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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

希望を持てない国 

2020-09-10 15:14:39 | 文化

 

>360041 豊かで、安全で、教育水準も高いけれど、若者が希望を持てない国。それが日本。

>ぐみん ( 25 会社員 )  20/09/10 AM10 

>日本財団が世界9カ国で9000人の若者を対象に実施した「18歳意識調査」で、日本は「将来、国が良くなる」と考えている人が1割以下にとどまり、「自分の力で国や社会を変えられる」と考える人も2割に満たなかった。

 

意思のあるところに方法 (仕方) がある。日本人には意思がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力が不足している。困った時には神頼み。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)   

 

>世界第3位の経済大国でありながら、希望もなく、社会を変える意欲もない若者像が浮かび上がる。

 

非現実 (考え) の内容は、英語では時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、その人は批判精神の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、ただ実の内容の垂れ流しになる。

  

 

> 「国の将来について」は、G7(先進7カ国)構成国である米国・英国・ドイツも、「良くなる」と答える人は少なく、先進国に共通の傾向だ。>しかし、日本の少なさは群を抜いている。>一方で、中国では96.2%が国の将来を前向きに捉えており、「悪くなる」と回答したのはわずかに0.1%だった。> 「解決したい社会課題がある」と答えた人は日本は46.4%で最下位。 

 

日本語には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神もない。マスコミも現実を垂れ流す。だから、個性がない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。

 

>「将来、良くなる」とは思わないけれど、差し当たって、解決すべき課題もないのは、無気力なのか、恵まれている証拠なのか…。

 

日本人とってお変わりのないことが何よりなことです。 

日本語には時制がないから、過去・現在・未来の非現実の三世界に関する内容は想定外になっています。日本人には ‘我らは何処から来たか’、’我々は何者であるか’、’我らは何処に向かうのか’ といった哲学的命題は想定外になっています。日本人は、飽くまでも無哲学・能天気の状態にとどまっています。  

 

> 「自分で国や社会を変えられると思う」若者は2割以下で、断トツの最下位。2番目に少なかった韓国の半分以下だ。「課題について積極的に議論している」人も極端に少ない。

 

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思がない。

 

>なぜなら、日本の若者は「自分を大人だと思う」人が3割に満たず、「責任ある社会の一員だと」自覚する人も半分以下なのだ。

 

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」  

 

> 社会に対する意識は薄くても、せめて、将来の夢があれば前向きな気持ちで生きていけそうだが、「将来の夢を持っている」人も最下位。8割を超えていないのは日本だけだった。> 人生100年時代。希望も夢も持たずに生きていくには長過ぎる。  

 

日本人の頭の中では、過去は幻、未来は夢となる。どちらもとりとめのない内容であるから早く忘れた方が良い。日本人はううつ (現) だけで生きている。     

 

> 「なぜ、希望が持てないのか?」と問われているのは、若者ではなく、日本社会なのかもしれない。

 

そうですね。見ることのできない内容は嘘 (非現実) である。我々日本人は、嘘つきにはなりたくない。   

 

 

 

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活力・国力 3/3

2020-09-10 11:58:19 | 文化

 

>閉じられた政治的空間の中であれば、安倍政権はこの「リアリズム」を心理的基礎にして、あと数年あるいはそれ以上にわたって盤石の体制を続けられたかも知れない。  

 

批判精神のない日本人の苦悩ですね。不自由を常と思えば不足なしか。昔の物語は今でも確かに続いていますね。    

 

>しかし、この政治的リアリズムは新型コロナ・ウィルスによるパンデミックという「リアル」にはまったく通用しなかった。 >ウィルスの危険を訴え、適切な対応措置を求める国民についてなら、これを恫喝し、懐柔し、必要とあらばデータを隠蔽改竄すれば黙らせることができるが、ウィルスにはそのようなマヌーヴァーは通用しない。

 

せっかくの大本営の発表も、テクニカル・ノックアウトの戦闘には役立ちませんでしたね。  

 

> 先般、世界23か国の人々に、コロナ対策に際して自国指導者の評価を求めたアンケートが行われた。>日本政府の対応を「高く評価した」人は日本国民の5%にとどまった。

 

政治は指導者の意思を反映させるための仕組みである。だが、日本人には意思がない。だから、その指導者にも意思がない。このようなわけで、政治に対する期待は持てるはずがない。だから、国民は政治音痴になる。   

 

>世界平均は40%。中国は86%、ベトナムは82%、ニュージーランドは67%、死者数世界最多の米国でさえトランプを「高く評価する」国民は32%いた。 >この数字は感染を効果的に抑制し得たかどうかと直接相関しない。

 

感染の抑制に対する評価ではなくて、指導者の意思に関する評価ですね。   

 

>例えば、死者数の少なさだけを強調して、日本政府は「感染抑制に成功した」といつまでも言い張ることだってしようと思えばできたのである。>けれども、日本国民は安倍政権が感染抑制についてはまったく無力だったということを知っていた。 > 安倍政権は国民を支持者と反対者に二分し、「反対者には何もやらない」ことによって権力を畏怖し、服従する国民を創り出そうとしてきた。  

 

そうですね。日本人の世の中は、あくまでも勝負の世界ですね。  

 

>だから、彼が権力基盤を強固にするにつれて、日本人はどんどん「リアリスト」になり、誠実や正直や公平といった「きれいごと」を鼻先でせせら笑うようになり、そしてまさにそうした道徳的にシニカルな態度ゆえに国際社会において誰からも真率な敬意を示されることがなくなったのである。  

 

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない’。(カレル・ヴァン・ウォルフレン)     

 

> 人間は他者からの敬意を糧として生きる。>それを失ったものは「生きている気」がしなくなる。>日本人はいまそのようにして国力の衰微を味わっているのである。   

 

そうですね。我々は ‘恥の文化’ を腐らせていますね。  

 

>「誰の責任だ」と声を荒立てても仕方がない。  

 

そうですね。捕物帳 (犯人捜し) は無理ですね。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、我々自身の思考に対する時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。さすれば我々は自己の世界観を持つことができ、自己の意思を表明することも可能になります。国際社会からも日本人の考えに対する理解が得られ、信頼されるようになります。意思のある人間は指導者になる資格があり、同志と協力して未来社会の建設に責任を果たすことが可能になります。かくして我々日本人は、人類の進歩にさらに大きな貢献することが可能になります。  

現実ばかりの子供の生活から、現実と非現実 (考え) を兼ね備えた大人の生活に切り替えるのが英米の高等教育であります。だから、国家にとって高等教育が非常に大切なのであります。大学・大学院で学生は自己の哲学を作る指導を受ける。哲学とは、考えの内容の事であります。政治に関する考えは政治哲学になります。宗教は宗教哲学、歴史は歴史哲学、科学は科学哲学、人生は人生哲学、などなど。その学業の成果の程度により学生は学士・修士・博士と進ことができます。博士号がないと、研究者とは認められません。我々も考える人 (the thinking man) になりましょう。各人に哲学は必要である。 Everyman needs a philosophy.    

 

>リンク 内田樹の研究室より 

 

 

 

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活力・国力 2/3

2020-09-10 11:39:08 | 文化

 

> 7年8カ月の安倍政権を眺めて来た国民が知ったのは、政治家であれ、官僚であれ、財界人であれ、メディアのトップであれ、彼らの行動は「国民全体の福利」をめざすものではないということであった。  

 

日本人には世界観がない。’来るべき世界’ の内容に関心を寄せる者がいない。   

非現実 (考え) の内容は、英語では時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。

日本語には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神もない。マスコミも現実をただ単に垂れ流す。だから、個性がない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。

 

>彼らは自分の党派、自分の支持者、自分の縁故者、自分自身のためにその権力を活用する。  

 

そうですね。序列社会においては、政治家は自己の序列に連なる人間の事しか気になりませんね。   

 

>そのことを私たちは知らされ、受け入れてきた。>「権力を自己利益のために使うことができるということが、『権力を持っている』ということである」というシニカルな事大主義をいま人々は「リアリズム」と呼んでいる。

 

序列社会の弱点ですね。日本人には目の前の現実を批判することができない。それは批判精神がないからである。  

 

> 「勝ったものは正しかったから勝ったのだ。 

 

力は正義である。Might is right. 

 

>多数を制した党派は真理を語ったので多数を制したのだ」という現実肯定の思考停止のうちに多くの日本人は埋没している。 

 

そうですね。日本人には現実しかない。

非現実 (考え) は、英文の時制のある文章内容になる。だが、日本語の文法には時制というものがない。だから、日本人は思考停止の状態に陥っている。  

 

>そして、それが劇的な国力衰微の理由だったと私は思う。 

 

私もそう思いますね。使用言語に着目する必要がありますね。言語は伝達の手段であるばかりでなく思考の手段でもあるわけですからね。     

 

>実際に安倍政権が通した重要法案の多くは安保法制も、特定秘密保護法も、テロ等準備罪も、世論調査では国民の過半は「今国会で強行採決すべきではない」という意思表示をした。 >だが、政権はこれを強行し、支持率はいったんは落ちたものの、すぐに回復した。 

 

思考過程に問題があると、議論にも効果が上がりませんね。日本人は経験的にそのことを知っていて、議論を省略したがりますね。なあなあ主義に依存していますね。たとえ敵対している相手でもなれ合うしか方法がありませんね。だから、世の中は難しい。

‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。

 

>つまり、有権者たちは「この政権は私たちが反対しても何の影響も受けないほどに強大な権力を有している。>そうである以上、服従すべきだ」という腰砕けな推論をし、それをして「リアリズム」と呼んできたのである。  

 

 カレル・ヴァン・ウォルフレン氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<日本語文庫新版への序文>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の政治を語るうえで欠かせない表現の一つである「仕方がない」という言葉を放逐することに、本書がいささかなりとも役立てばと願っている。本書は、本当の意味での政治参加をさせまいとして日本に広く作用する力について詳述している。この力こそは、個々人の、市民になろうとする決意と、有効に機能する民主主義を守ろうという意志を弱めるものである。日本に作用するこの力は、独裁政権があってそこからくり出されてくるのではない。それは日本の社会環境のあらゆる場所から発現する。、、、、、この力こそが、多くの日本人が身をおく境遇に対して唯一、適当な対応は「仕方がない」とうけいれることだと思わせるのである。(引用終わり)  

意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力が不足している。困った時には神頼み。   

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている’。 (ウスビ・サコ)   

 

 

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活力・国力 1/3

2020-09-10 11:15:17 | 文化

>360019 安倍政権の7年8カ月  >匿名希望      20/09/09 PM01 

>日本の活力・国力衰弱を世界的(類的)評価共認の位相で捉える。

>●安倍政権の7年8カ月

> 安倍政権7年8カ月をどう総括するかと問われたら、私は「知性と倫理性を著しく欠いた首相が長期にわたって政権の座にあったせいで、国力が著しく衰微した」という評価を下す。  

 

そうですね。安倍政権でなくても、日本人の知性と倫理性には問題がありますね。日本人にはリーズン (理性・理由・適当) がない。また、罪の意識 (加害者意識) が定かでないからです。  

 

> 日本は今もGDP世界三位だし、軍事力でも世界五位の「大国」である。国際社会の中では「先進国」として遇されているし、米国の東アジアにおける最も信頼できる同盟国であるという評価も安定している。>けれども、日本が「あるべき国際社会」を語り、その実現に向けて指導力を発揮することを期待している人々は国内外を探しても見当たらないし、経済的成功のための「日本モデル」や、世界平和の実現ための「日本ヴィジョン」を日本政府が提示するだろうと思っている人もいない。

 

そうですね。気は優しくて力持ちというのか。知的な面ではもの足りないですね。無哲学・能天気の国民であっては、そうなるしかないのでしょうね。   

 

>これだけの「国力」がありながら誰も日本にリーダーシップを求めていない。 

 

そうですね。指導者というものは、自己の意思を示して部下に方法を指示しなくてはならない。意思のあるところに方法 (仕方) がある。ところが、日本人には意思がない。だから、指導者としては適任でない。   

意思は英語では未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思 (will) がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。’生きる力’ (vitality) が不足している。困った時には神頼み。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく) 

 

>そのことに、われわれはもっと驚くべきだと思う。>どうして国際社会は日本にリーダーシップを求めないのか?

 

そうですね。自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。だから、わが国は、世界の中にあって世界に属していない。     

 

>それは日本人が「倫理的インテグリティ(廉直、誠実、高潔)」というものに価値を見出さない国民だと思われているからである。  

 

わが国は義理 (序列関係から生じる義務) と人情 (私意・我儘・身勝手) に左右される国ですからね。罪の意識が定かでない。  

 

>そして、倫理的なインテグリティを重んじないと思われている国は、いくら金があろうと(もうあまりないが)、いくら軍事力を誇ろうとも、いくら「日本スゴイ」と自ら言い募っても、誰からも真率な敬意を示されることがない。

 

そうですね。処世術 (現実) が最優先ですから、せっかくの自己慶賀も敬意を得るためには役に立ちませんね。   

 

> 勘違いしている人が多いが、人間は他者からの「真率な敬意」を糧にして、それを保持するためにさまざまな工夫をし、またさまざまな「痩せ我慢」をして生きる存在なのである。  

 

武士は食わねど高楊枝’ ですね。人間らしさがありますね。  

 

>人間は敬意なしには生きている気がしない。>それはヘーゲルが直感した通りである。

 

そうですね。  

 

>そして、日本はいつのまにか「他者からの真率な敬意」を誰からも寄せられない国になった。 

 

日本人の礼儀は世俗的な序列作法ですからね。真率な敬意には出会いませんね。     

 

>だから、日本人はゆっくりと「生きている気がしなく」なりつつある。  

 

わが国は何でもあるが、只希望だけがない。それは昔からの事でしょう。  

 

>それが国力が衰微しているということである。  

 

そうですね。皆さんげんなりしていますね。      

 

> 国が倫理的なインテグリティを持つとき、国民もそれを分有する。>国が高邁な理想を掲げているときには(仮にそれがかなりの部分まで勘違いであったとしても)、国民はその国の一員であることを誇らしく思い、自分の英雄的な努力によって国運が向上することを願う。  

 

そうですね。先の大戦のときがそうでしたね。   

 

>独立戦争のときのアメリカも、ナポレオン時代のフランスも、レーニンのソ連も、国民が国家の運命とおのれ個人の運命がリンクしていると信じているとき、その国は強い。  

 

かつての大日本帝国のようなものですね。   

 

>逆に、国民の多くが「私の個人的努力の目標は自己利益の増大であり、私の個人的努力が国力増大に資するような直接的な回路は存在しない」という白けた気分でいるときに、国全体のパフォーマンスは下がる。> 日本はいまそういう国になった。

 

そうですね。処世術に熱心な人間ばかりでは国民の士気は下がりますね。   

 

>なぜか、「国家主義」を標榜する安倍政権下で日本国民が失ったのは「私」と「国」との一体感だったのである。  

 

喪失の傾向は安倍政権に限りませんね。   

 

 

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