>■日本企業“失敗”の3大症状 >これまで私は日本の経営を、特に失敗を重ねている日本の企業の荒廃した現場を、何百と観察してきました。 >そこから日本の企業の失敗の本質が見えてきました。
何事も本質の理解が重要ですね。
>日本企業の“失敗”の3大症状をまとめてみます。 >症状1:競合他社のまねや前例の踏襲ばかりをしてしまう。 >症状2:時間よりも完璧な仕事をすることを優先してしまう。>症状3:社内は保身に走る「指示待ち族」ばかりになっている。
どれもこれも、心当たりのあるものばかりですね。
>症状1は「競合他社のまねや前例の踏襲ばかりをしてしまう」というもので、本来見るべき現実世界の環境の変化を見ずに、競合他社のまねや自社のかつての栄光(前例)に縛られてしまっている状態です。
現実の内容を現実に再現すれば、模倣になります。
非現実 (考え) の内容を現実に実現すれば、それは創造したことになります。
我々は、模倣が得意で、想像が苦手である。
>症状2は「時間よりも完璧な仕事をすることを優先してしまう」というもので、顧客への対応などをさて置いて社内の満足感を優先し、タイミングを逸してしまう状態です。
完璧は上、不完全は下。社内の序列争いにも貢献しているのでしょう。
>症状3は「社内は保身に走る『指示待ち族』ばかりになっている」状況で、人事の多くが「減点評価」や上司との「属人的なつながり」(親しさ)の度合いで決まってしまい、部下は上司の顔色をうかがってばかりになっている状態です。
日本人には意思がない。無為無策でいる。だから、他人の指示に従うしかない。
意思がないので、意思疎通はできない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) があるので、恣意疎通 (つうかあの仲・阿吽の呼吸) ならできる。
意思は、未来時制の文章内容として表されるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思 (will) がない。優柔不断・意志薄弱に見える。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 仕方がないので、指示待ち族になる。
>■日本企業には「夢のビジョン」が欠落している
>この3大症状が、同じような失敗を繰り返す日本企業の現場の実態です。
>この根本原因は、米国の先進企業が持っている共通の判断基準である「Vision」つまり「夢のビジョン」がないということにつきあたります。
日本人に注視できるのは、現実 (うつつ) のみ。夢 (未来) と幻 (過去) は非現実であるから、想定外になっている。日本語には、時制というものがないので、非現実の世界 (過去・現在・未来) の内容は、想定外になっている。
>注意していただきたいのは、「夢のビジョン」は日本の企業が掲げているビジョンやミッション、経営理念ではないということ。>日本の企業が掲げているビジョンは経営陣の自己満足にすぎません。
そうですね。社訓ではないですね。道徳の徳目でもないですね。
>本来の「Vision」は「具体的な夢」をさす言葉なのです。
考え (非現実) の具体的な内容は、文章により示される。現実の中では見ることができない。見ることのできない内容は、わが国では嘘と判定される。日本人の場合は、筋が通らないので正しい考えにはならずに、空想・妄想になる。正しい考えになれば、それは哲学になる。わが国は、科学哲学の水準が低く、漫画・アニメの大国になった。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを示している。だから、正解は一つとは限らない。考えの内容は、人人によりさまざまである。
矛盾を含む文章も、その矛盾を取り除けば正しい考えになる。だから、人との対話は考えを正しくするために役に立つ。独りよがりを避けるためにも、対話は必要ですね。
>たとえば、5年後に実現したい企業の夢は何か、顧客に感動をもたらし従業員が夢中になれる夢や実現させたい理想の状態を、それぞれの企業の事業環境のトレンドや潮目の変化を観察して設定することです。
日本語は、写生画の言葉である。現実の内容のみを反映している。夢の内容は現実離れがしているので、日本人には信じられない。だから、綺麗ごとに終わる。
英語には、時制がある。我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分に理解しなければならない。さすれば、過去・現在・未来の内容を非現実 (考え) の内容として表現できるようになる。そして、綺麗ごとは消えてなくなる。
(略)
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