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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

思考の自由

2019-03-14 17:00:15 | 言語

>普段私達が何気なく使っているこの”言葉”ですが、これを使えなくなるという事態、あるいは使っていても制限されるという状況を考えたことがありますでしょうか。

‘言葉狩り’ 以外には、考えたことはないですね。

>■日本語の語彙の豊かさ
>我が国の言語「日本語」は非常に多くの言葉があります。 >各国の日常会話で90%を理解するために必要な語彙数は、 >フランス語・・・2000語 >英   語・・・3000語 >ドイツ語・・・・5000語 >日本語・・・・・10000語 >と色々なサイトや書籍で確認してみたところ概ねこのくらいの数字のようです。 >日本語は本当に多いと感じます。

日本語は、本当に語彙数が多いですね。

>自分を表す表現だけでも「私、僕、自分、俺、あたし、わたくし、ワイ、拙者、ワシ、おいどん、うち」などなど、よくよく数えてみると多いと思います。 >俳句や短歌、詩、万葉集のような和歌集や枕草子のような随筆などとにかく言葉に対して特別な意識(言霊)を持っている非常に珍しい国でもあるのです。

そうかもしれませんね。

>■語彙が豊富ということは思考の自由があるということ

現実は、頭の外にある。その内容を見ることができる。見ればわかる。
非現実 (考え) は、頭の中にある。その内容を見ることができない。ただの話である。話の筋をわかる為には、その文章の理解が必要である。
見ることのできる内容は、本当のことである。見ることのできない内容は、嘘である。誰しも、’見て来たような嘘’ をつく人にはなりたくないから、自分自身の考え (非現実) の内容を語らない。だから、日本人は思考停止の状態になっている。思考の自由には意味がない。 

>このように我が国は豊富な語彙がありますが、語彙が豊富であることは社会全体に対してどのような影響、並びに傾向が見られるのでしょうか。

日本人は、実況放送・現状報告の内容ばかりを語るようになるでしょう。日本語は写生画の言葉ですから、考えの内容が表れていない。

>今のところ私達、人間は”言葉を使って”自分の考えていること、思っていることを表現します。>自分の考えていること、思っていることを正確に言葉や文章で表現するのは非常に難しいことでもあります。

そうですね。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。文章の内容には、意味・意義がある。バラバラな単語には、意味がない。

>ある種の感覚を感じてもどうにも言葉に表すことができないという経験は多くの人がしているはずです。

そういう時には、歌を詠むと良いでしょう。歌詠みには、作文の必要がありません。ただ、単語を並べればよい。

>例えば、「とてもありがたいと思いながら申し訳ないと思う感覚」を言葉で表現するならどういった言葉があるでしょうか? >この場合であれば「忝い(かたじけない)」と表現できます。

感情至上主義ですか。

>また、人間は思考を言葉に出して表現すると思いがちですが、人間の思考は自身の使う言葉に支配されている場合もあるのです。

そうですね。

>何かの言葉を言って思い出したり、ピンときたり、今言った言葉に影響されて言葉が発せられた後に思考が形成されるといったことです。
>そうだとしたら、思考は使う言葉次第で広がることもあれば、狭まることもあるということです。

思考停止は、論外ですね。

>ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」というベストセラーがあります。
>成功哲学、自己啓発で聞かないことはないというレベルのものですが、思考は現実化することは事実です。

考え (非現実) を実現化すれば、それは人間固有の創造力を発揮したことになります。

>語彙力は同じ言語を話す相手でもその語彙力レベルで会話が成立しないこともあります。

そうですね。

>語彙力があるからといって精神的に自由かと言われれば全くそうではありません。 >あくまで「思考の自由度が高まる」のです。

日本人のように思考停止の状態であっては、自由は話になりませんね。

>その自由を使いこなせるかどうかは「精神」とか「魂」といった意識に関わることなので別の問題です。

考える人になる為には、考え (非現実) の内容を文章にすることが必要ですね。非現実の内容を文章にするためには、時制 (tense) というものが必要です。時制は英文法にあって、日本語文法にはありません。だから、日本人は作文に難渋しています。
時制のある文章内容は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) に分かれています。ですから、時制のある言語を使えば、日本人の持つことのできない世界観を持つことができます。インド人であれば、前世・現世・来世の三世界を考えることが可能になります。

>■思考を表現する言葉が無くなれば考える事がなくなる
>これまで説明したように、「言葉が(語彙が)思考を形成する」ということは、使う言葉が少なければ少ないほど、思考が狭まっていくことになります。

現実の内容のみを語る人は浅薄であり、現実と非現実の内容を並べて述べる人は、思慮深い人であります。そのような人には、中庸の徳が見られます。

>「ん~なんて言えば良いんだろう」とか「言いたいことを言葉にできない」といったことを、いくら勉強しても、いくら辞書を引いても言葉がないために、表現できなくなるのです。

そんな時には、歌を詠めばよいでしょう。作文ができなくても、バラバラな単語をただ並べればよい。日本人向けには、気分・雰囲気を表現できます。

>そんな歯痒いことが日常的に続くようになれば、最初の内は歯痒くイライラしても、そのうちそれが当たり前となり「どうでもよくなる」ことになります。>となれば、次に起こるのは「考えなくなる」ということです。

そうですね。思考停止は、無哲学・能天気な人を作ります。これは、日本人の現状ですね。

>考えてもそれを言葉にして表現できず、伝えられないなら別に伝えられなくていいやとなり、人と接することすら面倒と思うようになるでしょう。

そうですね。

>そうすると同じ言語を話す人でも、自分の知らない言葉を話す人とは接しなくなります。>こうして階層が生まれていき、言葉を知らない人間は愚民となりその愚民コミュニティが形成されていくのです。>これは現在でも普通にその辺で起こっていることです。>外国人は外国人同士でコミュニティを作るし、犯罪者は犯罪者でコミュニティを作ります。

わが国では、知識階級でも下層階級でも同じ水準の言葉を使うことが知られていますね。これは、珍しい現象です。おしなべて無哲学・能天気の為でしょう。

>言葉を使えない、語彙力が全く無いということは社会の隅に追いやられてしまうということでもあり、それすらも理解できないような人間になってしまうのです。

ローマ字 (alphabet) の表音記述方式を使用している国でも、階層間の言語の格差はなかなか埋まらないようですね。

>このように「言葉と思考」はお互いに影響し合う関係なのです。

そうですね。言葉は、伝える手段であると同時に、考える手段でもありますね。

>だからこそ思考を表現する言葉が無くなれば考える事がなくなるということになります。

考え (非現実) の内容を表現する作文法が必要ですね。そうすれば、考えの内容の表現が可能になり、思考停止の状態を脱して考えが進められるようになるでしょう。




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