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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

山本正樹氏 3/3

2020-09-15 17:27:53 | 文化

 

>新しい地方づくりを考える政治家は、この点に改めて注目するべきだろう。

 

しかし、世の中を大きく変えることにはならないでしょうね。日本人の話は常に ‘ちまちま’ していますからね。日本人には世界観がない。’来るべき世界’ を熱心に語る人がいない。もしも、そのような人が現れたら異常者として取り扱われるでしょうね。  

 

> 私たちに必要なのは次の社会の物語だ >日本の長い歴史を振り返ってみればわかるが、日本では、この国独自の<伝統>と海外からもたらされた<未来>とが出会ったときに真に新しいものが生まれている。

 

それは拍子ものですね。現実に流されて行き着いた先の話ですね。   

 

>たとえば、1万年以上、続いた<世界で最も豊かな狩猟採集社会>であった縄文社会は、存続の危機に瀕した時、渡来人がもたらした米づくりとモノづくりの文化を取り入れ、融合することで独自の水田稲作文明を作り上げた。>また、約3000万人が、山水の自然の恵みだけを元手に生活した江戸時代に熟成させた技術や文化が、西洋の近代科学技術と融合することで、世界最高水準のモノづくり産業が生まれている。 

 

そうですね。時の流れを待つばかりですね。     

 

>  そういった意味で、アフタコロナの日本の新しい物語は、一見、何もかもあるように思われる東京のような大都会ではなく、自然豊かな日本の伝統を残す地方から第四次産業革命(デジタル技術革命)を起こすことによって生まれてくる可能性がきわめて高い。  

 

それも拍子ものになりますかね。夢に計画性を与える個人の考えが必要でありますね。  

 

>なぜなら、既存の技術設備がない、自然が豊かな小規模の地域の方が新しいデジタル技術の試行錯誤をしやすいからである。  

 

それは田舎が街になるだけのことでしょうね。渋谷村が渋谷区になるようなものでしょう。  

 

>その意味で、今秋の豊橋市長選においてこの地域にふさわしい新しい豊橋、東三河の物語を市長選に挑戦する政治家が語ることができるかに私たちは、注目すべきだろう。

 

各人が夢物語を語ると良いですね。実のある話になることを期待しましょう。各人に哲学が必要である。Everyone needs a philosophy. 無哲学・能天気ではいられない。     

 

> 私たちが一番、聞きたいのは、この時代閉塞の状況を打ち破る地方発の新しい物語なのだから。

 

それは他力本願・神頼みですね。まず隗より始めよ。時代閉塞は昔からの精神的な国民病ですからね。打ち破るのは容易なことではありませんね。夢と希望のない世界には、時代閉塞が同居しています。  

日本人には現実があって非現実 (考え) がない。夢物語は非現実の内容であって、夢 (未来) 幻 (過去) 内容は日本人には語れない。語ればそれらは取り留めも無く支離滅裂になる。嘘八百になるのは ‘なぜ’ か。それは、日本語には非現実を内容とする構文がないからである。だから、日本人には大切なこと (非現実) は語れない。非現実の内容を現実の内容に変えるのは人間の創造力である。だから、創造力は我々に新しい世界を与えることができます。

言語は伝達の手段であるのと同時に考えの手段でもある。我々は日本語の枠組みに従って考えている。すると時代閉塞に陥ることになる。夢と希望のない世界は、いくら不平を鳴らしても治らない。      

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

> =======転載終わり。 

 

 

 

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山本正樹氏 2/3

2020-09-15 16:54:40 | 文化

 

> 実際、日本企業の業績を見ると興味深い事実が浮かび上がってくる。> 日本企業の売り上げは、1990年代前半にピークを迎え、その後は全く増えていないのだ。>バブル期の売上高のピークは、1991年度の1475兆円。>これに対し、2017年度は1554兆円と全体で5%も伸びていない。>要するに日本企業の売上高は、30年近く、ほとんど伸びていないのである。>それにもかかわらず、企業の経常利益は、バブル期のピークである1989年度の39兆円に対し、2017年度は84兆円と215%も伸び、過去最高益を更新している。  

 

企業は抜け目がないですね。   

 

> =======続きます。 

>360150 (今秋の豊橋市長選の意味を考える) ~不思議な閉塞状況にある日本の政治~その2 >takigawa hayami ( 大阪市 )  20/09/14 PM00 

>360149からの続き >========

>このことは何を意味しているのか。

>グローバリズムの進展がもたらした株主優先資本主義路線に従って、企業経営者は、労働分配率を、給与カット、非正規雇用の活用によって大幅に圧縮し、売上高が上がらなくても利益を出せるようにしたことを如実に物語っている。

 

そうですね。  

 

> 実際、この間、日本企業の外国株主比率は上がり続けているし、また、この間、日本企業は、中国が上位10社のうち4社を占め、韓国のサムソンが4位に入り、日本はソニーがやっと10位に入っている現在の5Gの特許件数を見ても分かるように、独自製品やイノベーションにも大きく遅れを取ってしまったので、企業利益を、ほとんど労働分配率を下げることによって出してきたと言っても過言ではないだろう。  

 

そうですね。資本主義は抜け目がないですね。     

 

>その象徴がリストラの神様であった日産のカルロス・ゴーンである。>その意味でカルロス・ゴーンの逮捕劇、海外逃亡は、大きな時代の変化を象徴する事件であったと言えよう。

 

彼は ‘時の人’ ですね。   

 

> 普遍的職業の消滅=サラリーマンの終焉

> 現在の日本社会においては、今までは安心で確実な選択であるはずの高学歴、大企業、東京暮らしを手に入れても必ずしも安心が手にはいることにはならない。 

 

そうですね。   

 

>今回の新型コロナパンデミックがそのことをはっきりと浮かび上がらせている。>かつて精神科医の中井久夫氏が「現代中年論~<つながり>の精神病理」(ちくま学芸文庫)のなかで「ある気質、ある特性、ある特異性、ある個性、ある特技のなどの持主でなければ就けないという職業でなく、普通の人が青少年期という自己決定の時期において、やけつくほどになりたく思うものがない場合に選択する職業であり、多くの性格や好みや希望や安定性をそれぞれの形である程度実現する基盤になりうるもの」として<普遍的職業>というものを定義した。

 

普遍的職業は、序列社会の役職のようなものでしょうね。没個性の役職でしょうね。  

 

>日本ではいわゆるサラリーマンが高度成長期を経てこの普遍的職業になったのであるが、バブル崩壊とともにそういう時代は終わり、特技のないものには、働く場がなくなりつつあり、コンビニのような特別な技能を有しない水準のサービス業しか仕事がない時代を迎えてしまったのである。

 

人間には貴賤がある。だが、職業に貴賤はありませんね。  

 

>そう言った意味で、普通の人にとって、これほど、生きにくい時代はないと言えよう。

 

序列奉公をするところが無くなってしまったのですね。   

 

> 日本のように完全雇用を実現させることによって、その稼ぎをセーフティーネットとしてきた社会では、その稼ぎが不安定になれば、社会のセーフティーネットそのものが完全に空洞化してしまうのである。>日本の先進国の中でも突出して高い自殺率がそのことを如実に物語っている。 

 

自殺をして自己の借金を返済するのでしょうかね。  

 

> =======続きます。 

>360151 (今秋の豊橋市長選の意味を考える) ~不思議な閉塞状況にある日本の政治~その3 >takigawa hayami    20/09/14 PM01 

>360150からの続き>========

>コロナ危機は大都会から移住を促す > コロナ危機が起こる以前から若者たちの間に田舎暮らしが憧れとなり、実際に移住したり、都心で働いて週末だけ田舎で暮らす二地域居住が小さなブームとなっていたが、今回のコロナ騒動は、その動きをもっと大きなものにしていくことは間違いない。

 

そうでしょうね。   

 

> 地方圏の移住相談窓口を持ち、移住相談会を実施している東京有楽町の「ふるさと回帰支援センター」のセミナー等の参加者数は、2012年には4058人、2018年には4万人を超えている。>コロナ騒ぎの後の現在は、予約制になるほどの盛況ぶりである。> 興味深いのは、田舎を目指す若者たちが起業、多業、兼業、複業で生計を立てているということだろう。>彼らはかつての普遍的職業であったサラリーマンをやって生きていこうとは全く思っていないのだ。

 

そうですね。‘社畜よ、さらば’ ですね。

 

 

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山本正樹氏 1/3

2020-09-15 15:49:49 | 文化

 

>360149 (今秋の豊橋市長選の意味を考える) ~不思議な閉塞状況にある日本の政治~その1 >takigawa hayami ( 大阪市 )  20/09/14 AM10 

>記事は地元豊橋市の市長選挙に向けた、山本正樹氏の時代分析である。>長文だが分割して全文を紹介したい。>リンクより転載。

> =======

> 今から百年以上も前に詩人、石川啄木が時代閉塞の状況を次のように嘆いている。> 「我々青年を囲繞(いぎょうする)空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。>強権の勢力は普(あまねく)国内に行わたっている。>現代社会組織はその隅々(すみずみ)まで発達している。>――そうしてその発達がもはや完成に近い程度まで進んでいることは、その制度の有する欠陥の日一日明白になっていることによって知ることができる。」

 

日本語の文法には時制というものがない。だから、’我らは何処に行くのか’ という未来に関する哲学的命題を日本人は発想できない。現実の内容の把握ばかりでは未来に対する見通しが立たず時代閉塞感に苛まれることになる。

非現実の内容は、時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実を垂れ流す。だから、個性がなく有力紙が育たない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。日本人が国際社会に貢献する度合いも限られている。

 

>  そして今も、あの小泉純一郎氏によって顕著になった「テレビ型劇場政治」の展開が続く中で “本当の価値”、簡単な言葉でいうと生死にかかわる選択の問題は、311という戦後日本の大きな節目を告げる事件があったにもかかわらず、ある意味、現実逃避の東京オリンピック騒ぎのなかでかき消されていき、直感的、直情的、非論理的、扇動的な政治が、今も展開され続けている。

>2011年3月11日に発令された「原子力緊急事態宣言」は、いまだに解除されていないのだが、多くの国民はそのことさえ、忘れてしまっている。

 

そうですね。日本人は熱しやすく冷めやすい。過去は疾く風化しますね。

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’( グレゴリー・クラーク)   

 

>さらに驚くべきことは、コロナパンデミックによって東京オリンピックの開催がほぼ、絶望的になったにもかかわらず、今回の都知事選挙の結果を見れば、明らかなように日本社会全体が現実逃避の現状維持の選択を許容し続けていることである。

> 全く未来の展望が見えない時代閉塞の状況にあるにも関わらず、それを認めたくない空気が日本社会に蔓延しているのである。

 

そうですね。日本人は現実直視が苦手ですね。   

 

>世界的なコロナ危機が襲い、世界全体の経済システムが大きく変わろうとしているにも関わらず、諦められないカジノ誘致、万博誘致、リニア新幹線。

>おそらく、それらは、私たち多くの日本人が、あの平成バブルの時代に戻れる、<ジャパンアズナンバーワン>の幻想に耽ることができるから今も取り上げられているのだろう。

>それは、明らかに厳しい現実を直視したくない、大きな時代の変化を認めたくない気持ちが生む現実逃避である。

 

そうですね。お変わりのないことが何よりのことです。  

 

>  なぜ、私たちはこんなにも惨めな現実にしがみ付きたいほど不安なのか 

 

それは、日本人には非現実 (考え) というものがないからでしょう。  

 

> それは、私たちが簡単に明るい未来を展望できない状況に陥っているからだ。

 

そうでしょうね。日本語の文法には時制というものがない。だから、過去・現在・未来の非現実の独立した三世界内容を文章にすることができない。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。かくして、日本人は無哲学・能天気となっている。  

 

>ちょっと、振り返ってみればわかるが、戦後日本経済のピークは1980年代でその経済膨張は、結果的にはバブル経済を生み、バブル崩壊に到る。

>その結果、終身雇用と年功序列を基本とした日本型経営は完全に過去のものになり、戦後、高度成長によって創られた企業と個人の幸福な関係は、あっという間に終焉を迎えてしまった。  

 

そうですね。  

 

 

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