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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

適菜収氏  

2022-08-07 14:56:25 | 文化

>ズブズブの広告塔「安倍国葬」で笑いが止まらないのは統一教会だ(適菜収)  >日刊ゲンダイDIGITAL / 2022年8月6日 9時26

 (略)   

> 安倍晋三とその周辺が統一教会(現・世界平和統一家庭連合)とつながっていることは政治に関心がある人なら誰でも知っていたし、これまで私も何度も指摘してきた。  >たとえば安倍が主催した「桜を見る会」には統一教会の関連団体・世界戦略総合研究所の事務局次長らが招待されていた。  > しかし、現在報道されているように自民党の中枢に食い込んでいたことには気づかなかった。   

 

自民党の指導者が腐っているのですから、腐敗は中まで浸透しますね。歯止めはかからないでしょう。       

 

>もはや「ズブズブの関係」や「カルトの広告塔」といった次元の話ではない。 > 文春オンラインによると、統一教会のダミー団体であるUPFジャパンの梶栗正義議長は、安倍との間に〈ずっと温めてきた信頼関係〉があるとし、〈この8年弱の政権下にあって6度の国政選挙において私たちが示した誠意というものも、ちゃんと本人(安倍氏)が記憶していた。 >こういう背景がございました〉と述べている。

> 実際、統一教会票を割り振りしていたのも安倍だった。  

 

安倍氏と協会は持ちつ持たれつの関係でしたね。お互いに主義主張がないのですから結託しやすいですね。利用し利用されてのその日暮らしをしていたのですね。しかし、政治家には時代の先取りする能力が必要ですね。    

 

>元参院議長の伊達忠一は〈安倍さんに「統一教会に頼んでちょっと(票が)足りないんだウチが」と言ったら「わかりました、そしたらちょっと頼んでアレ(支援)しましょう」ということで〉と自身に近い議員のために統一教会の組織票を回してもらうよう安倍に依頼したと証言した。   

 

そうでしょうね。安倍氏は伊達氏の為の便利な人でしたようですね。     

 

> 岸田政権はこのような人物を国葬にするらしいが、一番メリットがあるのは安倍を広告塔として利用してきた統一教会だろう。   

 

そうですね。政治家は統一教会の広告塔ですからね。権威主義の社会では何よりも権威が大切ですからね。その権威付けは政治家により行われ、信者からは金が集まる。         

 

> また、安倍の国葬は戦後では吉田茂元首相、昭和天皇に続く3件目となる。  >統一教会は笑いが止まらないはずだ。  >教団と深いつながりがある人物が、天皇に並べられるのだから。    

 

そうですね。権威付けとしては安倍氏の国葬は最高ですね。彼は死んでも教会の役に立ちます。       

 

> 私がこれまで指摘してきたように、安倍とその周辺は、保守ではなく、反日のエセ保守である。   

 

無哲学な我が国には保守も革新も無く、或るのは処世術 (損得勘定) ばかりですね。  

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)     

 

>それを支えてきたのは、新自由主義勢力と政商とカルトの複合体だ。   

 

無哲学・能天気の輩ばかりですね。    

 

>統一教会との関わりを抜きにしても、連中がやってきたことは国の破壊そのものだった。  > だからこそ、反日の統一教会と組むこともいとわないのだろう。  

 

我が国の文化には形式があって内容が無い。だから、ズブズブでドロドロでつかみどころのない人間関係ばかりになる。建設的なところがない。未来社会の内容が想定外になっている。         

 

> 今回、統一教会と自民党の癒着が次々と明らかになる中で、安倍が引き起こした一連の「事件」に再び目が向けられるようになった。  >今やるべきことは、安倍とその周辺の正体を明らかにすることだ。  

 

日本人が、無哲学・能天気であることが明らかになるばかりでしょうね。   

 

>国葬は国際社会に向けての恥さらし以外のなにものでもない。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。    

 

>(適菜収/作家)   

 

 

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千原ジュニア氏  

2022-08-05 11:11:53 | 文化

>千原ジュニア、紀藤弁護士に質問 旧統一教会問題で政治家「今後一切と発言しないが」   

> タレントの千原ジュニアが3日、TBS・CBC系「ゴゴスマ~GoGo Smile」で、旧統一教会と政治家の関係について、政治家側が「今後一切私は…と発言しない」と指摘し、紀藤正樹弁護士へ「本当に変わると思われますか?」と質問した。   

 

理詰めの説明が必要ですね。   

 

> 番組では次々と明るみになっている旧統一教会と政治家の関係について特集。 >石井亮次アナウンサーが「どれだけグレーなことがまかりとおってたんだって話です」とジュニアにコメントを求めると、ジュニアは「これだけ歴史的に関わってた統一教会、いろいろでてきた。 >今までそういうことが暗黙の了解でという中で、今までもそうだが誰一人、今後一切私は…と発言しないじゃないですか」と政治家側の反応を指摘。  

 

政治家側は優柔不断・意志薄弱ですね。だから答えが出ない。      

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。この筋道で成功すると、後追いの専門家になりますね。後追いの人は指導者としては適当でない。  

自己の意思を示せば、当事者・関係者となる。示さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がないので、常に傍観者になる。序列関係のない深刻な事態には高みの見物をしている。わが国は世界の中にあって、世界に属していない。  

 

>そして「これは本当に今回明るみに出たことで、変わると思われますか?」とリモート出演の紀藤弁護士に質問した。 > これに紀藤弁護士は「変わらせないといけないと思っている」と切り出し、自身が旧統一教会問題に関わりだしてから「30年経って、結果私たちの努力も足りないが、政治家の認識も甘かったということ尽きる」とコメント。 > 旧統一教会が「世界的にどういう評価なのか、そこと付き合いのある政権があって、その政権があることが国際的にどのような評価を受けるのか、真剣に議論すべき時期がきている」と強く訴え。

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。       

 

>「もし法律が足りないなら作らないといけない。  

 

そうですね。我が国のあるべき姿の内容を法制化する必要がありますね。   

 

>解決策を最後まで提示するのが我々の責務だと思っている」と述べていた。   

 

そうですね。各人が解決策を提案できると良いですね。    

 

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山本太郎氏  

2022-08-05 10:12:12 | 文化

>山本太郎氏「旧統一教会と関係切れない政治家は退場」発言に相次ぐ賛同…“アンチ”も「正論」「その通り」   >8/5() 6:00配信   >女性自身

>7月の参院選で当選した新人議員らが続々と初登院した83日召集の臨時国会。 >NHK党の“ガーシー”こと東谷義和議員(50)が欠席し物議を醸したいっぽう、一目置かれた議員が。 >それは、れいわ新選組の山本太郎代表(47)だ。

 

そうですね。  

 

>山本氏は今年4月に衆院議員を辞職し、参院選に出馬する意向を表明。 >7月の参院選では東京選挙区から立候補し、定員6名のなかに滑り込んだ。 >同日の午前8時に国会正門が開くと、同じく同党から初当選した水道橋博士議員(59)と姿を現した山本氏。 >報道陣に囲まれ、「政治と旧統一教会の関係をどう思われますか?」と問われると、こう言明したのだ。 >「はっきり言えば、ここ(旧統一教会)と距離を置かない政治なんてあり得ないわけです」  

 

そうですね。   

 

>続けて、「これだけの多くの被害者を生み出して、逆に言えば、この国に生きる人々から搾り取ったお金、かすめとったお金、だまして奪い取ったお金を、韓国側にも流されているわけですよね。 >こういうことはあり得ないと思います」とコメント。 >そして、「旧統一教会と呼ばれるものとの関わりをいまだに切れないと言われているような政治家には退場していただくしかないと思っています」と強く批判したのだった。

 

現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、ご唱和の内容になる。

非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。文にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っている。だから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。

 

体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  思考を停止して人は、つかみどころのない人間になる。日本人には自己の考え (非現実) がない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。     

 

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

 

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。  

 

>安倍晋三元首相(享年67)の銃撃事件を機に、政治家と旧統一教会(現在は世界平和統一家庭連合)の親密な関係が取り沙汰されている。 >旧統一教会は、昭和の末から霊感商法や多額な献金被害が社会問題とされてきた。  >「関わりのある議員が最も多いのは自民党です。 >例を挙げると、安倍元首相の実弟である岸信夫防衛相(63)は、旧統一教会の関係者から選挙で支援を受けていました。  >末松信介文部科学相(66)は、教団関係者が’20年から’21年にかけて政治資金パーティー券を購入したことを明らかに。  >石破茂元幹事長(65)も3日放送のテレビ番組で、’17年に教団関連企業の元社長から献金10万円を受け取ったと明かしました。   

 

無哲学・能天気の政治家には政治哲学がない。そして、処世術 (損得勘定) ばかりがある。哲学は非現実 (考え) の内容、処世術は現実 (事実) の内容である。生きた政治には未来の先取りが必要である。   

 

>教団との関わりは、与党だけでなく野党にも及んでいます。 >大阪維新の会では所属議員ら16名が教団関連団体のイベントに出席したという調査結果を発表。 >立憲民主党も、議員8名が教団関連団体の会合に祝電を送るなど接点を持っていたと明らかにしました」(全国紙記者)   

 

金の威力には政治色がないのでしょうね。   

 

>次々と明かされる旧統一教会と政治家たちの関わりを一刀両断した山本代表に、ネット上では《全くその通り》《よくぞ言ってくれた》と賛同の声が相次いでいる。 >さらには、山本代表の“アンチ”からも支持を得ているのだ。 >《自分は山本太郎の政策方針は支持しないけど「統一教会との関係切れない政治家は退場を」これはその通りだろう》 >《山本君は嫌いだけど、統一教会と関係のあった議員の辞職には賛成です》 >《山本太郎は好きじゃないけど、正論だと思う》  

 

これは山本代表のポピュリズムですかね。    

 

>「山本代表は政治家に転身して以降、しばしば言動が物議を醸してきました。  >15年には安倍元首相の問責決議案採決の際に、喪服姿で参院本会議に出席。 >数珠を持ち、手を合わせるなどの仕草をして厳重注意されました。  >昨年も、自民党の麻生太郎副総裁(81)が“不況の原因を作った”として、『万死に値する』と発言。>ネット上で、『言い過ぎだ』などと批判の声が上がりました。  

 

山本代表は気分・雰囲気の問題にならないようにしたいですね。あくまでも批判精神で押し通してもらいたいですね。

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

 

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

>過激な言動から“アンチ”も多い山本代表ですが、旧統一教会と政治家の癒着を追求する姿勢には期待が寄せられているのでしょう」(前出・全国紙記者) >初日から熱弁を振るった山本代表だが、これを皮切りに“れいわ旋風”を巻き起こすことができるだろうか。

 

ポピュリズムの旋風ですね。旋風は短命に終わるでしょうね。   

 

 

 

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政界汚染  

2022-08-05 01:53:27 | 文化

>安倍元総理と統一教会の“ズブズブ癒着”に新証言 「誰が統一教会の支援を受けるかは安倍さんの一存」 >国内 社会   >20220803

()   

>汚染は野党にも   

> ほかにも安倍元総理の「秘蔵っ子」と呼ばれた稲田朋美元防衛相は09年と10年に統一教会系の団体のイベントで講演を行っており、菅政権で官邸を仕切っていた前官房長官の加藤勝信氏は18年に関連イベントに秘書を代理出席させたほか、同氏が代表を務める自民党支部は関連団体に会費を支払っている。 > 汚染は野党にも及ぶ。   

>国民民主党の玉木雄一郎代表は「世界日報」の元社長から計3万円の寄付を受け、前原誠司氏は統一教会系米紙「ワシントン・タイムズ」の全面意見広告に名を連ねている。 > それぞれの事務所に見解を尋ねると、細田事務所は回答ナシ。 >稲田事務所は、「両集会への参加は事実です。 >当日はひと言挨あいさつをし、途中退席しました。   

>講演はしていません」 > ほかの議員は、「慶事や行事などの案内などを受けることもあり、適宜事務所で判断して対応しています」(加藤事務所)  >「賛同者として名を連ねたとありますが、前原にその認識はなく、(中略)統一教会の活動には一切関わりはございません」(前原事務所)  >「(寄付は)いずれも事実です」(玉木事務所)   

 

日本の文化は形式があって内容が無い。だから、統一教会の内容を問われても政治家は返答できない。政治家には自己の哲学がない。形を揃えることが日本人の全てである。       

 

>「見破れなかったこと自体が問題」   > 前出の鈴木[エイト]氏が教団側の意図を解説する。>「統一教会が政治家と付き合うメリットは、内部統制の意味合いが強いと思います。 >信者の中には霊感商法や過度の献金などで教団に不信感を抱いている人もいる。 >そこで名のある政治家がメッセージを寄せれば、教団への信頼を担保することができるのです」  

 

そうですね。名のある政治家の名前を聞けば信者は心も休まりますね。

‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’  (ウスビ・サコ)         

 

> 政治家としては前述した“見返り”を期待してのことなのだろうが、統一教会による被害に詳しい弁護士の紀藤正樹氏は手厳しい。 >「統一教会には数えきれないほどの関連団体、友好団体があり、専門家でもすべてを見分けることは難しい。  >そうやって自分たちの正体を隠して政治家に接近するのが、カルト宗教の手口です。  

 

そうでしょうね。つかみどころがないのは日本人の特徴ですね。無哲学・能天気な人間の特徴ですね。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)            

 

>そうと知らずに協力してしまった政治家もいるかもしれませんが、見破れなかったこと自体が問題です。  

 

政治家はそのような不吉なうわさには目をつむってカルト宗教と付き合っていたかもしれませんね。正義の味方になることには全然興味が無かったのでしょう。

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

 

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

>結果的に統一教会へのお墨付きを与える格好となり、社会全体としてカルトを糾弾する状況が生まれなかったのですから」   

 

統一教会は政治家を利用していたのですね。    

「もしかしたらこれで 誰かが死ぬ かもしれないけど、まあ 別に いいや」という 心境 が、未必の故意ですね。安倍晋三氏はその犠牲者か。庶民の声をよく聞いて、、、という日本人の政治家の物腰はどうなっているのか。   

 

>週刊新潮 202284日号掲載   

>特集「底なし政界汚染 安倍元総理と『統一教会』ズブズブの深淵」より   

 

 

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倉沢美左氏  

2022-08-03 17:35:22 | 文化

>米名門校が「子どもにランク付はしない」納得理由   >天才が出続ける学校が考える自信の持たせ方   >倉沢 美左 : 東洋経済 記者   >2022/07/30 9:00  

>そのため、教員寮の整備をはじめ、新卒の教員を採用できるよう、さまざまな取り組みを行っています。   

>正直なところ、物価が高いシリコンバレーに来るように説得するのは難しい。 >それを実現することが、これからも私たちにとって最重要事項です。 

 

そうですね。孟母三遷の教えが必要ですね。   

 

>教師にとって最も魅力的なのはハーカーの教育システムの中で子どもを教えることだとは思いますが、そのほかにもインセンティブを数多く用意しています。 >彼らが専門分野で磨きをかけることもその1つです。 >そこで、ガスナ財団という生徒の保護者がやっている寛大な財団と通じて、教師の専門的な能力開発を支援しています。 >この中には一生に一度の経験をするための助成金制度があって、あるラテン語の教師はコロナ前にこれを使ってバチカンに1カ月滞在して、ラテン語を学びました。   

 

個人の確立が大切ですね。日本では個人主義の理解が難しいです。    

 

>子の自己肯定感を上げるのに必要なこと   >――ハーカーでは子どもの自己肯定感を培うのに力を入れていると聞きましたが、日本では子どもも大人も自己肯定感が低いことが大きな課題となっています。   

>シリコンバレーは、学校だけでなく、家族や地域社会においても企業家精神、自分の考えや自らに自信を持つことが尊重されているので、自己肯定感という点ではほかの地域に比べてアドバンテージがあるかもしれません。

 

日本人は思考を停止していますからね。自己肯定感は高くなりませんね。        

 

>私は日本に何十年も通っており、日本文化も大好きですが、自己肯定感という点においては課題があるという認識は持っています。  >日本社会は良くも悪くも同調することが重要だと認識しています。  

 

日本人には自己 (の考え) というものがないから、或るのは同調の世界だけですね。我々はご唱和の世界に住んでいます。      

 

>例えば、日本では周りの空気を読んでから発言をすることが大事だと教えてもらったことがあります。

 

我々には空気の研究が大切ですね。日本人には日和見が全てですからね。        

 

>子どもたちに自信を持たせるうえでカギとなるは私たちが「レーザービーム」と呼ぶ手法です。 >たとえ完璧でなくても彼らが心地よく思えるように親や教師、そして生徒がネガティブな反応をしないことです。

 

そうですね。矛盾を含まない考えは全て正しいですね。   

 

>そして、子どもには人から信頼される行動をとらせることも大事です。   

 

そうですね。人から信頼されると責任感を養うことになりますね。    

 

>うそをついたり、ごまかしたりするようでは信頼されるはずがないし、自分に自信を持てなくなります。   

 

嘘つきは泥棒の始まりですからね。   

 

>たとえそれが台所の床の掃除でも、皿洗いでも、数学の宿題でも、自分の能力を最大限に発揮するようにするのです。  >完璧である必要はなく、挑戦する態度が重要なのです。   

 

そうですね。意思の力が大切ですね。    

 

>実際、日本人はこの点に優れていると思います。 >学校の教室の掃除でも、タクシーの運転手さんも車内を綺麗にして、手袋をして運転をして、安全にも気を配っている。

 

日本人は目先手先の事柄にはよく注意を払いますね。    

 

>日本ではどんな分野でも非常に熱心に取り組んでいる人がいる。 >こうした文化は自分を持つための重要な要素だと思います。   

 

日本には指示待ち人間が多いですね。 言われたことのみを熱心に行うタイプですね。     

 

>子どもの「ランク付けをしない」意味  >――今の子どもたちは昔より大変な世界に生きている気がします。   

>そう思います。 >正直なところ、最近の学生にとってより困難な問題の1つは、サイバーワールド全体だと思います。  >テクノロジーとサイバーの世界には多くの利点があり、指先だけで多くのことを調べることができますし、暗記をする必要もありません。 >そうした中で、今重要なのは事実を暗記することよりも、批判的思考や学習方法を学ぶことになっています。   

 

そうですね。批判精神の必要性ですね。日本人には世界観がないので、自分の世界 (考え) を基準にとって現実を批判することができません。ですから子供と似ています。

大人になる勉強 (英米流の高等教育) ができません。        

 

>ただ、ネットやSNSによって生徒たちはサイバーの世界においても社会的な存在感を示さなければならなくなってしまった。  >「人気」を得ることは実社会でも、SNSの世界でも大変なことで、人気を得ようという努力は時として有害なものになりかねません。 >もっと生産的なことに使われるべき時間やエネルギーがSNSによって奪われている気がしているのです。 >SNSの圧力は学生でいることをより難しくしているのではないでしょうか。  >ちなみに、ハーカーでは生徒たちの「ランク付け」をしていません。   

 

彼らは序列社会とは無縁の存在ですね。我々日本人は序列社会の中の序列人間ですからね。      

 

>もちろん成績はありますが、「あなたはクラスで1番です」といったランクはない。 >それは先ほども話したように、それぞれ履修科目が異なるからです。   

 

ハーカーでは個性の尊重が守られていますね。人間の序列形成は没個性の比較でないと成功しませんからね。      

 

>ランク付けによる競争のストレスから解放されるため、生徒たちは互いに協力し合い、自分が学んだことを共有しあう傾向があります。  

 

そうですね。没個性の競争からくる励みによる焦りも無くて、生徒たちは建設的な作業に没頭できますね。 

 

>例えば、ある学生が他の生徒のところに行き「あなたは金融の専門家だよね。  >この問題は財務的にどんな問題があるのかな」といった具合にほかの学生に助言を求め合うのです。 >これは会社に似ていますね。  

 

そうですね。個性の展開は専門家の道に通じていますね。自己実現への近道ですね。   

 

>経営に長けた人、財務に長けた人、技術に長けた人、と起業するにはさまざまな能力を持った人が必要です。 >生徒たちは学生時代からこうしたチームワークを学んでいるわけです。   

 

チームワークを学べるハーカーの教育は有益ですね。    

 

 

 

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