2014/09/21「恵みの契約」エペソ2章1~8節 ウェストミンスター小教理問答20
先週まで、罪について詳しくお話しして来ましたが、今日から一転して「救い」についての教えを聞いていきます。罪の暗い話に、パアッと明るい光が差すのです!
問 神は全人類を、罪と悲惨の状態の中で滅びるままにしておかれましたか。
答 神は、ひとえに御自身がよしとされるところに従い、全くの永遠からある人々を永遠の命へと選んでおられたので、ひとりの贖い主により、彼らを罪と悲惨の状態から助け出し、救いの状態に入れるために、恵みの契約に入られました。
この後、問38まで、その「ひとりの贖い主」とはどのような方なのか、そして、私たちが「救いの状態」に与るとはどんなに素晴らしい事なのか、詳しく教えてもらうことになります。ですから、今日は、罪と悲惨に滅びるしかなかった私たちを、
神は、ひとえに御自身がよしとされるところに従い、全くの永遠からある人々を永遠の命へと選んでおられたので、…恵みの契約に入られました。
そういう、素晴らしい恵みの教えを学ぶことにしましょう。神様は、私たちが滅びてもどうなってもいいとは思われないで、私たちを救ってくださいました。でも、それは、本当に不思議なことです。救われる側に、何か良い所があったから、ではなくて、
ひとえに御自身がよしとされるところに従い、
というのですね。
私は、聖書のことをちゃんと学ぶまでは、こんな風に考えていました。神様は人間が堕落して滅びるようになったとき、救いの道を考えてくださった。そして、人間に「神様を信じなさい。そうしたら救われますよ」と呼びかけてくださった。それは、テレビの宣伝や新聞の広告のようなものです。「信じる人、大募集! だれでも歓迎。必ず救われます」というポスターのようなものです。誰でもどうぞ、なのです。だけど、誰でも、であって、私に、とか、誰かこの人に、ではないと思っていました。神様は神様で、救いの手を差し伸べてくださるけれど、人間がその神様の手を握りしめるかどうかは本人次第だと思っていました。だから、人間が神様の手を最後までつかんでいなければならなくて、最後の最後で手をうっかりでも離してしまえば、救われなくなるのだということです。神様の呼びかけが50あって、人間の応答も50なくてはならない。両方揃って、100になる救いです。私がそのうち信じられなくなったり、神様を裏切ってしまったりすれば、神様は「残念だったね」と仰って、私が滅びることを仕方が無いと思う、いいえ、むしろ、「せっかく救いを用意してやったのに、信じないのだから、なんて酷い罪人だ」と、地獄で永遠に怒りの火で苦しめられるのだ、と思っていました。
けれども、聖書の御言葉を知っていくうちに、そうではないのだと分かりました。神様は、私を選んでくださって、救うことに決めてくださっていたのだ、と、そう聖書は教えてくれているのです。なんと素晴らしいことでしょう。神様は、私が滅びても構わないとは思われなかった。私が救われることを御心にしてくださった。モチロン、人間は信じなければなりませんが、その信じる気持ちを-それどころか、信じたい、救われたいという願いすら-神様がこの私にお与えくださるから、信じることも出来るのです。神様は、「誰でもどうぞ」と門を広く開けたまま、誰も来ないかも知れないまま待っておられるのではなく、私たちの所に来られて、選んでおいた人間の所に来て、声を掛け、手を引いて導き、救いに連れて行ってくださるのです。だから、私たちは、自分の信仰や心が弱くても、神様が永遠の昔から私の救いを決めてくださっていたのだから、大丈夫だ、神様にお任せしていこう、と安心することが出来るのです。同時に、こんなに私のことを愛してくださっている神様に、精一杯、心の底から従って行こう、とも願うのですね。
神様が誰を選んでおられるのかは、神様がお決めになったことですから、この人は救われそうだとかこの人は信じないだろう、などと決めつけることは、私たち人間には出来ません。ですから、教会でもどこでも、私たちがイエス様のことを伝えるときには、「誰でもイエス様を信じるなら救われる」、また、「誰でも罪を悔い改めて神様に帰らなければならない」「愛の神様は、どんな人をも愛して、救ってくださる」と言うのです。その結果、信じたとしたら、それは神様がその人のうちに信仰を与えてくださったのだ、そして、それは神様が、その人をずっと昔、その人が生まれる遙か昔から選んでおられて、導いておられて、信仰を持たせてくださったのだ、と受け止めるのですね。それは、救いが人間の信仰を条件に実現するのではなくて、神様の救いの御業を土台にして、人間の信仰が成り立つのだからです。神様が立ててくださった「恵みの契約」があって、私たちは救いに与るのです。
「恵みの契約」は、神様と私たちの間の契約ではありません。父なる神様とイエス様との間で結ばれた契約です。神様がイエス様に、人となってアダムに代わる「代表者」としての務めをお命じになりました。そして、イエス様は、完全な人間として、神様に従って、十字架にまでかかってくださいました。神様とアダムとの間の最初の契約が破られた代わりに、神様とイエス様との間の「救いの契約」が完全に果たされたので、それを根拠に私たちが救いにあずかることが出来るのです。
ヨハネ六39わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。
40事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」
こういう約束が、イエス様と天の父との間にある、というのです。神様の側でこのご契約があって、私たちはひとりとして失われることがなく、永遠のいのちを頂けると信じるのです。私が救われるのはどうしてですか。それは、神様が、私を永遠の命へと選んで、贖い主イエス様との「恵みの契約」に入られたからです。そうでなければ、救われたいと願いさえしなかった私たちを、神様が「恵みの契約」によって救ってくださったのです。神様の約束は絶対です。1+1=2である以上に、神様はこの私をあいされていて、永遠のいのちを与えてくださる、と信じるように命じられています。