2019/10/6 ヨハネの黙示録21章1~5節「新しい天と新しい地(続き)」はじめての教理問答150
いよいよ今日で、「はじめての教理問答」が終わります。最初からずっと見てきたこの教理問答の最後は、私たちの将来を素晴らしい希望で語る言葉です。
問150 新しい天と新しい地とは、どのようなものですか?
答 栄光に満ちた幸せな場所で、救われた者たちはイエスさまとともに永遠にその場所にとどまります。
先週は、全ての人が終わりの日に体をよみがえらされて、永遠の世界に迎えられると語っていました。神が招いてくださり、私たちに約束してくださっているのは、新しい天と新しい地でした。この世界はやがて終わって、新しい天と新しい地を迎えるのです。それがどのようなものかと言えば、栄光に満ちた幸せな場所で、救われた者たちはイエス様とともに永遠にその場所に留まる、と言われています。聖書の黙示録の最後、聖書そのものの結びにも、その新しい天と新しい地が来る事が言われていました。
ヨハネの黙示録21:1また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。2私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。3私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。4神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」
神が涙を拭い去ってくださり、死も、悲しみも、叫び声も苦しみも、もはやなくなる。そういう素晴らしい世界を語っています。その事を先の教理問答では
「栄光に満ちた幸せな場所」
と呼んでいます。それを私たちは完全に理解することは出来ません。悲しみや苦しみがない世界を思い描くのは、簡単なようでいて、とても難しいことです。そもそも、新しい天と新しい地が来て、以前の天と以前の地が過ぎ去る、なんてどんな事なのか、到底理解できません。世界一の画家でも、最高のCG技術でも、この新しい天と新しい地を描き出すことは出来ません。私たちの想像力を遥かに超えた素晴らしい栄光の世界だ、というだけ。せいぜい、死や悲しみや苦しみがない、ということです。「海がない」というのも当時は海というのは怖い場所でしたから、そういっているのです。海が大好きな人には、海がないなんて考えられないぐらい詰まらなく思えるでしょうが、安心してください。新しい天と新しい地には、今よりももっと素晴らしい海があると期待したらよいのです。海が怖い人は、恐ろしい海などはないと安心したらよいのです。
いずれにせよ、神は、神の素晴らしさが輝き、私たちが完全に幸せになる世界を、用意されています。そして、ハッキリ言われているのは
「神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。」
という事です。神がともにおられる。これは先の問150の答えでも言われていました。
「イエス様とともに」
なのです。「神抜きに幸せになる。神には私たちの幸せを用意してくれたら、後はどこかに行ってくれていれば良い」。そんな風に思う考えにこの言葉は実にチャレンジです。神がともにいる。それが新しい天と新しい地という場所なのです。聖書は、神が私たちを造り、愛して、私たちとともにいようとされることを語ります。神も、私たちに語りかけて、神と共に歩むようにと呼びかけられる。それを、神を愛するとか、神を信じる、神に従う、神に繋がる、と色々と言い換えていますが、その神とともにいることが将来の世界の中心でもあるのです。神とともにいるなんて、息が詰まりそう、緊張する、余り嬉しくない、と思うかもしれません。私たちは神から離れて以来、神を小さく歪んだイメージで考えるようになっています。しかし、神は素晴らしい神。私たちを愛して造られ、生かして、そして、将来は永遠に一緒にいたいと思ってくださっているお方です。神は、私たちを私たち以上にご存じで、私たち以上に私たちを愛しています。この方は私たちの目から、涙をことごとく拭い去ってくださいます。泣くな、と怒られるんじゃないかとか、神の前で泣いたら失礼だとか思い込んでいようと、神は、私たちの目から、ご自身が涙を一つ一つ拭い取ってくださるのです。神と共にいることは、堅苦しく緊張することではありません。それは栄光であり幸せの始まりなのです。すると
5…御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」
神が「わたしはすべてを新しくする」と宣言されます。神が全てを新しくなさる。私たちを新しくしてくださいます。それがどんなことか、私たちには今想像もつきません。しかし、想像もつかない素晴らしい新しさを、神は私たちに約束しています。
今、私たちが住んでいる世界は、新しい天と新しい地とは違います。今は、まだ死があり、悲しみ、叫び、苦しみがあります。この黙示録が書かれた時も、教会は沢山の悩みを抱えていました。ひどい暴力や狡い胡麻菓子が蔓延っていました。そうした時代に黙示録は書かれました。そして、これからもつらい想いをたくさんすることをまざまざと書き綴った上で、最後にはそれらの苦しみを償って余りある将来が来ると約束しています。最後にあるのは、新しい天と新しい地で、イエスとともに永遠に留まります。もう二度と、死や終わりはありません。永遠にそこにあると約束されています。「そんな話はうますぎて信じられない」と思う人もいるでしょうが、それでも、これが神の約束です。神は、新しい天と新しい地を用意して、そこに向けて全てを運んでいます。私たちは今ここで、その将来に向けて、希望を持ちます。神は私たちに、戦いや厳しさやなすべきことを十分に語ります。甘い見通しや、無責任な生き方をきっちり警告されます。それでも、その先に新しい天と地がある、あなたがたを新しくすると語り、希望を呼び覚ますのです。希望こそ、神の約束を信じるキリスト者のしるしです。
Ⅰコリント13:13こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。
「はじめての教理問答」は、世界を造られた神から始まって、最後に新しい世界を造る神で結びます。今ここが楽園になることを願うのではなく、将来の完成に希望を置きながら、その時にも残る価値のある、信仰と希望と愛を持つよう励ましてくれるのです。