2014/10/26 ウェストミンスター小教理問答24 詩篇一一九9-10
「預言者であるキリスト」
前回は、キリストの職務(お仕事)は三つ、「預言者、祭司、王」だというお話しをしました。今日は、その最初の「預言者」の職務についてお話しします。
問24 キリストは、預言者の職務をどのように遂行されますか。
答 キリストは、私たちの救いのために、神の御心を、彼のことばと霊によって私たちに啓示することにより、預言者の職務を遂行されます。
「預言者」というのは、未来を「予言」する人ではなく、神様からの言葉を預かって人に伝えてくれる人のことです。旧約聖書には、そういう預言者がたくさんいました。モーセや、エリヤ、エリシャ、イザヤ、エレミヤ、ダニエル、ヨナ。そういう人たちが、神様からの言葉をお預かりして、イスラエルの人たちにお話ししました。でも、今はそういう預言者はいません。何故でしょうか? それは、イエス様がおいでになったからです。イエス様こそは、神様の言葉を私たちに手渡してくださるお方です。
ヨハネ一18いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
神のひとり子イエス様が、神様の事を語ってくれる以上に確かなことはないですね。旧約の時代の預言者は、全部、この真の預言者であるイエス様がおいでになるまでの、「代役」でした。イエス様が預言者たちを先にお遣わしになって、神の民に、御言葉をお告げくださっていたのですね。
もし私たちが、言葉がなかったとしたら、どうでしょうか? 大切なことを伝えることが出来るでしょうか? 勿論、病気や事故で口がきけなくなることもあります。言葉が通じない外国の人と一緒に過ごすような事もあります。けれども、そうした時でも、日本語の代わりに、身振りや手振り、触ったり、笑ったり、困った顔をしたり、そういう「言葉」を使うから、気持ちを伝えたり、何を言いたいのかが伝わったりするのですね。そして、自分の中で、「あぁ、これはこういうことだろうな」と考える言葉を使っているのです。
神様も、私たちに、言葉を使って、大切なことを伝えてくださるのです。言葉がなくても大丈夫、とか、何となく分かるでしょう?というお方ではなく、語りかけて下さるお方なのですね。だから、聖書にはたくさんの預言者たちがいるのです。そして、イエス様は、最後の預言者としておいでになって、弟子たちや群衆にお話しをなさいました。そうして、「神様は天の父だよ」「神の国は近づいたから、悔い改めて福音を信じなさい」「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいますよ」…。そうした沢山の言葉を語って下さいました。
でも、イエス様は最後に十字架に掛かって、よみがえられましたけど、今は天に昇って見えません。今、私たちはイエス様の言葉を直接聞くことは出来ません。預言者がいなくなってしまって、困ります…か?
イエス様は、十字架に掛かられる前の夜にこう言われました。
ヨハネ十四26しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
こう弟子たちに教えられました。聖霊が遣わされるから、イエス様が話したことを全部思い出させてくれるよ。その約束の通り、イエス様が天に昇られてから、聖霊が降られて、弟子たちを教えて、イエス様の事を人々に伝えさせました。そして、弟子のある人々が選ばれて、イエス様のメッセージを書きまとめました。それが聖書です。イエス様はそのようにして、聖霊が導いて、弟子たちに聖書を書かせ、その聖書を通して、教会にずっと神様の言葉を教えてくださっています。
忘れないでほしいのは、イエス様は私たちに、「これをしなさい。あれをしちゃダメだ」という決まり事、命令を教えるだけの預言者では決してない、ということです。聖書を読む時にも、神様からの厳しい、難しい、面倒くさい教えが書かれているとは思わないでほしいのです。神様が私たちに語りかけておられるのは、私たちを愛しておられるからです。わざわざ私たちに教えたり、言葉を掛けたり、慰めたり、してはいけないこと、するべきことを思い出させてくださるなんて、私たちを大事に思っていなければ出来ませんね。そして、神様の言葉は、あれをしなければダメだぞ、これをしたら救ってあげる、というような脅しではなくて、私たちを愛していらっしゃるという宣言であって、だからこそ私たちが、愛されている者にふさわしく、神にならう者となりなさい、そのために私たちは召されたのです、という言葉なのですね。
詩篇一一九9どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。
10私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。
そうです。イエス様は、私たちに、知恵や知識だけの言葉を一方的に語られておしまいの預言者ではありません。イエス様の言葉は生きていて、力強くて、この言葉によって、私たちが本当に救いに与って、神様の道を歩むことが出来るようになるのです。元気になり、勇気をもらって、心が燃やされるのです。イエス様がよみがえられた日、まだ信じていない弟子たちに、イエス様がそっと近づいて教えられたことがありました。イエス様だ、と分かった途端、イエス様は見えなくなってしまったのですが、
ルカ二四32「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
と言いました。イエス様は今も私たちに語りかけて、私たちの心の内に火を灯し、生き生きとした、誘惑に負けないきよい心を造ってくださいます。私たちの周りには、沢山の言葉が見えたり、聞こえたりしています。けれども、イエス様だけが、聖書の言葉を聖霊によって私たちに教えてくださって、本当に確かな歩みへと導いてくださるのです。