03-15 16:34:47 | 言語

>年齢を重ねるほど戦力になるという時代は終った感がある。>唯一“経験”が豊富という点がその根拠となっていたが、新たな答えを創出する時代ではその“経験”や蓄積された“知識”は逆に思考の妨げにもなる。

過去は、思考の妨げにしかならないものか。

>大卒よりも高卒。 >さらには中卒、小卒が戦力となる時代がやってくるのではないだろうか。

そういうことが、あるかもしれませんね。

>リンク > より引用
>◆偏差値の高い学生は会社で活躍しているか?

偏差値は、学生の活躍度を示してはいませんね。彼らは、実社会において何の活躍もしていませんから。

>昔から変わらない新卒選考の基準の1つになっているのがどんな学校を出たかという「学校歴」です。

学校歴は、世俗的な権威のある迷信でしょうね。

>明治30年代に発行された雑誌にも、就職に有利な学校として、帝国大学や官立の高等商業学校(一橋大など)、高等工業学校(東工大など)、私学では早稲田大、慶應義塾大が掲載されているほどです。

海外との比較がないところが残念なところですね。

>しかし、偏差値が高い一流大学の出身者であれば、入社後も本当に活躍してくれるのでしょうか。>こんな疑問を抱いている人事担当者も少なくありません。

そうですね。会社は、優秀な人材が必要ですからね。高等教育は、職業教育とは限りませんからね。活躍度には、疑問があります。

>じつはこれを確かめようと密かにある“実験”をした会社があります。 >1社は大手精密企業。 >東大卒と高校卒の新入社員を数名ずつ同じ部署に配属し、同じ仕事を担当させたそうです。 >同社の人事部長はこう言います。 >「業務遂行能力の評価はほぼ変わりませんでした。 >でも高卒者のほうがやや点数が高いという結果です。 >入社2年目になると能力差が出るのではと思っていましたが、残念ながら同じ結果でした」 >3年目は大卒と高卒の配属先が異なるので比較は無理でしたが、この実験を機に選考では、今まで以上に人物重視の選考に切り替えたそうです。

賢明な判断ですね。日本人の能力は、18歳まで大体決まりますからね。大学教育は、成績に関係がないでしょうね。

>入社5年目の活躍度を調査したのがIT企業です。 >まず同社で実際に活躍している社員が共通に持つ高い能力を調べたところ「意欲の高さ」と「発想の豊かさ」の2つでした。 >この2つを指標に入社5年目の学歴、学校歴別に社員を調査したそうです。じつに驚くべき結果が出たそうです。 >同社の人事部長はこう言います。 >「当社は大卒以外に高校、専門学校卒も採用しています。 >それを含めた全員を調べたのですが、最も評価が高かったのは高校、専門学校卒だったのです。 >次に東大、京大や早慶クラス、最も低かったのが明治、中央などのMARCHクラスでした。 >学歴に関してはまったくの逆の結果になりました」 >これは特殊な現象なのでしょうか。

特殊ではないですね。わが国のような無哲学・能天気の社会においては、英米流の大学教育は何の役にも立ちませんからね。大学は、哲学 (非現実・考え) を教えるところですから、実業 (技術) の世界には直接の効果がありません。無哲学のわが国では高等教育が四年間空回りしています。国民もそのことを知っていてか、高等教育の無償化に抵抗を示しているのでしょうね。

>両社の調査結果を見れば、何も大卒を採るより優秀な高卒を採用したほうがいいということになります。

本当に、そういうことになりますね。

>さて、皆さんはこの結果をどうご覧になりますか。

大学における四年間の遊びの生活は、企業による実業界の評価の対象にはならないでしょうね。してみれば、十八歳までの教育が勝負どころということになりますから、まさに高卒程度の競争になりますね。12歳説の証明にまでは、至っていないようですね。
‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー) 
日本人も自己の哲学を披露することができるようになれば、英米人から信頼を得ることができるでしょう。それまでは、まだ子供です。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)


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思考パターン

2019-03-15 12:06:56 | 言語

>○受け身的な人の思考パターン
>1.自分中心思考 >「~と私は考えました」「~をアピールする」と自分を主語に考える

自主的な考え方ですね。責任のある考え方ですね。

>2.方法論思考 >「どうすればいい?」と方法論をすぐに考え始めるが答えがなく、1~10まで答えを求めてくる

意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思のない人には、仕方がない。だから、無為無策でいる。相手に答えを求める。

>3.曖昧思考 >「何をすればわからない」と作業への落とし込みができない、解決策が分からないで堂々巡りしている

なにが何やら、さっぱりわからず、どれがどれやら、さっぱりわからず、何も聞かずに飛んでは来たけど、、、、

>4.完璧主義思考 >「~すると危ないか?」「~してはいけない」と完璧を求めて動けない

‘できる方法’ に専念しない。’できない方法’ に凝り固まる。考える方向が誤っている。

>5.被害者思考 >何で自分ばかりが、上司が悪いと相手の責任にしてモチベーションが下がっている

意思がなければ、加害者意識も無い。罪の意識も無い。だから、もっぱら被害者意識に専攻する。恨みっぽくなる。

>○主体的な人の思考パターン
>1.相手中心思考 > 「相手は何を求めているのか?」と相手を主語に考える

求めよ、さらば、与えられん。

2.目的思考 >「そもそも何がどうなればいいのか?」と目的を考え抜くことができる

‘あるべき姿’ の内容を考えるのですね。

3.具体化思考 >目的から発想して何をするか、何を聴くかを落とし込むことができる

目的から手段を選ぶのですね。

4.柔軟思考
行動へのリスクを計算し、許容できる、行動計画を効果・効率の視点から柔軟に変更できる

理想 (非現実) と現実の間で、行動計画を柔軟に変更することができるのですね。

5.自分責任思考
全ては自分のコントロールできることに集中する、自分への成長の意味を考え、モチベーションを向上させることができる

意思のある人には、責任がある。無意思の人には、責任がない。

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>いかに自分発ではなく、相手発に変えることができるか。 >成功の鍵はそこにある。

自分発が欠落しているのは、おそらく自分自身に世界観がないためでしょうね。
自分自身に世界観があれば、世界の人を唱道することも可能になるでしょうね。
わが国には何でもあるが、ただ、夢と理想がない。日本語文法には、時制(tense)というものがない。時制のある文章内容は、非現実の独立した三世界 (過去・現在・未来) を表わすことができる。だから、夢も理想も語ることが可能になる。時制は、日本語にはないが、英語にはある。だから、英米人には、世界観がある。世界観は、考え (非現実) の内容であるから、現実には左右されない。だから、彼らは、世界観 (哲学) を持つ人を信頼する。そうでなければ、人はつかみどころのない人間となる。’民信無くば立たず’ です。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)
我々日本人は、日本語と英語を共によく学び、時制の大切さを十分に理解して、自己の考えの内容を表現できるようにすべきでしょう。さすれば、我々は外国人にも理解され、信頼される人間になることでしょう。

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