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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

伊勢雅臣氏 4/5

2020-09-07 22:04:55 | 文化

 

>__________

> ベネディクトが「菊」という言葉で表現しているのは、日本人の審美的傾向です。>つまり、日本人は菊を愛でるほどの美しい心を持っているというのです。>一方の「刀」については諸説ありますが、よくいわれるのは好戦的な軍国主義を象徴するという見方です。

 

そうですね。日本は序列の国です。序列順位は勝負で決めなくてはならない。究極の勝負は真剣勝負になります。  

 

>要するにベネディクトは、菊を愛でるような美しい心を持った日本人が侵略戦争に走ったというところに国民性の矛盾あるいは二面性を見ているのです。[2,p20]  

 

そうでしょうね。日本人は感情的な国民ですからね。理性判断がなくて、盲目の判断がある。  

 

> ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

> ベネディクトは、欧米の文化は神を意識し、その神の教えに背くことを罪と考える「罪の文化」であるのに対し、日本の文化は世間の目を意識する「恥の文化」であると説いた。

 

そうですね。欧米人には意思がある。だから、加害者意識もある。反省が深刻な場合には罪の意識になる。だから、罪の文化がある。

日本人には意思がない。だから、加害者意識もない。罪を知らない子どものようなものである。だが、日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから、上下判断・序列判断からは離れられない。そして、’ものの上下’ は勝負で決まる。敗者は辱めを受けるので負けてはならない。そこに恥の文化が存在します。   

 

> 集団の中での「恥」が唯一の行動規範だとすれば、集団全体が軍国主義となって他国の侵略に向かえば、その一員として戦わなければならない。>これが軍国主義に通ずる。

 

そうですね。付和雷同ですね。‘人の振り見て我がふり直せ’ ですね。  

 

>__________

> 日本の「再教育・再方向づけ」のための最重要課題は、「罪の文化」が欠如した日本人の心に侵略戦争を起こした罪の意識すなわち「戦争有罪性」を植え込むことであると考え、「精神的武装解除」政策の最重要課題としてウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムが実施されたのです。[2,p96]  

 

日本人はまだ子供の状態ですから罪は知りませんね。ですから、戦争有罪性も理解できませんね。   

 

> ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

>■6.「獣と接するときは、それを獣として扱わねばなりません」

> ベネディクトの研究は、当時のアメリカ人の日本人蔑視の感情と相まって、米国政府要人の間で広まっていたようだ。

> 広島・長崎への原爆投下に対して、アメリカのキリスト教団体がトルーマン大統領に抗議した際、その回答書にはこう書かれていた。

>__________

> 日本人が理解する唯一の言葉というのは、私たちが日本人に対して原爆投下することのように思います。 >獣と接するときは、それを獣として扱わねばなりません。[2,p136]  

 

そうですね。日本人にもアニマルにも意思がない。ですから、両者は共に自然の中に溶け込んでいます。   

 

> ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

> これは大統領の公式回答である。 

 

大統領の回答は、アメリカ合衆国の意見ですね。  

 

>大航海時代に、キリスト教徒が原住民を人間とは認めずに、自由に殺してよい獣だと考えたのと同じ、数世紀前の発想である。

 

戦時中に我が国では、’一億総玉砕’ が叫ばれていましたからね。人の命に価値は無かったのでしょうね。     

 

> また対日外交を主導したハル国務長官は「日本の軍国主義は国民の伝統に基づいているという点においてドイツ・イタリアとは異なる」と述べている。 >ドイツもイタリアもアメリカと同じ、白人のキリスト教国で、日本は違うという事である。

 

そうですね。日本の軍国主義は民族の伝統に基づいていますね。真剣勝負ですね。印欧語族の伝統とは違いますね。日本人は彼らにとって異質の敵でしたね。日本人はアメリカ人を異質な敵とは認識していなかったのでしょうかね。   

 

> マッカーサーも「日本人の精神年齢は12歳」として、「精神の再復興と性格改善が行われなければならない」とはっきり声明を出している。

 

彼は日本人の精神的成長に期待を掛けていたのでしょう。日本人であって自分たちの精神年齢のことを心配する人はいなかったようですね。   

 

> アメリカで黒人の平等な参政権が確立されたのは、1960年代の公民権運動の結果である。 >これらの発言は、その20年ほども前であり、当時の人種差別感情があからさまに窺える。 

 

これが日本であったら混血児もまともには育たなかったでしょうね。   

 

>■7.「軍国主義」は日本という「鏡」に映った欧米列強の姿

> 米国人の中でも偏見に囚われずに、こうした占領政策を批判した人もいた。 >1948年に『アメリカの鏡・日本』を出版したヘレン・ミアーズである[c]。 >画像  >ヘレン・ミアーズ

> ミアーズはこう書く。

>__________

> 日本軍のフィリピンでの残虐行為は、戦闘の狂気と恐怖で錯乱状態に陥った殺戮であって、政策として命令されたものではない。 (5/5へつづく)

 

 

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伊勢雅臣氏 3/5

2020-09-07 21:36:01 | 文化

 

(2/5より)

>「大東亜戦争」にはアジアの独立指導者を集めた「大東亜会議」[b]のように、欧米の植民地主義からのアジア解放という意味が込められているが、太平洋戦争ではアメリカからの視点に過ぎない。 

 

全ては勝てば官軍ですからね。我々日本人も戦時中にアジア解放の歌は歌わなかった。  

 

> 12月9日からは『真相はこうだ』というラジオ番組がNHKから放送された。 >これも軍国主義者の犯罪をドキュメンタリータッチで暴くという内容だった。 >脚本はやはり民間情報教育局が書いたが、それは伏せられた。 > 当初は20週以上放送する予定だったが、抗議の投書が殺到して、10週で打ち切りとなった。 >当時の国民は、戦争には敗れたとは言え、米国製の史観をそのまま受け入れるほど、うぶではなかった。 

 

そうでしょうね。日本人は印欧語圏の外にいましたからね。  

 

> 映画も日本国民を洗脳する手段として活用された。 >民間情報教育局が助言や奨励をして、日本の映画会社に作らせた長編映画が、9本ある。 > それらの中には、『犯罪者は誰か』(大映)、『民衆の敵』(東宝)など、軍国主義者が侵略戦争を導いたことを匂わせていた。 >娯楽の少なかった時代でもあり、合計3千万人以上の国民がこれらの映画を見ている。 > こうして、新聞、ラジオ、映画などのマスメディアをフル活用して、「日本は軍国主義者によって誤った侵略戦争を戦った」という史観が植えつけられていった。 >そして、空襲も原爆も、その罪の当然の報いである、という理屈で、米国側の戦争犯罪は棚上げにされたのである。  

 

確かに ‘力は正義’ ですね。しかし、メンタリティが違う場合には ‘心ここにあらざれば視れども見えず’ になってしまいます。アメリカ人にはよく見えるものが、日本人にはまったく見えない。 相互理解には、アメリカ人と日本人の知恵が必要ですね。’東は東、西は西’ では成果が上がりませんね。   

 

>■4.ルース・ベネディクト「日本は最も異質な敵であった」

> そもそも一国の国民全体に、戦争に立ち上がった事に対する罪の意識を植えつけようという計画そのものが、およそ日本人には思いもつかない発想である。 

 

そうですね。日本人は罪の意識の外に存在しますからね。  

 

>米国はどこから、そんな発想を得たのか。

 

それは米国人の常識からですね。彼らは罪の為にいつもびくびくしている。そうでなければ、免罪符も必要でない。裁判には有罪判決があり、贖罪の為の宗教 (キリスト教) までもある。彼らは心の苦しみから解放されたいのであります。   

 

> その過程は、米国ワシントンのワシントン・ナショナル・レコード・センターに保管されている占領期の文書を研究した高橋史朗・明星大学教授によって明らかにされた。>氏は段ボール917箱分、240万から250万頁を調べた。 >年間にコピーできる枚数が限られていたので、段ボール10箱分を筆写したという。 

 

高橋史朗教授は本当にご苦労様でしたね。    

 

> その研究成果が、氏の著書『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』[2]で発表されている。 

 

付和雷同する国民に再度立ち上がられては、アメリカの迷惑はこの上ないものになりますからね。   

 

> 氏の研究によれば、戦時中に対日プロパガンダを検討した戦時情報局(OWI)の活動があり、それが戦後の民間情報教育局に受け継がれて、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」となった、という。 > この戦時情報局で主任アナリストとして日本人の国民性の研究を担当したのが、文化人類学者ルース・ベネディクトであり、その研究結果をまとめたのが1946年に発表された『菊と刀』であった。 >『菊と刀』の第一章「研究課題-日本」の冒頭には、次のような一節がある。

>__________

> 日本は最も異質な敵であった。 >日本軍と日本本土に向けた宣伝(プロパガンダ)において、私たちはどのようなことを言えば、アメリカ人の生命を救い、最後の一人まで徹底抗戦するという日本人の決意をくじくことができるだろうか。[2,p61]  

 

確かに自己の意思を持たずに序列メンタリティばかりの敵はアメリカ人にとって最も異質でしょうね。   

 

> ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

> 日本という「最も異質な敵」の「決意をくじくこと」が、ベネディクトの研究目的であった。>この対日心理戦の研究を、戦後の日本占領で日本人の「再教育」に応用すべきという方針が出され、それを踏まえて、民間情報教育局が設置されたのである。

 

隔靴掻痒の感がありますね。

 

>画像 >ルース・ベネディクト

>■5.「恥の文化」が生んだ軍国主義

>『菊と刀』とは、いかにも意味深長なタイトルである。>このタイトルについて、高橋史郎氏はこう述べる。 

 

 

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伊勢雅臣氏 2/5

2020-09-07 20:40:45 | 文化

 

(1/5 より)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。

 

[世界観] 非現実 (考え) の内容は、英語では時制 (tense) のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観 (world) と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態であるが、人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行くことになる。

‘あるべき姿’ (things as they should be) は非現実の内容であり、’今ある姿’ (things as they are) は現実の内容である。非現実の内容は、過去の世界から見た未来の内容として表現される。現実は、実況放送・現状報告の内容である。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。

日本語には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。政治家もマスコミもただ現実を垂れ流す。子供の作文のようなものである。現実の内容には個性がない。だから、選挙の時の候補者選びもただの肉体の選出になる。本人にも相手にも何を考えているのかわからないから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。 

 

[意思と自由] 自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。だから自由にも意味がない。そして、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意の自由は何処の国でも認められていない。’自由のはき違え’ となる。だから、我々は昔からの ’不自由を常と思えば不足なし’ のままでいる。 

[階称] 日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断無くしては日本語の会話も話せない。かくして、’ものの上下’ の考えは人間序列 (派閥) へと発展する。  

‘上と見るか・下と見るか’ の判断には、勝負の成績が用いられる。敗者は敗者の態度を示して礼を尽さなくてはならない。だから、下位の者は恥をかくことになる。これは ‘恥の文化’ の始まりである。昔は身分、今日では偏差値なども都合の良い序列判断の資料となっている。

日本人の礼儀作法は、序列感に基づいている。だから、序列のない外国においては、日本人は礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表れに過ぎない。個人的精神的な意味がない。だから、日本人の尊敬も形式的にならざるをえない。 

[義理] 序列関係には義理という相互の義務が生じる。上位の者は下位の者を保護 (恩) し、下位の者は上位の者に尽くす(忠義) のが義務となっている。皇軍兵士は‘天皇陛下の御為に’ と言って玉砕戦法に出かけることになる。

序列社会において義理を果たすことは、序列人間にとってやりがいのある仕事である。その行為を見ていた周りの者の評価が良ければ序列昇進を認めることになるからである。契約社員は借りてきた猫のようなもので、日本人にとって働き甲斐がない。日本人にとって大切なものは帰属意識である。   

  

> ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

>■3.積極的な洗脳プロパガンダ

> この方針に基づいて、民間情報教育局によって日本人に戦争有罪性を植えつけるための「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」が推進された。 > たとえば、満州事変以降の15年戦争を裁き、「南京虐殺」の犯罪性を強調した「太平洋戦争史」を、民間情報教育局のブラッドフォード・スミス企画作戦課長が執筆し、日本全国の新聞に昭和20年12月8日から連載するように強制した。 >この「太平洋戦争史」を、占領軍による言論統制を暴いた江藤淳[a]は、こう評している。

>__________

> 実際には日本と連合国、とくに米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。[2,p98]  

 

そうですね。それは彼らの誤解ですね。存在したのは付和雷同する軍国主義者と付和雷同する国民の存在でしたね。   

 

> ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

> さらに「太平洋戦争史」は文部省から、学校の教材として使うように指示が出された。 >もちろん、その陰には占領軍から文部省への命令があった。 > 当時の日本人は「大東亜戦争」という呼称を使っていたが、それが禁じられ、現在のように「太平洋戦争」と呼ばれるようになったのは、ここからである。 (3/5につづく)

 

 

 

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伊勢雅臣氏 1/5

2020-09-07 20:14:11 | 文化

 

>No.835 日本「軍国主義」というプロパガンダの創作者たち

>戦後:占領下の戦い Media Watch 報道と政治宣伝  > 70年前に米占領軍が創作したプロパガンダを、今も中朝韓や偏向マスコミが使っている。

 

そうですね。中朝韓や偏向マスコミは自己利益のためにただ悪乗りしているのでしょうかね。真相の理解の方はどの程度のものでしょうかね。  

 

>■転送歓迎■ H26.02.09 ■ 45,239 Copies ■ 3,802,589 Views

>■1.中国と国内偏向マスコミによる日本「軍国主義」批判  > 中国の世界各国に駐在する大使が、現地メディアに安倍首相の靖国参拝を批判し、「日本は軍国主義に戻りつつある」とする記事を投稿している。 >インタビューも含めると、74カ国・地域に上るという[1]。 > 安倍政権に対して、具体的な対抗手段を持たない習近平政権の焦りが窺えるが、「軍国主義」と批判する具体的根拠が靖国参拝だけでは、説得力はまるでない。  

 

靖国参拝は、わが国の軍国主義のシンボルになっていますね。可視化の象徴のようなものですね。    

 

> 我が外務省も負けていない。 >中国が急速に軍備拡張を行っていることや、南シナ海で力による領土・領海の現状変更を迫っていることなど、具体例を挙げて「国際社会にとって危険なのはどちらか」と訴える方針を出し、すでに46カ国・地域で反論している。 

 

中国は伝統的な覇者の国ですからね。周辺諸国に対して覇権の確立を企てる中華思想の国です。覇者の物語は中国人の愛読書でもあります。  

 

> しかし、中国の「軍国主義」批判に同調して、安倍政権の足を引っ張ろうとしているのが、国内の偏向マスコミである。 >特定秘密保護法案に関しては、次のようなヒステリックな報道が行われた。: >「戦中に戻すな」(朝日新聞)、 >「暗黒国家 開いた扉 歴史忘れたのか」(毎日新聞) > 今回は、このような「軍国主義」批判が、どのような意図と経緯で創り出されたのかを見てみよう。 

 

それは非常に興味をそそる企画ですね。  

 

>■2.「戦争贖罪意識」「戦争有罪性」を植えつけよ > 昭和20(1945)年10月・11月のGHQ(占領軍総司令部)月報には、次のような一節がある。

>__________

> 占領軍が東京入りしたとき、日本人のあいだには戦争贖罪(しょくざい)意識はまったくといっていいほど存在しなかった。 >彼らは日本を戦争に導いた歩み、敗北の原因、兵士の侵した残虐行為を知らず、道徳的過失の感情はほとんどなかった。 >日本の敗北は単に産業と科学の劣勢と原爆のゆえであるという信念が行き渡っていた。[2,p91]  

 

そうですね。わが国民は大本営の発表ばかりを与えられて情報に不足していましたね。

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)  

 

> ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

> 当時の日本国民にとって、大東亜戦争は石油の禁輸などで米国に追い詰められてやむなく立ち上がった自存自衛の戦争だし、各地の大空襲や原爆による一般市民無差別殺傷という明白な戦争犯罪を目の当たりにしていた。 >「戦争贖罪意識」など持つわけがない。 

 

意思の無い人には罪がない。日本人には意思がない。だから罪の意識もない。謝罪だの贖罪などおよそ罪と名のつく話とは縁がない。日本の宗教もそのようになっている。だから、日本人に対する罪の話は、カエルの面に小便となる。 

 

> 同年10月2日、民間情報教育局(CIE)の設立を命じた一般司令第4号が出された。 >この中には、以下の目的が記されていた。

>__________

> 日本の敗戦の真実、日本の戦争有罪性、現在および将来の日本の災害と苦難に対する軍国主義者の責任、連合国による軍事占領の理由と目的を、すべてのレベルの日本公衆に周知させる[2,p95]  

 

[意思について] 日本人には意思がない。意思は英語では未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思 (will) がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。 Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。 ‘生きる力’  (vitality) が不足している。困った時には他力本願・神頼みになる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

[意思と責任] 日本人には意思がない。意思の無い人には責任もない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について次の如く述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り) (2/5に続く)   

 

 

 

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